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作家と彼女と幸福たち  作者: 河崎 奏
2/2

後編

完結します


去年の話を軸にして半分実話です。

私の名前は熊野といいます。

漢字は動物のクマに野原のノと書きます。好物はきらきらしたもの全般です。身長はあまり高くはありません。

私にはちょおっと人には言えない秘密があります。

何と聞きますか?

それはまだ言えません。ごめんなさいね、うふふふ。


私は今、主にこの街で生活していますが訳あって放浪の身です。

家族にはとうの昔に捨てられましたが、きっと親の方にもやむおえない理由があったに違いありません。少し寂しい気もしますが、私はそう信じています。


ある冬の日。その日はすごく寒い日だったのですが、太陽が出ていたのもあって気持ちのいい日でした。

私はいつものように街をふらふら、あっちへふらふら。その時はまだ、あんなことが起こるなんて夢にも思いませんでした。

事は街の郊外を歩いているときに起こりました。

ふと、目の端にキラリと光るものを見つけたのです。ご存知の通り私の好きな物はきらきら綺麗なものです。それで気になって光ったものの場所まで行ってみると、そこにあったのは私が見たことがない不思議なものでした。

この時の気持ちを表す言葉は、残念ながら私は知りません。なので少し陳腐になってしまいますが、こう表しておきましょう。

「私はもう、それをを詳しく見たくて仕方がありませんでした」

突っついてみると冬の冷気に触れていて冷たく、素材はガラスのようなもので、表面は磨かれたようにツルツルしています。全体的に凸凹していて不思議な反射が見られました。

もう少し近づいて、見てみたいと思ったその時です。

「何やってんだい!」

甲高く年配の女性の声が響きました。私はあまりにも驚きすぎて足を滑らせ、その場で転んでしまったのですが、なんと女性はそんな私をみて竹箒を握ると、その硬い柄の方を私に叩きつけてきたのです。私は完全にパニックになり、ろくに逃げられもしないまま、ただ叩かれていました。

竹箒の角が当たるものですからすごく痛かったです。

そこで私は恩人である、あの男性と出会います。正確に言うとまだその時は恩人ではありませんが。

現れた男性がいいます。

「そのぐらいでやめたらどうだ。可哀想だろう」

私を気遣ってくれているようです。優しくされるのはいつぶりか……。

ですが女性も負けません。

「可哀想?こいつはあたしのものを盗ろうとしたんだよ」

それを聞いて私は憤慨しました。

誤解です!私はただみたかっただけです!

そう訴えると男性はわかってくれたようで

「あんたは盗るところをみたのか?あまりせっかちは良くない」

と言ってくれました。

女性もその問いには答えられないようで、文句を言いながら家に戻って行きました。お礼を言おうと私が男性の方を向くとすでにその姿はなく、私一人が路上にポツリと残されているだけでした。



俺は熊野と暮らす中で気づいたことがある。それは純粋な好意や親切というものが存在するということだ。ひねくれていた俺は、恐らく今まで感じてはいたのだろうが純粋だということを頑なに否定していたように思える。

熊野の笑顔は人を幸せにする。気遣いも、優しさも、裏があるなんて思えない。彼女をみていると、ああ。この子は幸せを幸せと思える心があるのだなと考えさせられる。その優しく純粋な心はひねくれた俺にはない。だから、惹かれたのか。

いや、俺にはこんなこと一生ないと思っていたが、人生とはわからないものだ。


熊野は寝ている。今は丑三つ時だ。窓から入る月明かりはなく、星明かりの一つもない。もしかしたら熊野も起きているのかな?ぼんやり天井の梁を見つめていると少し離れたところで寝返りを打つ音がした。俺は慌てて目を瞑る。どうやら熊野は本当に起きていたようだ。

