お説教
ユルレモント地方の復興に駆り出されていた第二旅団の歩兵部隊に帰還命令が下り、スカーレットとエバーは約三か月、クーシェは約二か月ぶりにクレプスケール郊外のローズの屋敷に戻ってきた。
久しぶりの我が家。一息入れる目的でクーシェが紅茶を淹れて運んできた。軍で飲めるただただ苦いだけの眠気覚ましのための粗悪品のコーヒーとは違う。舌の肥えたスカーレットがこだわりを持って購入した一級品だ。
「ごめんねぇ~、貴女も疲れてるでしょうに」
長椅子にぐったりと横たわったままスカーレット申し訳なさそうに謝る。
第二旅団――中でもイースウェア軍との戦いで壊滅的打撃を受けた歩兵部隊は訓練不足が著しい。そこでスカーレットは復興支援からの撤収を有効活用すべく、指揮下の歩兵大隊の訓練も兼ねて迅速な撤退を想定した行軍を行った。その結果、帰路は強行軍となり、ごっそりと将兵の体力を削り取った。兵の前では気を張っていたスカーレットも家に帰って来て緊張の糸が切れた途端、居間の長椅子に倒れ込んでしまったのだ。
「いえ、平気です。好きでやってることですし。それよりスカーレットさん着替えてきた方がいいんじゃないですか?」
長椅子の上で身悶え「んん~今動きたくない」と遊び疲れた子どもの駄々のように答える。
「寝ないでくださいよ。みなさん来る頃に合わせて夕飯にしますから」
たしなめながらスカーレットの目の前に淹れたての紅茶を置く。
「ありがとー」
のっそりとした動作で起き上がりながらも、左手でソーサーごとティーカップを膝元まで運び、そこから右手でカップを口元へと運ぶ一連の所作は気品が漂う。
「んん~~~美味しい!」
久々の味をかみしめ、スカーレットが快感に身を震わせる。
「上手く淹れられたみたいでよかった」
「文句なしよ。ラフレーズ家の使用人だってこんなにうまく淹れられるの数人しかいないわ。クーシェ、貴女料理も上手だし、気が利くし、きっといいお嫁さんになるわよ」
スカーレットが年頃の娘に対する褒め言葉の常套句として何気なく口にした一言。復興支援に派遣される前なら「からかわないでくださいよ」と軽く流していたはずの一言でクーシェの動きが止まる。クーシェの顔がその髪のように真っ赤に染まり、次いで熱くなった顔を冷ますかのように小さくかぶりを振る。
「? どうかした?」
「いっいえ、なんでも……」
「ないことないよねぇ~~~クゥ~~~」
シラを切ろうとしたクーシェに背後から自室で着替えを済ませてきたエバーが飛びつき、聞いているだけでイラッとするほど甘ったるい猫なで声で遮った。
「その呼び方止めてって何度言ったらわかる?」
肩にあごを乗せるエバーを睨みつける。
幼いころにはクーやクーちゃんという愛称で呼ばれていた時期もあったが、成長するにつれやたら幼く聞こえるその呼び名をクーシェは嫌いになった。士官学校で出会ったエバーも最初そう呼んできたので止めるように言った。エバーも普段は守っているのだが、クーシェを弄るときだけはこの呼び方を使う。
「あっれぇ~~~話そらすのぉ?」
「そらしてない。それにその鬱陶しいしゃべり方も止めて」
「じゃあ、止めるから教えてよ」
エバーがガラッと口調だけ普段のものに戻した。
しかし、その目は明らかにいつもとは違うままだ。嗜虐的な、それでいて好物の菓子類を目の前にした乙女のような、獲物を射程に捉えた獣のような、そんな輝きが宿った目。
「何を?」
思わず一歩下がって距離をとりたくなったクーシェだが、エバーがガッシリと抱き着いているので距離はとれない。かと言って今ここで無理矢理振り払うのはなんとなく負けを認めるような気がしたのでできるだけ平静を装い、素知らぬ顔で問い返した。
「今思い浮かべた誰かさんのこ・と」
「別に誰も思い浮かべたりしてない。アンタじゃあるまいし……私は王子様夢見て妄想するほど想像力逞しくない」
とシラを切るだけで止めておけばよかったのに、普段色恋沙汰に夢ばかり見ている親友にこの手のことでからかわれるのに慣れてないクーシェは反撃のつもりで切り返した。しかし、
「ふ~~~ん」
クーシェの発言が気に障ったのだろう。先ほどよりも眼光は嗜虐の色を濃くなり、声音のトーンは感情を押し殺したような平坦なものへと変わった。
「じゃあ、派遣先の村で彼氏ができたって噂は私の聞き間違いかなぁ?」
エバーが切ったカードにクーシェが固まり、紅茶を飲みながら傍観していたスカーレットが「ホント!?」と声をあげ、好奇に目を輝かせる。
「何のこと?」
エバーが本当に何か話を聞いているとは限らない。エバーとは士官学校入学以来ほとんどの時間を一緒に過ごしている。今までなら軽く流していたような他意の無いセリフに過剰反応したことを怪しんだとしたら、もっとも怪しいのはお互い別行動して同行のわからなかった直近数か月。何も知らなくともこの程度の鎌をかけはできる。
