1日目・雪の日の訪問者
【プロローグ】
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
リスファリア国の大きな時計塔が夜の10時を指した頃、街にある個人経営の診療所『グローニャ』のドアが勢い良く開かれた。入って来たのは見た目が18歳くらいの黒髪の女の子を抱えた一人の騎士。
「いらっしゃい、こんな夜にどうしましたか」
入って来た2人を迎えたのは『グローニャ』の医師、エリアス・クロリット。長身で整った顔立ちに優しそうなエメラルドグリーンの瞳は明るいサラサラの茶髪に似合っている。
「この子が雪の中で倒れてた」
「とりあえず、そのベッドに寝かしてください」
騎士はエリアスから言われた通り女の子を入り口の近くにあるベッドに寝かす。その間にエリアスは黒いシャツの上から白衣を着て聴診器を首から下げた。
「こんな真冬なのに白いワンピースを着ているなんて寒くはないのかな?」
エリアスは女の子の血の気の無い腕を触り体温を確認する。案の定、女の子の身体は死人のように冷たい。だが、呼吸音は聞こえてくるし、つるぺたな胸を見ると上下に動いているようだから生きてはいる。その2つを確認したエリアスは自分の右手を女の子の額に置く。
すると、僅かに右手の周りが青白く光った。と同時に女の子の冷たい身体が暖かくなる。そう、エリアスは回復系の魔法を使って女の子の体温を戻したのだ。
「エリアスさん、魔法使うならその聴診器はいらなかったんじゃありませんか?」
「雰囲気だよ、雰囲気。この方が医者っぽく見えるだろ」
子供っぽく笑うエリアスに騎士は苦笑する。リスファリア国にはここ『グローニャ』の他にも診療所はあるが、こう言うエリアスのお茶目なところや回復魔法の中でも高度な回復魔法が使えると言うエリアスの診療所『グローニャ』はリスファリア国でとても人気。
但し『グローニャ』は診療所兼エリアスの自宅でもあるため、診療所の奥にあるドアの向こうの部屋にはキッチンやバスタブ、トイレなど生活感あふれる空間となっている。
「むぅ…」
「あっ、起きたみたい。悪いけど騎士君、奥の部屋でホットミルク作ってこの子に渡してくれる?」
「分かりました」
エリアスはベッドの隣にある古びた木製の椅子に座り騎士に色々な頼み事して、部屋の奥に行くのを確認した後、目を覚ました黒髪黒目の女の子に向き直った。女の子はゆっくり上半身を起こすと首を軽く右に向け、エリアスの方を見る。しばらく2人だけの時間が長く続き、他所から見ればまるで恋人同士が見つめあっているようだ。と、ここで騎士が奥の部屋からマグカップに入ったホットミルクを持って来た。
「ありがとうございます」
女の子の声は雛鳥のように高く澄んだ声だった。そして、騎士から貰ったホットミルクに視線を落としてから、顔を上げこれは飲んで良いのかと目線で騎士に訴える。騎士もまた目線だけで『どうぞ』と言う。
「なんだ、この無言の会話」
騎士が渡したホットミルクを女の子が一口飲んだところでエリアスは騎士が女の子を助けたところから今の所まで簡単に説明をした。
「騎士様、助けて頂きありがとうございました」
「いや、別にオレは仕事をしたまでだ。だから、そんなに深々と頭を下げないでくれ」
助けてくれた騎士に女の子は感謝の気持ちを述べる。一つ一つの所作が丁寧なところを見ると育ちは上品だったのかと見受けられた。
「そう言えば、君の名前を聞いていなかったね。僕はエリアス。君の名前は?」
「分からないです」
その答えにエリアスは利き手である右手を顎に掛けて唸る。一方、騎士も驚きの表情で女の子を見ていた。すると、女の子の表情は次第に曇って行き目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「起きてから今までずっと考えて来たけど全然、思い出せなくて、名前もどこから来たのかも、本当に、もう、分からなくて」
女の子の頬に涙が伝う。エリアスは白衣のポケットから青いハンカチを取り出して女の子の涙を優しく拭った。
「詰まる所、記憶喪失だね」
「エリアスさん、あなたの魔法でなんとかできませんか?」
「今からやろうと思ったのに」
涙を拭き終えたエリアスは木製の椅子から立ち上がり ベッドに座る女の子の右隣に腰を下ろす。その距離は肩が触れるほど。エリアスは意識しているのかしていないのか女の子の耳元で低く甘い声で囁く。