「起きているんでしょう?」

澄んだ声が聞こえた。

軽く溜息を吐いて目を開く。

「起きてるよ。眠れないのか?」

「ええ。浅くしか眠れていません。そちらこそ、眠れないんですか?」

熊野の方を視線だけでみたが、暗くてよく表情が読みとれない。

「眠れない」

そして

「何故だろう」

「何故でしょう」

二人の声が重なった。

最初は驚きが場を支配したがそれから、どこからともなく控えめな笑いが漏れた。

「気が合いますね」

「そうだな」

ひとしきり笑うと熊野は俺に聞く。

「今日のご予定は?」

まだ暗いうちから昼について語れと申すか。

「特に予定はないよ、どうかした?」

「いえ……」

沈黙の後突如、俺の手に温かいものが触れた。一瞬ぎょっとするもそれは遠慮がちに手に絡んできた。

「少しだけ、お願いします。こうすれば眠ることができるかもしれません」

熊野が隣で細く言う。何かに怯えているようだった。冬至ということで銭湯で浸かった柚子の香りが漂ってくる。

寝る前は双方の布団の間に結構な隙間があったはずだが、香りから判断するに熊野は布団からこちら側に出ているようだ。

「寒いだろう」

気遣って一言呟き、俺はなるだけ平静を装って熊野を引き寄せた。元々彼女の背丈は俺の肩ほどしかないが、布団の中で抱きしめた体はそれよりももっともっと華奢なように感じた。


十二月二十三日。カレンダーはそう記していた。俺はめくっていないからきっと彼女がめくったのだろう。目が覚めた時、腕の中の虚無感で少し戸惑ったが熊野が台所から出てきたのをみて安堵に変わった。

「あ、おはようございます」

「お、おう。おはよう」

今朝のことを考えると少し気が落ち着かないが、熊野がいいならそれでいい。

起き上がったとき、こめかみに鋭い痛みが走り、思わず俺は顔をしかめた。

「どうしました?」

熊野が顔をのぞいてくる。俺は苦笑いを浮かべて言った。

「あ、頭が、痛い」

世界が回る。息が詰まって、そのまま俺は後ろに昏倒してしまった。


俺はひたいに冷たいものが当たる感覚で意識が戻った。

うすら目を開けると、熊野が水の入った桶を持ち、心配している面持ちで静かに声をかけてきた。

「大丈夫ですか?温度計がないのでわかりませんが相当高い熱が出ていましたよ」

「……あ、り……」

礼を言う暇もなく俺を咳が襲う。涙が出そうなほどひどい咳で、意識が朦朧としてくる。

「しっかり!」

その言葉を最後に、再び目の前は黒く染まった。


また咳が出た。悪寒が走り、タンクローリーの中にいる気分だ。どうやらこのままでは俺は熊野のサンタになれそうにない。精一杯の力を振り絞り体を起こすと、カレンダーを見る。クリスマスまであと一日。なんとか、なんとかしなくては。駆られた俺は咳をする。喉から血の味がし、それが気道を逆流してまた咳。

これ以上の苦痛を和らげるため立って洗面所でうがいを。

水は真っ赤に染まっただろうがよくわからなかった。

……あれ?熊野は?

俺のそばには優しい熊野がいなかった。居間を見てもいない。何かを買いに行ったのか?

その時、ちゃぶ台とその上にのったメモが俺の目に入った。

壁伝いにちゃぶ台のそばに膝をつくとメモにはこう記されていた。

『ありがとうございました。さようなら』

息を呑んだ。自分の血でむせる。

できるだけ急いで上着を着、置いてあったマスクをして眼鏡もかけず家を出た。熱のある体を寒さがちょうどよく冷やしてくれる。時折地獄のような激しい咳に見舞われるが自分の身体に鞭を打って歩いた。

それは体感時間だと一時間にも登り、今にも俺は力尽きる予感がした。

そんな中、河川敷の道路から誤って、雑草の生えた川辺まで転落してしまった。しばらくそのままで、やがて立ち上がる。目の前は橋の下だった。女性がーーいや熊野がそこにいる。幻覚か。いや、本当にいる!歓喜に沸く脳内を抑えできるだけ速く、彼女のもとまで行って声をかける。

