夢見ぬ乙女は変わることを望む2
いつもと少しだけ違う朝だった。
朝、起きればエプロンを付けた父さんがキッチンに立っていて、不慣れな手つきで朝ご飯を盛り付けている。見たことのない光景だったから、思わず目を見開いて呆然と立ち尽くしていれば、こちらへと振り返り、相変わらずの無表情で淡々と、
「おはよう」
そう言ってきた。
母さんがこの世界からいなくなった時から、初めて父さんから挨拶してくれた。……料理を作ってくれた。
「おはよう、父さん」
父さんの前で初めて……いや、今までで一番自然に笑えたような気がした。
思い違いかもしれない、父さんも何処か微笑んでいてくれるような気がして。
「しょっぱい……」
美味しいとは言えない、父さんが作ってくれた朝食を残さないで食べて、いつもとは違って少しだけ晴れやかな気持ちで私は家を出れば、にこりと笑って可愛らしく手を振る由浅さんの姿があった。
「どうしたんですか、由浅さん」
「ごめんね、迷惑だったよね。待ち伏せされるなんてさ、携帯番号知ってるけどやっぱり頼みごとだし、直接言いたくてさ。嫌がるかもとは思ったんだけど、待たせてもらってたんだ」
と、申し訳なさそうに言うものだから、こちらも申し訳なくなるからやめて欲しい。
別に怒っている訳じゃないのだから。
「で、頼みごととはなんですか」
「あのね、この前話した友人に喫茶店に誘われたんだけど、やっぱりきつくて、ついてきて欲しいなって。あ、こんなこと頼めるのは静来ちゃんだけでさ、あの話したのは静来ちゃんだけだから。ダメなら良いの、ダメ元で頼んでみただけだしね〜……」
困ったように笑う由浅さん。
その目はとても悲しそうで……。
「いいですよ、申し訳ない顔しないでください。喫茶店に着いて行けば良いんですよね、その日っていつですか。予定、あけておきますから早めに教えておいてくださいますか」
……放っておけなかった。
二度目は、あまりにも悲しそうに笑うから。昨日、思い出せなかった昔のこと少しだけ思い出した。
父さんは、母さんが亡くなってから一度も泣いている姿を見せていないこと。
そして、無表情な父さんが母さんが亡くなってから表情を変えたのは、ただ数回だけだった。
無理矢理作った悲しそうな、苦しそうな笑顔。今思えば、一番泣きたかったのは父さんかもしれない。娘である私の前である手前、泣けなかったのかもしれない。
私の不器用さは、父さん似だ。
だからきっと、私を不安がらせないために泣けなかったのかもしれない。性格は確かに父さんに似た部分がある、私の見た目は母さんに瓜二つで今までどう接して良いか分からなくて、そして私を母さんと重ねてしまうからギクシャクした親子関係になってしまったんだと思うことにした。
だから、放っておけなかった。
「えっ、いいの……!」
「頼みごと引き受けると決めたから何時に行くのか、聞いてるんじゃないですか。今更、聞き直さないでくださいよ、やっぱり付き添うのやめますよ。人の好意には素直に受け入れてください、私はあなた達親子にたくさん助けられてきましたからこれぐらいさせてください」
天邪鬼だから素っ気ない言葉になってしまったけど、こんな言い方だけど感謝してるから。
……出来ることならしたいと思った。
「ありがとう!」
花が咲いたような、いつもの穏やかで暖かい微笑みを浮かべてくれから、一安心した。
「由浅さん、あなたは悲しそうな顔は似合いません。だから、あなたは後悔しないように生きてください。その手助けくらいなら、別に面倒だなんて思わないですし、そもそも今更気を遣う必要なんてないんですよ。会ってから数日だと言うのに、人の心にズカズカ入ってきたくせに何を今更!
それに、その喫茶店。例の店なんでしょう? あの時は行かないと断りましたが、実は気になっていたんですよね。だから、行きたいから行くんです、気を遣う必要がありますか! ないですよね、はい決定!」
……人間らしくなったもんだと思う。
吉昌先生も、由浅さんも土足で私の心に入ってきて、引っ掻き回してくれたおかげでね。
「うん、ありがとう。静来ちゃん」
「別に、喫茶店に行きたかったから行くんです。あなたの手助けはついでですから、お礼なんていりません。大学遅れますよ、ここまでで大丈夫です」
そう言った後、歩くペースを速めた。
けど、由浅さんは私の手首を掴んで、私を何故か引き止めてきた。今まではこんなことなかったのに。
「なら、僕もお礼を言いたいから言うんだよ。それなら良いよね、嬉しいからありがとうって言いたいんだ」
……この人は天性の人たらしだ。
間違えなく、吉昌先生の遺伝子が組み込まれていることが良くわかる。
人として、この人が好きだと思った。
私があの時抱いた感情、それは羨望と憧れだったんだってこの時初めて気づいたのだった。
「じゃあ、私からも。こんな私のこと、頼ってくれてありがとうございます。私だから良いですけど、他の人にそんな優しい言葉を掛けたら勘違いされちゃいますよ。少しお世話になりましたし、恋愛関係で拗れて事件に巻き込まれでもしたら心配になりますし? 優しいのは大いに結構ですが、ほどほどにしておいた方が良いんじゃないんですかね。
それと、こんな私が言うのも説得力はないですけれど、由浅さんの良さを知ってくれている人は多いと思います。一途なのは素敵なことだとも思います、ですけど盲目的になりすぎないようにした方が良いと思うんです。視野を広げて、由浅さんのこと恋愛感情で想っている人に対して真摯に向き合ってあげてください。付き合えないなら、ちゃんと断ってあげてください。相手の気持ちを曖昧にすることが優しさではないと思います。
