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ルディア戦記  作者: 足立葵
第二話「閨門の白い木春菊」
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終章

 ルディア王国を経って二十五日、ここブルトルマン帝国の最南端の港街にして軍港都市でもあるホイレーフェンについて七日目のこの日もマーガレットは民間用の港を一望できる宿に留まっていた。

「どうぞ」

 ノックに答えて入室を許すとエバーとクーシェが遅めの朝食を持って入ってきた。

「おはようございます、朝食をお持ちしました」

「ごめんなさいね、アナタたちも疲れてるのに……」

 ヴォルフ元帥の管轄地域であるホイレーフェンならば危険はほぼないし、念のためにモルゲンュテルン元帥が残していってくれた護衛とヴォルフ元帥が派遣してくれた兵が宿の周りを警備してくれている。

 護衛は頼らざるを得ないにしても輿入れを控えた王女の周りに身元の定かでない者を近づけるわけにはいかない。意外と気の利くヴォルフ元帥は女性兵士を選んで派遣してくれたが、マーガレットの身の回りの世話だけは二人が行っていた。

「平気ですよ! 軍人は身体が資本ですから」

「聞こえが悪いし、あんな醜態見せたあとで説得力ないよ」

 ぐっと腕を曲げて力瘤を出すような仕草で強がったエバーにクーシェがツッコむと「だよねぇ~~」と萎びた野菜のようにエバーが萎れる。

「アレはローズが無茶だったのよ! 醜態だなんて思ってないわよ」

 マーガレットのためにラフレーズを救出することを決定したローズだが、そのためにマーガレットを危険に晒すような真似をするはずもなく、ローズはまず最初にマーガレットの安全を確保することにした。

 それまでの旅で手配が回っていないことを薄々感じ、サーヴァケットでわざわざ罠を張っていることを知り、手配が回っていないことを確信したローズはありったけの金を銭荘ギルドから引出し、馬を買ってくると、

『三日でリーファレットまで行くぞ』

 と当たり前のように言ってのけた。サーヴァケットから先の行程を熟知しているマリだけがその一言の恐ろしさを理解し『マジ?』と一歩下がりながら問い返した。そのマリのドン引きした表情はそれだけでマーガレットも頬を引き攣らせるほどだったのだが。ローズは『もちろんだ』と一言で処理した。

 イースウェア公国の行程の中間地点にあたるサーヴァケットまで十日もかかったが、それは歩き旅が中心だったからだ。馬車や馬で進めたなら半分の五日で済んだだろう。残りの行程も同程度なら馬で五日ほどということになる。

 しかし、ローズは、三日で、と言った。二日足りない。

 だが、ローズは涼しい顔で言ってのけた。

『残りの行程普通に進んでも五日で済むんだ。夜通し駆ければ三日もあれば十分だ』

 ローズは簡単に言ってのけたが、夜通し駆けるということは言うほど簡単ではない。まず、馬がいる。馬は確かにほとんど寝ないが、人を乗せたまま歩き続けるとなれば時間も距離もたかが知れる。夜通し進めばすぐに潰れてしまう。

 次に妖魔の危険がある。妖魔は夜こそが本領発揮だ。夜目が効く妖魔に対して人間も馬も暗闇では後れを取ることになる。休息が十分でない馬は気配も目立つし、狙われれば息が上がっているから逃げられない。

 済んでしまったことだから結果を言ってしまえば、リオペルス湖の湖岸に沿って伸びる街道は平坦で馬で進むのも難しくはなかったし、アルコンティアが警戒、護衛してくれるので人里を結ぶ街道に出て来る下級妖魔の脅威もさほどのことはなかったが、

「私もう馬には乗りたくないわ」

 マーガレットが思い出して臀部をさすりながら愚痴る。

 軍人でもないマーガレットには夜通し馬に乗りっぱなしというだけでも相当なダメージだった。しかも、三日目にはついに馬上で眠ってしまったマーガレットが舌を噛むことを案じたローズはマーガレットに口枷を噛ませて、そのまま容赦なく進んだのだ。マーガレットの人生でもっとも恥ずかしい体験となることは間違いない。

