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「約束の品です……ご確認を」
赤の国コトランゼ・ホーク地方。
コトランゼの首都から馬車で北東に五日ほどのこの土地は、湖と森林を駆け抜けてきた涼風が吹く夏は避暑地として賑わう。森を背に海を一望できる小高い丘には王家所有の別邸もあり、冷浄で豊沃な土地は長年に渡って愛でられてきた。
だが冬の今、ホーク地方は雪に閉ざされた陸の孤島である。
自然と景観と建物の保全を目的に少なくはない人数が住み着いているが、冬季は家から出ることも稀だ。
沈々と降りる雪が世界から音を奪ったような夜。誰もが早々に寝台に入っただろうが、森の中、湖にほど近い邸の奥深い一室にはまだ明かりが灯っていた。
必要もなくひそめた声と絞った光量、そして室内にも関わらず布を巻き付けて顔を隠すその様が、行われていることの正当性を否定する。
部屋に唯一の窓に背を向けている人物が、胸に抱え込めそうな大きさの箱を取り出して押しやり、向かい合う人物がその蓋に手を伸ばす。
慎重な手付きで開けられた箱から、淡い光がぼんやり零れた。
「おお……見事な」
箱の中、羽毛を詰めた絹布のクッションに座している光は、水晶のようでもガラスのようでもある透明な球体に閉じ込められている。
「素晴らしいでしょう」
二人の視線を感じたように、光が明滅を始めた。意思のある揺らぎに、覗き込む二対の目が細められた。
「まだ若いですな?」
蓋を開けた人物が興奮を抑えて言うと、
「や、これは慧眼な。そのとおり、生まれたばかりの風霊です。珍品でしょう?」
箱を押しやった人物が、粘着質の声で応じる。
「正に。これは是非とも頂きたいでっ……すな!?」
途切れた言葉と乱れた呼吸。
「?」
何があったのかと、向き合う相手の視線を追って身体をひねり、そして、見た。
窓の外降りしきる雪の中にいる人間が、窓に膝蹴りを叩き込んだ、その瞬間を。
ガッシャァァァァンッッ!!
雪でも吸収しきれない派手な音が夜の静寂を切り裂いて、数十のガラスの破片が寒気と同時に部屋へ押し入った。
「うわぁぁぁッ!!」
室内で上がった悲鳴は二重奏。だが、そこに含まれた意味は別物。
一つは飛散してぶつかってくるガラス破片への悲鳴で、もう一つは破片で光球が傷付くことを恐れての悲鳴。
闖入者はどうやら男であるようだ。防寒着をしっかり着込んだ体型は定かではないが、上背が女のものではない。
「な、な……」
何かを言おうとするのだが何を言っていいか分からない二人。闖入者は室内にグルリと視線を巡らせてから、床に座り込む二人に目を向け、そして、
「さみぃぃぃぃぃじゃねえかぁぁぁぁッッッ!!」
絶叫した。
声はやはり男のもので、しかもずいぶんと若そうだ。
「ふっざけんなよ、お前ら、何だってこんな極寒の夜に裏取り引きかましてんだよ!? 人がいないからか! 人目につかないからだな!? 気持ちは分かる! それは正しい! 認めるが、踏み込む者の気持ちも考えろ! ものすごく寒い!! ……ふぅ」
踏み込まれたくないからこそ人目を避けるのだろうし、わざわざ極寒の土地の深夜を選んでいるのだろう。それでこその裏取り引きなのだが、この青年、そんな一般常識な正論に興味はないらしい。
家具がビリビリ震えるほどの声量で言い放ち、気が済んだのか一息つく。と、卓上に置かれたままの箱に目を止めた。
「そこにいたか。待たせたな、悪かった。もう大丈夫だ」
すまなそうに目を細め、さっきとは打って変わって穏やかな口調になり、優しい動きで光球を手に取ると、硬直していた二人がここでやっと自由な舌を取り戻した。
「き、貴様、何者だ!? ここをどこだと思っている!!」
この発言は、この邸の主である人物のものである。邸の主人としては真に正当な主張である。ところが不法侵入の現行犯である青年は、むしろ堂々と言い返した。
