表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
我楽多  作者: うちょん
1/5

第一将「貫くもの」


       登場人物


         将烈(しょうれつ)

         ()(ゆき)

         ()(だか)

         炉冀(ろき)

         (えい)()

         (れい)()

         祇園(ぎおん)

         龍也(りゅうや)

         ミス・アンジー















 誰もが「世界」を変えようと考える、だが誰も「自分」を変えようとは考えない。

          レフ・トルストイ



















 第一将【貫くもの】














 「この野郎―――!!」

 男が大きく拳を振り上げ、目の前にいる男に向かって殴りかかる。

 「くたばれえええ!!!軍人!!!」

 白い手袋をした男は、口に咥えていた煙草を指でつまんで煙を吐くと、気だるそうにポケットに手を突っ込む。

 そこから携帯型の灰皿を取り出すと、まだ吸えたであろう煙草を名残惜しそうに押し入れる。

 「わーわー喚くんじゃねぇよ」

 灰皿を再びポケットにしまうと、自分に向かってきたその拳を軽く避ける。

 そして足を引っ掛けて男を転ばせると、そのままの勢いで膝で男の背中を押し倒し、男は前のめりになって倒れた。

 素早く男の両腕を後ろで拘束すると、男を取り押さえた男は冷たくこう言い放つ。

 「見苦しい」

 「将烈さん!御無事ですか!」

 「無事に決まってんだろ。さっさと連れて行け」

 「は、はい!」

 将烈と呼ばれた男は、黒の髪に金の目、黒のワイシャツに黒のネクタイ、白の手袋をつけていた。

 トレードマークでもないが、ヘビースモーカーであって、煙草はかかせない。

 相手が男だろうと女だろうと、ましてや子供だろうとも、罪を犯した者には冷酷で残酷だと言われている将烈だが、一方で部下想いの一面もあるらしい。

 将烈は新しい煙草を吸おうと一本口に咥えたところで、後ろから声をかけられた。

 「将烈さん、炉冀さんから連絡がありました」

 「炉冀から?またか。何だって?」

 「それが、また子供の遺体が見つかったと」

 「・・・・・・」

 炉冀という男は、陸軍に所属している男だ。

 将烈とは幼馴染のようだが、特別仲の良い感じもしないが、それはきっと将烈があまり人付き合いに関心がないからだろう。

 一見、声がかけにくそうな将烈に、こうして臆せずに声をかけてくる男は数人しかいない。

 その1人でもあるのが、今将烈と話をしている波幸という男だ。

 青い髪に茶色の目をした大人しそうな男だが、将烈と共に潜入捜査を行うなど、率先して現場へと向かう将烈の後継者とも言われている男だ。

 そこへ、もう1人男がやってきた。

 「将さん、こっちも遺体があがったってさ」

 「火鷹、将烈さんと呼べと言ってるだろ」

 「波幸は相変わらずお堅いねぇ。そんなんだから、女の子たちにモテないんだよ」

 今にも喧嘩になってしまいそうな2人に、将烈は気にせず話しを聞く。

 「榮志から資料―」

 火鷹という男は、濃い紫の髪に黄土の目をしていて、淡いピンクのシャツを着ている。

波幸よりも数年後に入ってきたような気がするのだが、波幸とは逆の性格で、それでいて同じように優秀だ。

 ただ、人に何か合わせるといったことは苦手というが出来ないため、1人で行動することが多い。

 回りからは疎まれやすい男ではあるが、将烈の下に来てからは言う事を聞くようになってきた。

 それは将烈の存在のお陰なのか、それとも波幸との対立なのか、それは分からないが。

 色気も喰い気もあるうえ、ギャンブルにもはまりやすいため、その度に将烈にきつくお灸を据えられるのだが、なかなか直らない。

 火鷹の口から出てきた榮志という男は、先程の炉冀とはまた異なり、海軍に属している。

 世界の海の潮の流れや深さ、岩礁の場所などを知りつくし、さらには泳ぎも得意だ。

 炉冀とは酒を飲むこともあるようだが、だからといって仲が良いのかと聞かれると、同じにするなと言われるとか。

 「・・・子供の遺体、今月に入って幾つになった?」

 「埋葬で見つかったものが男女合わせて5体、海で見つかったものが男女合わせて4体になります。あまりに多いですね」

 「しかも、榮志からによると、海で見つかった遺体ってのは、どれもこれもがほとんど傷がついていないもので、イレ―ナ海岸で見つかってるってさ。あそこは海流が集中してるから、海岸沿いで棄てたとなると、ほぼ100%、あそこに行きつくだろうって言ってた」

