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ルディア戦記  作者: 足立葵
第四話「地を染める千草の花」
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ローズの頭痛

「おう、こっちじゃ」

 指定された店に入り、待ち合わせの相手を探そうとしたが、店の一番奥の席から相手の方が手を振って所在を示してくれたおかげで手間が省けた。接客のために近寄ってきていた店員もそれを見て事情を察し、会釈だけするとそのまま奥の席に案内してくれた。

「お待たせして申し訳ありません、ドゥムジョ教官」

 遅れたことを教官に謝罪してから席に座る。

「何、気にしとらんよ。ワシと違ってお前さんは忙しいということは承知しとるからな。ところでどうしたんじゃ、その手は?」

 教官が包帯の巻かれた私の手を見て問う。

「ああ、これですか。これは今朝、ショコラに引っ掻かれまして」

「ショコラ? お前さんライオンでも飼い始めたのか?」

 教官の冗談まじりの問いに、まさか、と笑って応じる。もしかしたら、ネコに引っ掻かれたにしては大げさな包帯の巻き方に本当にそう思ったのかもしれないが、ライオンはもちろん、トラもヒョウも飼ってはいない。

「ショコラはスカーレットのヒッポグリフです」

「おお、そうか、奴さんは元近衛じゃからな」

 初代国王が駆ったグリフィン。その血を受け継ぐヒッポグリフはかつては騎士貴族に報奨の一つとして授けられた。貴族制度が廃止された現在でもヒッポグリフたちが住まう森を王家が管理していることから誰にでも手に入るわけではなく、王族、自分たちで繁殖させることに成功した一部の元貴族たち、報奨として下賜された高位の軍人、それと近衛騎士くらいしか事実上所有することができない貴重な獣である。

「しかし、なんでまたお前さんが世話しとるんじゃ?」

「最初は軍の厩に預けようとしたのですが、ショコラはラフレーズ家の厩にいたため軍の厩が気に入らなかったようで……」

 原種のグリフィンほどではないが、ヒッポグリフも気位が高く扱いが難しい。馴らし方が確立される以前は、乗り手の器を示す、とまで言われ、下賜されながらヒッポグリフに乗れなかった貴族もいたほどだという。

「まあ、ヒッポグリフの扱い方を知っとる者は少ないからのう」

 軍で常用する飛竜(ヴィーヴル)とは違い、絶対数の少ないヒッポグリフは士官学校でも取り扱い方を教えない。加えて、数少ない乗り手である元貴族や将軍が栄誉の象徴であるヒッポグリフの世話を他人に任せたりするはずがなく、自宅で世話をすることがほとんどなので軍関係者でさえヒッポグリフの世話の仕方を知る者はほとんどいないのだ。

「それで結局屋敷の厩で世話しているんですが、今スカーレットは復興支援任務で南です。任務の性質上ヒッポグリフは要りませんから私と留守番しているんです」

「なるほど、ご主人様に会えなくて不機嫌なショコラ君に引っ掻かれたというわけか」

 ショコラはオスだったかな? という疑問が頭の片隅に転がったが、些末なことなのでそのまま転がしておき、

「そうかもしれませんが、こっちにいても残業でロクに世話をしなかったスカーレットに代わってこの三か月近く世話をしているのは私だというのに八つ当たりで引っ掻かれては割に合いません」

 ヒラヒラと包帯の巻かれた手を振りながら自虐的に笑ってみせる。

「しかし、その手じゃペン持つのもたいへんじゃろ?」

「ええ、そのせいで執務に手間取って遅れてしまったのですが……レティがいてくれるおかげで何とか支障をきたさない範囲で済みました」

「おお、そういえばクラッスラを傘下に加えたんじゃったな」

 愛称で呼んでしまってから、通じないか、とも思ったが、さすがに自分が散々にしごき倒し、半数以上を落伍させた学年だけに生き残ったメンバーの顔と名前は覚えていたらしく、思い出す素振りすらなく通じた。

「ですが、あまりレティに負担をかけるわけにもいきませんので……できればそろそろ本題に入っていただけませんか」

 声のトーンを落とし、世間話程度の軽い口調から真剣な話に相応しい口調に切り替える。

「おお、そうじゃったそうじゃった。ホレこれじゃ」

 差し出された何も書かれていない茶封筒を受け取る。そのまま開けようとしたが、すんなりとは開かないので裏返すとしっかり封蝋で封がされている。それも私的なものではない。封蝋の印は監査部――それも正式な査定報告書類に押される印が押されていた。

