それぞれの幸せ3
郁人さんも途中から、彼女さんとこの喫茶店に来てくれた。幸せそうに笑っていたから、私も嬉しくなったし、幸せな気持ちを分けてもらったような気持ちになった。
思わず、微笑ましくて頬が緩む。
まるで、子供を見守る母親の気分だ。
そんな気持ちで見守っていれば、くしゃりと髪を撫でられる。その手の持ち主は今日会ったばかりの出雲さんで。
……どうしてこんなにドキドキするんだろう?
今日会ったばかりなのに。
……どうして?
そんな疑問ばかりが私の頭の中を巡る。
仲睦まじげにする二人を見て、羨ましいと思った。こんな風になれたらなとも思った。
だけど、そう思うことが怖かった。
今までこんな風に思ったことがなくて。
自分の変わりゆく姿が怖かった。
「静来ちゃん、覚悟しておいて頂戴ね?」
私の内心を読んだかのように、ドキリとさせるようなことを、出雲さんはそう言う。
何の覚悟をするのか、私はその覚悟について気づいていても気づいていない振りをした。
「何の覚悟です? 私にはわかりませんね」
……ほんと、可愛くない。
天邪鬼な言葉しか言えないのか。
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戸惑うことが起きた休みの日は終わりを告げて、私は新たな一週間の始まりの放課後、高校に入ってから日課になった放課後の進路相談に来ていた。
だけど今日は、進路相談などせず、今抱いている戸惑いについての話を吉昌先生に話していた。
「覚悟しておいて頂戴ね、か……」
本当はね、わかってた。
……その言葉の意味が。
だけど、信じられなかった。
ううん、信じたくなかった……がそう言った方が正しいのかもしれない。
恋愛は、人を変えるから。
いい意味でも、悪い意味でも。
人を振り回し、傷つけるから。
私は、見て見ぬ振りをすることが一番幸せじゃないかってそう思ったの。
私には恋愛感情がどんなものかは、直接感じたことがないからわからない。だけど、嫉妬がどれだけ人を変えるかは知ってるから、恋をすることで自分が変わってしまうんじゃないかって、恋をすることで嫉妬を知って、誰かを傷つけるようなことをしてしまいそうで怖くて怖くて堪らないの。
この恐怖心を一人で抱え込むには、私には荷が重すぎて。でも、幸せそうにしていた由浅さんに頼ることは出来なくて、私は吉昌先生にその恐怖心を思ったまま話した。
一通り話し終わった後、吉昌先生が初めて言った言葉が「覚悟しておいて頂戴ね、か」だった。
否定されたり、そんな感情抱くのは当たり前だろ? って言われないか怖かったから、一言目が出雲さんがした発言の意味を声に出して確かめるような言葉で安心した。
……お願いだから、見抜かないで……!
私が必死に隠している、今にも芽吹きそうなこの感情が見抜かれていないか、怖かった。
だけど、天邪鬼な私は内心、その感情の居所を吉昌先生に指摘して欲しいだなんて思っていて。
自分の矛盾したこの感情に、呆れた。
「ほんと、静来は天邪鬼だな」
吉昌先生の二言目はそれだった。
……やっぱり見抜かれてしまった。
だけど、先生は遠回しな表現をするだけで、確信的な部分にはあえて触れてはくれなかった。
……初めて会ったのに、どうして?
どうして、こんなにドキドキするの?
今まで異性と話すことがなかったからかな?
でも、吉昌先生や由浅さんに対して、緊張的な意味合いではドキドキするけど、出雲さんに対して抱くこのドキドキは何処か、二人とは違うような気がするの。
どうしたらこの感情の正体はわかりますか?
…… いや、違う。
どうしたら、この感情に対して素直になることができますか? ってそう聞いた方がこの場合は参考になる答えが返ってくるかもしれない。
だけど、そう聞いてしまえば、今にも芽吹きそうなこの感情が花を咲かせてしまいそうで怖い。
……だから、聞けない。
そんな風に考え込んでいる私の様子を見て、吉昌先生は苦笑して、珍しいものを見たなと言いたげな視線をこちらの方へと向けてきた。
……そんなに悩む私が珍しいですか?
そう考えていれば、そんな私を見かねてか、ふぅ……とため息をついて、静かにこう言う。
「人が変わるきっかけは、恋愛だけではないよ。勿論、いい意味でも悪い意味でもね?
俺の奥さん、今天国にいる。
ああしてやれば良かったとかさ、思ったりする訳よ? でもさ、奥さんはこの世界にもういない。
だから、後悔だけはするな。後悔するなら、行動して後悔した方が心残りにならないよ。
それにな、静来。
変わることを恐れることはない。
俺は信じてる、静来は恋愛に狂い、嫉妬に狂うことには絶対にならないって。
静来がそうだと信じられなくても、俺が信じてる。絶対に、そうだって言い張ってやる」
どうしてそこまでしてくれるんですか?
どうして、そこまで信じてくれるんですか?
……私はそうしてくれても、吉昌先生に何も返す事が出来ないから……!
天邪鬼の私には、そう素直に聞くことが出来なくて、内心その言葉が消化することが出来ない。
「もしも、万が一、そんなことがあれば俺が静来のことを止めるから、今は素直になれ。
……本当は俺に相談しなくても、気づいていたんだろう? 自分が抱いている気持ちに。
だったら、素直に生きろ? 振られたって、その経験が静来を強くしてくれるはずだから。
だから、頼っていいんだよ。
人は最期は一人になるけれど、だからこそたくさん思い出を作り、人を愛すんだ。
だから、何も返せなくて良い。静来、俺はさ、音楽に興味がなかったんだ。だけど、嫁さんと静来のピアノだけは、耳が聴力が奪われたようにその音だけしか聴こえなくなった。
静来のピアノは優しくて、表情が豊かで、まるで演じているみたいでさ。そんなピアノを弾く静来には幸せになって欲しいと思った」
そう言って、私の頭を撫でた。
そんな先生の顔は優しくて。
……本当に、先生は心からそう思ってくれているんだと、素直にそう思えた。
私のピアノを、優しくて表情が豊かで、演じているみたいと言ってくれて嬉しかった。
耳が、聴力が奪われたみたいに、聴き入ってくれていたなんて、嘘だろって思ってしまう私も少しいるけれど、だけど先生のその言葉を信じたいとそう思った。
「ありがとう、……ございます」
私は吉昌先生に、「ありがとう」とそうお礼を言った時、私は一つ決意した。
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足早に家に帰り、ソファーに静かに座る父さんに、表情を動かさない父さんが驚くくらいに早口で、
「話したいことがあります!」
私は、そう告げたのだった。