「訓練してた私たちでもアレですもん、マーガレットさまはしょうがないですよ」

「ロー姉曰く『昼夜行軍くらい基礎演習』らしいけど……」

 軍人であるエバーとクーシェは士官学校時代に昼夜行軍くらい体験している。しかし、士官学校の演習は牙の城(クロチェスター)黄昏の城(クレプスケール)間で行われる上、街道も整備され、妖魔の危険も少ない、いわばマニュアル状態の訓練なのだ。

「士官学校の昼夜行軍演習の方が百倍楽だったよね」

 エバーとクーシェが目を見合わせて息を吐く。

 マニュアル訓練ではない実際の昼夜行軍ははるかにキツかった。一日中馬に乗り続けるだけでも厳しいのに、馬術達者のローズを夜道で見失わないようについて行かなければならなかった。もちろん任務だから当然なのだが、それ以上に恐怖もあった。アルコンティアは基本ローズの側にいるのでおいて行かれると途端に妖魔に襲われる危険が跳ね上がるのだ。

「ローズってば……ホントに優秀な自分基準で周りに無茶ばっかり要求するんだから」

 しょうがない、と苦笑しながらマーガレットが窓から港を眺める。

 昼過ぎにはリーファレットからの船がつく。

 ローズ一人ならアルコンティアの脚力でその日の内にも会えただろうが、ラフレーズを連れていてはそうもいかないので二人一緒にリーファレットからの船で来るはずだ。

「今日……ですよね」

 天候は悪くない。『一週間以内に必ず追いつく』とローズは言った。

「大丈夫……ローズが口にする無茶って“自分ならできること”だもの」

 マーガレットが頼めばブルトルマン軍から何か情報を聞けるかもしれない。軍は無理でもリーファレットまで迎えに来てくれたモルゲンュテルン元帥は独自の情報網を持っているらしく、『必要ならば貴女の部下に助力しよう』とまで申し出てくれた。しかし、

『私はローズとスカーレットを信頼しています。二人が私の元に戻るだけに貴方の助力など必要ありません!』

 と、マーガレットはモルゲンュテルン元帥の申し出を跳ね除けた。なんであれほど好戦的に拒絶してしまったのかマーガレット自身わからなかった。仇だからか、二人を部下と呼ばれたことに反発したのか、あるいはそのすべてなのか。ともかく、モルゲンュテルン元帥の申し出を跳ね除けてしまった以上、ブルトルマン軍に頼るのも躊躇われる。ただひたすら港を眺めて待つしかない。

 そして、昼過ぎ、予定より少し遅れて入港した船から待ち望んだ二人が降りてきた。

 

 ルディア軍西方司令部。

 黄昏の城(クレプスケール)や門前街の城壁には相応の歩哨が配置されているがさすがに深夜の司令部にはほとんど人気がない。そんな閑散とした司令部の司令官執務室に扉をノックする音がこだました。部屋の主の返事も待たずに扉が開けられる。

「入室を許可した覚えはないぞ」

 執務机に背を向けて、窓を向いていた部屋の主ヴィクトールは振り返りもせずに告げた。

「ならせめてノックに答えてください、兄上」

 暗い室内に射し込む乏しい月明かりが照らし出す第二王子アレクサンドル・ルグリフィスの姿に兄との類似点は皆無に等しい。精悍で逞しい印象を与えるヴィクトールに対して、理知的で根っからの文官肌のアレクサンドルは青白い月明かりの所為で一層優男に見える。

