夢見ぬ乙女は夢を見ない1
夢を見なくなったのは何時からか。
そう考えながら私はネクタイを結んだ。
音を立てずに、下に降りれば、クラスメイト達は驚くと言うのに父さんは、分かって当然と言ったように、無表情で私のことを見た。
「おはようございます、父さん」
昨日笑っていたことが嘘みたいに表情筋は、まるで固定されたように頑なに動かない。
無表情なのは私だけじゃない。
私の挨拶に対していつも、
「ああ」
そう一言返して終わり。
父さんとの朝の会話はこれで終わりだ。
沈黙した空間には慣れた。
最初は、この空間が苦しくて苦しくてたまらなかった。そんな感情、もう今は忘れてしまったの。
「行ってきます」と、そう最後に言ったのは何時だっただろうか? そんなの、とうの昔に忘れてしまったし、もう言った貰えることを期待してない。
体に良くないことは分かってる、だけどご飯を胃の中に流し込むように食べた。そして逃げ去るように鞄を持ち、玄関に向かえば、ガタンッと勢い良く立ち上がった時の椅子が動いた音がした。
……まさかね、父さんが……。
そう一瞬、そう思ったが、期待しないで
おいた。
「偶然だね、静来ちゃん」
にこやかに微笑みながら、コンビニへと行っていたのか、肉まん片手に私に話しかけてきた物好き。
「……花芽さん。今日は偶然みたいですね」
そう皮肉を言えば、彼は苦笑いをする。
……コロコロと表情が変わる人だ。
私は自分にないものを持つ彼が、とても羨ましかった。人に関心がないのは事実だ、でもそんな私でも自分にないものを持つ人がいれば、羨ましいと感じるだせの感情は持ち合わせている。
「偶然で、静来ちゃんに会えるだなんて今日の僕はとてもラッキーだね。今日肉まん買いに行こうと考えた数十分前の僕にハイタッチしたいよ」
彼女でもない人に何を言ってしまっているんだろうか? ……この人は。
私じゃなければ勘違いしていたよ?
「そう言うことは彼女に言うべきだと、私は思いますが。軽々しく言うものではないと思います」
「良く言われるんだけどね、これは性分だからなかなかやめられなくてね。
気を悪くさせたらごめんよ」
敬語の取れた彼の言葉は温かく、まるで全てを包み込むような穏やかさを感じて居心地が良いと思った。
だけど、私は天邪鬼。それを伝えることは難しい、素直だったら少しは父さんとの仲も……。
ううん、考えてはいけない。
私と父さんの心には明らかに溝がある。
……私がもし、母さんみたいに素直で純粋で表情がコロコロ変わるような人だったら、こんな風にはならなかったのかな?
そんな私、夢を見ない限り無理なこと。
私はとうの昔に夢見ることを諦めた、あっさりと壊れてしまう姿を呆然と眺めるしか出来なかったあの日から。
ああ、この人といると昔のことを思い出してしまう。朝から思い出してしまうのは、さすがの私もきついものがある。
だから、私はあえて突き放すような口調で言おうといつもよりも、淡々とした雰囲気を意識する。
「気を悪くなどしてません。ただ、あなたは容姿が良いですし、性格も良い。だから、いつか刺されてしまいそうだなと思いまして、まあ一応顔見知りになりましたからこちらとしても夢見が悪いですからね。ああ、でも私最近夢を見ていませんでした。
……私もこれ以上話していれば遅刻してしまいますし、今日はこれで失礼します。
優しいあなたなら、まあ寒いとは言え、良い天気だと言うのに私を学校まで送ると言うかもしれませんが、私は目立ちたくない性分ですから、私のことは気にせず大学に向かってくださいますか。
あなたは人に無関心な私でもわかるくらい、身なりは整っているとは思いますし、今時期の女子高生は異性と歩いているだけで、恋バナと言うのでしょうか、そう言う話をされた時の対処の仕方なんてわからないですし、今回は勘弁して頂けますか」
そう言いながらも、ズキリッと何処かわからないところが痛んだような気がした。……私が突き放すようなことを言ったのに、自滅してどうするの。
幸い、私は表情筋があまり動かない。
私の表情を読めるくらい、親しい相手なんていないから自分で言ったのにも関わらず、傷ついているなんて気付かれるはずがない。
……ああ、自分の面倒くさい性格が憎くて憎くてたまらない。何故、こんなに素直になれないの。
無関心のままでいれば良かった。
そしたらこんな苦しみ、知らなくて済んだのに。どうして、会ったばかりの人に関心を抱いてしまったんだろう。
……そのうち、飽きてしまうくせに。
中途半端な優しさで私の心の中に入ってこないでよ。興味が失せたら、父さんのように……。
いつか、一言ずつしか交わさなくなるんだわ。
「そっか〜。ごめんね? じゃあ、僕はここで失礼するよ。今度は目立たないところで会おうか。
僕ね、意外とここら辺の土地勘があってね? 穴場な喫茶店、知ってるんだ。そこにはね、味のある雰囲気を持つピアノもあるんだよ。
興味があるなら、ここに連絡をくれないかな? 僕は、君が僕と話したいと思うまで待ってるから」
突き放すようなことを言ったのに、
あなたは何故、私に次の機会をくれるの?
あなたは何故、得もしないのに、傷つけるようなことを言っているのに、そんなにも笑っているの?
それだから……。
それだから、あなたに関心を持ってしまう。
お願い、お願いだから。私を無関心のままで居させてください、……私を一人のままで居させてください。
「気が向いたら、考えときます」
私は素っ気なくそう答えた。
……ああ、なんて私は天邪鬼なんだとそう考えながら、また無関心へと戻っていくのだ。
あなただけが私を無関心にさせてくれない。
……あの親子達、揃いも揃って苦手だ。
あの担任も放っておいてくれない。
私はただ、無関心でいたいだけなのに。
友達になるとは言った。
だけど、どう接して良いかわからない。今まで人と接することに対して、無関心だったから。
あともう少しだけ、無関心のままで居たいと思うのは間違っていることなんだろうか?
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「なんか、放っておけないよねぇ」
「ああ、静来? まあな、あの子の将来をいち担任が進め続けることは間違っているかもしれないが、あの子は……」
静来は知らない。
勤務時間など気にもせず、電話をかけてそう言っていることを。そして、彼らも彼女の気持ちを完全には理解出来ないが、今の時点では一番理解しようとしてくれていることを知らない。
「あの子には、あいつのようになっては欲しくないんだ。あの子は、あいつに良く似てるから」
「静来はあいつほど弱くはない、ただ甘え方を知らないだけなんだ。だから、絶対にあいつの代わりにするようなことをするなよ、女性はそう言う勘は鋭いぞ」
自分の父に言われた瞬間、由浅の顔つきはいつもの柔らかい表情から一瞬で険しいものに変わる。
「そんなこと、一度も思ったことはない」
由浅の表情に伴って、声も厳しくなっていたのを聞いて、彼の父は、
「全く、忠告しただけだろ?」
と、自身の息子の成長に、穏やかで愛しそうな声でそう言った。