クーシェの恋
何事も初めの緊張している内より慣れてきて緊張が解けはじめたころが一番ミスや事故が起こりやすいというけど私の場合もそうだった。
ようやくギプスがとれて、すぐさま復興支援に従事している現地部隊に合流し、任せられた小隊を先任の曹長から引き継いで三日目。緊張から気を張っていた一日目と二日目を何事もなく乗り越えての三日目だった。
クレプスケールから一度総指揮を執っているユルレモントを経由してここまでの移動と前二日間の緊張と作業。二か月近くも松葉杖でロクに動けず、体力の落ちていた身体には結構な負担だった。そのためだろう、今日は朝からなんとなく怠かった。しかし、なんとなく怠い程度で指揮官が休むわけにはいかない。まして心配してくれる周りの声を押し切って復帰した手前休めるはずがない。
「具合でも悪いのかい、少尉殿」
昼食休憩のとき、副隊長のブーシェ曹長が気づかわしげに声をかけてきた。私の着任まで小隊を指揮し、今は右も左もわからない私を補佐してくれているベテラン曹長だ。
「えっ、なんでです?」
「だって全然食ってねえじゃねか」
「ちゃんと食べてますよ、ホラ」
そういってスープの入っていた木製のボウルを傾け、カラになっていることを示す。昼食は豆類を煮込んだスープとパン。保存がきくように水分を飛ばした固いパンをスープにつけて柔らかくして食べる。もちろん、パンも食べ終えている。大の男にとっては労働の後の食事として少々物足りないが、女ならば少なすぎるというほどでもない。
「でも、昨日はもっと食ってただろ」
一杯の量が限られている分(限度はあるが)おかわりはできる。たしかに私は昨日一昨日ともに二、三回おかわりしていた。
「それになんか元気ねえみたいだし、ほんとに大丈夫か?」
さすがベテランは違うな、と感心してしまう。曹長はたしか年齢はティリアン大佐よりも上というベテランだ。見た目は一言で言って荒くれ者で、何も知らず街で見かけたら関わり合いになりたくないほどだが、そんな荒っぽそうな見た目に反してよく見ている。
「ちょっと疲れちゃったかな。でも、大丈夫ですから」
小さくガッツポーズして強がって見せる。が、実際は大丈夫じゃなかった。怠さはひどくなる一方だし、なまりきった上ロクなリハビリもしなかった脚は蓄積した疲労に膝が笑い、わずかな痛みまであった。
それでもどうにか夕方まで作業を続け、無事一日を終えようとしたときだった。
「あっ……」
屋根葺きの作業中、ほんの少し立ち位置を変えようと立ち上がった。それがまずかった。長時間同じ姿勢をしていたところに急に体勢を変えた所為で立ちくらみを起こした。それでも足が万全ならバランスを保てたと思うが、ここにきてリハビリをしなかったツケを払う羽目になってしまった。グラリと傾く視界。二階以上の高さから落ちることに対する恐怖や焦燥はなかった。ただ、やっちゃった、とは思ったがそれも後悔というほどではなく、むしろ呆然として心は妙に静かで落ち着いていた。
最初に気がついたのが鼻を擽るいい香りだったあたりは私らしいと思う。すると、空腹を思い出し、そのまま食欲に釣られるようにして意識が覚醒した。
まず、視界に映る天井を見てここが自分たちの天幕でないことを漠然と認識した。次に思ったのは、ここがどこか、ではなく、なんで天幕以外の場所で寝ているんだろう、という疑問。霞のかかった頭ではその理由に思い至れるはずもなく、私は何とはなしに起き上がろうとしたが――、
「――――ッッッッッッッ!!」
右手をベッドについた瞬間、電撃が奔ったような痛みが駆け上がり、反射的に右手を抱くように引っ込めた。しかし、体重の何割かを預けていた右手を引っ込めれば当然バランスを崩す。受け身をとれるほどの時間もなく、右手を抱えていたため手をつくこともできず、もろに床に転げ落ちた。
腕と背中それに頭も強かに打って悶絶する。ドアの向こうから誰かが「何の音?」と問い、別の誰かが「ボクが見て来るよ」と答える声が聞こえ、人の足音が近づいてきた。
「やっぱりキミか」
ドアを開けて姿を現したのは同じくらいの年ごろの青年だった。彼は一度振り返り、気がついたよ、と誰かに向かって叫んでから部屋に入ってきた。
