リスの物忘れ【SF】【ミステリ】【クライオニクス】
事の発端は恐らく、西暦二三二一年まで遡る事が可能だろう。
僕はその年の五月八日にコールドスリープについた。頭の旋毛から足の指の先まで、僕の身体は完全に凍結され、カチコチに凍った状態で巨大な冷凍庫に保存される事となった。勿論、自殺等ではない。
コールドスリープは眠りだ。いつか目覚める物であり、死とは違う。
理論自体は二〇世紀の大昔に存在していたらしい。アルコー延命財団と言う半ばカルトにも似た組織がスタート地点であるようだ。簡単に説明すれば、人体を凍らせ、未来で解凍して復活させると言う至極単純な物。
何のために? と思うかもしれないが、現代医療では治す事の出来ない病を未来で治す為だったり、遥か未来の世界を見る為に使われる一種のタイムマシンであったりする。僕の場合は、現実逃避だった。
と、言うのも、生きる理由がなくなってしまったのだ。
コールドスリープに入る二か月前、二十七歳の時に結婚した妻と、五歳になる娘が買い物に出かけたっきり帰って来なくなった。その日、中東のテロリスト達が起こしたテロに巻き込まれてあっさりと死んでしまったようだった。被害者は二〇〇〇人を超え、その殆どが黒々とした火炎によって骨も残さなかったのだから、僕は死体を見ていない。
あの当時の日本は新エネルギー開発に成功し、世界位置の資源大国へと変貌を遂げていた。その結果として時代遅れな化石エネルギーを産業とする国や組織に大きな恨みを買っていた。
と言っても、陸戦型汎用性戦闘服による圧倒的な軍事力を備えていた日本に正面から戦争を吹っ掛ける度胸がある国等あるわけもない。テロと呼ばれる物は日本人旅行客を襲うレベルの物が精々で、国外の工場にデモ隊が押し掛ける程度の事も殆どなかった。
そんな状況で、国内を狙った爆弾テロは絶大な効果を上げた。狙われたのは政治的な施設でもなければ、産業施設でもなく、ただの大型デパートだった。まったく何の告知もなくテロは行われ、混乱の中、大量の日本人が殺された。
そう言えば、犯人が捕まったのだろうか? 二人を失ってしまった僕にとって、その辺りはどうでも良い事であったから、事の顛末は定かではない。日本の捜査は優秀だと言う話だから、見つかったとは思うが。
話を戻そう。失意の僕は何日も死体安置所をうろつき、死体が見つからないから生きているかもしれないと何度も連絡を試みては繋がらず、見ず知らずの同じ境遇の人達と泣いて暮らしていた。
そして、一ヶ月経った頃、僕は自然と二人の死を受け入れていた。同時に、自分の死も同じように受け入れ始めていた。どうやって死のうかとずっと考え、静かに財産を整理していると、一枚の古い宣伝のチラシが目に入った。妻が僕の靴をしまうのに丸めて使っていた新聞紙の束から出て来た。
紙の新聞が絶滅したのは随分前の事で、僕が産まれる前の事だ。ただ懐古趣味の人が少なからずいる物で、料金を払って新聞紙を刷って貰う人も少なくない。いや、実際は少ないのだろうが、少なくとも妻はそう言う趣味の人間だった。
だからと言って、緩衝材の様に使うか? 普通。
脱線してしまったが、とにかく、そのチラシこそがコールドスリープの研究開発を試みる団体の物で、コールドスリープの実験体と研究費用を投資してくれる人間を求めている旨が記されていた。
何故だか、僕はそれに連絡を入れてみた。殺して貰う為に。
確かにコールドスリープは未来で生きる為の技術であったが、当時の僕には合法的な自殺として考えていた。一〇〇年以上昔に安楽死は合法化されていたが、申請してから実施までに三ヶ月かかる。それに比べコールドスリープは実施までに時間がかからない事を知ったからだ。
あくまで復活を前提としている為、これは死ではなく眠りだと言う建前だ。
とんとん拍子で日程が決まると、僕は思い出の残った家を売り払い、冷たい眠りに入るまでの時間を妻と娘の死体捜索に費やした。と言っても、既に新たな被害者が出て来る事はなく、やっている事は殆ど土木作業用のドローンと変わらない。ひたすらに瓦礫を除けるだけだ。違いがあるとすれば、僕はこの下に妻と娘がいれば良いのにと祈る事が出来たくらいのことだろうか。