 「火鷹」

 「あいよ、将さん」

 「お前、仕事場来る前に飲んできただろ」

 「あらやだ、匂う?」

 おちゃらけながら、口元に手を押さえて笑っている火鷹に、波幸は目を細めていた。

 火鷹は口に当てていた手をブンブンと横に振ると、訂正しながらも悪びれた様子もなくこう言った。

 「嘘嘘。昨日の夜にちょっとだけ飲んだんだけど、ちょっとちょっとと飲んで行くうちに一升瓶全部開けちった。てへ」

 顔も赤くないし、臭うというほど臭ってはいないのだが、将烈は酒と女が好きな火鷹のそういうところを心配していた。

 可愛い感じに誤魔化してみた火鷹だったが、将烈に強烈な一撃をくらった。

 「いてっ!!将さん、暴力反対!!」

 「知ってるか。この世には愛の鞭ってやつがあるんだ」

 「将さんからの愛の鞭なんていらないよ。それに、別に仕事には支障きたしてないんだからいいじゃん」

 「波幸、帰るぞ」

 「はい」

 「あれ、無視なの?酷くない?」

 仕事場に戻ろうと歩きながら、将烈は煙草を吸おうと一本口に咥え、火をつけようとした。

 風に吹かれた髪の毛が邪魔で、手袋をしたままの手で髪をかきあげていると、そこへ珍しい人がやってきた。

 「久しぶりだな、将烈」

 「祇園、先輩」




 祇園というのは、将烈の先輩にあたる人物。

 緑の髪に茶色の目、右目の下にはホクロがついている、もともとは海軍にいた男で、今は本部にいると聞いていた。

 咥えていた煙草を一度口から離すと、それを煙草の箱の中に戻す。

 波幸や火鷹は祇園と初対面のようだが存在は知っているようで、将烈の後ろで大人しく2人の会話を聞いていた。

 「どうしてこんなところに?」

 「ここらで子供の遺体が多数出てまして、それを調査してるんです」

 「そうか・・・」

 「何かご存知で?」

 「いや」

 首を横に振って否定をしたあと、祇園は「あ」と何か思い出したように口を開く。

 「そういえば、この海岸の近くに、教会があったはずだ。そこのシスターに聞けば何か分かるかもしれない」

 「教会・・・?」

 祇園に案内されながら教会に向かって歩いている間、波幸と火鷹は、自分たちの前を歩く将烈と祇園の会話が気になっていた。

 将烈が敬語を使っているだけでも珍しいというのに、いつもキツイ目つきの将烈が時折小さく笑っているのを見ると、思わず口を開けてしまう。

 年上だろうと上司だろうと、それが例え秘密警察の頂点であったとしても、筋が通っていないことや、言っていることと行動が合っていない人、明らかに考えがズレテいる人などには絶対に敬語など使わない、むしろ使っているのを聞いた記憶がないためか、新鮮であって不気味でもある。

