3日目・薬草店へお出かけ
雪がはらはらと降るお昼頃、ナース服ではなく生地が厚い長袖の服に艶のある黒髪が映える真紅のコートを羽織ったリサは診療所のドアを開けて雪が3センチくらい積もった外に出る。
「さむっ!」
少し歩き鉛色の空を見上げると雪が舞い落ちてリサの鼻頭に当たった。そして、黒い膝丈のスカートを翻しながらその場で半回転し、自分が歩いてきたロングブーツの跡を見てみると、もうすでに薄っすらと雪が積もっていた。
「リサ、行こうか」
「はい!」
最後に診療所を出たのはエリアス。『close』と書かれた大きな木の板をドアの前に立てかけ鍵を閉める。そして、エリアスはリサに手を差し出す。
ごく自然な流れで手を取ってしまって良かったのかとリサは思ったが、エリアスの手から伝わる温もりが心地よくつい甘えてしまう。
今のエリアスの服装は薄い黒シャツに濃い茶色のコートを羽織っていて下はいつもと変わらないジーパンとショートブーツ。暖かそうな格好をしているリサとは正反対で他所からみれば寒そうだとリサは思った。
「エリアスさん、寒くはないのですか?」
「僕は大丈夫だよ」
エリアスが着ている服は自前の物だがリサの服は診療所の隣に建っている服屋のご主人がリサにプレゼントした物。実は、午前中に針治療に診療所を訪れたご主人が、昼からエリアスとリサが出掛けると聞き『ナース服はあってもどうせ、エリアスの所には女の子用のかわええ服がないだろ?それならうちの一番かわええ服を持ってけ』とリサに渡したのだ。
「ほら、こうして手を繋げば暖かい」
お互いの指と指が絡まる。そして、エリアスは自分の方に腕を引くとそれまでリサとの間にあった僅かな空間が無くなる。そう、今のエリアスとリサはまるでカップルのようで微笑ましい。
「エリアスさん近過ぎですよ」
「嫌だった?」
「嫌じゃ…ないですけど」
すれ違いざまに出会った通行人からの視線が気になるリサは口ごもりながら言う。右を見れば飲食店、左を見れば服屋や食材を売る店に挟まれた大きな道路の端っこをしばらく歩くとエリアスは果実店の前で止まっていた馬車の御者にここから5キロ離れたフェンチェルと言う町にある薬草店『アメリア』まで乗せてと頼む。
「その、薬草屋はここから遠いのですね」
「確かにかなり遠いね。でも、遠くてもあそこに売っている薬草は良い物ばかりだから行く価値はあるよ」
そう今日、2人が行くのは遠くの町にある薬草屋。しかも、その薬草屋はエリアスの昔からの友人が経営しておりどんなに環境が悪くても常に病気に良く効く薬草を取り揃えている優秀な店だ。リサとエリアスが馬車に揺れること3時間くらい、見えて来たの長閑で絵に描いたような田舎町。
「ほのぼのとしていますね」
馬車の窓から外の景色を見たリサの第一印象はそうだった。そして、馬車は町外れにある全てが木で出来た一軒家の前に止まると御者はエリアスから代金を貰い2人を下ろす。
リサが薬草店『アメリア』と書かれた入り口の前に立つと微かに薬草の独特な匂いが鼻を刺した。そして、エリアスが扉を開ける。店の中は薬草の入った小瓶や木棚、それからホルマリンの中に爬虫類が入った瓶が綺麗に並べられたりして意外と狭かった。
「いらっしゃい」
エリアスとリサの目の前から数メートル離れた所にある会計する場所にはこげ茶のローブを着た一人の男がいた。その男の顔立ちは幼く海のような青い瞳に柔らかそうな猫っ毛の金髪が特徴で身長はエリアスと同じくらい。
「立ち話もなんだから座ってお茶でもしながら話そうか」
店の中には椅子やテーブルはない、ではどこに座ろうか悩んでいたリサは辺りを見回した。すると、店の中心にある薬草が入った数個の箱が自ら店の左右に退き、空いた場所に木の床から背もたれ付きの椅子と長テーブルが生えた。
「これも、魔法ですか⁉︎」
「そうだよ」
椅子に腰掛けながらエリアスはリサに教える。2人が座った所でこげ茶のローブを着た男はエリアスの前に座った。と、ここで男はリサに向かって名乗り出す。
「オレはここの店主フィン・シェイル・クロカッス。長いからフィンで良いよ。それで君は?もしかして、エリアスの彼女?」
フィンの唐突な質問を予想していなかったリサは顔を赤くしながら慌てて事情を説明した。所々、抜けている部分もあったので、そこはエリアスが補助する。ある程度、事情がわかったフィンは肩を落とした。なぜなら、2人が入って来た時、仲睦まじく手を繋いでいたから。