「まだ無理しない方がいいよ」
彼はつかつかと歩み寄るとそういって私を抱き上げてベッドへ戻してくれた。
そのとき、私を抱き上げる彼の手の感触が直に背中に触れていることに気がついた。彼の腕から降ろされるや否や痛まない左手で肌かけを引き寄せて胸元を隠す。寝ぼけていて気がつかなかったが、寝ている間に軍服を脱がされ上半身は下着姿になっていた。
「ああ、心配しなくていいよ。怪しい者じゃない、ボクはエミール。キミ作業中に足場から落ちたってウチに運び込まれたんだ。覚えてない?」
状況を理解できない私が警戒心を抱いたことを察したのだろう。エミールと名乗った青年は自己紹介と状況説明をしてくれた。
「あ……」
説明されてようやく足場から落ちたことを思い出した。
「村には衛生兵は来てないし、今日は輜重部隊も来てないから馬車で街まで運ぶってわけにもいかなかったらしくてね。手当するにも寝泊りするためだけの天幕じゃそれもおぼつかないってことでウチに運び込んだってわけ」
サイドテーブルの水差しから水を注いで差し出しながら説明をつけ加える。
「アナタの家医者なの?」
「いや、フツーの農家。単にキミが落ちた現場から一番近くて、ついでにケガ人寝かせるベッドがあったのが家ってだけ」
イースウェア軍が火を放ったのは挑発のためだった。だから、いちいち住民も避難を終えてもぬけの殻となった家一軒一軒に火をつけて回ったわけではなかったから、村の中すべての家が焼けたわけではなく、中には延焼を免れた家もあった。おそらくそのどれかに運び込まれたのだろう、と受け取った水で喉を潤しつつ納得した。
「ご迷惑をおかけしました」
無関係な他人の家に厄介になっていることを謝罪して、ベッドの足元に置かれていた上着へと手を延ばす。
「ちょっと何してんの!?」
「気がついたんだから天幕に戻る」
「無理しないほうがいいって! キミ頭打って何時間も気失ってたんだよ!?」
「他人の家に迷惑かけたくないから」
「ウチなら気にしなくていいから。ベッドと部屋貸してるだけし」
私から強引に上着を奪い取ってエミールはそういった。しかし、彼の家は決して大きくない普通の民家だ。人に貸せるほどいくつも部屋があるわけがない。おそらく誰かのベッドを占領してしまっているはずだ。
「返して!」
「ダメ。返したら無理するだろ?」
「返してったらッ!!」
そんな言い合いを、コホン、という咳ばらいが遮った。
「違うんです、これは……」
二人だけの室内で年頃の男と女。もっともここまでならエミールは家主の家族なのだから問題はないが、女の方が半裸で、しかも、その服を男の方が手にし、女が返してと騒いでいれば男が不利になる。エミールが慌てて釈明しようとするのも当然だ。
「あーわかってる、わかってる。具合いは……聞くまでもなさそうですな、少尉殿」
慌てるエミールを軽くあしらい私に向けて尋ねてきた。
昼間、具合が悪いのではないかと気づかってくれたとき、隠して無理をした挙句がこの結果だけにバツが悪い。立っているのがティリアン大佐だったら顔を見ることもできなかったに違いない。しかし、年上でも相手が階級の上は部下で、気さくな人柄だと知っているからちゃんと向き合うことができた。
「あの…………他に誰か……」
巻き込んだりしませんでしたか、と訊くつもりだったのに、答えを聞くのが怖くて最後まで言い切れなかった。しかし、曹長はそれを察して笑い飛ばした。
「真っ先に他人の心配かぁ? ったく、他人のことより自分の心配しな。お前さん頭打ったんだ。こっちはこの四、五時間気も冷やしっぱなしだったってのに」
「…………ご心配……おかけしました」
曹長は、まったくだ、と大仰に頷き、
「わかったら明日ちゃんと衛生兵に診てもらえよ」
「えっ!?」
「えっ、じゃない! 頭の打撲ってのはいったん平気そうに見えても後でぶっ倒れることもあんだ。今なんともないからって油断していいもんじゃねえぞ。ちょうど明日は輜重部隊が資材を届けに来る。連中に馬車で街まで乗せてってもらいな」
「だっ大丈夫ですッ!」
「だから大丈夫でも念のため見てもらいな」
「で、でも……」