 「なあ、将さんが別人に見えるのは俺だけか?」

 「・・・信頼出来る人ってことだろ」

 「波幸さぁ、あんな風に笑ってる将さんが良いわけ?俺はぶっきらぼうで淡々としてる将さんの方が良いなー」

 「将烈さんは将烈さんだろ」

 「優秀な解答だこと」

 そうこうしている間にも、祇園が言っていた教会に辿りついてしまった。

 イレ―ナ海岸の近くに小さく聳え立つ教会。

 その回りには十字架が幾つも建てられているが、同じように花も添えられていた。

 教会の中からはパイプオルガンの演奏する音が響いてくる。

 ノックをすることもなくドアをあけると、その先には大きく描かれたマリア様と、オルガンを演奏する1人の女性。

 「あちらがシスターアンジー」

 祇園が足を進めていくと、女性はこちらに気付き、演奏を止めてこちらに向かって歩いてきた。

 「お客様を連れていらしたのね」

 「シスターに話しを聞きたいみたいなんだ。いいかな?」

 「ええ、よろしくてよ」

 アンジーは黄色の髪の毛をしており、頭には黒いベールのようなものを被っている。

 腕も足も全身隠れるような長い洋服を身に纏い、将烈たちを前の席の方へと案内した。

 「俺は先に帰るよ」

 「ありがとうございました」

 祇園が教会から出て行くと、将烈は案内された席に腰を下ろす。

 波幸は将烈の後ろの方で立っているが、火鷹は教会の中をうろうろと歩きまわり、そのうち適当な場所に座っていた。

 「波幸」

 「はい」

 将烈が質問するのかと思いきや、将烈は波幸に任せ、その場で腕を組み、足も組み、目を瞑ってしまった。

 波幸はアンジーに向かって挨拶をする。

 「早速ですが、最近このあたりで子供の不審死が多発しておりまして、何かご存知のことはないかと」

 「まあ、物騒ですね。子供は世界の宝です。未来に繋がる希望です。そんな子供たちが不審死だなんて・・・」

 「物音を聞いたとか、見知らぬ人を見かけたとか、ありませんか?」

 アンジーは、ゆっくりと首を左右に振る。

 「そうですか・・・。ここの教会にはお一人で?」

 それほど広くはない教会とはいえ、こんなところで1人で暮らしているのだろうかと、波幸はふと聞いてみた。

 アンジーは小さく微笑みながら、また首を横に振った。

 「いいえ。ここには、孤児の子供たちと一緒に暮らしておりますの」

 「孤児の子供?」

 「ええ。ほらそこに」

 そう言ってアンジーが顔を向けた先には、確かに子供が描いたと思われる絵が沢山貼られていた。

 「無責任な親たちが棄てていった子供たちを引き取って、ここでみんな一緒に生活しているんです」

 「何人くらいいるんですか?」

 「男の子が8人と、女の子が13人おります。もともとはもっといたんですが、ある程度大きくなると教会を出て行く子もおりますので」

 「そんなに。失礼とは思いますが、お金の面はどうなさっているんですか?」

 「ここは教会ですよ?寄付で賄われております。親のいない子供たちに健やかに育ってほしいと、いただいたものも全て、子供たちのために使わせていただいております」

 小さい子たちは今昼寝の最中で、大きい子たちは寝かしつけてくれているということで、邪魔も出来ないと会う事は出来なかった。

 火鷹はまた歩き出し、子供たちが描いた絵を見て回る。

 「なんだこの絵。何描いてんだ?」

 「ふふ、それは雪だるまだそうですよ」

 「雪だるまぁ?」

 赤色で染められた二つの丸が重なっているそれは、子供の感性でしか分からないものなのだろうか。

 「教会の子供たちがいなくなったとか、そういうことはありませんか」

 「ええ。毎日食事の時に全員分用意しておりますので、いなくなっていれば分かるはずです」

 「そうですか」

 「他に何か?私そろそろ、お祈りの時間ですので」

 「あ、すみませんでした。将烈さん、何かありますか?」

 これまで波幸に任せ、ずっと目を瞑っていた将烈だが、ゆっくりと目を開けると、組んでいた腕と足を解放して立ち上がる。

 もう帰るのかと思い、波幸はアンジーに御礼を言って、まだうろうろしている火鷹にも声をかける。

 ふと、数歩歩いたところで将烈が足を止める。

 「ここの教会には、いつから?」

 「もうずっとです。10年以上になるでしょうか」

 「・・・そうですか」

 そう言って、また歩き出してしまった将烈に、波幸はアンジーにもう一度御礼を言った。

 教会を出て、仕事場に戻ろうと歩いていると、将烈たちの視界に何か大きな建物が目についた。

 「あれ、なんでしょうね」

 「あ?工場かなんかだろ?」

 「街から離れた場所にか」

 「なんでお前、俺に対してはそんな刺々しいんだよ」

 将烈に問いかけた心算だったが、返ってきたのは火鷹の声で、波幸は一瞬にして敬語がなくなる。

 それに加え、目つきも鋭く冷たくなるのだ。

 「街から離れた場所にだって、工場のひとつやふたつあるだろ!それとも何か?工場は住民にとって害だとでも言うのか」

 「そんなこと言ってないだろ。ただあんな離れた場所に工場を作っても、働き手もいないだろうなって思っただけだ」

 「住み込みかもしれねぇだろ!あの敷地内に工場の寮とか社宅とかあるのかもしれねぇだろ!」

 「はいはい」

 「将さん!なんとか言ってやって!」

 「2人ともうるせぇよ」

 将烈の一言で、波幸と火鷹の言い争いは鎮火した。




 「もしもし、私です。ええ、そうです。色々と聞かれました。勿論です。ですが、ちょっと不安で・・・。ええ、分かりました。子供たちの方は大丈夫です。会わせていませんので」

 暗闇の中、透き通る声が細々と聞こえる。

 締め切られた窓、光を遮断するカーテン、灯されることのない蝋燭、ギシギシと軋む廊下、埃被った十字架、踏まれた絵画。

 「上手くやります。ええ、御心配なさらず。何かあったときは、すぐにまた連絡を取らせていただきます。ええ、厄介なのはお互い様です。それにしても、勘の鋭そうな方でしたわ。冷や冷やしました。え?ええ、そこはなんとか。お願いします。何しろ、子供は未来の希望なんですから。そのための犠牲なら、大目に見ていただかないと」

