天然鈍感娘×紳士被り腹黒王子
* * * *
それはあまりにも突然だった。
いつもの昼休みに私は教室から連れ出される。平凡を描いた私の日常が音を立てて崩れ落ちる予感がした。
「ありえない」
手を引かれたまま私がポツリと零した言葉は誰に聞かれるでもなく消えていった。
連れ出されたのは校舎と校舎の間の忘れ去られたようにぽっかりあいた空間。私と連れ出した本人しかいない長閑な昼休み。雨の気配のない澄んだ青空の下で私はただただ困惑していた。
「好きだ。付き合って欲しい。」
私を連れ出した張本人である夏川大恭の台詞は、どう考えても私に向かって言っているのだと認識せざるを得ない。一体何があって私なんかにこんなことを言ってくるのかわからない。理解なんて到底できるはずがない。
「悪戯でしたらお断りしますし、何かの罰ゲームでしたらご愁傷様です。」
私の脳が叩き出した答えはこのあたりだった。
本気で私にこんなことを言ってくるわけはないと理解している。この学年の中でもイケメンと呼ばれる部類に入る夏川君に好きだと言われるほどの何かを私は持っていない。それだけに、この言葉はただの質の悪い冗談にしか思えなかったのだ。
「そんな訳……ないっ!」
あわてる夏川君が面白くて自然と口角が上がる。私以上に緊張しているではないか。真っ赤になっている夏川君は初めて見るのでたいそう微笑ましい。私は現実から逃げているのか。
「本当に、好きだ。安田憂音が好きだ。悪戯でも罰ゲームでもなく………」
真剣に想いを告げる夏川君の様子のどこにも嘘は見当たらなくて私は少しおののく。
好意をここまで真っすぐに伝えられたのは初めてのことでどうしたらいいかわからないし、どう答えたらいいかわからない。否。どうして断ればいいのかわからない。そもそも、 私と夏川君が釣り合うわけがない。きっと彼は魔が差したのだけだ。
「えっと……あの………。ごめんなさい。」
張り付いた喉がなんとか出したか細い声は2人しかいない空間には十分響いた。ここで断っておけば私の平和な日常は帰ってくる。はずだった。
「なんで駄目なの?理由を頂戴。」
さっき以上に熱い視線を私に向けてくる夏川君は気がついたら2歩文分くらい近付いている。
「理由もなく"ごめんなさい"はキツいよ。」
じり…じりと近付く夏川君に気圧されて、私は無意識に後退りしていた。
「あ…えっ…と。つ……釣り合わないから!」
「釣り合わない?」
本当に何も分からないという風に夏川君は繰り返す。
「いや、だって夏川君と私だよ。全然違いすぎるって。」
ふぅんと夏川君はひとつ頷き、笑顔で更に私との間合いをつめてくる。
「僕が嫌いって訳じゃないなら付き合って欲しい。僕を好きになって欲しいし、僕に惚れさせるから。」
性能の悪い私の頭が夏川君の言葉を理解するのに時間がかかる。言いたいことは百万語は浮かんできているけれど、言葉としては出てこなくてぽかんとあいた口は塞がらない。
「駄目?」
気が付くと目の前まで近づいていた夏川君の言葉に首を横に振っていた。何してんだ、私の馬野郎。返事しちゃったら"さっきのなし"って言えないじゃないか。
「よかった、駄目じゃないんだ。」
私の極々至近距離でイケメンはにっこりと笑う。凡人の私にはその刺激がとても辛いです。そして手を伸ばしてくるのやめてください。
「あ…あの。」
流されるように返事をしたが、ようやく普段の動きをするようになった頭で必死に考えたことをまとめる。夏川君に手を取られないようにしっかり手もひいておく。
「私と付き合いたいなら、3つ約束してください。」
右手の人差し指を空に向かって立てる。
「ひとつ。浮気はしないこと。
ふたつ。浮気をするなら私にバレないように上手にしてください。
そして最後のみっつめ。浮気相手の女の子を好きになったら、すぐに私と別れてその子を幸せにしてあげてください。」
右手の指は三本だけたっている。たった3つの約束が私からの要求。夏川君に返事をしてしまった責任をとらないといけないからその分は果たすつもりだが、それとこれとは別のことである。
「これをのんでもらえないと、私は夏川君とは付き合えません。」
彼は少し悩んだ後に小さく頷いてくれた。
「いいよ。その約束は守ろう。―――――だから君は、今から僕のだ。」
あれ?少し冷静になった私は、ようやく本当の意味で日常が崩れ落ちたことに気付く。ついでに抱きしめられていることにも気が付いた。
そうして、私――安田憂音――は、白馬に乗った王子様の
仮面をかぶった狼に捕まった。