「王太子が直々に西方に来るとは我が国も暇なことだな」

「まさか! 西方視察を兼ねて西方各国からいらっしゃる方々をお迎えにきただけですよ」

 ヴィクトールの皮肉をアレクサンドルはさらりと躱す。

「それで? 一体何のようだ。視察なら夜の司令部まで来ることはあるまい」

「せっかく王都から訪ねてきた弟を避けて屋敷に戻らず司令部に籠もっている兄に会いに来たんですよ」

「別にお前を避けたわけじゃない。ブルトルマン帝国から報せが来てな。その対応に動いていただけだ」

 椅子を回して向き直ったヴィクトールがパサリと書簡を机の上に放り、示す。

「? すでに先日マーガレットは無事ブルトルマン帝国に着いたと報告を受けましたが?」

「マーガレットとラズワルド准将麾下の新米士官二人だけが、な。昨日ラズワルド准将とラフレーズ少佐が無事マーガレットと合流し、今日にもブルートアイゼンに向けて発つ、という報告がラズワルド准将直筆で今朝方届いた」

 卓上に放り出された簡潔な報告書にアレクサンドルが視線を落とす。

「ラズワルド准将の報告によると夕闇の城(ダスクフォート)で早くも正体が露見し、敵の手が伸びてきたということだ。情報漏洩の可能性を懸念して内偵するように、だと」

「西方軍にイースウェアと繋がりを持っている輩がいるということですか!?」

 アレクサンドルの声がわずかに緊張する。

 国境防衛線である西方軍にイースウェア公国と通じている人間がいるとすれば大問題だ。

「今はまだ可能性の一つでしかないな。ちょうど同時期にブルトルマンの方で国務長官が情報を漏らそうとしたかどで捕縛されている。未然に防いだはず、とのことだが、どこかから情報が漏れていたのかもしれない」

 ヴィクトールが告げたもう一つの情報にアレクサンドルが平静を取り戻した落ち着き払った声で斬り込む。

「兄上にも……“ジェスター”にもわからないのですか?」

「お前もしつこいな」

「兄上が叔父上からジェスターを継いだことはわかっています! そうでなくては説明がつかない!!」

 アレクサンドルの言葉にヴィクトールの目つきが険しくなる。

「ジェスターなど知らん。軍諜報部から上がっている報告だ。王太子がそんな都市伝説じみた噂に惑わされるなどどうかしているぞ。それが本題なら帰れ」

 にべもないヴィクトールの言葉にアレクサンドルはしばし沈黙したあと再び口を開いた。

「……叔父上が以前のように動いて下さっていたら私までマーガレットの輿入れをあれほど強く押し進める必要はありませんでした」

「お前は今回の和平が必要なかったと?」

「あまりにも相手が悪いではありませんか!? リスティッヒ失脚で次期皇帝は間違いなくモルゲンュテルンになります。マーガレットにとっては仇も同然の相手ですよ? 私は兄上が反対なさるか、もしくはシャーレイに代えるように働きかけるものとばかり思っていました」

 真剣に訴えるアレクサンドルを、ほう? と面白そうに見つめて、

「ジラルディエール家がマーガレットと長男の婚姻を持ちかけていたと聞いたがお前はどう対処するつもりだったんだ?」

 オーリュトモス家とならぶ貴族復権派の三大家の一つジラルディエール家。そこに王女が嫁げば間違いなく発言力が強まる。

「これまで貴族派と対峙してきたお前がまさかジラルディエール家の権勢を増すような婚姻を許すはずがない。かといって他の有力な貴族に嫁がせるわけにもいかない。例え復権派でなくとも貴族に嫁がせたとなれば身分制度撤廃を形骸化させる危険があるからな。せっかくのお前の努力が無駄になる」

 ヴィクトールの最後の一言でアレクサンドルの眉間にシワが寄る。

「どういう意味です?」

「誤解するな。貴族との政争と言う意味だ、他意はない」

「この国にはマーガレットの居場所はなかった……ということですか? それでは……」

 それではいくらなんでもマーガレットが可哀想ではないか。王都に頻繁に降り、民の声をよく聞き、慕われていた王女を擁護する者がいなかったなど。民の目線に立てる優しい王女がいない方が民のためになるなど。