「偉そうに言える立場かよ? お前らは精霊売買の現行犯だぞ? いかなる理由があろうとも、個人が精霊を占有することは重罪。お前らの態度次第で極刑もありえる。分かってるのか?」
「何を……」
言葉に詰まったのは、まぎれもない真実を突かれたからだ。だが、呼吸一つで心構えを立て直す。
ここは自分の邸だ。この青年がどこから見ていたのか知らないが、自分はまだこの光球を買い取ったわけではない。現時点での罪は精霊を球に閉じ込めた横の男と、他人の邸に侵入してきた男の不法侵入及び器物破損のみだ。
そんな理屈を素晴らしい速さで組み立てている彼は。横の「まさか……」という呟きは耳にしなかったし、聞いても気に留めなかっただろう。
「何を証拠に! 言いがかりはやめろ!」
「証拠だぁ?」
青年が、居直った態度に呆れたような反駁をする。
「俺が今まさにこの手に持ってんだろが。この球が呪力を施した物だってことも、この中に閉じ込められてるのが生まれたばっかの精霊だってことも、お前らの足下に積み上げられてる金貨も、全てが俺を肯定してる。それが見えんのなら単なる馬鹿だぞ。お前まだ金払ってねぇから無罪だとか言う気かもしれんが、閉じ込められてる精霊に『見事だ』だの『ぜひ頂きたい』だの発言した時点で有罪だからな、間違いなく。ふやけた頭でもそれくらい理解できるだろう」
ぽんぽんと勢いよく言い募る様子はいっそ爽快なくらいだが、言われる当人にとっては小憎らしいものでしかない。しかも悔しいことに、たしかな正論なのだ。
「ああ、ついでに、俺を殺して証拠隠滅とか無理だから。俺は強いし、ここのこともお前らのこともとっくに外部に報告済みだ。逮捕決定おめでとう」
「この、……っ、不埒者が……!」
非才なる犯罪者の常として、己の正当性を押し出せなくなったなら相手を否定するしか道はない。怒りと動揺に身体を震わせながら侮蔑の言葉を吐くと、青年の雰囲気が一変した。それまでは激しく熱かったそれが、冷たく鋭いものに。
「ふざけるな。精霊を視認してるってことはお前が能力者だってことだ。数多ある精霊すべてに敬愛と友愛を捧げるという能力者としての誇りも義務も踏みにじる奴が、他の誰を糾弾できる!?」
「………ッ!!」
怒りを内包し爆発した声。それと同じほど荒い動きで、青年は防寒着を脱ぎ去った。
その下にあった、髪を覆う布と顔の上半分を隠す仮面も同じように取り去る。
こぼれた髪。あらわになった眼。
どちらも、限りなく純粋な、赤。
「そ、……んな……」
「やはり……使徒」
驚愕し一気にしぼんだ声と、それに重なる納得と諦めの呟き。邸の主人はここでやっと隣の人物の声を聞いた。そしてその響きから、彼が闖入者の正体を看破していたのだという事実を悟る。
青年の歳の頃は、二十を幾らか過ぎた程度だろうか。
真っ赤な髪と眼。これほど鮮やかな色を人間が持てるのかと感嘆するほどだが、それは、目にした二人にとってはこの上ない凶色。
「よ、陽光の……使徒」
引きつる声には応えずに、青年は光球を丁寧に箱の絹布へ戻す。
「悪いな。今はまだ、お前を自由にしてやれないんだ。もうちょっと待ってくれな」
弱々しい明かりだけの室内なのに、不思議とその姿はぼやけない。
まとう空気のせいだろうか。鮮やかで、激しい色の空気。
赤を基調とした服を身に付け、その上には幾つもの装身具をつけている。激しい運動に適しているようには見えないが、窓から飛び込んできたときの身のこなしから察するに、大した障害ではないらしい。
「陽光の使徒、イティア・タジだ」
この邸に正当な名分を持って居る者よりも遥かに堂々とした様子で、赤の青年が言葉を放つ。
「所業、陽光の下に明かされた」
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