「ちょっと痛いけど我慢してね」
心なしか女の子の耳が赤くなっているのは気のせいか。そして、エリアスは女の子の右頬に手を添えしっかりと固定し見つめ合う。今の状態は先ほど見つめあっていた時よりも距離が近い。またも、2人だけの時間を作り出している事に気が付いた騎士はわざと咳払いを一つした。
「騎士君、人の集中力を邪魔しないでくれるかな?魔法って集中力がポイントなんだ」
「そんなに見つめ合うから変な気を起こしたのかと思って心配したんですよ」
どうやらエリアスは魔法を使うのに集中力を集めていただけらしい。その証拠にエリアスの首筋に一筋の汗が流れ落ちていた。一時、邪魔が入ったもののエリアスはまた女の子に向き直り、右手を添えたまま自分の額を女の子の額に合わせる。
「んぅ」
あまりの近さに驚きと何かが込み上げて来た女の子は素早く目を瞑ってしまう。すると、少しだけ体に小さな電流のようなものが流れたのを感じ、思わずエリアスの白衣の裾を掴んでしまった。
「(おいおいおい、エリアスさんよぉ。あんた、さっきからの耳元で囁いたり女の子の目をしっかり見たりする行動は天然なのか策士なのかどっちだよ。そんなに、女の子の顔を赤くして楽しいのかぁ?長年、ここに通ってるけど本当にこの人は天然なのか策士なのか分からん。その前に女の子と近過ぎだろ。見せつけてくれるな、おい!離れろ離れろ。ってオレは何を考えているんだ)」
と、騎士はエリアスの魔法を見ながらそんな事を思っていた。
* * *
エリアスの魔法で女の子の記憶が戻ったかと思われたが違った。
「うぅ、本当に、まだ何も。ごめんなさい、せっかく治療して下さったのに、何も思い出せなくて」
「大丈夫、僕の力不足だから。むしろ、謝るのは僕のほうだよ。ごめんね」
回復魔法の中の高度な技術を使うエリアスでも記憶喪失の子から記憶を呼び戻すことは初めての出来事であり、いくらエリアスが有能だからと言ってなんでも、治療できるとは限らないのだ。これまでも、そんな場面が多々あった。例を上げるならば、切られた傷口は塞げるが無くした足を再現するのは出来ない。
「さて、これからどうするかが問題だ」
「名前が分からない以上、親族を探すのにも苦労するだろう」
「騎士君、似顔絵は?街で一番絵が上手い人に頼んで描いて貰ってそれを街中の壁に貼るとか。国を守る騎士なんだからそれくらいは出来るんじゃない?一応、僕も診療所に来た患者に聞いてみるけど」
「その線もありだな」
そして、次の問題は女の子をどうするかだ。記憶喪失の女の子をこのまま、はいさようならと言う訳にはいかない。と、ここでエリアスは一つ提案をした。
「じゃぁ、記憶が戻るまでか君の家族が見つかるまでここにいたらどうだい?」
「えっ、良いのですか?」
「もちろん。衣食住は僕がなんとかするからさ。でも、その代わり仕事を少し手伝ってくれないかな?本当に簡単なものだけだから」
「はいっ!」
こうして、粗方女の子の問題は解決した。しかし、エリアスと騎士は重大な問題を忘れていたことに気が付いた。それは、女の子の名前だ。
「雪の日に倒れていたから『ユキ』とか」
「騎士君のネーミングセンスは安直過ぎるよ。その前に僕たちが決めちゃダメだろ」
エリアスは女の子に自分が何と名乗りたいか聞いた。しかし、そんな簡単に名前は浮かばない。すると、女の子の助け舟としてエリアスが口を開く。
「それなら『リサ』は?」
「なんでリサなんですか?」
「ほら、こう全体的にリサって感じがしない?」
「エリアスさんのネーミングセンスも酷いですよ」
じと目でエリアス見る騎士と困り顔のエリアス。その様子を見ていた女の子はどうして良いのか分からずオロオロしているばかりだった。そして、最終的に女の子の名前は。
「リサでお願いします」
女の子ことリサが決めたのである。
*キャラクター説明*
【エリアス・クロリット】
・大体、23歳かな
・長身で整った顔立ち
・優しそうなエメラルドグリーンの瞳
・明るいサラサラの茶髪
・診療所『グローニャ』を一人で経営する
・医療魔法、とにかく回復系の魔法のスペシャリスト
【リサ】主人公
・見た目は18歳くらい
・黒目で黒髪、長さは肩甲骨くらいまで
・身長はエリアスよりも低ければ良し!
・声が澄んでいて綺麗