「なんだ」
リサのことを話すついでに最近、ここら近くで女の子の失踪事件や大きな事件などが無かったかとエリアスはフィンに聞く。その答えは無し。
「エリアスの彼女じゃなくて助手か」
ため息交じりにそう言うと一匹の黒猫が薬草箱の後ろから出て来た。どうやら、この店で飼っている黒猫のようである。その黒猫はリサの足元に擦り寄り軽々と膝の上に乗った。
「あぁ、とても優秀な助手だよ。期間限定だけどね」
『期間限定』と言う単語を聞いたリサはなぜか胸の辺りがもやもやする感じがした。いつの日にか自分はエリアスと離れなければならないと頭の中で分かってはいる。いつまでもエリアスの優しさに甘えていてはいけない。でも、離れたくない。なぜ今、そう思った?と自分の中で渦巻く得体の知れない何かと一人、戦っていると膝の上で黒猫が可愛い声で鳴く。
「よしよし」
毛並みをなぞるように撫でると黒猫は喉をゴロゴロ鳴らしてリサに甘える。ついでに喉から顎にかけてゆっくり撫で抜くと気持ち良さそうに目を細めた。
「その黒猫に懐かれたね」
ハーブティーを飲みながらフィンは面白そうにリサを見る。面白そうと言うよりも興味深そうに見ていると表した方がしっくりくる。まるで、実験動物を観察するように。
「黒髪黒目のリサちゃんと黒猫。同じ黒だから同族意識を持ったのかな」
「そうでしょうか?」
「なんだか、黒魔女みたいだ」
分からないことがあればすぐにエリアスに聞くをモットーにしているリサは知らない黒魔女と言う単語を聞いて、すぐさまエリアスに聞いてみる。しかし、その質問に答えたのはフィンだった。
「黒魔女って言うのは国の政治に不満を持った黒魔術を使う女の人のこと」
もちろんその中には男もいる。隠語としてその人たちを『黒の反逆者』と皆呼び、度々、国の騎士団と衝突することがあるそうだ。最近では何やら怪しい実験をしているとか謎の噂も広まってエリアスの耳にも届いている。唯一知らないのはリサだけ。
「中には赤髪とか緑色の髪の奴もいるし、目の色もそうだし、黒髪だからって言って別に黒魔女じゃないから、ただ単に黒いから黒魔女だって言っただけで……だから、ごめん!そんな不安な顔しないで」
悪者の仲間にされかけたリサの表情は強張っていた。無論、そんな事は無いとフィンに言われるがリサの頭の中ではもう既に黒髪黒目イコール黒魔女と関連付けてしまっている。そんな、リサの頭の上にエリアスの手が置かれた。
「リサは絶対に違うよ」
子供をあやすように頭を撫でられリサはようやく落ち着きを取り戻した。それに、エリアスに違うと否定されて少し安心した部分もあった。自然とエリアスを見上げると目が合う。しかし、なんとなく恥ずかしくてすぐに目を逸らしてしまう。
「エリアスさんが大丈夫って言うなら大丈夫です」
「基準はエリアスか」
「フィンもリサに変なことを言わないでくれ」
いつも優しい笑みを浮かべているはずのエリアスの表情は今、厳しい表情へと変わっていた。珍しい反応を見せたエリアスにフィンは思わず口から空気が漏れてしまった。ついでに、リサの膝の上にいる黒猫も空気を読んでいるのかいないのかとっくの昔にリサから離れ今はフィンの足元にいる。
「ごめん、ごめん。じゃぁ、お詫びに今回の薬草代は割引にしておくよ」
そう言ってフィンはまだエリアスが頼んでもいないのに数種類の薬草を手に取った。しかもその全てエリアスが欲していた薬草でリサは驚く。ついでに、何かの粉末も小袋に入れている。それは5つあり診療所では見たこともない粉ばかりだった。
「何も言っていないのに分かるのですね」
「長年の付き合いだから、大体わかるんだ」
フィンは薬草を詰めた小箱を数個と小袋を平等にエリアスとリサに渡す。そして、2人が数メートル先にある馬車乗り場に向かおうとドアから一歩踏み出したその時。
ふと、何かを思ったのかフィンは突然リサを呼び止め、荷物を持っていない方の右手を取り手の甲にキスをした。記憶を失ってから今のような行為をされるのは初めてでリサの顔は湯でタコのように真っ赤に染まる。
「敬愛の意味だよ」
リサに悪戯っ子のように笑いかけ、隣にいるエリアスにドヤ顔。今だにリサは顔を赤くして唇をあわあわと震わしていた。ついでにリサは身長差もあってか今のエリアスの表情は見ていない。