曖昧にすることで、彼女らは次の恋を見つけられなくなってしまいます。振ると言うことは勇気のいることだと思います、だけど友人関係がギクシャクするかも知れないと恐怖しながら告白をした側だって告白をしていると思います。だから相手のことを思うならばちゃんと振った方が良いと思うんです。
失恋は確かに苦しいことです、ですけど……それを乗り越えた時に自分自身の心を強くしてくれるキッカケにもなるとも思うんです。私は恋をしたことはないですけど、苦しかったことを乗り越えられた後に少し強くしてくれるように、恋もまた、人を強くしてくれるんじゃないかなってそう思います。
だから、由浅さん。苦しくなったらちゃんと告白してください。
私はあなたを苦しめるために、あなたの感情を隠す手伝いをするんじゃないことだけは理解してください。友人を思ってのことだとはわかっています、だから気持ちの整理をするためにも新しい恋に向かうためにも耐えられないくらいに苦しくなったなら、お願いだからちゃんと告白をしてくださいよ。
告白することで傷つくと思います。だけど、曖昧にしたままその恋を引きずって、素敵な人と出会えた時に苦しんで欲しくないんです。酷なことを言っているのはわかってます、だけど私に話しかけようと一生懸命になってくれた由浅さんだから、好きな人と付き合って欲しいんです。だから、由浅さんがその気持ちに完全に終止符を打てるまで、私は友人として手助けをしますが、どうしても苦しい時はちゃんと伝えてその気持ちにケリをつけると、これだけは約束してください」
私なりに由浅さんを思って、この言葉を言ったつもりだ。不器用だから上手く話がまとまらなくて、たくさん喋ってしまったが、誤解されずに伝わることが出来ただろうか?
……お節介すぎただろうか?
……それとも、自分の意見を押し付け過ぎてしまっただろうか? あまり人とコミュニケーションを取ってきてないからどう接していいかわからなくて、ついこう言う素っ気なさの残る口調になってしまう。
「約束する、だから君も無理して一人でいることを約束して欲しいんだ」
「……わかりました」
私は即答した後、足早に高校へ向かう。
さりげなく、挨拶をしてみよう。
高校へ着いてからそう思い至った。
……まずはこの前話したあの子かな?
でも、迷惑じゃないかな。
今まで誰ともあまり、と言っても吉昌先生とは会話していたけれど、あと由浅さんも。それ以外の人とはあまり、必要最低限な会話してなかったから、コミュニケーション能力に自信がなく、時間が経つごとに不安にさせる。
「あ、おはよう!桜見さん」
……なのに、彼女は意図も簡単に挨拶してして、思わず呆気にとられた。
だけど、直ぐに正気に戻って、
「おはよう、華乃さん」
と、挨拶すれば嬉々とした表情で、
「名字覚えててくれたんだね!」
嬉しそうに笑って言ったから、
「当たり前だ、クラスの人の名前はさすがに覚えてるよ。最低限の必要な話しか話してはいなかったが、名前を間違えては相手を傷つけることくらいは私にだってわかるから」
……ほんと、素直じゃない。
そう言ってしまったこと、後悔した。
彼女は華乃真季さんと言う。この前知ったが、現役の小説家らしい。
「そうだよね、ごめんね! この前さ、私の恋愛小説読んでくれるって言ってたよね、何冊か持って来たから感想聞かせて欲しいんだぁ。昨日の今日でごめんね、ダメかな?」
「別に、構わないよ」
そう答えた後、すかさず差し出された彼女の本を受け取れば、にこやかに笑ってお礼を言われた。
「なるほど、それで恋愛小説をね」
放課後、恒例の吉昌先生との進路相談。
その時、朝あったことを話してみた。
大学のパンフレットをペラペラとめくりながら、私の雑談を聞いてくれた。
「そう言えば由浅と出かけるんだってな、楽しんで来いよ。凄く喜んでたよ、よっぽど新しい友人と出かけられるのが嬉しいみたいだな」
そう言いながら優しげに笑う。
「そうなんですよ。私も友人と出かけるのは初めてで楽しみではあります。
あ、このことは由浅さんには秘密にしておいてくださいよ、吉昌先生」
それに対して吉昌先生は、はいはいと言っただけだった。ちょっと不安……。
……本当にわかっているのだろうか?
「わかってるよ、由浅より長い付き合いだ。静来が天邪鬼な性格なことくらいわかってる。せっかく話してくれるようになったんだ、嫌がるようなことはしないよ」
パンフレットを見つめていた目が、そう話した瞬間に私の目に向けられて少し驚きからドキリとする。
……親子揃って人たらしなんだから。
そう内心、言うことしか出来なかった。
……かなわないな……。
由浅さんからお出かけの付き添いを頼まれたその週の日曜日。
私は、どんな服を着たら良いのかわからなくて、友人と出かけるから気合い入れすぎな服装も私的には気が向かないし、シンプルすぎてもダメなのかな。……わからない。
結局寒くないことを優先して無難に、厚手のカーディガンにタートルネック、冬用の短めなズボン、その下にタイツを履き、防寒着のコートを着て家を後にしたのだった。
……今度服屋に行こう。
さすがに服がなさすぎだと少しだけだが、……自覚したから。
「よし、頑張ろう!」
軽めに自分の頬を叩いて、気合を入れた。