「熊野……」

驚いたように熊野は振り向き、ゆっくりとこどもを諭すような微笑みを俺に向けた。

「寝ていなきゃダメじゃないですか。こんなところまで来て。もうすぐ日が暮れます。家に帰らないと」

「く、熊野は……どうするんだ」

乾いた咳まじりに尋ねると

「私は、いけません」

「何故!」

「私は、恩返しをするといいましたよね。今日がその恩返しをするべき時なんです」

言葉を出そうとして詰まった。咳と一緒に血が出て、マスクが紅く染まり

「クリスマスを……祝うって、一緒に。約束、したじゃないか。なあ?」

滑らかに喋ることができない口を心の中で罵った。

「ごめんなさい」

熊野は俯いて続ける。

「ですが、このままだと貴方は明日を迎える前にこの世を去るでしょう。それはいけないんです。そうなってはいけないんです」

訴える口調だった。まるで説破が詰まり急かされいるようで、熊野の必死さが痛いほど俺に伝わってくる。

「……どう言うことだよ、意味がわからない」

眉間にしわを寄せて尋ねると

「私は貴方に恩返しするためだけに人の体を与えられました。嘘だと思うかもしれませんけど、私はこの間、貴方に助けられたカラスなんです」

太陽が住宅地の谷間に落ち俺たちを青が包む。

「もう時間です。これ以上はここにいれません。これまで本当にありがとうございました。感謝でいっぱいです」

顔を上げ吹っ切れたように彼女は笑う。

「ーーさん、せめて……明日までは一緒に居たかったです。ですが、ごめんなさい」

俺の名前を呼び礼を重ねた姿は瞬く間に闇に溶け、俺の先ほどまでの苦しみは嘘のように消えていた。

「……おい。おい!熊野!」

俺はさっきまで熊野がいた場所に駆け寄り目を凝らした。

「信じねえぞ俺はぁ!熊野がいなくなるなんてあっちゃいけねぇ!」

半分自棄になってその姿を探す。

するとすぐ足元に小さな黒い羽毛が音もなくうずくまっていた。

震える手で恐る恐る、すくい上げる。

俺は絶望した。

その、あまりにも軽くて壊れてしまいそうな亡骸は、まだほんのり暖かかった。

遠くでクリスマスの鐘がなった。



あれから一年。俺は熊野がいなくなってから逃げるように執筆に没頭した。

まだ、熊野が亡くなったことが信じられず誰もいない部屋に向かって帰りの挨拶をしたことも、カップラーメンを二つ作ったこともあった。

だけど、いつまでも下を向いているわけにはいかない。よくよく考えてみればそれは熊野が喜ぶやり方ではなかった。だから俺はけじめをつけた。

熊野の亡骸は数本の羽を残して火葬にし、亡くなった場所に埋葬してある。ちゃんと墓標も建てた。これが俺なりのけじめだ。


熊野が俺に与えてくれたものは大きすぎるほどだった。俺にいろんなことを教えてくれたし、熊野がいなければいまの俺はないと言っても過言ではないだろう。

彼女のことは今でもたくさんの謎に包まれているが、もし本当に俺の病気を肩代わりして死んだのたとすれば俺はそれに報いねばならない。熊野が笑って命を上げても良かったと言える存在でなければならない。

そして、いまの俺はそこそこ物書きとしてやっていけている。医者にもかかれる。以前のようなことにはもうならない。

俺の作品は編集者の人曰く、「愛のある作品」らしい。前の俺では書けなかったであろう愛が今、雑誌に載っている。

命をくれた熊野に俺は少しでも恩返しができているだろうか。

恩返しの恩返し。なんだか不思議なことだ。

俺はそんなことを考えながら夕焼けに照らされた墓標に一輪の花を添えた。

服の襟を正し、深く礼をした。

今は亡き熊野に感謝と、愛を込めて……。

お楽しみいただけましたか?


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