 電話を切ると、親指の爪を噛む。

 余程イライラしているのか、それとも余程不安なのか、爪はみるみるうちに短くなり、ついにはそこから血が出てきてしまった。

 それにさえ気付いていないのか、血の味がする指を未だカリカリしながら、足元にあった絵を踏みつけた。

 しばらくその場でうろうろと行ったり来たりしていたが、足を止めたかと思うと、またすぐに何処かに歩きだした。

 木の床をダンダンと強く踏みつけて歩いたその先には、1つの扉。

 ギィ、と音を出しながら開けると、その中からは子供が何人も出てきた。

 「ご飯はまだ?」

 「お腹空いたよお!」

 「怪我した!痛いよお!」

 「お水頂戴」

 「トイレ行きたい!」

 次々に発せられる言葉に、ニコリと微笑み返したかと思うと、子供たちの前に、バケツに入った半分ほどの水と、カビの生えたパンを数個だけおいた。

 子供たちは血に飢えた獣のようにそこに群がり、食事を奪い合っていた。

 何とも言えない臭いがするその部屋に再び鍵を閉めると、小さい鉄格子から見える子供たちの姿に、目を細める。

 「みんな、仲良くしなきゃダメでしょ?」

 「ごめんなさい」

 「良い子にします」

 ひとちぎり、ひとちぎり、そうやってやっと全員に行きわたったパンのかけらを、みなが大事そうにもせず、口に頬張っていた。

 バケツに顔をつけ、まるで動物のように水を飲む子供たちに、優しく言う。

 「みんなで分け合うのよ?いつも教えてるでしょ?」

 そう言うと、子供たちはまた大人しくなる。




 数日後

 「子供がいない?」

 「ええ。外で子供を遊ばせていたら、いなくなってしまったと」

 「探したのか」

 「周辺はくまなく探したんですが、未だ見つかっていません」

 行方不明、はたまた誘拐なのか、子供がいなくなったとの連絡を受けた将烈。

 「あいつらにも伝えておけ。どこで見つかるかわからねぇからな」

 「わかりました」

 将烈のいうあいつらとは、あいつらのことだ。

 陸、海、空からの捜索をするにはうってつけというか、それぞれのことを熟知している彼らに任せるのが良いだろう。

 「炉冀さん、榮志さん、櫺太さんには連絡が取れました。捜索してくれるそうです」

 「あいつらに拒否権はねぇ」

 「失礼しました」

 ただでさえ子供の不審死が続いており、将烈たちに対する風当たりも強いというのに、これ以上犠牲を増やすわけにもいかない。

 窓を開けて煙草を吸い始めた将烈に、波幸は別の資料を読む。

 「以前みつけたあの建物は、何かの研究所だということは分かりました」

 「研究所?」

 「はい。まだ詳細に関しては不明です。何しろ、セキュリティーが厳しい研究所ですので、なかなか調べられず」

 「そこの責任者は誰だ?」

 「龍也という男のようです。この男に関しても、まだ何も情報は掴めていません」

 ふー、と窓に向かって煙を吐きながら、将烈はもう一度煙を吐く。

 コンコン、とノックをする音が聞こえてくると、波幸は無意識なのか機械的なのか、ドアを開けに行く。

 「あ、祇園さん」

 そこには将烈の先輩である祇園がいた。

 子供の不審死に関して似たような事件がなかったかを調べてくれていたようだ。

 ふと、デスクの上に乗っていた波幸が持ってきた資料を眺めてこう言う。

 「俺がツテで調べてみようか?」

 「ですが」

 「暇なんだ、やらせてくれよ」

 そういうことならと、祇園に研究所のことを調べてもらうことにした。

 祇園が部屋から出て行くと、波幸が将烈に聞いてみる。

 「あの、祇園さんはどうして海軍を止めたんですか?」

 「・・・さあな」

 祇園が来たときに灰皿に置いていた煙草は、おいたときよりも短くなってしまっていて、将烈はそれを残念そうに灰皿に押しつけた。

 「確か、訓練中に溺れかかった上司を助けたら、その助けた上司に罵倒されたとかって聞いたか」

 「え、なんですかそれ」

 「要するに、自分の恥を隠すためってことだろ。くだらねぇ。そもそも、溺れたのだって、訓練前に自分は大丈夫だからと驕って、ちゃんと準備体操しなかったせいで、足ツッたって」

