1.城下町にて
〈エスメラルダ王国城下町〉
『黒の魔術師』は王国最高の魔術師と言われるほどの実力の持ち主だ。エスメラルダ王国で、彼のことを知らない者はいないという。
王国新聞の1面に乗っていた記事が注目されているようで、 城下町の人々は『黒の魔術師』の話題で持ち切りだった。見出しには「黒の魔術師 王都を去る?」と書かれている。
「聞いたか?黒の魔術師の噂」
「ああ、昨日の新聞の…」
「何かあったの?」
「ほら見て、昨日の新聞に書いてあったんだ。実は黒の魔術師が…」
そんな盛り上がる人々の間を、1人の男が歩いていく。黒のコートを羽織った、すらりとした男だ。
そんな彼に、八百屋の店主が話しかける。
「そこの兄ちゃん、寄っていかないか?安さには自信があるんだが」
「…じゃあ、その果物を買おうかな」
そういいながら男は赤いリンゴを手に取って鞄にしまうと、店主に銀貨を渡す。
「まいどありー。えーっと、銅貨は…。ん?もういなくなっちまったか」
店主は銅貨を数えて返そうとした。しかし、男は既にいなくなっていた。店主は困ったように笑う。
〈エスメラルダ王国城下町 スラム街〉
男は大通りから外れた路地裏を歩いていた。人の少ない道は、治安の悪いスラム街に続いている。
男が少し開けた場所に出ると、物陰から1人の少女が出てきた。その後ろにも、何人かの人影が見える。
赤髪を一つにまとめた少女は、不安げに男を見上げる。
「何をしに来たの?」
男を追い払うことも考えたが、15歳の少女にそんな勇気はなかった。男は屈んで少女と目線を合わせる。
「人を探しているんだ。……ここにカサブランカという人はいるかな?」
「カサブランカさん…。この先の家に住んでる人かな?ここを右に曲がってまっすぐ行けば…私が案内しますね。でも、どうしてここに?」
少女は不思議そうに首を傾げる。わざわざスラム街に訪れる人は少なく、人を探しに来るなど珍しいことだ。
「私の昔からの友人なんだ。少し用事があってね。」
男は少女にほほえむと立ち上がる。
「では、案内をお願いしようかな。」
古い家が並ぶ細い道の奥へ進んでいくと、小さな家が見えてきた。男が扉を軽く叩くと、女の人の返事が聞こえた。
「合言葉はー?」
「太陽と月、朝と夜」
男が返すと扉が開かれ、返事の声の主が出てきた。淡い桃色の髪を長く伸ばした美しい女性だ。
「久しぶりだね、カサブランカ。元気かい?」
「久しぶりね。誰かと思ったらあなただったのね。どうぞ上がって。……『黒の魔術師』さん。」
カサブランカから『黒の魔術師』という言葉を聞いた少女は思わず息を飲み、戸惑いを隠せない表情になる。
そんな戸惑う少女の方を向き、男はこう言った。
「驚いたかい?私が『黒の魔術師』と呼ばれる男さ。そうだ、まだ聞いていなかったね。名前は?」
「えーっ…と…。わたしはオリヴィア。カサブランカさんに付けてもらったの」
「オリヴィアか、いい名前だね。君も一緒に上がろう」
男は頷くと家に入っていく。オリヴィアは、本当にこの男が『黒の魔術師』なのかと疑いつつもついて行った。
カサブランカが住む小さな家は2階建てで、他にも4人住んでいるという。オリヴィアは、リビングにいた知り合いの青年と話すことにした。
その隣で男とカサブランカも話している。
「頼みたいことがあるんだ。」
「今度は何?前はサファイア大凍土に行ったんでしょう。火山にでも行くつもりなの?」
「まさか。暑いのは苦手なんだ。少し魔導書を貸してほしいだけだよ。」
「それならいいけど…。いくら実力があっても、あまり無理しすぎるのはよくないのよ。…」
大気に含まれるマナを使う「魔法使い」と、精霊などと契約して魔法を使う「術師」。
その両方の素質を持つものが「魔術師」とよばれる。しかし、王国最高の『黒の魔術師』とは言っても全ての魔法を扱えるわけではなく、魔導書の力を借りることもあるのだ。
魔導書には使う者の素質を引き出す力がある。
その力があればどんな人でも、簡単な魔法程度なら使うことができるのだ。もちろん、もともと持つ力が強い人はより強くなることができる。
「…今日は3冊だけ借りるよ。しばらくしたら返しにくるから、今日はこれで失礼するよ」
男は魔導書を手に取りながら言う。
「あら、もう行くの?忙しい人ね、お茶くらい飲んでいけばいいのに。」
「それは残念だ。また今度頂くよ」
男が帰ろうとしているのに気づいたオリヴィアは、彼を引き止める。
「本当に『黒の魔術師』なんだよね?それなら、簡単な魔法を教えて欲しいの。魔法があれば少しでも生活が楽になるのかなって…」
「いいよ、教えてあげよう。大気に含まれるマナは見えるかな?見えるなら、それらを自分のところへ集めるイメージをするんだ。ほら、こんな風に」
「こう…かな?」
オリヴィアが意識を向けると、目の前に小さな光が集まり始めた。きらきらと輝くそれは、言葉にし難い美しい光景だった。
「ああ、そうだ。次に、呪文を唱えるんだ。見ていてごらん」
男は小さな光を集めると、小さく呟く。
「Shining Frame」
すると、集まった光が弾けて炎に変わる。炎は空中に浮いたままだ。オリヴィアも、男にならい呪文を唱える。
「…あれ?」
オリヴィアが集めた光は火花を散らし、花が散るように消えてしまった。
「はじめは誰でもそうなるものだよ。練習すればすぐに出来るようになる。もしわからない事があれば、この家に来るといい。助けてくれるさ」
また会おう。男はそう言って別の呪文を唱えると、何も残さずどこかに行ってしまった。目の前で消えてしまった男を見て、オリヴィアは確信した。
「やっぱり、本物の『黒の魔術師』だ…。」
そして、心に決めた。いつかこのスラム街を出て、彼にも勝てるような魔術師になると。
「…そうだ、カサブランカさんに教えてもらおう!」
『黒の魔術師』がやってきたあと、ここでは子どもたちの詠唱が聞こえるようになった。そのおかげで、寂しかった路地裏が少し明るくなった。
オリヴィアは知らない。
『黒の魔術師』が自分の運命を変えたことを。
また『黒の魔術師』と巡り逢う運命が待っていることを。
閲覧ありがとうございました。
あとがきで、言葉や登場人物の解説や補足をしたいと思います。今回は、1話で登場した2人を紹介します。
オリヴィア
幼い頃に家族をなくし、スラム街で暮らしている15歳の少女。優しい性格で、他の子どもたちにも好かれている。
『黒の魔術師』に出会い、魔法に興味を持った。
カサブランカ
スラム街にある小さな家で暮らす女性。『黒の魔術師』とは昔からの友人。困っている人を見ると放っておけない性格。