 という声にならなかったアレクサンドルの言葉をヴィクトールは理解していた。

(マーガレットにはイースウェアの旅路で行方を眩ませるという選択肢もあったんだがな)

 親友ともっとも長く傍に仕えた近衛、たった二人マーガレットに残された居場所を説き伏せるか、泣き落とすかすれば王女としての人生を捨ててどこかに隠れ住むこともできただろう。しかし、マーガレットはそんなことを考えもしなかった。

(王女としての責任感か……あるいは誇りか……)

 王女という嫌が応でも責任と義務が付き纏う身分にはそぐわない妹だと思っていたが、そんなこともなかったのか、とヴィクトールは己の人を見る目がまだまだ未熟だ、と首を振る。

(だが……逃がしてやれたらよかったのかもしれないな)

 本人のためにも、そして、もしかしたらルディア王国のためにも。

「仇にして……恩人…………か」

 小さく、小さくヴィクトールの口からこぼれ落ちた声は静かな夜の司令部にあってもそばに立つアレクサンドルにさえ聞き取れなかった。

 

「ラズワルド准将が私に? いいですよ、そのままお通ししてください」

 ですが、と言いさした副官からツァールトリヒト元帥が視線を切って反論を受け付けないことを示すと副官は仕方なくローズを案内するために踵を返して退室した。しばらくして、副官に案内されて入室してきたローズの視線は鋭く研ぎ澄まされていた。

「長旅お疲れさまでした、ラズワルド准将」

 相変わらず穏やかなツァールトリヒト元帥の微笑みを持ってしてもローズを懐柔できないばかりか、一層視線を険しくするだけだった。

「お聞きしたいことがあります、ツァールトリヒト閣下」

「ええ、機密事項以外ならなんでも答えましょう。まずはおかけください」

そういってローズに応接用のソファーを進め、自分もそちらへ向かいながら副官に「お茶を二つ頼みます」といって副官を追い出し、人払いまで済ませた。

「用件は察しがついてます。リスティッヒ殿の帝位継承権を剥奪するために選帝侯召集できるなら、なぜ最初からそれをしてリスティッヒ殿を取り除こうともせず、マーガレット様にイースウェア公国経由の遠回りかつ危険なルートでの入国をさせたのか、ということでしょう?」

「そこまで私の疑問がわかっているなら説明してください」

 太腿の上で握ったローズの拳にさらに力が加わる。

「護衛団は私とラフレーズ少佐、私の麾下二人、負傷してエルオスバレーに残った三名を除いて全滅しました。五名は獣人の手にかかり、行方の知れない一人もおそらく生きていないでしょう。イースウェアの手に堕ちた十二名の安否はわかりませんが、あの国の捕虜の扱いを考えれば真っ当な扱いを望めるはずもありません。リスティッヒさえ除けていれば、飛竜で直接ブルトルマンに入国できれば彼女たちは死なずに済んだ。彼女たちはイースウェアの手に堕ちることはなかった。これでは彼女たちの犠牲が無駄ではありませんかッ!?」

 ローズは感情を制御して怒鳴ることも声を荒げることもなかったが、それでも最後だけは語気が強くなった。

「まず、これだけは言っておきます。貴女の部下たちの犠牲は無駄ではありません」

 向かい合いう二人の視線が合い、一拍おいてローズが黙って聞く姿勢を示すとツァールトリヒト元帥は続きを話し始めた。

「確かに先頃のマーナガルムの騒乱はリスティッヒ殿に致命的な汚点となりました。誰も選帝侯を動かさなかったのは、不適切な者が帝位に就いたときに選帝侯が異議を唱える、という慣例に縛られていたにすぎません」