「監査部の人間に頼んだんですか?」

 思わず呆れ声を上げてしまった。

「三人の仕事ぶりを確かめて欲しいというからちゃんと評価できる人物に頼んだんじゃが……なんじゃ、いけなかったか?」

「いえ、いけなくはありませんが……」

 確かにスカーレット、エバーそれに足のケガが治ってから後を追いかけたクーシェの三人の仕事ぶりが気になったので様子を見てきて欲しい、とドゥムジョ教官に頼んだのは私の方だ。しかし、教官は士官学校の仕事で動けなかった。他を当たろうかと思ったのだが、教官が代わりに信用できる人物に頼んでくれるというので任せたのだが、

「私的に様子を見てきて欲しいだけだったので何も監査部に頼まなくても……と」

「じゃが、他人の仕事を評価するとなればやはり監査部の人間が最適じゃろ」

 軍の仕事も前線勤務のように明確な功績があるものばかりではない。むしろ、輜重兵や工兵、衛生兵、その他事務方などの功績がはっきりとしない後方支援の仕事の方が携わる人数は多い。監査部の仕事はそうした仕事に就いている者の仕事を査定し、昇進(場合によっては降格)を決定する判断材料を集めること。

「しかし、お前さんも存外心配性じゃな」

「仕事ぶりを影からコソコソ調べさせるようなマネなどしないでもっと部下を信用しろ、ということですか?」

 おもしろそうに笑うドゥムジョ教官の言葉が、影からコソコソ調べさせた後ろめたさと相まって遠回しな叱責に聞こえたのだが、当の教官は手を振って否定する。

「そんなつもりじゃない。過保護……というのも違うのう。そう……普段子どもに厳しい父親が子どもをちょっと遠くまでおつかいに行かせただけで心配で家の中をウロウロして、挙句様子を見に行こうとしている、という感じか?」

「父親……ですか?」

 わかるような、わからないような微妙な例えだと思ってしまうのはたぶん、親というものをよく知らないから、実感がわかないせいだろう。

「んーわからんか?」

「いえ、おっしゃりたいことはわかった気がします。なんとなくですが」

 とりあえず嫌味ではないということはわかったのでそう答えておく。

 実際、三人のことを信用していないから調べさせたわけではない。復興作業ならば命の危険がある任務ではないし、育てるためには経験を積ませるしかない、と考えて送り出したが、エバーとクーシェはまだまだ新米。スカーレットも事務仕事で馬脚を露したように士官学校を出ていない所為で近衛騎士としての実務経験がないことに関しては二人と大差ない。だから、純粋に心配だっただけなのだ。

 ともあれ予想外に本格的な報告書に目を落とす。

 

 審査報告書

 対象:スカーレット・ラフレーズ少佐

 総評:C+

 大隊長としての監督能力は悪くない。中小隊ごとに町や村に分散し復興作業に当たる監督の難しい状況下にあって小まめに受け持ち地区を巡回し、中小隊の監督を怠らず、着任間もないにも関わらず隊の規律風紀は整っていた。

(中略)

 しかし、現場指揮には改善の余地あり。復興作業における輜重部隊との連携、現場での作業指揮などに手際の悪い点が多々見受けられた。

(中略)

 また、配属間もないためか階級の上下を問わず積極的に部下との交流を図っていたが、その内容に偏向が見られる。具体的には対象が女性士官、兵士に偏り、男性士官、兵士に対しては距離を置いているように見受けられた。それ以外にも普段から男性士官には隔心あるように見て取れた。現状では特に問題視するレベルではないが、これが長期に渡って続くようならば隊内に確執、軋轢を生む原因となる危険性がある。

 

 一枚目を読み終えただけで予想よりもわずかに悪い評価に頭痛がしてくる。

 復興支援――その内容は本来工兵がやるような土木作業である。当然、王宮での警備と王族の警護が主任務である近衛騎士時代にそのような仕事を経験しているはずもないからこの点に関しては予想通り。それでも近衛騎士時代に取った杵柄で隊の手綱を握れているならばあとは慣れの問題であり、時間をかければ何とかなるだろう。

 しかし、最後の問題は予想していなかった。

 考えてみれば当たり前だ。ルディア王室の近衛騎士は花園の守護者フローラルガルディエンヌとも呼ばれる女だけの部隊。士官学校も出ず、近衛騎士が警備を務める王宮にいたスカーレットは男との接点が、ゼロではないにしろ、極めて少なかったということになる。そんなほとんど同性ばかりに囲まれてきた彼女にとって男の方が多い環境は未知の環境、男の部下は扱いのわからない未知の存在なのだろう。

(まあ、露骨に冷淡に接しているわけでないなら問題はないか)