 「散々ですね」

 「そういう連中が軍隊の指揮を任されるんだから、下の連中は参ったもんだよな」

 上司だからとか、年上だからとか、そういう理由でヘコヘコして、良い顔して、顔色窺って仕事なんてしていたら、本当にしなければいけないことが分からなくなる。

 将烈はそういうところがないから、きっと部下に慕われるのだろう。

 怖いとも言われているが・・・。

 毒舌とも思える言葉を発することもあるが、それは決して間違ったことではない。

 「将烈さんの最初の上司って、どんな方だったんですか?」

 「クソだな」

 「クソ、ですか・・・」

 「まず目つきが気に入らねえってんで、土下座させられたな。その次は声が気に入らねえとかで。その次は態度だ、煙草だ、髪色だ、なんだかんだといちゃもんつけては土下座しろって言ってきたな。ま、そいつは横領で捕まって、今じゃブタ箱ん中だけどな」

 「大変な思いをなさったんですね」

 「別に土下座なんざ大変なことじゃねえよ。ただ頭下げりゃ済む話だ。プライドなんざぶら下げて歩いてたら重てぇだろ」

 「・・・そういえば、私が初めてこの仕事をしたとき、将烈さんは頭を下げてくれましたね」

 「あ?そうだったか?」

 将烈は忘れてしまったかもしれないが、波幸は覚えている。




 当時、波幸の上司は将烈とは別の人物で、とても傲慢で仕事も教えてくれず、それなのにミスをすると責任を押し付けてくるような男だったらしい。

 しかし男は媚びを売るのはとても上手く、それだけでのし上がってきたと言っても過言ではない。

 ある日、波幸はその上司に頼まれた仕事をこなし、言われた通りのことを言われた通りにやっていた。

 しかし、その指示自体が間違っていたことが分かったのだが、上司は自らの非を認めず、全ての責任を波幸に負わせようとしたのだ。

 その時、丁度というのか、将烈が頭角を現してきた頃で、配属される部署を見回ろうとしていたそうで、たまたまその場面に出くわした。

 波幸は何度も頭を下げており、その横で上司がとんだ部下を持っただの、仕事の内容も把握出来ていなかっただのと、自分のミスのことは一切話さず、波幸のことを責め立てていた。

 もっと深く頭を下げろと、上司は波幸の後頭部を掴むと、下げている頭をさらにもっと押し込んだ。

 そのとき、上司の悲鳴が聞こえた。

 「いててててて!!!何しやがる!!」

 何だろうと頭をあげると、そこには自分とさほど変わらない年齢であろう将烈が、淡々とした表情で上司を見ていた。

 そして臆することもせず、こう言い放ったのだ。

 「あんた、こいつの上司なんだろ。なら、あんたが頭下げるべきじゃねぇのかよ」

 「なんだ貴様は・・・!部外者は出て行け!関係ないだろう!!」

 「あんたみたいな能無しを上司に持った部下が可哀そうだな」

 「なんだと・・!?」

 将烈は、波幸が頭を下げていた相手の手から何かの資料をもぎ取ると、それにざっと目を通し、それから上司の方を見る。

 決して睨みつけているわけではないのだろうが、今の上司の心情からすると、睨みつけられているように感じているのだろう。

 「これを直せばいいんだろ」

 「どれだけ時間がかかると思ってるんだ!!もう間に合わないんだよ!!」

 「締め切りは?」

 上司ではなく、将烈は波幸の方に顔を向けて聞いてきた。

 キョトンとしてしまった波幸だが、ただ茫然とこう答える。

 「明日明朝までです・・・」

 「・・・わかった」

 そう言うと、将烈は適当に開いているデスクに座ってしまった。

 何をするのだろうと見ていると、将烈に向かって上司が何か言い始める。

 「今更何を悪あがきしようってんだ。馬鹿の考えることはわからんね。こいつが悪いんだから、こいつに責任を取らせればいいんだ」

 「うるせぇよ、ハゲ」

 「な、なんだと・・・!?は、はげてなどいないぞ!!!」

 「黙ってろ。悪あがきでもなんでもして助けてやるのが上司ってもんだろ。それが出来ねえてめぇみてぇなちんちくりんは、さっさと帰って母乳でも飲んで寝てろ」

 「き、き、貴様・・・!!!!」

 終わるはずなどないと言って、上司はさっさと帰ってしまった。

 資料を渡す予定だった相手も、終わらないだろうと思ったのか帰ってしまい、波幸だけが将烈を待つことになった。

 何時間経ったか分からない頃、ふと、将烈が口を開いた。

 「お前も帰っていいんだぞ」

 「いえ、俺は・・・。俺のせいで、こんなことになったので」

 「・・・お前が本当にミスしたのか、そんなことは俺にとってどうでもいいことだ。この仕事が終わろうがどうだろうが、俺には関係ないことだからな」

 「・・・なら、どうして」

 「俺はな、上司ってのは、部下の責任を負うのが仕事だと思ってる。褒める叱るは別として、部下の失態は上司の責任だが、部下の成功は部下のものだ。能力のない奴ほどのしあがってきてる。そう言う奴が、偉そうなデカイ顔してのさばってるのが、俺は嫌いなだけだ。仕事もできねぇ責任も取らねえ、それじゃ話になんねぇだろ」