「部隊のことならオレに任せな。一日二日くらい少尉がいなくてもアイツらを怠けさせたりはしねえから安心しな」
たぶん懸念を取り払うつもりで曹長が口にした言葉が逆に私の躊躇いを大きくした。
曹長はベテランで、新米の私なんかよりもずっとうまく皆をまとめられるだろうし、事実私の着任までは部隊をとりまとめ指揮していた。しかし、だからこそ、私がいなくても問題がない、心配する必要がないという曹長の言葉に、自分が役に立っていない、という現実を突きつけられたように感じた。
そして、おそらくそれは事実だ。曹長が指揮していた間はケガ人など出さず順調に作業を進めていたのだ。それが私に替わった途端ケガ人が出て、しかもそれが隊長本人。部隊のみんなに心配をかけ、近隣住民の家を借りて治療を受けてと迷惑をかけっぱなし。これでは役立たずどころか足手まといだ。
「あ……あのぉ私……ティリアン大佐やラフレーズ大隊長、ラサンテ少佐……それにラズワルド将軍にも『まだ無理するな』って言われたのを……それを押し切って現場復帰したんです。……だから…………その……」
「無理して現場復帰した手前上に知られたくないってか?」
みなまで言い終える前の言葉を曹長が補完し、私はただ頷く。
今ならまだ負傷の件はこの村の村人と小隊しか知らない。しかし、輜重部隊の馬車で移動すれば輜重部隊に知られてしまう。それにちゃんと診てもらうためには、未だに避難している住民が多い現状から考えて衛生部隊が駐留している街にいくことになるだろう。どちらにせよ確実に上に報告が行くことになる。
「だがなぁもし後でなんかあったら……」
「だから大丈夫ですって! それにどうせ見た目に無い頭のケガなんて診てもらっても軍医じゃどうにもなりませんって。魔法療法でもなきゃ治りませんよ」
ブルーな空気にほだされかける曹長にもうひと押しを加えると、曹長はガリガリと頭を掻いてから大きく諦念の息を吐いた。
「……わぁったよ。少尉自身以外は被害ねぇからな。すっ転んだのと同じだと思ってやるよ。……だが、代わりに明日一日は安静にしてろ。ここの主にはオレから頼んでおく。いいな!」
「ありがとうございます!」
破顔して頭を下げると頭を掻き「ったく無理する嬢ちゃんだ」などとブツブツつぶやきながら部屋を後にした。曹長の重量感のある足音が十分遠退いてから、
「さあ、それ返して」
扉の脇で私の上着を抱えたままなりゆきを見守っていたエミールに返却を要求した。
翌朝、私はニワトリの鳴き声――ではなく、グルルルルゥという虫の音で目を覚ました。
「お腹減ったなぁ~」
一晩しっかり寝たおかげで怠さが拭い去られればいつも通りの食欲が戻ってきた。昨日は食欲がなく朝昼ともに普段からみればわずかしか食べられなかった。その上、気を失っていて夕飯も抜き。大食漢の私にとってはかなり辛い。
「ご飯どうしよう」
多くの村や町で田畑と家が焼かれた。家も田畑もなければ当然蓄えなどあるはずもない。そこで軍と政府が協力して食糧支援も行っている。避難民の多い街では輜重部隊の炊き出し係が軍民すべての炊き出しを行っている。しかし、ここのような小さい村では建設支援に派遣された部隊は自分たちの分だけまかない、村民は輜重部隊が資材と一緒に運んでくる食糧配給を受けている。
つまり、早い話がこの家に私の分の食糧はない。仮にあったとしてもそこまで迷惑をかけるわけにはいかない。食事だけは仲間の天幕に戻って摂る必要がある。もしかしたら、曹長が誰かに届けさせてくれるかもしれないが、これ以上余計な手間はかけさせたくない。
そこまで考えて天幕に戻る準備を始めた。少しでも動かすと痛む右手をなんとか上着の袖に通し、頭を入れたとき、
「起きてる、少尉さん?」
ノックもなしに入ってきたエミールの声に思わず凍りつく。住人たちがすでに起きていることはドア越しに伝わって来る気配で察していたが、その所為でドアに近づく気配が紛れてしまった。
「――ッ」
急いで服から頭を出し、残った左手を通す。
「朝食持ってきたよ」
そういってウェイターのように片手で掲げ持つトレイをクイッと上下させて示す。
(ちょっ! その前に言うことあるでしょ!?)
