004: もう一つの同居人
翌日、リーゼは朝早くから起きていた。文字通りに陽の登る前に。
綵から「部屋がないと困るでしょ?」と貸してもらえた、昨日私が寝ていた部屋(綵の部屋らしい)の隣に位置する自室の整理に、奴隷としての初仕事である家事を行うためだった。元々荷物なんてなかったリーゼは特に音を荒らげることもなく10分ほどで自分の寝具の片付けと、部屋の整理を終えた。そして、部屋に二つある南側と東側に位置する窓を開けて、早朝の冷えた空気を室内に注ぎ込む。こうすると、冷えた空気が私と私の部屋の何もかもを洗い流して、綺麗にしてくれるような感覚になってとても気持ちが落ち着くのだった。
「あれは⋯⋯ 都市、かな」
窓の外で、太陽が遠く離れた大きめの街や、そこへ向かう運搬用の車輌や、街の防衛用と思われる戦車等を紅く照らし始める。照明らしき光が散りばめられたその街には、特徴的な塔、背の高い建物、そしてその前に建つ、それらを護る門と壁が見えた。あのシルエットの中に暮らす人々は今頃、目を擦って起き出しているころだろうか。
「──そうだ、仕事しないと」
こうして考えていると、惇さんや綵さんが起き出す(と、昨夜に聞いている)時間が近づいているのだという自覚が私の中にふと湧いてきて、はっと遠い景色から一気に自分の部屋に戻される。いけない、早くしなければ。あそこまで頼み込んで居させて貰っているのだから、初日から幻滅させるわけにはいかない。
「『換装』」
私が呟くようにそう言うと、着ていた服が光の粒子となって形を変え、ダークブラウンのワンピースと、黒いエプロンになった。ついでにと下にはこれも黒いハイソックスも付け加えた。換装魔法、簡単に言うと、着替えをする魔法だ。私が持っている服ならば一瞬で着替えることが出来るし、わざわざ脱いだり履いたりしなくて良いからとても便利で重宝している。── 本来は、兵士や消防士等が防火服や鎧を瞬時に着たり、武器を持ち替えたりする時に使うらしいけれど。
「取り敢えずは朝食を作って、お二人の布団を片付け、そのあとはお皿も洗って── と」
今日から始まる仕事を指を折って数えながら一階へ向かう。昨日、あの後少し惇さん、綵さんと私で今後の私について話し合ったのだが、今日から一通りの家事、掃除は任せて貰えることになり、時期を見て惇の仕事にもお供させてもらえるのだそうだ。私は元々、身の回りのお世話やその他一般的な仕事をする奴隷ではなく、護身用奴隷という商品だったのだが、身の回りのお世話も務めさせて欲しいと願い出ると快諾してもらえたので今日から護身以外にも色々と家事等をすることとなった。
ちなみに、少し屈辱的だったのがほかの人にあまり私を奴隷として持ったことを積極的に見せたくないとのことで、私は「マスター」どころか、「惇さま」とすら呼ぶことが出来ず、「惇さん」と呼ぶのが限界で、更には敬語までも多少制限され、友人の一人として振る舞うように努めて欲しいとのことだった。こうなると奴隷というよりはメイドやお手伝いさんのように見えてくるが、もう私の全ては惇のものだから、細かいことはあまり気にしない。直ぐにでも御奉仕させて貰えるだけで、とても嬉しかったし。
私が一階への木の階段を踏みしめているこの家は、木造建築の二階と地下一階からなる一戸建てで、キッチン、お風呂、リビングが一階で、四つの個室(うち二つが空き部屋で、私が一つ貰えた)と物置部屋が二階に位置している。ちなみに、私が貰えた部屋には机やクローゼット等の家具に紙やペンの筆記用具、先のように布団まであり、充分な広さも相まってとても私には贅沢な部屋だった。ありがたい。
と、そんなことをまだ少し眠気の残るぼやっとした頭で考えていた時。
「──っ!?」
誰かが暗いキッチンで食料の入った収納から、なにかを漁っているような音がした。もう少しで声を上げそうなところだったが、なんとか抑えて階段の横の柱に身を隠す。
(拘束すべき?でも、下手に動くと気づかれるかも⋯⋯)
そう頭の中で策を逡巡させて色々と考えてたが、まさか初日からこのような事態が起こるとは夢にも思わず対応策が思い浮かばない。昨夜、回復しきらずに疲労に負けて寝てしまった昨日の私が憎い。
そしてちらり、と相手を観察しようと目を向けた時。
「気付かれたっ!?」
相手の紅色の目と、私の目が合った。
私は反射的に動いていた。こうなってしまっては仕方が無い。もしかすると大きな音を立てたり、家具を傷つけてしまうかも知れないが、それは最早仕方がない。
「『ライトニング・ショック』!」
詠唱を省略して、右手の動きと名称だけで魔法を発動、相手めがけて一直線に電撃を飛ばす。青白い光がフラッシュし、スパンッと高い音が鳴り響いた。
「ひうぅっ!?」
相手が目を見開き、身体をピン、と硬直させる。どうやら当たったらしい。あとは拘束するだけだ。
「『影に潜みし桎梏よ』」
私はそう、慎重に、そっとそう呟いた。
すると床から伸びてきた黒い茨が脚、腰、肩、腕。そして首へと絡み、相手を縛った。茨の棘がつぷり、と刺さった首もとから流れるとろりとした淡く光っる青白いものを見る限り、どうやら相手は人間ではないらしい。名称だけだったり、お粗末な省略した詠唱だけだったが、どうやら効果は充分、かつあまり傷つけずに拘束できたようだ。
「か、はっ⋯⋯ 」
「さて、色々聞かせてもらいますよ?」
暗くてよく見えなかったが、近くで見ると赤毛に赤い目の少女の様だった。服はさらさらとした絹のものでそれがどこか場違いなように感じられるが、特に悪い人(?)ではなさそうな人だった。
「んん、どしたの⋯⋯ ?」
「あ、綵さん、おはようございます。今、なにやらキッチンで動かれていた方を拘束したのですが──」
「わわっ、し、シルキーちゃん!?」
「えっ、し、シルキー⋯⋯ ?」
眠気など一瞬で飛んだらしく、あわあわと焦りだす綵。
シルキーって、あの幽霊の?と私が整理できずに少し眉を潜めて小首をかしげると、なにやら奥から、しゅー。と何かが焼ける音と焦げ臭い臭いがしてきた。何事かとその方を見ると、なんと何か作っていたらしいフライパンから黒い煙が上がっていた。
「うわあああ、なんかお肉が焦げてるよっ!?」
「うわあああ、ごめんなさい!シルキーが居るとはつゆ知らず⋯⋯ !!」
「ぐっ、うぅぐ、あぁっ⋯⋯」
「リーゼちゃん、締まってる締まってる!」
「ごっ、ごめんなさい!?すぐ解きます、ごめんなさいいっ!!」
バッサバッサと上着で消火したフライパンの煙を追い出しにかかる綵に、あせあせと赤毛のシルキーを解放する私。
初日での私の初仕事。それはどうやら、初っ端から躓いてしまったらしいかった⋯⋯。
今日はここまでです。合わせて4500文字程になると思うので、ノルマは達成した⋯⋯かも?