 「・・・あの」

 「なんだ」

 「ありがとうございます」

 「まだ終わっちゃいねぇよ」

 「はい・・・」

 それから少し、沈黙があった。

 一から何かを作りあげることは大変だろうが、将烈はそれが苦痛でも無い様子で、次々に資料を完成させていく。

 ほえー、と感心して見ていると、将烈が一度首をコキッと鳴らした。

 スッと静かに立ちあがると、波幸は仕事場にあるコーヒーを淹れる。

 それを持って将烈のデスクまで近づき、邪魔にならないようにと、スペースを作ってそこに置いた。

 「良かったらどうぞ」

 「ん」

 飲んでいる暇もないのか、将烈は折角温かいコーヒーには目もくれず、仕事を続けていた。

 そのうち、波幸は眠ってしまった。

 仕方ないといえば仕方がないことだ。

 波幸とて、上司からの間違いとはいえ、仕事を毎日ずっとこなしており、その仕事の合間合間にも別の仕事を依頼されるものだから、徹夜などザラだった。

 次に目を覚ました頃には、すでに将烈の姿は無くなっていた。

 立ち上がってデスクの近くまでいくと、そこに一枚の付箋があった。

 【コーヒー美味かった】

 ただそれだけだ。

 それから仕事場の仲間や上司がやってきて、将烈の姿がないのを確認するや否や、上司は楽しそうに笑った。

 「ほらみろ!!終わらなかっただろ!!だから俺は言ったんだ!!馬鹿な野郎だ!!口ばかりデカイ若造が!!」

 そこへ、昨日も来ていた資料を渡す相手がやってきた。

 「申し訳ありません、やはり終わらなかったようでして。こいつには処分を受けさせますので」

 「・・・あの、これ」

 「おい!ちゃんと謝れ!!」

 「いえ、これ。終わりました」

 「ああ・・・!?」

 波幸の手には、きちんと綺麗にまとめられた資料があった。

 それを見て、上司は目を見開き驚いていたが、何かインチキでもしたのではと、資料を開いて確認していた。

 「そんなはずない・・・。あれだけの量が、終わるわけが・・・」

 上司の手からその資料を受け取ると、相手はその出来栄えに満足していた。

 波幸に握手を交わすと、そのまま去って行ってしまった。

 波幸が褒められるかと思いきや、それは全て上司が自分がやったと言い張り、なぜか上司の功績となってしまった。

 だが、今の波幸にとってはどうでもいいことだった。

 功績が自分のものだろうがなかろうが、そんなことよりも何かに気付いた。

 「異動願いを出します」

 そう言って、何処へ行ったかも分からないあの男のことを探そうとした。

 しかし、今度は上司が波幸を引き留めようとし、またそこでいざこざが起こった。

 波幸としては早くここから出て行きたかったのだが、波幸は良く言う事を聞く部下だからか、それともストレス発散の相手だからか、なかなか波幸を手放そうとしなかった。

 そんなときだ。

 「異動命令、ですか」

 異動の令を出す部署から人がやってきて、波幸に一枚の紙を差し出した。

 「・・・?」

 そこには、詳しい部署の名前は記されていなかった。

 だが、とにかく波幸はそこに書かれている、今いる建物とはまた別の建物に異動することとなったのだ。

 荷物などそれほどないが、建物から建物に移動となると、そこまで簡単な移動ではない。

 「ほえー・・・」

 こんな場所があったのかと、波幸は驚いた。

 自分がどこに異動したのかも分からないまま、波幸は呼ばれた部屋へと向かう。

 「ここに、俺の新しい上司か・・・」

 ゴクリと唾を飲み込む。

 男だろうか女だろうか、はたまた年寄りだろうか歳下だろうか。

 また前の上司に似た上司だったらどうしようとか、色々と考えてしまったが、ついに決心してノックをする。

 「入れ」

 低い声が聞こえてきて、波幸は深呼吸をしてからドアノブを開ける。

 「失礼します」

 部屋に入ると、こちらに背を向け大きな窓の方を見ながら、煙が天井に向かって行くの

が見えた。

 煙草を吸う人なのか、と思ったのも束の間、男はこちらを見ることもなく、いきなりこう言った。

 「コーヒー」

 「はい?」

 「コーヒーだ」

 ふと横を見ると、真新しいコーヒーを淹れる機械が置いてあった。

 変な人が上司になったな、と思っていた波幸だが、よくよく考えてみれば、ちゃんとした挨拶がまだだったなと思い出す。

 コーヒーを置きに行きながら、波幸は挨拶をすることにした。

 「あの、御挨拶遅れました。本日付でこちらに配属になりました、波幸と申します。よろしくお願いします。・・・えと、ところで、ここはどういったことをする部署なんでしょうか?」

