前編
クリスマスの物語です。
お楽しみください。
ここは首都圏の片隅。
ベッドタウンとも呼ばれるこの街は交通の便がいい。
しかし家から基本出ない俺に、それは全く関係がなかった。
俺にとって、この場所はとある密林配送が送料を無料にしてくれるという意味しか持っていない。
ある日、俺が起きたのは夕方になってから
で、目を覚ますと西陽さす窓際に、女が座って外を見ていた。中学の頃からの近視の上
に、逆光が重なりうまく見えない中、俺は状態をあげるのに息を漏らした。
「……あ?」
目を細めてみるに、老婆ではなく子供でもない。非常に華奢な女性ーー
当然、引きこもりの俺には彼女も妻もいな
い。
しかし幽霊でもなく幻覚ですらない女は確かにいた。
泥棒か?それとも?
俺はへたった布団から眼鏡を拾い上げ、かけるとその女をしっかり見る。
そこには例えるならガラス細工、触れれば割れてしまいそうな儚い印象を持たせる綺麗な女性がいた。
「あんたは、誰だ?」
寝起きのかすれ声に乗せて疑問を放った。女はこちらを振り返り、にこりと笑うと俺の名前を呼んで自己紹介をした。
「こんにちは、私は熊野と言います。動物のクマに野原のノです」
俺は漢字はわかるぞ。
「……なんで俺の名前を知っている。なんでここにいる。金目の物はここには一つもな
い」
「金目?と、とんでもありません!私はそんなことしませんよ!」
いかにも憤慨といった様子で顔をしかめて熊野はかぶりを振る。
それから彼女は正座をして改まり、はきはきと用件を伝えた。
「私はあなたに恩返しをしに来たんです。先日はどうもありがとうございました」
オンガエシ、どこの言葉だ?
俺はそこまで考えてようやく日本語に直せ
た。全く俺に縁のない言葉だった。みるみる渋面になり
「俺は恩を返されるようなことは一切していない」
というと彼女はキョトンとして小首を傾げ
「したじゃありませんか。一昨日に私を助けてくださいました」
と宣った。
そもそもここ数ヶ月、俺は人と話した覚えがほとんどない。
「他人を助けるほど、俺は人がよくない……ゴホッ」
そう言った途端、喉に針が刺さったような違和感とともに、激しい咳が出た。最近よく咳が出る。乾燥しているせいだろうが今日は特にひどい。
「大丈夫ですか⁈しっかり」
慌てて熊野が背中をさすって咳を宥めてくれる。
「平気だ。ただの風邪さ。最近は寒いから
な」
壁のカレンダーを見やったがそれは去年の夏から一切めくっていない物がぶら下がっているだけだった。
「そうですね、最近は本当に寒いです。私も毎日凍えそうで。ここは、暖房はないんですか?」
辺りを見回して熊野は言った。
俺の部屋は小さい本棚とちゃぶ台くらいしかない。
「金がないんだ。作家を目指してるんだがなかなかいいものがかけなくて……」
この間ガスが止められたということは言わないでおいた。
座り直しあぐらをかいた。腕を組み少し声を張って、
「それで、恩返しとは知らんがお前は俺の家に勝手に入って来ていいと思ったのか」
少し問い詰める口調だか仕方あるまい。法的に言えば、住居不法侵入罪にあたる。
「ダメかなぁ〜とは思ったんですけど寒かったのでつい……ダメでしょうか?」
上目遣いはよくない。そうやって言われるとダメとは言えなくなる。
それも容姿が整った濡れ羽色の乙女がそう聞いてくるとなれば尚更……。
俺は顔を背け返事の代わりにして、夕方の朝飯を作る。狭く暗い台所には缶詰やカップ麺などが至る所に無造作に置かれ、己の生活水準の低さを不意にも突き付けられる。
ふと、さっきの言葉に違和感を持ち彼女には帰る場所があるのかを尋ねた。
その返事は簡素なもので
「ありません」
あまりにもさらっと答えるものだから俺は逆にデリカシーの無さを恥じた。
そもそも帰る場所があったら、毎日凍えることも寒くて家に入ってくることもないだろ
う。その理由はーー聞くべきではないな。
「粗末なもんしかないぞ。いいか?」
熊野は目を輝かせて頷いた。俺の食い物がそんなに興味深いか。
俺自身も生活が苦しいが、流石に家無しの女の子を放って置くわけにはいかない。
湯が沸いてカップ麺に注ぐ。
いつものように湯気が眼鏡にあたり、一瞬視界が白く染まる。
「はいよ」
ちゃぶ台の上にカップを二つのせ。割り箸を配った。
「いただきます」
熊野がお行儀よく挨拶をした。一方俺は何も言わず麺を頬張る。行儀を守るような食い物だろうか
「お行儀悪いですよ」
一喝。
「……いただいてます……」
己の行いを再び恥じ、従った。
一人暮らしをするようになって十年。その間に得たものは小さく、失ったものは数知れない。時々どこで間違えたんだろうと俺は不思議に思うことがある。
