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黒の国ルオーニ・首都エータ。
大通りから少し離れた広場に着いた乗合馬車から、十数人の男女が降り立った。
太陽はずいぶん前に西へと沈み、辺りからは夕飯の匂いが漂っている。
予定としては日の高いうちに着くはずだったのだが、盗賊に襲われ、その騒ぎで馬が暴れて車輪が外れ、すっかり日も落ちてからの到着となってしまったのだ。
それぞれの目的地へ急ぎ足で散っていく乗客たちだが、誰もがタジへと駆け寄り肩を叩いていったり、ちょっとした食べ物を渡したりしているのは、彼が盗賊退治と車輪の修理をこなした結果だ。
タジの働きがなければ今日中に着けたかどうかも怪しい。そもそも生きていられたかどうかも分からない。
だが、多数の人間に感謝され、御者から運賃の返金までされた当人は英雄面することもなく、
「うっわ、腰にきたなー。長時間あの揺れを食らってると、やっぱ痛ェわ」
愚痴りながら、凝り固まった関節を盛大な音を立てて鳴らしていた。
「やっぱ狭いとこでジッとしてるより、俺は歩きがいい。やっぱ徒歩が一番。徒歩最高」
「落ち着きなくしてるからでしょ。窓から顔出して外見て大騒ぎしたりしてるから余計に疲れるのよ」
馬車の最後列の最奥に座っていたシフィが、他の乗客がほとんど消えた頃になって降りてくる。
数段の足場を下る足元は覚束ず、つれないことを言いつつもその口調は弱い。
「シフィ? どうした?」
「別に、」
「んー?」
心なしか背を丸めて立つシフィに軽い足取りで近付き、目深に被っているフードをちょいとめくり、覗き込む。
「……っ」
それに対し顔を背けるような動作を取ったシフィだが、フードをつままれてしまっていては却って見える範囲を広くしただけだ。
「顔色サイアク」
「…………」
「酔ったな?」
「…………」
「長時間、空気の悪いとこにいたからな。人も多かったし」
タジの言葉に、シフィの身体から力が抜ける。
突然ぐんにゃりと座り込みそうになった身体を腰を抱き寄せることで支え、空いた手で二人分の荷物を持つ。
気力で立っていたようだが、それを見破られてしまっては虚勢も張れないのだろう。
「相変わらず、根性がありすぎるんだか頭が悪いんだか微妙な奴だな」
狭い車内に多人数が乗り込んだ状況は、たしかに良好とは言えない。しかも起こったアクシデントのため、緊張と苛立ちに満ちていた。
自分は平気だったが、連れは人酔いしやすい性質だということを忘れていた。
「こういうときはちゃんと言え。お前がそういうの苦手なのは分かってるつもりだけどな、俺は細かい気配りができるような神経は持ち合わせてないんだからな」
口調は軽く、しかしチクリと咎めるタジの言葉に、シフィが細く長くため息をつく。
それはまるで、「情けない」と苛立っているかのようで。
「シャキッとしろ。もうすぐ新入りが来るんだ」
「うん……分かってる」
冷や汗が流れ落ちる顎を引いて頷く。
分かっている。当たり前だ。新しい仲間を前にこんな醜態を晒すなんて、絶対にしたくない。
性格も性質も付き合っていく中で少しずつ分かり合えばいいもので、相手の前に自ら差し出すようなものではないのだ。
「……タジ」
「何だ?」
「頑張るから、頑張ってね」
新しい仲間と、うまくやれるように。
「おう。今までとはまた違うだろうな。何しろ、新入りのために、俺もお前も苦手な乗合馬車なんぞを使ったくらいだ」
徒歩を好むタジと人酔いしやすいシフィの二人では、自然と乗合物は避けるようになる。
今回の首都入りも、本来ならば歩いて行うはずだった。
しかし、コトランゼのホーク地方で捕まえた者のうち一人が貴族だったことで手続きに時間が掛かり、徒歩では目的の日に間に合わない事態になってしまったのだ。
海路にて入国した後は乗合馬車を使わざるを得なかったのである。
「楽しみね」
何もかも楽しむことが信条だ。
いつでもどこにでも楽しめる要素は転がっている。
どんなときでも、『楽しい』ことを探すこと。
それが二人の旅の基本姿勢。
それが、二人が交わしたただ一つの約束。
そして、新たな仲間に望む、ただ一つのことだ。
「楽しみだな」
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