そして一カ月が経ち、遂にコールドスリープを行う日が来た。と言っても、コールドスリープの方法は秘匿されているらしく、詳細はわからない。僕が指示されたのは指定された病院で全身麻酔を受ける事だけ。家を売ってからはこの病院のお世話になっていたのだけれども、全財産を寄付したからか、ベッドがやたらふわふわだったり、渡された入院着が良い生地の物だったり、料理が豪華だったりといたせりつくせりで良い病院だった。
無事に僕がコールドスリープから目覚めた時も、同様の待遇を半年間約束してくれるそうだ。
本当かよ。
僕はあまりにも冷たい寝床についた。
そして今、僕は眼を覚ました。
真っ先に頭に浮かんだのは、あの医者が言った言葉は嘘だったと言うことだ。
あのシミ一つない病室は視界になく、目の前には木目のある板が並んだ壁が並んでいた。僕の身体は簡素と言うのも憚られる薄汚い襤褸切れの様な貫頭衣を見に付けただけ。更に最悪なのは、木製のバスタブらしい物に並々と注がれたオレンジ色の甘ったるい香りを放つ粘性の高い液体に首まで浸かっている事だろう。生温かいその液体が身体に張り付く様な感覚は良い様もない気持ち悪さがあり、独特の一種の化学薬品の様な甘い匂いとのコンボで胸がむかむかする。
一刻も早くこの液体から逃げ出そうと思うのだが、しかし腕が上がらない。腰も、脚も、思う様に動いてはくれず、プルプルと震えるだけだ。助けを呼ぼうにも声すら出ない。かろうじて瞼を上げる程度の力しか僕の身体にはないようだった。
コールドスリープの解凍が完全ではなかったのだろうか?
人体の殆どは水である。その水の特徴の一つに、凍った際に体積が膨張すると言う物がある。同じ量の水と氷なら、氷の方が若干大きいらしい。つまり、僕の体は凍った時に少しだけ大きくなってしまった。その僅かな膨張が人体の細胞を傷つける為に、コールドスリープの解凍は困難とされてきた。
当たり前だが、ただたんに日向に置いておけば解凍できる程に人間は単純にできていない。意識が戻ったとしても、身体が動かない程度の不具合は十分にありえるだろう。
しかし失敗と呼ぶのも微妙な所だ。
こうやって意識がしっかりと覚醒している、つまりある程度の損傷を押さえて脳を蘇らせた事実は、それだけでコールドスリープ業界(どんな業界だ)では異業と呼べる。少なくとも僕が生きていた時代では、人体の解凍に成功したと言う話しは一つもなかった。
だからこそ、自殺としてコールドスリープを選んだのだが、こんな中途半端に成功するだなんて神様がいたとしたらそいつは性根が腐っている。
そんな風に人生を悲観している僕の耳朶を「ちゅー」と言う可愛らしい声が打った。
何事かと首を向け……られない。
が、直ぐに声の持ち主は視界に入った。バスタブに身体を預ける僕の正面に、わざわざ回ってくれたのだ。しかしこの時の衝撃を、僕はなんと表現すれば良いのだろうか? あまりにも唐突で、荒唐無稽で、幻想的で馬鹿馬鹿しく、娘のような可愛らしい女の子ならば口にしても許されるだろうが、僕のようなおっさんが口にするのは憚られる。
しかしその現実を事実と認める為にも、はっきりとその姿を言葉にしなくてはならないだろう。
僕の正面に立ったのは、身長一メートル三十センチ程度の大きなリスだった。人間の子供程度の大きさのリスが、可愛らしいオーバーオールのような服を着て、僕の前に立っているのだ。娘が遊んでいたおままごとのお人形に似たようなデザインの物があったが、これは人形でもヌイグルミでもなく、それは間違いなく生きていた。
くりくりとした大きな瞳が僕をじっと見ていて、特徴的な前歯を大きく見せる様に口を開く姿は驚愕しているようにも、僕を威嚇しているように見え、しっかりと表情を感じさせるのだ。瞬きや呼吸、肩の動きも如何にも人間臭く、これがロボットだとしたら、人類は何処まで技術を発展させたと言うのだろうか?