故意でないにしろ年頃の女の子の着替え中に部屋に入って来て、目撃してしまったのだ謝罪の一つくらいするべきではないか。それがないばかりか目のやり場に困る素振りすらないとは……気にしているこっちがバカみたいではないか。
しかし、その憤りを口にするのは躊躇われた。なにしろ、こっちはベッドを借りている身。ただでさえ迷惑をかけているのにその上食事まで用意してくれた相手にそのくらいのことで文句など言えるはずがない。
「いや、そこまでお世話になるわけには……」
現在多くの市民の食糧は配給頼みなので家族の分しかない。家族の食糧を割いてくれたのだとしら申し訳ないどころの話ではない。恥ずかしさと憤りに理性で蓋をして遠慮したが、
グゥゥゥー
食欲が直接上げた声は理性では抑えられなかった。あまりのタイミングにエミールが声をあげて笑う。
「大丈夫! 天幕行って食べてくるから!!」
「まあ、昼からはそうして朝食は食べてよ。せっかく作ったんだからさ」
そういって足止めも兼ねてか私の膝にトレイを下ろす。
乗せられているのはビスコット、たっぷりのジャム、ヨーグルト、それに朝食にはめずらしくポタージュ。トロリとした黄色と香りから察するにカボチャのピュレだろう。レストランなどならよく見かける料理だが、家庭料理で朝からとなるとあまりやらない。しかも、見たところ手間を惜しまずしっかりと裏ごししている。
湯気と一緒に立ち昇るほのかに甘い香りに誘われてスープカップを口へと運ぶ。
「……おいしい!」
深い旨みはしっかりとしたブイヨンを使っているはず。しかし、
「これ……ちゃんとブイヨンとったの?」
この旨みはブイヨンをちゃんととっていなければ出せない。しかし、配給で食糧を賄っている現状いくら農村でも食糧は豊富とはいえない。その上、復興で忙しい最中数時間かかる手間をかけたとは思えなかった。
「あ、わかるんだ。でも、残念違うよ。そんな手間かけてたら手伝いに帰って来た意味なくなっちゃうしね」
「手伝い? エミールの家じゃないの?」
「正確には両親の家。ボクは三男で上に二人兄がいるからね。家も畑も兄さんたちが継ぐからボクは街に出たんだ。だけど、この辺も戦争の被害受けたって聞いて休暇もらって手伝いにきたんだよ」
まあ、家が無事だってわかってたら来なかったけどね、と付け加えて笑う。
「そっか、私と同じだ」
「キミも?」
「うん、四男四女の一番下。だから家は兄さんたちが継いでたから嫁にいくか街に出るかどうせならって士官学校に入ったの」
畑を継ぐのは基本的に長男長女。下は一緒に暮らして手伝うこともあるが、街に出て手に職つけることも多い。頭のいい子が推薦される宮廷学校はいざ知らず、体力さえ人並みにあれば士官学校は選択肢の一つとして別に珍しいことではない。
「で、これの味の秘密は?」
「ポトフだよ。夕飯のポトフの残りをブイヨンの代わりにしたんだ。豚と鶏の違いはあるけどちょっと薄めればちょうどいいからちょっと残ったのを有効に使えるんだ」
「えっでもそれくらいなら私もやったことあるけどこんなふうには……」
「それにはちょっとコツがあってね。実は……」
それからエミールと料理談義で盛り上がった。とは言っても時間にして三十分に満たない短い間だったが、それでも時間を忘れて話込んだ。
しかし、朝の忙しい時間。そんなにのんびりしていれば当然、
「エミールいつまで話してんだ! 手伝いに行くぞ!!」
童顔で優しい印象のエミールとはあまり似ていない逞しい顔のおじさんがドアの隙間から顔だけ覗かせて怒鳴った。
「怒鳴んなくても聞こえるって!」
「怒られちゃったね」
申し訳なさ半分、おかしさ半分で苦笑するとエミールは笑顔で応じた。
「行かなきゃ。ちゃんと食べてね。あっそうだ。右手、隠さないでちゃんと手当てしなよ」
それからエミールとよく話すようになった。
別にわざわざ会いに行ったわけではない。右手が治るまでの一週間は工事の力には成れなかったので、せめて隊員の食事の支度でも、と炊き出し係を請け負ったところ、エミールが「料理は得意だから」と私を手伝ってくれるようになったのだ。だから、自然と一緒にいる時間も多くなった、ただそれだけ。
「えっエミール料理店で働いてるの!?」
そろそろ右手も痛みが無くなってきたころ、夕食の炊き出しの支度をしながらの雑談でエミールが街では料理店で働いていると白状した。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない。じゃあ、エミール料理人なんだ。通りで料理がうまいと思った」
「料理人じゃないよ。まだ見習い。ずーっと皿洗いと皮むきばっかりで、最近ようやくまかないづくりや下処理させてもらえるようになってきたところ」