「しかし、アナタは慣例であり、動かせないわけではないと知っていた」

 ええ、とツァールトリヒト元帥は短く肯定する。

「ならなぜ、最初からそうしなかったのですか!?」

「こちらから動くわけにはいかなかったからです」

 わずかに怒気が混ざるローズの問いにツァールトリヒト元帥は即答した。

「我が国の帝位継承は禅譲ですが、実力者が簒奪する行為も認められています。リスティッヒ殿ご自身はお世辞にも人望があるとは言えませんが、陛下が進めてきた聖伐に賛成する者は未だ軍部に多くいます。こちらから仕掛けて彼らを実力行使追い込むわけにはいかなかったのです」

 マーガレットの輿入れはリスティッヒ元帥にとっても手に入れることができれば有用なカードだった。だから、網を張って待ち受けるだけに留まっていた。

 しかし、もし早々にツァールトリヒト元帥らの方から聖伐派の筆頭であるリスティッヒ元帥を潰していたら聖伐派はリスティッヒ元帥を担ぎ出して簒奪を目論んだかもしれない。

「そうなれば我が国は内紛になっていたでしょう」

 確かにその可能性はゼロではない。担ぎ出されずともリスティッヒ元帥なら自身の大望のためなら内紛を辞さないかもしれない。何しろ敵軍を根絶やしにするために自国まで危機に陥れるような危険極まりない手法を選んだ男だ。

「ですが、それはリスティッヒ以外が皇帝になった場合も同じなのでは?」

 リスティッヒ元帥以外聖伐を押し進める次期皇帝候補はいない。ならば、結局別の誰かが皇帝になってしまえば結局同じことではないか。

「いいえ、和平派から攻勢に出なければ聖伐派も国力を削る結果を知ってまで内紛を起こして簒奪を企んだりはしません。もっとも、そのためには彼らにもそして私たちにも納得のいく人物が次期皇帝に指名される必要があります」

 双方に納得いく人物。文官は総じて和平派と言える。ツァールトリヒト元帥も。残るは二人の元帥だけ。

「……ヴォルフ元帥か……………………モルゲンュテルン元帥」

「ええ、しかし、ヴォルフ元帥が妖魔討伐に消極的なことは有名ですから聖伐派を納得させようと思ったらやはりモルゲンュテルン元帥しかいないでしょう」

 ヴォルフ元帥はあり得ない。それは夕食会でも聞いた言葉だ。そして、その席でツァールトリヒト元帥自身に帝位に着く可能性はないのかと聞いたとき彼はこう答えた。

『私は自分がモルゲンュテルン元帥ほど帝位に向いているとは思っておりません』

 優れているとは言わなかった。

 いや、むしろ――

「アナタが自ら帝位に着こうとしないのはそのため…………ですか?」

「ラズワルド准将はモルゲンュテルン元帥には?」

 ローズの問いをサラリと流してツァールトリヒト元帥が問う。

「………………リーファレットで一目だけ」

 モルゲンュテルン元帥の顔を見るのはマーガレットにとってもリーファレットがはじめてだったはずだが、やはり顔より名前と許嫁の仇という印象が強く結びついているのだろう。ブルトルマン帝国に入ってからはマーガレットが会いたがらないため顔を合わせる機会は終ぞなかった。

「一目で構いません。その時彼にどのような印象を受けましたか?」

 

 剣のような人。

 それがマーガレットのモルゲンュテルン元帥に対する印象だった。

 鍛えられ、研ぎ澄まされた名剣が美しく輝き人を惹きつけるように彼は耐えられる人にとっては魅力的な存在なのだろう。

 しかし、剣が凶器であることを知り、それに恐れを抱く者にとっては彼は同じ部屋にいることでさえ耐えられないほどの恐怖の権化となる。

「マーガレット殿は私がお嫌いか?」

 帝都ブルートアイゼンに着くなり、マーガレットはローズともラフレーズとも引き離され、次期皇帝の選定のために意見を聞かせて欲しい、と帝位継承権を持つ各高官たちと引き合わされていた。