そして何故に過剰な技術力を大きなリスの想像に費やしたと言うのだろうか?
いや。これが技術の集大成でないとすれば、このリス君は何者なんだ? 何万年あれば、あのリスが此処まで進化するんだ?
あまりにもメルヘンな登場人物に驚き、声も出せずにいると、そのリス君は大きな尻尾を振り回しながら回れ右をすると、逃げるように部屋から出て行ってしまった。一体、此処は何処で、あのリス君は何者なのだろうか? コールドスリープの前後で状況が違い過ぎて仮説も思い浮かばない。
ただ、娘が見たら喜ぶだろうか? そんな事が頭を過った。
現実なのだから当然なのだが、リスの頭の作りはあまりにもリアルで、多分泣き叫ぶんじゃあないだろうか? デフォルメは偉大だ。子供程のリスの前歯は普通に怖かった。
恐ろしい? 外見に反して、リス君達は良い奴等だった。
残念ながら使用する言語に大きな違いがある為、正確なコミュニケーションを取る事は出来なかった。彼等は囁くようにしか喋らず、そしてそのパターンは僕の耳と脳の認識では七パターン程しか理解不能だったからだ。僕の言葉も同様で、複雑な言語パターンは彼等の語彙の中には存在しないらしい。恐らくは僅かな声の高さとか、細かな息継ぎのタイミングで意志疎通を図っているのだろう。
だが理性的な存在である事は疑いようがなく、リス君達は確かな知性を持ち得ていた。ジェスチャーを使って何かを伝えようとしてくれるし、僕が喜んだり嫌がったりするのは理解できているようだった。また、しっかりと文字も存在した。まだまだ洗練されてはいなかったが、単語毎に文字を作るその言語はアルファベッドよりも漢字に近い様で覚えるのは難しそうだ。数字はどうやら八進数らしく、感覚的に非常に理解し難い。が、数学は随分と発展しているようで、高等学校で習う様な数式らしい物を何度も見せられた。それに理解を示すと、リス君達は非常に喜んだ。
そして何よりも特筆すべきは、僕を見事に解凍蘇生させたその医療センスだろう。
このすっげー臭い液体も、定期的にお湯を足したり謎の植物をぶちこんでいたりする所を見ると、どうやら薬湯の様であった。僕が生きた日本でも漢方薬に学ぶ医者は多かったし、針や灸といった原始的な治療方法が有効に使われる事があったのを考えると、未知の植物を使った薬湯に何かしらの効果があっても不思議ではない。
他にも謎のマッサージや、滅茶苦茶不味い虫だとか、吐き気がする程に甘い木の実を食べている内に、覚醒した当初は意識を働かせるのが精一杯だった僕の身体はなんとか立ち上がれるまでに回復していた。
リスって凄い。しかも、無償である。僕が自殺志願でなければ、泣いて感謝の言葉を捧げただろう。ただ、可愛いリス君達に囲まれ、偶にえぐい物を喰わされ、数学について語り合う生活は案外、悪くない。
妻や娘に対する未練は断ち切れず、偶に思い出して泣いてしまうが、それでも生きている事を肯定できる程度に僕の心は落ち着きを取り戻し始めていた。安楽死が認可されてから実施されるまでに三ヶ月かかる理由がなんとなくわかった。
案外、人間は生きたがりのようだ。
意識を取り戻してから八年が経過した。
リス君達の言葉は未だにわからないが、文字はなんとなく読めるようになって来た。リス君達個人の顔も判別できるようになり、原始的ではあるが同時に幸福でもある農耕生活に僕はすっかりと馴染み始めていた。
リス君達が向かない力仕事を担当したり、一〇進数をどうにか流行らせようとしたりしながら、僕は彼等と協力して星の動きの観察も行っていた。農耕を行うだけあって、リス君達の暦はしっかりとしていたが、どうしても気になる事があったのだ。
一日が八日集まって一週間。その一週間が三つで一カ月。それを十六ヶ月繰り返す事で一年。つまり一年が三八四日なのだ。地球の三百六十五日よりも幾らか多い。
そして星の巡りを観察するに、どうやらこの暦は間違いない物らしい事がわかった。
この事から導き出される結論は――此処が地球ではないと言う事実に他ならない。痴情の支配者がリスに替わる程度の事ならば地球上でも起こり得るかもしれないが、公転の周期が二十日近く増えると言うのは有り得ない……と、思う。
つまり、此処は地球とはまた別の惑星で僕は暮らしているのだ。
一体、コールドスリープしている間に何があったんだろうか?