 男はこちらを見ることなく、波幸が淹れたコーヒーに手を伸ばす。

 「そもそも、なぜ私を?」

 コーヒーに何度か息を吹きかけてから、男はそれを口に運ぶ。

 「そうだな、理由か・・・。コーヒーが上手かったからとかでいいか?」

 「え?」

 くるっとこちらに顔を向けた男は、間違いの無い、あの男だ。

 「あ!!あなたは・・・!!」

 波幸は思わず勢いよく頭を下げた。

 「あの時はありがとうございました!」

 「止めろ。そういう心算じゃねえんだから。ただ、コーヒーを淹れてくれる野郎がなかなかいなくてよ。お前を呼んだまでだ」

 はあ、と相槌が適当になってしまった波幸だが、それよりも何よりも、男、将烈は煙草を灰皿に押しつけながら、椅子から立ち上がる。

 「ここは秘密警察。俺はその班長、将烈だ」

 「秘密警察・・・」

 そこが秘密警察であることを初めてしって、それから将烈に仕事内容も教わった。

 全部は教えきれないし、頭がパンクするだろうからと、その日は建物の中を見て回ったり、どういう人が一緒に仕事をしているのかと話を聞いた。

 そして、今に至るのだ。




 「懐かしいですね」

 「それは良いとしてよ」

 「良いんですか」

 「電話」

 「聞こえてます」

 電話が鳴っていたため、波幸は折角良い思い出に耽っていたにもかかわらず、電話に出てみる。

 「はい。あ、おつかれさまです。はい、はい・・・え?」

 ぷはー、と呑気に煙を吐いていた将烈に、電話を切った波幸は慌てたように言う。

 「将烈さん!子供が見つかりました!!」

 「・・・どこでだ?」

 「それが」

 将烈と波幸はいそいで現場へと向かった。

 ザザ、と大きくなる波の音、その絶壁の上には数人の男たちが集まっていた。

 「榮志」

 「おう、来たか」

 手を軽くあげて待っていた男は、将烈が来ると子供の方を指差した。

 すでに冷たくなっている子供を見て、将烈は険しい表情になる。

 淡い紫の髪に茶色の目、将烈と同じくらいの背の高い男、榮志。

 左目が髪の毛にかくれて見えない。

 「いつ見つかった?」

 「二時間前。恐ろしい場所だな、ここは。地獄への入り口か?」

 「榮志、そういうことを聞きにきたんじゃねえぞ」

 「わーってるって。この辺の海のことなら俺に聞けって。まあ、傷の具合からして、前に見つかった遺体同様、この近場から棄てられたな。イレ―ナ海岸の海流は特殊だから、10キロ離れた場所からでも、海岸沿いで棄てりゃここに辿りつく。けど」

 「そこまで傷はついていない」

 「そういうこと」

 海のことに関しては、誰よりも詳しいであろう榮志の言葉を聞けば、将烈は顎に手を当てて何かを考える仕草をした。

 それからすぐに、ポケットに入っている煙草に手を伸ばし、一本取り出すと口に咥えた。

 「それにしても、思ったよりも早く見つかったな」

 行方不明者を探すのは困難である。

 子供ともなれば、どこをどう動くかも分からないし、誰かに連れて行かれてしまったとなると、尚更のことである。

 将烈はもっと時間がかかるのではないかと思っていたが、こうして残念な結果になってしまったとはいえ、早く見つかったことは親にとっても良いことだろう。

 「ああ、そりゃな。櫺太にも協力してもらったんだ。風向きとか気候のことなら、あいつの方が詳しいだろ?いなくなったって日から予測してもらったんだ。もちろん、炉冀の方にも情報は流してたぜ?」