と、考えたクーシェはやや声を上ずらせながらもシラを切った。が――、
「輜重部隊のヤツから聞いたよぉ。夜中天幕抜け出して村の男の子と逢引きしてたとか、一緒に水浴びしたとか、別れ際にプレゼントもらったとか……」
「一緒に水浴びなんかしてない!」
でっち上げもはなはだしい噂にクーシェは思わず声をあげてしまった。
しまった、と思っても一度出た言葉は口に戻ってはくれない。エバーは、してやったり、と悦にいった笑みを浮かべ、スカーレットも先ほどまでの眠気はどこへやらすっかり冴えた目でクーシェを見つめている。
「ってことは逢引きはしたんだ?」
また甘ったるい声音に戻してエバーが訊く。
「…………会って話したのは本当…………だけど、ただ就寝までの少しの時間でちょっと立ち話したくらいで……別に抜け出したわけでもないし、逢引きなんかじゃ……」
ここまでボロを出してはシラを切っても意味がない、と観念してクーシェが白状する。
「じゃあ、プレゼントは?」
「別にプレゼントじゃ……ただちょうどリエット作ったからってくれただけ」
へえ、とスカーレットが感心したように声をあげた。
「ねえ、馴れ初めは? どうして仲良くなったの?」
「えっ……いや、それは……」
エバーに聞かれてクーシェがスカーレットへ目を走らせる。
「私も聞きたいわね」
現場復帰はまだ早いのではないかと気遣ってくれたローズ、ヴァイオレット、それにスカーレット、主治医のラサンテ大尉の四人には足場から落ちた話を聞かせるわけにはいかない。まして、現在直属上官であるスカーレットに現場指揮官の負傷を報告せず、口止めしたことを話せるわけがない。
「いいじゃない減るもんじゃないし」
とスカーレットが押してくる。
しかし、話したら減る。きっと減る。評価と信頼、それともしかしたら給料が。と心の中で反駁しつつ逃げ道を模索し、
「あっ! 夕飯の支度もありますし、またの機会ってことで……」
「ここまで話しておあずけはないでしょ! 夕飯の支度ならアタシたちも手伝うからさ」
クーシェに抱き着くエバーが回した腕でガッチリとホールドして放さない。
(余計なこと言うな! ってゆーかアンタとスカーレットさんじゃ手伝いじゃなくて邪魔だっての!!)
怒りを込めた視線で放せと訴えるが、伝わっていないのか、無視しているのか、まったく放そうとしない。スカーレットも立ち上がり肩を抑えて座るように誘導する。
逃げ道はない、と悟ったクーシェは諦念の息を吐き、出会った経緯を話して聞かせた。
「えーっ、そんだけぇ?」
話し終えるなりエバーがつまらなそうに顔をしかめ、不満の声を上げた。
「うっさい! なんか文句あんの!?」
「別に文句ってわけじゃないけどさあ。もったいぶるからなんかもっとこう――落ちたアンタを助けようとして男の方がケガしちゃって、それを看護していく中で恋心が芽生える、みたいなドラマチックな出会いとか、甘いセリフで告白とか、そんなの期待してたのに……なんかガッカリっていうか、サッパリっていうか……どこで好きになったのかもわかんないし。ねえ、スカーレットさんもそう思うでしょ?」
しかし、同意を求められたスカーレットはおかんむりの様子だ。
「クーシェ」
「……はい」
「貴女、足場から落ちたって言ったけどそんな報告私受けてないのよね。ヒラ隊員ならともかく隊長なら報告があってしかるべきだと思うんだけど……これは連絡ミスかしら?」
「…………いいえ、私が口止めしました」
「理由は――聞くまでもないわね。足が原因で落ちたのね?」
「……半分は」
貴女ねえ、とスカーレットが深く息を吐く。
「無理して現場復帰した手前知られたくなかったんでしょうけど……一歩間違えば大ケガしてたってことわかってる? それに今回はただの工事作業だからまだよかったけど、広く展開するような作戦で現場指揮官が情報を上げなかったらそこから破綻することだってあるのよ」
縮こまりながらクーシェは「はい」と答えたが、
「でも……あの……ロー姉には内緒に……してもらえませんか?」
「まったくわかってない! そういえば、貴女前の任務でエローを勝手に連れてきたことをエバーが話そうとしたときも止めようとしたわよね? 貴女のその都合の悪いことを隠そうとするクセは直しなさい。じゃないと……」
直属上官らしくスカーレットクーシェに説教する。
その居間の扉の向こう側では説教者の役回りをスカーレットとられたローズが壁に背を預けて立ち聞きしていた。
(今夜にでも問い詰めようと思っていたんだが……)
室内でスカーレットが説教している声を聞く限り、言うべきことはほとんど言われている。むしろ、ミエルの件を打ち明けたときことは知らなかったので、それを踏まえて説教している分想定していた以上といえる。一度叱られたクーシェを二重に責める必要もないだろう、とローズは結論付けた。




