ブルダリアス長官の勝利
「ア――ハハハッ」
第二旅団の執務室で一人書類仕事をしていたルクレティアが声をあげて笑う。
「もぉ、笑わないでくださいよ」
その笑いを浴びてバツが悪そうにクーシェが抗議する。その手にはモップ。少し離れたところには掃除用のバケツ。ただいま掃除の真っ最中である。理由はもちろん――、
「ゴメンゴメン。で、報告を怠った罰として始末書と執務室の掃除ってわけね」
目尻の涙をぬぐいながらそう言い、ルクレティアははす向かいに座るスカーレットに意味ありげな視線を向ける。
「何よ?」
「いやぁ~ローズや大佐に黙っといてあげるなんてやさしいなあ~って」
「この程度のこと私の権限の範囲だもの。ちゃんと罰も与えたし、ローズや大佐にまで報告する必要はないでしょ」
クーシェには報告を怠った件で罰を与えているにも関わらず、よく言えば寛容に、悪く言えば甘く、ローズとヴァイオレットの耳に入れずに済ませている。その矛盾する行為を自覚してスカーレットもどこか居心地悪そうに答えてから、
「それに今この程度のことで二人の気を煩わせるわけにはいかないでしょ」
旅団長、副団長がともに責を外している理由を思い出させる。
「クロチェスター奪還作戦……か。本当に発令されると思う?」
現在、西方軍内部で紛擾している問題。そして、今後の西方の運命を左右しかねない問題。
「させないためにローズたちが奮闘してるんでしょ」
「でも、ローズや大佐がちょっと抵抗したからって軍令長官の権限と手腕に勝てるの? 現に復興作業切り上げが決定されたからアンタたちが帰ってきたんじゃない」
的を射たルクレティアの反駁にスカーレットは、まあ、そうだけど、と言葉に詰まる。
「アンタはどう思う、モンゴメリー少佐?」
もう一人の歩兵大隊隊長マチルドに意見を求める。
「やはり、准将では正論だけで味方を増やそうとしても難しいのではないかと……」
純粋な実力と人望だけで動かせるほど軍上層は善人ばかりではない。若干十九歳という若輩の、しかも、女。出自も名家の出でもない。名声こそ高いがそれもまだ聞こえて間がなく、市民にはもてはやされるが、上層部には耳障りでしかない。
「ヴィクトール司令も今回は沈黙してるしね」
「でも、なんで司令は動こうとしないんだろ?」
あげつらうように不利な事実を口にしたルクレティア。それに罰掃除に戻っていたクーシェがポツリと疑問を口にした。
「「「……………………」」」
「あ……あの、すいません。邪魔するつもりじゃ……」
三人の唐突な沈黙と向けられる視線にクーシェがアタフタと謝罪するが、
「言われてみれば……そうよね」
指摘を受けてルクレティアが呟く。
「今回の作戦は司令の名誉と信頼を回復したい中央軍上層部の思惑によるものだもの……渦中の中心にいる司令自身がまったく動かないのは変ね。考えられる理由は……ヘタに動くとそれを逆手に取られて事態を悪化させてしまう公算が高い……とかかしら」
どう思う、とルクレティアが再びマチルドに視線を向けて意見を求めるが、マチルドは肩をすくめて考えが及ばないことを示した。
「あるいはヴィクトール様には別の思惑があるのかもしれないわね」
「えっ!? どういうことですか?」
考えようという素振りすらないマチルドの即答に「少しは考えなさいよ」とルクレティアが軽口を叩いた。その声に掻き消されてしまう程度のごくかすかなスカーレットの呟き――注意して聞いていなければ聞き逃してしまうようなそれをクーシェは聞き逃さなかった。
「いや……私たちが呼び戻されたこととか今の状況を見るとクロチェスター奪還作戦は押し切られそうだけど……本当なら軍令長官の権限があれば王都やヴィヴェランから命令するだけでいいんだもの。それをわざわざ西方まで足を運んでいるからにはこの作戦が現実的に難しいってことの証拠じゃない?」