唯一、いつもとは違うエリアスの表情を見たフィンは、珍しい反応を見れて良かったと思う心と剥き出しの心臓を掴まれ、背筋が凍るような感覚に襲われていた。冬だと言うのに額から汗が流れ落ちる。
「大丈夫、唇にはしてないから」
「ふぃ、フィンさん!そう言う問題じゃありません!」
「リサちゃんの反応は初心だね」
すると、エリアスがリサの腕を引き自分の胸の中に収める。ちょうどリサの顔はエリアスの胸に押し付けられているため今、エリアスがどんな表情しているかリサには分からない。だが、頭の上から聞こえる声でフィンのした行為はとてもマズイことだったのだと確信した。
「フィン、覚えておくと良いよ。回復魔法も使い方によれば毒にもなるんだ」
何やら物騒な発言。
だが、キスされた後にエリアスからの抱擁、そして物騒な発言、目まぐるしく変わる状況に追いついていけないリサの頭の中はパンク寸前だった。状況を把握しようと2人を見ようにもエリアスの大きくて男らしい角ばった手で頭をしっかりと固定され辺りが見れない状況が続く。
しかも、エリアスに密着しているため服越しにエリアスの温もりや眠くなるような甘い匂いが頭の中を麻痺させている。
「エリアス、笑顔でさらりと恐ろしいこと言うなよ」
と、ここでリサは息が苦しくなったようで、エリアスの胸を軽く叩いた。解放されたリサは息も絶え絶えに潤んだ目でエリアスを見上げる。その姿はとても艶かしくある意味危険だった。
「ごめん」
「大丈夫ですよ」
リサはへらりと笑い今度はフィンに顔を向ける。
「よく分かりませんが、エリアスさんを怒らしちゃダメですよ!」
子供のように腰に手を当てて唇を尖らしたリサはフィンに説教するが、当の本人は軽い返事をしただけで反省の色は見えていなかった。何はともあれその後、エリアスとリサはフィンと別れ数メートル先にある馬車乗り場へ手を繋ぎながら向かった。
そんな2人を見送ったフィンは店の中で一人、珍しい反応を見せたエリアスについて黒猫に話しかける。もちろん、黒猫は人の言葉を話せはしないので、会話はない。
「手にキスしただけなのにな。あいつの器は小さくねぇか?」
「にゃー」
「それに、手を絡めて帰るとかさー。ねー」
「にゃー」
会話がない代わりに猫は鳴いてフィンの会話の間に相槌を打つ。
「生まれてこのかた初めてあんな反応を見た。もし、リサちゃんの頬にキスすればあいつ、どんな反応を見せてくれたのかな?」
「にゃー」
「多分、土に埋められているか」
自虐的に微笑んだフィンは黒猫の背を撫でる。
* * *
フィンが独り言を言っていた時、エリアスとリサは帰りの狭い馬車の中で肩をくっ付けながらのんびりと暖かいお茶を飲んでいた。このお茶は馬車に乗る前に近くにあった店で買ったもの。
「水筒持って来て良かったですね」
持参して来た水筒に店のおじさんからお茶を入れて貰い飲むのがここら辺ではスタンダードらしい。しかし、水筒のコップが1つしかないため、エリアス、リサと言う風に交互に飲んでいる。
「リサ」
水筒の蓋を閉めたリサはエリアスに名前を呼ばれた。何事かと思って顔を上げるとエリアスの大きな手がリサの前髪をかき上げ白い肌が露わになる。そして、リサの額に柔らかいものが当たった。
「フィンがしたから」
額に唇を当てたエリアスは拗ねた子供みたいに言い放つ。リサはフィンにされた時よりも今の方がドキドキしていることに気が付く。もちろん、恥ずかしさやら色々なものが込み上げて耳まで赤く染めているが、固まることはなかった。なぜなら普段、見せないような子供っぽいエリアスに可愛いと思ってしまったから。
「エリアスさん、子供みたい」
「僕は大人だよ」
「えー?本当ですか?」
からかうような口調のリサが可愛くてエリアスは笑ってしまった。そんな2人の声は外で馬を操る御者の耳にも聞こえていた。
「(今日のお客様はなかなか熱いお2人ですなぁ)」
雪が降る寒い夕方、馬車の中は暖炉をつけた部屋よりも暑かった。
*キャラクター説明第3弾*
そして、最後の登場人物
【フィン・シェイル・クロッカス】
・こげ茶のローブを着ている
・顔立ちは幼く髪は柔らかい猫っ毛の金髪で目は青色
・エリアスと幼馴染
・薬草店『アメリア』の店主
・昔からいつも、笑顔な幼馴染の別の顔が見たくて今回、リサにちょっかいを出した