「ふーん、エミールの料理美味しいのに……」
大鍋で煮込んでいるポトフを味見しながら呟くと「ありがとう」とエミールはうれしそうに笑った。
エミールの村はたいして広い村ではない。だから、右手が治って一緒に作業することがなくなってもちょくちょく顔を合わせる機会はあった。さすがに話す機会はそう多くなかったが、それでも数日に一回はどちらからともなく話をした。
秋が深まる中復興作業に勤しみながらもそんな穏やかな日々を過ごした。
しかし、私はいつまでも一つの村にいるわけにはいかないし、復興がある程度進めばその必要もなくなる。エミールにしても街での仕事があるのだ。家族の無事を確認し、村が落ち着けば街へ戻らなくてはならない。どちらが先に去るにしてもこの村で一緒に過ごす時間は長くは続かない。
そして、ちょうどこの村で三週間が過ごしたある日の朝。その時がきた。
「撤収命令……ですか?」
資材を運んできた輜重部隊と一緒にやって来た直属上官スカーレットさんからの命令を伝えにきた伝令に聞き返す。
「はい。司令部からの命令は『現状の作業に区切りがつき次第順次クレプスケールへ帰還せよ』なのですが、ラフレーズ少佐はこの機に撤退演習も兼ねたいとのことで、本隊は三日後から撤退をはじめるので、各小隊は送れず合流するように、と。もちろん、作業の都合で足並みを揃えられない場合はそのようにお伝えしますが……」
伝令は言葉を切り、広場から村を見回す。
この村はもうほぼ作業を終えていた。後を村民に任せても問題があるとは言えない。おそらく、命令がなくとも一週間――いや、五日の内には作業を終えて移動することになっただろう。それがほんの少し早まっただけ。
「いえ、大丈夫です。了解しました」
「よろしくお願いします」
まず、隊員を集めて命令と撤収準備に入る旨を伝え、次に村長に会って三日の内に撤収することを断わり、それから残っている作業に戻ったが、
(どーしよっかなぁ)
エミールに別れのあいさつをするか、しないか、そんなことばかり考えていた。いや、正確にいうなら、自分からいくか、彼が来てくれるのを待つか、だ。狭い村だ。村長に撤収することを伝えたのだから今日中にはエミールの耳にも人づてに伝わるだろう。そうなれば私が別れのあいさつをしないつもりでもエミールが来てくれるかもしれない。
(きっと来るよね?)
その日の作業を終え、夕食の頃には、自分からいく、という選択肢はほぼ消えていた。
別に彼からあいさつに来たからどうというわけではないことくらいわかっている。ただ、わざわざ別れのあいさつをしに彼に会いに行くのは躊躇われた。村民の中では親しくなった相手だし、事故のとき世話になったのだからあいさつに行くこと自体は不自然ではないし、行くべきだとも思う。
しかし、怖いのだ。
私から行った結果、あっさりと終わってしまったら、と思うと怖い。彼が名残惜しそうにしてくれればいい。しかし、特に別れを惜しむでもなく、すんなりと受け入れられてしまうのはイヤだ。そんな別れ方をするくらいなら顔を合わせず別れた方がマシだ。お互いに同じようなことを考えた末の結果だと思える分その方がいい。
エミールが来てくれることを期待しながら待った。夕食を終え、当番でもないのに片づけを手伝い、水浴びに誘ってくれた部下の誘いを断って。しかし、結局その日は彼の姿を見ることさえなかった。
(まあ、まだエミールの耳に入ってないだけかもしれないし)
それに第一、今までも毎日顔を合わせていたわけではない。まして、わざわざ会いに来てくれたことは数回だけだ。しかし、言い換えれば、数回は用らしい用もなく会いに来てくれた。ほんの少しの時間益体もない話するためだけに。
だけど、次の日も、その次の日も彼は来なかった。
(なんで来ないの!)
会わないまま別れた方がいいという思う一方で、一行に会いに来ないエミールに苛立ちはじめていた。作業は順調に終わり、明日の朝には撤収し、スカーレットさん率いる本隊と合流するために村を発つことは村中に伝えてある。夜が明ければ小隊長として個人的な時間はとれなくなる。なのに、
(なんでよ! 用もないときは無駄話しに来たクセに)
理不尽な苛立ちを抱えてエミールの家の方を睨み据える。しかし、すでに村のほとんどの家同様にエミールの家からも明かりが消えており輪郭さえもおぼろげだった。
翌朝、私は見送りに来たエミールから彼の修行中の店がクレプスケールにあると聞かされ、落胆と喜びを同時に味わうことになった。
そろそろ花粉症シーズンも終わりなんで5日、10日ペースに戻そうと思います。
しかし、一度ゆっくりペースで慣れちゃうと辛そうだなぁ(不安)