軍令長官は作戦発令に関して元帥である国王に次ぐ権限を持っている。しかし、たとえ国王の命令であろうとそれがあまりに現実的でない場合、現場の司令官は作戦を拒否、あるいは見直しを求めることができる。
「つまり、長官が来なきゃならないような障害があって、それをクリアしない限り作戦は通らないってこと?」
「通せない――といった方が正しいかもしれないけどね」
「なんか知ってるなら勿体つけないで言いなさいよ」
ここにいる顔ぶれでは――いや、ローズとヴァイオレットを含めてもラフレーズ家という家名を持つスカーレットが一番政治的な情報に通じている。
「知らないわよ。着任してからこっち実家とは連絡してないっていうかしてる暇がなかったんだもの。それより貴女こそ実家筋から何か報せはないの?」
「こっちもさっぱり。まあ、最近は実家のコネもなかなか……ね」
スカーレットの問い返しにルクレティアが少し苦い顔で曖昧に答えた。
「ルクレティアさんの実家って何か特別なお家なんですか?」
「何? クーシェ知らなかったの? ルクレティアのファミリーネームは?」
「クラッスラ少佐……クラッスラ?」
知っていて当然と考えたスカーレットがヒントだけ与えるが、クーシェは首を捻ったまま固まってしまった。
「知らなくても無理ないわよ。私の実家はクラッスラ商会って商売人なの。そこそこ手広く商売してて、商業ギルドの中でも……まあ中の上ってとこかしら」
そうだったんですか、とクーシェが驚嘆を漏らす。
「ああ、でも実家筋じゃないけど一つアンタが知らないニュースがあるわよ。この件と関係あるとは思えないけどね」
「どんな?」
「ブルトルマンから、技術文化交流の使節団を相互に派遣しないか、って打診があったのよ。西方だけで決定できる案件じゃないからすぐに中央に回したから西方軍じゃほとんど知られてないわよ」
「ブルトルマンから……」
そう呟くとスカーレットは西側の窓へ視線を向けた。見えるはずのない遠方に思いをはせるように。
「何? マーガレットに会いたくなった?」
からかうようなルクレティアの問いを、貴女には関係ないでしょ、といなして、
「さ、クーシェそろそろ掃除終わらせないとローズが帰って来るわよ」
時計を指して告げる。
時計の長針と短針が重なろうとしているのを見てクーシェが慌てて掃除を終えて立ち去ろうとドアの前まで移動したそのとき、ドアが蹴破られたような勢いで乱暴に開けられた。ドアの向こうから聞こえた荒々しい足音に気がついたクーシェは、間一髪のところで扉の影になる側に飛び退き隠れた。
「准将、お気持ちはわかりますが、抑えてください。ドアが壊れます」
後から付き従って入ってきたヴァイオレットが諌めるが、彼女の顔も眉間が狭まり、不機嫌なのが表に出ている。
「荒れてるわね、何があったの?」
「年内の作戦発令ゴリ押しに私たちが反対していた理由は知っているな?」
「ええ、もちろん。確か現行の戦力の不足――特にヴィーヴルの数が不足していること。食糧価格の高騰。そして、ワーウルフ、コボルトの性質上冬の戦いは得策ではないこと、だったわよね」
そうだ、と未だ頭に血が昇っている様子のローズは肯定し、
「ところが今日の会議でブルダリアスのヤツ……中央軍から一師団分の戦力を割いて、西方への出向させる手はずを整えたと言ってきたんだ」
「戦力の不足の問題はクリアされちゃった、ということか」
ルクレティアが苦い顔でまとめると、数の上だけです、とヴァイオレットが付け加える。
「兵は数も重要ですが、質も重要。実戦経験などロクにない中央軍の有象無象を加えて頭数だけ満たしても役に立つはずがない。それどころか足手まといになりかねないというのに……」
「元中央軍としては耳が痛いけど……でも残り二つはどうにもならないでしょ?」