大学も人並みに出て、よし!文章で稼ぐぞ!と意気込んだのがざっと六年前。
それ以来バイトで貯めた貯金はいとも簡単に一桁になり、毎月申し訳程度に貰う雑誌の原稿料で細々と暮らす日々が続いていた。
「作家さんは大変なんですか?」
かけられた言葉に驚く。
「ああ」
短く答えて塩辛いつゆを飲んだ。
「どんなものを書かれているんですか?」
「ミステリだよ」
「みすてり?」
「推理もの。人が殺されて、犯人が誰かを突き止めるやつ」
「え!死んじゃうんですか?」
「俺は、殺さない。人が死ぬのは嫌いだ」
そうですか、と呟き、ふっと息を短く吐く音がした。
みると、熊野のカップはもう空だ。
「悪いな、そんなもんしか出せなくて」
「構いません。美味しかったですし、押しかけたのは私の方ですから」
熊野はごちそうさまとしっかり言い、俺はビニール袋にゴミを入れ玄関においた。
それからはいつもなら横になって天井を見上げながらプロットを考える。時には密林に品物を頼みまた考える。
しかし今日は熊野がいる。
「これからどうするんですか?」
瞳孔が開いているのは好奇心か。
答えようとした時、喉から胸にかけて違和感がした。そして咳が出た。
熊野が前のめりになる。それでも止まらな
い。
「今日は病院に行きましょう?ね?」
「ゴホッ……医者にかかる……ゲホ……金がない」
喋っても止まらない。
それから一分もしなうちに咳は止まったが熊野はなお心配そうだ。
その心配は『恩返し』をしたい相手が死んでしまえば目的が果たされなくなるからだろうか。
もしここで、人違いだとハッキリいえばーー
俺は考えるのをやめた。彼女のことをスイリするのは俺の頭の容量に合わない。
咳をして疲れた。少し頭も痛い。
「俺、寝る。疲れた。ごめん」
熊野にいくつかの心配の言葉を掛けられた
が、余裕もなく布団に潜って寝た。
熊野は俺のところで居候をすることになっ
た。
それから数週間、俺の咳も少し治り、また、熊野は家の中で自由奔放に過ごしていた。
熊野は俺の寝癖をからかったり、熊野の寝相を俺がからかったり。
熊野の布団は残り少ない貯金をはたいてもう一組買った。
彼女は最初の数日こそ部屋の隅の方に正座をしたり居眠りをしたりしていたが、次第に人懐っこい笑顔を見せるようになった。
「進捗はどうですか?」
「ああ、少し進んだよ。ほら」
熊野が机を覗き込んでくる。
「主人公が謎を解いている場面ですか」
「そう。ここからもう一回、展開をひっくり返そうと思うけど、どう思う?」
俺の中で熊野は執筆アシスタントのような立ち位置になっている。
「そうですね……」
彼女の長い髪が原稿に落ちる。それをさりげなく、色白の手で熊野は耳にかきあげ……
「聞いてます?ねえって!」
はっと我に帰り恥ずかしくなった俺は、
「ごめん」
と小声で謝った。
それを聞くと彼女は呆れたように仕方がないなぁと笑うと、さっきも言ったであろう意見をもう一回言ってくれた。
「いいんじゃないでしょうか」
「そ、そうか。頑張るよ」
恥ずかしくてつい顔を背けた。
しばらくして硬くなった体を伸ばすと熊野も体を壁に預けた。今までずっと見守っていてくれたのか。少し複雑な思いがよぎった。
熊野に俺は聞いた。
「恩返しっていうのは、まだできない感じなのか?」
誤解をされないように声のトーンを高めにいく。
すると彼女ははにかんで
「まだもう少しかかるかも……」
と零した。
その笑顔はなんというか……思いの外、儚く見えた。
熊野曰く、よく晴れた冬晴れの日。
俺たちは朝早く起きた。
理由は至極簡単。俺が熊野から腹にかかと落としを食らったからである。
彼女の方もおかしな感触で目が覚めたらしく布団の上で十数回、頭を下げていた。
そうなればもう寝る気も起きなくて
昼まで不毛な雑談に費やした。
「人と話すとスランプを抜け出せるそうで
す」
と熊野。
「そうなのか。でもスランプになったらプロットを熊野に丸投げするから俺は安泰だな」
と冗談を俺が言う。
「あー!それはいけませんよ!ちゃんと貴方は貴方の世界を表現しないと貴方の作品になりません」
「大丈夫!わーってるよ」
ひとしきり笑った後、熊野は息を長く吹き、次にやけに真面目な顔になって、密かに嫌な予感を感じた俺に本当にとんでもないことを聞いた。
「突然ですみませんが、貴方はよく二人きり出て住んでて私に何もしませんよね。大丈夫ですか?」
その言葉の意味を理解するのに軽く3秒は要した。沈黙の後
「はぁ⁈」
裏返った素っ頓狂な声を出して俺は驚いた。突然にしても心臓に悪すぎる!