 一抹の不安は感じつつ、オイオイ慣れていくだろう、と楽観視して二枚目、エバーに関する報告書に目を通していく。

 エバーに関しては予想通りだった。指揮内容そのものに問題は見られないものの、ベテラン下士官一人と衝突したそうだ。士官学校で優秀な成績を収めた新米士官は、その自信から現場でも士官学校で習った通りに指揮しようとする。しかし、現場には現場なりのやり方というものがある。ベテラン下士官の中には新米士官に自分たちの現場で培ったやり方に口を出されることを嫌う者もいる。階級は上なれど年下の若造に偉そうに指揮をされるのを嫌う者もいる。そうした下士官と気が強かったり、成績が優秀で自分の指揮に自信のあるの新米士官が衝突するのはよくあるトラブルだ。エバーの性格を考えればこれは十分予想の範囲内。

(この手のトラブルは自分で切り抜けるしかないな)

 クーシェから聞いたノワとのトラブルを考慮すると安心できることではないが、指導する前にまずは自身の力で乗り越えさせる時間を与える方がエバーのためだ。

(さてと、クーシェは……)

 エバーの分を読み終えて三枚目、クーシェに関する報告書に移ったが、

「あの……バカ」

 冒頭数行を読んだ時点で思わず額に手を当て、呻き声をあげてしまった。

「どうかしたのか?」

「…………クーシェが向こうでケガしたそうです」

 クーシェはエバーとは違って一歩引いたところがあるため下士官とのトラブルは起こしていなかった。後から来た新米下士官がでしゃばって下士官の反感を買うどころか、率先して作業し、早々に部隊の面々と打ち解けたらしい。しかし、作業中にバランスを崩して足場から落ちて今度は手を痛めたらしい。

「じっとしているのは性分じゃない、とか言ってすぐに現場復帰したがって……諌めるのも聞かずにギプスがとれるなりロクなリハビリもしないで飛んでいったんですが…………」

 性分じゃない、と言っていたが、もしかしたら周りに置いてかれるような恐怖でもあったのかもしれない。ともかく、骨折で手足を固定すると筋力は低下するし、関節は固くなるから、元通りに動くようにゆっくりと慣らしていくべきなのにクーシェは聞かなかった。

「おまけにここには隊員に口止めしてケガを報告しなかった、ともあります」

「そいつは問題じゃな」

 末端からの報告の正確さは時に作戦の成否につながることもある。ケガの程度で些末な問題と判断して報告しなかったならまだしも、意図的に口止めして報告を上げなかったのは見過ごすことのできない問題だ。

「まったくスカーレットやエバーも順調とは言い難いですし……問題ばかりで頭が痛いです。少なくともクーシェは帰ってきたら少し説教しなければ」

「帰ってきたらと言えば……歩兵部隊を呼び戻すようにと司令が出たそうじゃな」

 何気ない風を装った話題の転換だったが空気が変わった。

「ええ」

「早過ぎやせんかの?」

 戦災で被害を受けた村や町の復興は順調に進んでいる。その大きな力となったのが難民同然となっていたクレプスケールの外の住民たち。復興作業という一時の需要だけではく、イースウェア軍によって壊滅した村への入植できるという希望がその日暮らしを強いられていた壁外からの難民に活力を与えた。

 だから、土木作業が本職ではない歩兵部隊を撤収させても復興に問題はないが、

「ええ」

士官学校(こっち)にも卒業演習を中止して卒業を繰り上げるように通達があった」

「そのようですね」

「来年分の徴兵を前倒して行うという噂があるが知っとるか?」

 他にも軍関係で動きがあるとなると話は変わって来る。

「存じてます」

「ブルダリアス長官がお前さんのところに来たそうじゃな」

「よくご存知で」

「…………ワシは士官学校の一教官じゃ。話してはならんこともあるじゃろうが……」

「長官はヴィクトールに名誉挽回の機会を与えるつもりなんです」

 遠回しに攻めてくる言葉を遮り、早々に答えを告げると教官が意外そうに眼を丸くする。

「教官が直接聞かなかっただけで別に隠すつもりはありませんでしたから。今回のことでヴィクトールに対する評価は下がりました。ヴィクトールを擁立したい長官としてはこのままでは困りますから」

「そのための兵員増強か」

「はい。新年の徴兵と士官学校卒業の前倒しで第一第二旅団を増員、さらに中央からの援軍を加えて数の上では一個師団規模の兵力にして年内には行動に移すつもりだそうです」

「目標はクロチェスター奪還……か?」

 誰にでもわかる簡単な答えが正解であることを首肯して示す。

 今回イースウェア侵攻を許したがヴィクトールの軍内部での評価はそれほど落ちてはいない。むしろ西方軍に限ってはトカゲのしっぽきりをしなかったばかりか留守番組の諸将を庇ったことで信頼が厚くなった。