食糧価格の高騰はユルレモント地方の田畑が焼かれたことによる流通量の減少とそれに伴う価格高騰を予想した商人たちの囲い込みによるもの。軍や政府が備蓄していた分は被災者支援に放出されて価格高騰を抑えることが難しいのが現状。
そして、ワーウルフ、コボルトの性質を鑑みて冬戦は不利であるということ。イヌの類は多くが寒さに強く、その性質は当然獣人であるワーウルフ、コボルトにも受け継がれている。ただでさえ身体能力で劣るのに冬場ではその差が一層開くことになる。
「それに放っておけば獣人どもは確実に散るんだ。それを待って攻略する――来夏ごろが理想的だ。だというのに……」
「夏が有利っていうのは護送任務で知ってるけど放っておけば獣人たちが散るっていうのはどういうこと?」
「エサの問題でしょ」
スカーレットが口にした疑問にローズ、ヴァイオレットに代わりルクレティアが答えた。
「獣人は知能があるからただの獣と違って文明の利器を活用できる。だけど、その多くは農耕はじめ文明的な営みを自ら行うことはしない。だから、食糧は必然狩りに依ることになる。今はまだ遠征ように運び込んだ兵糧もあるから持ってるんでしょうけど、それが尽きれば狩りだけ。そうなればクロチェスターとその周辺だけでは一万を超える獣人の腹を満たすことはできなくなり末端からエサを求めて離散する」
でしょ? と答え合わせをするようにローズに振る。
「その通りだ。何も敵の有利な時期で、腹を空かせた気の立っているオオカミと戦うメリットなどない」
「しかし、長官は『こちらが攻略に有利になるということはイースウェアにも容易になるということ。国防の観点から見てイースウェアにクロチェスターを奪われる前に奪還しなければならない』と主張しています」
「実際はともかく名目にはなってるわよね」
「それでも私たちが強硬に反対したら西方軍全体の再編までちらつかせてきた。このままでは押し切られるのは確実だ」
これまで西方軍の諸将が作戦に難色を示していたのは――もちろんローズのようにこの作戦の真の目的を見透かし、反対している者もいるが――多くは保身によるものだ。先のブルトルマン遠征に帯同しなかった臆病者の愚将が命を惜しんでのこと。しかし、所詮自分本位の小者連中。自分たちの地位が危うくなれば手のひらを返して賛成するだろう。
「レティ」
少しの沈黙を挟んで頭を冷やし、対策を考えてからローズがルクレティアを呼ぶ。
「クラッスラ商会を通じて西方軍に大規模な軍事作戦の動きがあるという噂を流せるか?」
今回の作戦は国民のヴィクトールに対する信頼と評価を回復することが目的。ならばあえて国民にその作戦の噂を流し、支持するか否か国民に判断を委ねる。分の悪い賭けだが、国民が反対すれば本作戦は目的を失い、強行する意味がなくなる。
そう考えてローズはルクレティアに聞いたが、
「できるけど……いいの?」
「それは止めた方がいいわよ、ローズ」
「准将、私はその案には反対です」
三人が三人難色を示した。
「そんなことすると商業ギルドが今以上食糧を囲って価格の高騰に拍車がかかるわ。それこそ食うに困る市民もでることになるわよ」
「それに言いたくはないけどそういう民意に問うみたいな手法は成功しないわよ。国民は自分の目線でしか物事考えないもの。戦線を押し上げてクレプスケールを以前の安全地帯に戻す、って建て前を信じたらアウトよ。ブルダリアス長官ならそうなるように誘導すると思うわ」
「それに万一作戦を潰せたとしても噂の発信源が准将だとバレたら処罰されることになります。旅団長ともあろう方がその場だけの軽率な策をとらないでいただきたい」
三人からタコ殴り的にやり込められてローズがムッツリ押し黙る。
「そうだな……軽率な案だった。今のは忘れてくれ。みんな何かいい案があったら教えてくれ」
しかし、まだ未熟なローズたちだけで、ブルダリアス長官の手腕に勝てるはずもなく、三日後クロチェスター奪還作戦の年内決行が決定された。