「……ええ」

 ヘビに睨まれたカエルのように竦みならがも何とか声を上ずらせることなく答えた。

「私がスタリア王族を晒し刑にするよう命じた張本人だからか?」

 この問いにマーガレットは悩んだ。

 ヘンドリックの死は目の前の男の所業だ。そう思えば同じ空気を吸うのすら嫌になる。

「………………それもあります。ですが、それだけではありません」

 しかし、竦んで動けなくなるようなこの空恐ろしさはそれが原因ではない。

「ほう?」

 キラリとモルゲンュテルン元帥の瞳が剣閃のように光り、マーガレットは身震いした。

「私は貴方が恐い。………………決して好きにはなれません」

「フッ……恐い……か」

 モルゲンュテルン元帥が嘲笑する。しかし、その嘲りは相対しただけで怯える小心なマーガレットに対してなのか、恐いと評された自身に対してなのかわからないものだった。

「ならそれは構わない。しかし、帝国のため次期皇帝には私を指名してもらいたい」

「最終的にご決断なさるのは皇帝陛下のはずでは?」

「その通り。しかし、今の国勢、人心を加味すれば陛下といえど強引な後継者指名はできない。貴女が公でツァールトリヒトやゴルトベルガー、ゲープハルトを指名すれば文官たちは多くが賛同するだろうが聖伐派の軍人たちは納得しない。それはリスティッヒを指名しても同じこと。文官武官、和平か武力かその双方が納得できるのは私しかいない」

 一刀両断するように述べた理由は嘘でないことは先に幾人かの候補者にあって話した感触と事前に聞かされたブルトルマン帝国の国勢からマーガレットも理解したが、

「私は私自身の意見を皇帝陛下に奏上します。貴方の意見を加味することはあっても左右されることはありません」

 素直に従わないマーガレットにわずかに渋面を作り、しばし何事か思案した後、モルゲンュテルン元帥が尋ねる。

「恩人の頼みでも、か?」

「恩人? リーファレットまで迎え……」

 迎えに来た程度のことで、と言い返そうとしたマーガレットを、そうではない、とモルゲンュテルン元帥が遮る。

「貴女が今こうして生きているのは私のおかげだということだ」

 どういう意味です? と問い返しながらマーガレットはイースウェア公国の旅路のどこかで彼の助けを借りたということだろうか、と考えていたが、

「十年前、我が帝国が急遽スタリアに侵攻した理由を考えたことはないのか?」

 今度はあきらかにマーガレットを嘲笑いながらヒントを放る。

「……えっ?」

「スタリアは地を良く納め、実りもあるが所詮小国、いつでも落とせた国に不意討ちにも似た不名誉な形で戦端を切った理由を考えたことはないのか?」

 事実として滅ぼされたスタリア王国が侵攻された理由など考えたことはなかったマーガレットは完全にフリーズした。

「貴女とヴィクトール王子がスタリアにいたからだ。ルディア王国を単純な武力で攻略するのは至難の業、そこに国境を接する小国に第一王子と第二王女が滞在しているなどという情報が入れば捕らえて人質にしようと考えてもおかしくはないだろう?」

「………………」

「リスティッヒはまさにそう考えて軍を動かした。しかし、当時ヤツの指揮下にいた私がその情報をルディア側に流したから寸でのところでお前たち兄妹は逃げ延びることができたのだ」

 ほぼ停止したマーガレットの思考に一つだけ考えたくない答えが過ぎる。

(スタリアが……ヘンドリックの国が滅んだのは……私たちが行った所為?)