 しかし、国民の評判は芳しくない。立て続けの西方軍の失態はそれまで期待していたヴィクトールへの落胆へとつながった。

 

『だが、市井の評判などというものは簡単なものだ』

 ブルダリアス長官はそう言った。

『一つの失態で落胆の息を吐くが、一つの手柄に歓声をあげて前の失態などすぐに忘れる』

 あまりに国民を侮った言葉。しかし、反駁したくとも、自分自身がブルトルマン遠征の失敗の直後、国民の不安を中和するために英雄として祭り上げられ、事実国民の目が軍の失態から逸れたところを目の当たりにしているので何も言えなかった。

『ですが、市井の評判など王位継承争いには直接は影響しないのではありませんか? そのような徒労のために国費を費やして大軍を動かす意味はないと思いますが』

『どうやら誤解があるようだな』

『誤解?』

『この作戦は私の一存ではない軍上層部の総意だ』

『総意? 今の兵力ではどれだけいるかもわからない獣人たちを退けてクロチェスターを奪還するなどという無茶な作戦がですか!?』

 何をバカな、という驚きと呆れを隠しもせずに尋ねた。

 一対一では強靭な肉体を持つ獣人の方が強い。現在の西方軍は緊急動員した予備役兵を含めてようやく戦闘兵一万、来年の徴兵分を含めても二万しかない。しかも、貴重な空の戦力ヴィーヴルは不足。仮に同数だとしてもクロチェスター奪還は至難の業。まして、

『それに仮になんらかの策を講じてクロチェスター奪還が成ったとしてもそれを護るには明らかに兵力が足りません』

 クロチェスターは巨大な城塞都市だ。それでも以前ならば一個旅団あれば最低限護りを固めることができたが、獣人が増えた状況ではそれだけではおそらく足りない。今の戦力でクレプスケールを護ることはできるが、橋頭堡として突出しているクロチェスターまで護り切れる保証はない。

『イースウェア軍は今回奇襲による速攻という戦術を採った。しかし、それが失敗したとなると次は堅実な攻略を図ってくるだろう。つまり、以前からの作戦通りクロチェスターを堕とし、足がかりを築いた上での侵攻だ。そうなってはクレプスケールの内側だからとて安心はできん。今回のよう――いや、それ以上に西方の民が苦しむことになるだろうな』

『だから、今多少無理してでもクロチェスターを取り戻すべきだ、と?』

『その通りだ』

 思い通りの方向で私が納得したと思ったブルダリアス長官は満足そうに頷いた。

『バカげています』

 唾棄するように吐きすてたセリフに満足そうな顔色が一気に色あせた。

『ブルトルマン帝国との国交回復のために五年以内にクロチェスターからドライ・ハルス・ヴァハフントブルクまでの地域の獣人掃討に協力してあたることが先の和平で約束されています。仮にクロチェスターをイースウェアに奪われたとしてもブルトルマンと協力して挟撃すれば低リスク低損害で再奪取できるでしょう。兵力不足の今危険を冒す必要はありません』

 ブルダリアス長官の掲げたお題目の穴を指摘し、これで終わりだとそう思った。しかし、

『おや、これは驚いた』

 長官はわざとらしくおどけてみせた。

『しかし、ラズワルド准将、キミは年内のクロチェスター奪還に賛成してくれるよ』

 

「なぜじゃ?」

 ここまでのブルダリアス長官とのやりとりを明かすと、それまで黙って聞いていた教官がはじめて話の腰を折って疑問を口にした。

「教官、子どもは母親の胎内にどのくらいいるか知っていますか?」

命の芽(ゾエラーカノ)の同じと聞くから十月と少しじゃろ。それがどうかしたのか?」

 一見かみ合わない問い返しの意図は教官もまるで見当がつかないらしい。

「長官はこう言ったんです『聞くところによるとキミのかつての――ブルトルマン遠征時の部隊の唯一の生存者はクロチェスターの近くで救助されたそうじゃないか。獣人のオスが人間の女を連れ帰って自らの仔を産ませることは知っているだろう? だとすると、おそらく他の女性兵士も生きてクロチェスターに飼われている。仔を産む前――年内なら彼女たちを助けられるということだ』と」

「……………………」

「まったく頭が痛いです」

 ブルダリアス長官の狡猾さに呆れてしまっているのか、それとも私にかける言葉を思いつかないのか、言葉を失っている教官に笑してみせようとしたが、いいところ失笑にしかならなかった。


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