そして今日、その疑問に答えが出るかもしれない日が訪れた。
八年前、僕を見つけた場所へと行く許可がようやく降りたのだ。そこに行けば、何かがわかるかもしれない。
ずっと前から発見の場所への案内をお願いはしていたのだが、僕が見つかった場所は彼等にとっての聖地の様な場所であったらしく、極限られた一部の人間しか立ち入りが許されない場所であったらしく、部外者も部外者である僕が入る事は何度も何度も却下され続けて来た。
が、八年間でコツコツと築き上げた信頼や、暇潰しに教えた麻雀やトランプと言った玩具、うろ覚えで作ったギターでの弾き語り、そしてアンデルセンの童話を完全にパクッたオリジナル童話の功績が認められた結果、一日だけの侵入が許されたのだ。
ただ遊んでいただけなのだが、人生何があるかわからない物だ。
ありがとう、人類の文明。
あと、こいつらと麻雀やると点棒計算が凄く面倒。
リス君達の聖地は歩いて三日程かかる場所にあった。
なんでも八年前、聖地に巨大な鉄の鋼の石が落ちて来たらしい。奇妙な言葉だが、翻訳不十分が原因なので深い意味はない。その鋼の鉄の石を緊急調査するために立ちあげられ、彼等は僕を見つけるとわざわざ背負って運んでくれたらしい。良い奴過ぎる。
僕の何がそんなにも彼等を駆り立てたんだよ。
調査は何年にも渡って続いており、回収された物品には何度か眼を通させて貰った。良くわからない金属片が殆どで、生物らしい物や地球に関する物は一つもなかった。が、話を聞く限りはリス君達よりも高度な文明を匂わせるのは間違いなく、それが何なのか、仮説自体は簡単に思いついた。
そして、三日後。奥深い森の中の聖地(って言うか、僕には森と聖地の境界線がわからん)でその仮説は正しかったと証明された。聖地に落ちたと言う鋼の鉄の石は、楕円形をした一軒家サイズの宇宙船であった。もっとも、二十四世紀でも宇宙開発は進んでいなかったので、宇宙船を見たのはこれが初めてではある。が、地球ではない惑星にコールドスリープされた僕を運ぶには、宇宙旅行しか有り得ないだろう。聖地に宇宙船があると言うのは自然な発想だ。これが転移装置だとか、異世界への入り口であるとか、そう言う可能性もあるが、空から降って来たと言う話しだし、宇宙船でまず間違いないだろう。
僕の知るどんな金属とも違う黒色の外壁には無数の傷が確認でき、明らかに致命傷だろうと思える人間大の大きな凹みもあった。小惑星がぶつかったとか、そう言った外傷だと思われる。
その衝撃で開いたのだろうか? 正規の入り繰りと思われる扉がぽっかりと口を開けており、機内への侵入は容易だった。未だに電源が通っているらしく、宇宙船の中は日の光がなくとも十分に明るかった。原動力が何か知らないが、原子力の様な危険な物でない事を祈るばかりだ。
さっそく、僕が眠っていた場所へとリス君達は案内してくれた。あまり大きな船ではなく、直ぐに着いた。そこは異様に寒い場所で、リス君達は恐ろしい力が働いているに違いないと恐怖していたが、冷凍庫の様な物だと僕にはわかる。コールドスリープされていたのだから、その保管場所は当然だろう。
その冷凍庫の隅の方に、僕が入っていた容れ物があった。霜が付着したそれは人一人がすっぽりと入る事を想定された物で、棺桶の様にも脱出ポッドの様にも見えた。不時着の影響か、扉は最初から開いていたようだ。
静かに近づき、僕は手にした木の棒で霜を落としていく。何か、僕の出自に対するヒントがあるかもしれない。
「…………」
そして一分と経たない内に、僕は懐かしい日本語を見つけた。
そこにはこう記されていた。
『地球特産品! 旧人類冷凍肉! 脳味噌欠損なし! 品質上等! 安心安全の日本人肉!』