 「空からも探してたわけか」

 「ああ。そんとき何か見なかった聞いたが、さすがに夜に行動されたんじゃ、空からじゃ見えねえって言われちまったよ」

 ケラケラと笑いながらそういう榮志の傍らで、将烈は火のつけていない煙草を口先でいじりながら海を眺めていた。

 海から吹く風は程良く冷たく頬を撫で、締めてあるネクタイが靡く。

 何も言わなくなってしまった将烈の横に立ち、榮志は尋ねる。

 「何か気になるのか?」

 「・・・・・・いや」

 「その沈黙はイエスも同然だな。ま、お前さんのことだから、すでに何か行動してるとは思うが。俺らに何か出来ることあるなら、炉冀と櫺太にも伝えておくぜ?」

 「・・・・・・」




 遺体はご家族のもとに帰され、母親は泣き崩れていた。

 誰がどうして、そういったことはまだ何も分からないため何も説明は出来なかったが、遺体は当然、調べられた。

 「何もなかった?」

 「はい。特に傷がつけられた様子も、暴行された様子も、何もなかったそうです。ただ・・・」

 「ただ?」

 「関係あるかは分かりませんが、手首と足首に、わずかですが、何かで拘束されたような跡があったと報告がありました」

 「拘束・・・」

 いつもの部屋で椅子に座り、手袋を外した状態で波幸の淹れたコーヒーを啜りながら、将烈は物思いに耽る。

 そんな将烈に、波幸は声をかける。

 「炉冀さんとは、幼馴染だとお伺いしましたが、仲がよろしかったんですか?」

 波幸の問いかけに、将烈は何か考える仕草を継続しつつも、返事をする。

 「幼馴染なんて可愛いもんじゃねえよ。ただの腐れ縁だ。まさかあいつがこういう仕事をするとは思ってなかったしな」

 「昔は違う感じだったんですか?」

 「違うっつーか、誰かの下で働けるような奴じゃねえとは思ってたな」

 いつの間にか、思考が事件のことから炉冀のことへと移行したようで、将烈は険しい表情を消した。

 くるっと椅子を回して波幸の方を見たかと思うと、頬杖をつく。

 「俺が言うのもなんだが、すげー生意気で、すげー自己中で、すげー自分っつーもんを持ってる奴だからな。誰かに指摘されたり、指示されたり、頭ごなしに言われるなんて溜まったもんじゃねえはずだ。それがどうしてか、ああいう仕事に就いたんだよな。よっぽど信頼出来る奴が上司だったんだろうな」

 先日炉冀と会ったのが、波幸にとっては初めてだった。

 将烈が言う様な人物には感じなかった。

 むしろ、誰にでも気軽に接してくれそうな印象があったため、将烈の口から炉冀という人物像を聞いたとき、波幸はそれを否定することも肯定することも出来なかった。

 「そういう奴には見えなかったろ」

 「へ」

 波幸のそんな脳裏を読みとったのか、将烈が口を開いた。

 頬杖を止めて煙草を取り出すと、慣れた手つきで一本口に咥えると、デスクの上に出ていたマッチを使って火をつける。

 「人懐っこいとか、社交的だとか、あいつと初めて会った奴はみんなそう思うさ。けど、そういう奴に限って意志が強かったり、曲がったことが嫌いで、自分を否定されると途端にそいつを信頼しなくなるもんだ」

 今は陸を守る陸軍として、ある程度の地位にいる炉冀だが、それでもやはり、馬の合わない奴らもいるようだ。

 だが仕事を続けていることには、何かしら意味があると将烈は言う。

 「ああ見えて律儀な奴だからな。恩人のためだとか、上層部の馬鹿な連中を下ろすまではとか、そういう理由だろうな」

 ふう、と煙草の煙を吐きながら、将烈はコーヒーを合間に飲む。

 少しの沈黙があってから、波幸は何かを聞こうと口を開いたのだが、それよりも先に将烈が声を発する。

 「あの教会、調べるぞ」

 「教会って、祇園さんが教えてくださった、あの教会ですか?」

 「ああ」

 「何かありましたか?」

 「いや、ただ」

 再び煙草を口にした将烈は、灰を灰皿へと落としてから、また口に咥え、新しい煙を天井へ向けて吐き出す。

 換気扇などついていないこの部屋から抜け出すには、将烈の後ろにある窓から逃げ出すしかない。

 煙は天井まで一旦のぼると、天井を伝って窓の方まで向かい、窓まで辿りつくと一気に風に乗って飛んで行く。

 「臭う」

 「・・・わかりました」

 「根拠は何もねぇ」

 「はい。それでも、将烈さんが臭うというなら、きっと何かあるんでしょう」

 そういうと、波幸は特別将烈に何かを言われたわけでもないが、一礼をしてから部屋を出て行った。

 残された将烈は、吸った感覚などさほどないにも関わらず、すっかり短くなってしまった煙草を灰皿へと押し当て、冷めてしまったコーヒーを飲み干した。

 新しい煙草を吸おうと箱に手を伸ばし一本取り出したところで手を止めると、またその一本を箱の中へと戻した。

 戻って来てから緩めていたネクタイをキュッと締めると、椅子から立ち上がる。

 「喧嘩でも吹っ掛けに行くか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