「友人兼アシスタントに俺が手なんか出すか
よ⁈」
久しぶりにここまで大声が出た。隣人に壁ドンでもされかねない声量。
熊野の方はそれはそれは俺の挙動がおかしかったようで腹を抱えて笑い出した。
「冗談ですよ!少しからかって見たかったんです。ごめんなさい」
ああ、本当に驚いた。
軽く咳が出て、俺も安堵で笑った。
俺が熊野に何かすることはない。
笑いながら思った。
ある日、俺たちは原稿料の受け取りと食料調達のため駅前を歩いていた。
「今回はいつもより結構高く貰えるんだ。これならもう少しいいものが食えるかもしれ
ん」
意気揚々と告げると、熊野は笑ってクリスマスですしね、と言う。
「クリスマスは、いつもどうしてるんですか?」
と俺に聞いた。俺は少し考えてあっと思っ
た。そういえばここ数年、俺は全くクリスマスなど考えたことがなかった。
「そうだな……独り暮らしを始めてからは全く普通の日を過ごしたな。特にクリスマスだからって祝ったのは小学生の頃くらいだ。キリスト教でもあるまいし」
それを聞くと彼女はイルミネーションに目を向け眩しそうに呟いた。
「私は、ずっと遠くからパーティーや眩しいものを眺めてました。羨ましくて、でも、近づけばきらきらしたのもは消えてしまうか
ら、それで遠くから見ていたんです」
それはさぞかし寂しかったに違いない。そう思った俺は今年のクリスマスを熊野と一緒に過ごそうと決めた。
彼女がまた寂しい思いをするのは筋が合わない気がした。
「今年は、お前が主役だ」
コートのファーに隠れて見えない熊野の表情を想像した。熊野は、驚いているだろうか。
「私の、ために、ですか?」
一言一言を区切って噛みしめるように
聞こえてきた声は、感情が抑えられていて俺はそこから表情を読み取ることはできなかった。
「当たり前じゃないか。俺は熊野と一緒に十二月二十五日を祝うよ」
少しキザだったかな?
冷たい風が吹いて耳が冷える。
しばらくして聞こえてきたのはか細い声のお礼だった。
「ありがとう、ございます」
そうして日々は矢の如く流れていった。
俺は最近、熊野との出来事を作品にしようかと悩んでいた。
摩訶不思議だが解明してはいけない謎は、俺に好奇心を抱かせ興味を強く引いた。
だが実現させるには一つ、大きな壁があっ
た。
それは面白いもので、物語を書く際、登場人物たちは必ずと言っていいほど、行動に理由をつけなければいけない。もし、行動の動機がなくなってしまうと主人公たちはデクノボーとなり、物語はただの怠惰な活字になってしまう。
現実の人間は大体の場合、行動の理由など持ってはいない。
要するに嘘をつかなければ書けない。
「それなら、少し尾ひれをつけますか?そうしても貴方が書くなら私は面白いと思いますよ?」
俺たちは窓際の床に座って話し込んでいた。冬にしてはよく晴れて日光が二人の背中を照らしている。暖かい窓辺だ。
「俺としてはあんまり気が進まん。どうにかありのまま、面白くすることはできないか
な?」
そして熊野は考える。頤に人差し指を当てて空中を見つめる姿が隣にある。俺は原稿に目を落とし思った。
平和だ。
む?空気が変わったか?
「そうですよ!どうして私は、こんな簡単なことを思いつかなかったんでしょう!」
刹那、熊野の声が沈黙を破った。
「何を、思いついたんだ?」
突拍子のないものでなければいいが。
「現実を変えるんですよ!尾ひれをつけて面白くするんじゃなくって、現実自体を面白くするんです!いいでしょう?」
「現実を変える?どういうことだ?」
俺は聞いた。いまいち言っていることが消化できない。
熊野が興奮から身を乗り出してくる。四畳半の狭い部屋でそれをやられると俺の逃げ場がなくてよく困るんだ。察してほしい……。
「二人で楽しいことをやるんです。例えば、綺麗な景色を見に行ってもいいかもしれませんし、それにそれに!遊園地なんかもいいですよ、行きましょう!」
身を引きながら俺は彼女の気迫に負けて頷くしかなかった。もっとも、俺が家に引きこもっている理由も単に外に用がないからにすぎない。熊野と行くならそれもそれでいいだろう。
「わ、わかった。とりあえず落ち着いて、落ち着いて」
慌てて俺は熊野の肩を軽く掴んで押し戻し、最初の位置に二人で戻る。
熊野の方も少しさっきの行動を反省しているようだった。
「そうだね、俺たちで楽しいことをすればそれはそれで非日常になる。いい題材だ」
隣ではっと息をを飲んだ気配がした。
「それでは!行きましょう!」
「ちょっと待て待て、早まるな。行くって、どこに?」
「あっ、決めないといけませんね。私嬉しくて、ついはしゃいじゃいました」
落ち着いた熊野が戻ってきた。どうも俺にはスイッチの位置がわからない。
「そうだな……。ここら辺は観光地らしいものは何もないぞ。東京に出ればそうでもないが、金が……」
「お金なら平気でしょう。節約すればどこにでもいけます。行くところは、一緒にこれから考えればいいんです」
彼女はすごく楽しそうだ。そうだ。これは気分がいい。
まだまだ続きます。