 戸惑い、凍りついたマーガレットを見てモルゲンュテルン元帥は立ち上がり背後に回ると懐から金属製の首飾りを取りだした。

「本当はユニコーンを従える術を持つという女将軍に使うつもりだったのだがな……お前ごときに使うはめになるとは」

 隷属の首輪スカラヴィア・デスモスは一度主従関係の鎖を結んでしまえば後は装着者自身の魔力によって拘束する。しかし、最初に枷を嵌める瞬間だけはゴールズワージーの魔力に頼っている。故に奴隷商人はサーヴァケットの街中や周辺でしか狩りを行えなかったし、奴隷として売られる者はすべてサーヴァケットの街に枷を嵌めるために連れてこられる。

 しかし、モルゲンュテルン元帥がゴールズワージーから譲り受けた首飾りは一段階開発の進んだ品。ゴールズワージーの魔力がなくとも相手の精神が抵抗できない状態で装着することで発動時の魔力も相手から徴収して隷属魔法を発動する。

「誰を指名するつもりだったか答えろ」

 先ほどまでの素っ気なくともそれなりに丁寧な口ぶりから一変し、命じる。

「……ツ……ツァ……ると……りひと……げん……す……ぃ」

 マーガレットが抵抗しているのかぎこちなく答える。

「帝国に内乱を引き起こしても構わんと言うのか」

 マーガレットの考えを、女がツァールトリヒト元帥の柔和な笑みにほだされただけ、と断じたモルゲンュテルン元帥が吐き捨てる。

「ち……が…………」

「チッ、隷属効果が発揮されるのが遅いと言っていたがこう言うことか……まあいい残り時間で足りるだろう」

 

 翌日、ブルトルマン帝国皇帝と選帝諸侯、帝位継承権保持者六名、その他高官が居並ぶなかでマーガレットが、誰が次期皇帝に相応しいか、問われて告げた名はモルゲンュテルン元帥だった。

 皇帝にしても従順ではなかったが、聖伐に否定的でなく、人望実績ともにあるモルゲンュテルン元帥を否定する理由もなく、その日皇帝の名においてモルゲンュテルン元帥が次期ブルトルマン帝国皇帝に指名され、年明けを持って帝位を禅譲する旨を宣言した。

一章から読んでくださっている方ありがとうございます。

二章で目に留めてくださった方も多いみたいで嬉しいです。

十人しかいなかった読者が三倍以上に、と喜びつつ書いておりました。


「閨門の白い木春菊」どうでしたでしょうか?

閨門は夫婦の間柄と言う意味と寝室の入り口という意味だそうで、マーガレットと夫となるモルゲンュテルン元帥を示唆したつもりです。


ファンタジーのつもりなのにあんまり魔法要素とかファンタジーっぽさを出せず、群像劇っぽくなっているなかで人称の使い方もまちまちになってたような気がして恥ずかしいやら申し訳ないやら……


それでもゆとりを持って書けたぶん一章よりは安定していたのではないか、と思っています。読み返すと一章は随分と粗が目立つ(恥)。書き直したいなぁ~という思いもありますが、読んでくれる人を待たせないでさっさと三章に行かなきゃという焦りもあってどっちにしようか悩み中


あと、三回連続で更新時間が遅い(っていうか十九日目は間に合わなかったも同然ですが)ことで気がついているかもしれませんが、ストックが尽きています。

元々、六日目と十五日目の間にマリとエバーのケンカの話や水の民を登場させる話など三回ほど話を挟むつもりで書いたのですが、五日目をアップした段階で「長過ぎない?」と自問。

予定ではあと七回ほど多くなる予定でそれ全部書いたらマーガレットが堕ちるまで今の一・五倍くらいになっていたはず。

長すぎる。まとめよう、と削って組み直していたらストックが無くなってしまいましたm(_謝_)m

そんなこんなでストックはない。

しかも、一章のあとがきでも書きましたが、三章は中身が頭の中にあるんですが、タイトルが決まっていないという体たらく。三章を二つにわけようかなぁ~と思ったりも。

それにまったく別の話を書きたくなったりもして……今度冒頭だけ乗っけるつもりなんでよければご覧ください。

ルディア戦記は続けるつもりですが、ある程度書き溜めてまともにする時間が欲しいので少しお休みして十月十五日に次の更新して報告します。

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