其の参・少女と義母と弟と
「あーあ……」
通いなれたファーストフードショップの店内で芽衣はため息をついた。平日の朝だけに客の姿は少ない。数人のサラリーマンや大学生らしき姿がちらほらと見えるだけだ。
芽衣はハンバーガーを片手に財布の中身を確認した。お金はあるが、ハンバーガーを三日三晩食べるのはキツイものがある。たまには別なものを食べたいと思うが、それ以外だと金がかかる。
「……飽きた」
半分食べたハンバーガーを投げ出し、芽衣はバッグの中から携帯電話を取り出した。メモリの中身を調べながら暇を潰してくれるような友人を探す。
(ミカはバイトで、ユミはデートで、ヒトミは就職先の研修だっけ……?)
高校3年の1月から4月まではおそらく現代の若者にとって一番暇な時期じゃないかと、芽衣は思った。大学入試さえ終われば、あとは卒業式を待つだけ。その間高校3年生は長い春休みに入る。休みに入る前に担任が言っていた言葉を芽衣は思い出した。
『あんまりダラけるんじゃないわよー。この時期はどいつもこいつも一斉に車の免許取って、一斉に事故起すんだから。事故を起さないのは当然だけど、巻き込まれないように!あと初心者同士でドライブなんか死にに行くようなもんだからねー』
(……免許かぁ。そういやヤッくんは教習所って言ってたっけ……)
携帯のメモリに彼氏の名前が表示され、芽衣はテーブルに突っ伏した。結局友人も彼氏も何かと用事があって遊ぶことが出来ない。嫌がらせに悪戯電話でもしてやろうか、と携帯をいじっていた時、突然バイブが鳴った。
「……げ」
芽衣はついそう呟いていた。携帯はいじっているときに着信すると、間違って電話に出てしまうことが多々ある。
ディスプレイには『三笠亜由美』と表示されていた。芽衣は毎晩夜遅くまで自分を待っているあの女のことを思い出す。母親として振舞っているつもりなのかどうかは知らないが、あまり顔を合わせたくない相手だった。卓真の母親であり、自分の母親ではない女。
芽衣はため息をついて携帯を耳に押し当てる。
「……はい」
『あっ、芽衣さん!?あの、そこに卓真いませんか!?』
「は……?」
芽衣は思わぬ言葉に顔を顰めた。電話の向こうから聞こえてくる声は、今まで聞いたことの無いほど焦っている。芽衣は訝しげな表情で問いかける。
「遊びに行ったんじゃないの?」
『そ、それが……友達の家に電話したんだけど、どの家にも行っていないみたいで。お父さんや美穂ちゃん達が近所を探してるんですけど……』
焦って知り合いの家に片っ端から電話をかけている父や妹達の姿を想像して、芽衣はため息をついた。自分が夜中に帰っても心配しないくせに、どうして卓真だとそんなに大事になるのか。理由は分かっているが、それでも理解出来ない……したくない理由が、芽衣にはあった。
芽衣は電話の向こうに投げやりに言った。
「……分かった。私も近くを探してみるから」
『本当に?何か分かったらまた電話して下さい。それじゃ……』
電話が切れたのを確認して、芽衣はオレンジジュースに口をつけた。亜由美は気に入らないが、卓真は可愛い弟だ。三人いる姉の中でも何故か芽衣にばかり懐いている。芽衣自身も嫌な気持ちは微塵も持っていなかった。
芽衣は携帯をテーブルの上に置くと、大きく深呼吸をした。
(……生きてる人間相手は初めてなんだけど……ま、実験にはいいかな。たっくんならすぐ忘れてくれそうだし)
芽衣は視線を落とし、目を閉じた。壁際の席を選んで正解だったと思う。壁に向き合って座っているから、目を瞑ってじっとしていても気付く人間は少ない。何より、この時間帯だと客も少ないし、やりやすい。
目を閉じると目の前が闇に変わる。そこから思考を一点に集中させた。弟の声や言葉を思い出せる限り頭の中にリピートさせ、やがて過去に交わした会話からつい最近の会話へと時間を戻していく。最後に交わした会話は、夜にケーキを食べたあの日。そこまで思い出せれば十分だ。
『たっくーん。行こうよー!』
芽衣の頭の中に最初に響いたのは、男の子の声だった。やっぱり誰か友達と遊んでいたんだと、芽衣は胸を撫で下ろす。
「ちょっと待って。……あの女の子は友達?」
『え?……うん。名前しらないけど』
声が分かれた。一人はしっかりした大人の声、そしてもう一つは卓真の声だ。芽衣は頭に響く耳慣れない声に顔を顰めた。誰かが近くにいるのだろうか。
卓真よりずっと年上の、はっきりした声。聞き覚えはないが、その声は何か緊張感を持っているようだった。
「私が家まで送ってあげるから、あの子についていっちゃ駄目。……分かる?」
『たっくーん。まだー?』
『でも……あの子、あさってまで遊んでくれればいいって……』
まるで録音された音声を再生するように、会話が進んでいく。状況はまるで理解出来ないが、卓真のいる場所はおそらくこの辺りではない。アンテナを伸ばすように、芽衣は更に二人の会話に集中していく。
「明後日になったらこっちに戻って来れなくなるかもしれない」
『で、でもぉ……』
(……明後日?)
芽衣は卓真の無事を確認しながらも、奇妙な感覚に陥っていた。話がよく掴めない。
(戻れなくなる、って……)
心の中でそう呟いた瞬間、芽衣の頭の中に全く別な『声』が割り込んできた。
『いやぁああっ!!』
(!?)
最初に聞こえたのは女の人の悲鳴だった。
『おかーさん?どうしたの、何が……』
『翼、こっちに来るな!早く、二階に……っ』
扉を乱暴に開けたり閉めたりする音、切り裂かれる音、何かが割れる音。叫び声が飛び交い、バタバタっと水を散らしたような音が響く。ゴトッと何がが倒れ、それから脳裏に響く声は徐々に静かになっていった。
フローリングを靴で歩く音が聞こえる。靴裏で砂を擦る耳障りな響き。窓を開けるような音がして、人の気配が去っていく。
(う、やばっ……余計なのまで引き寄せちゃった!)
頭の中に叫び声や断末魔がリピートされていく。芽衣は咄嗟に頭を抑えた。強い感情は引き離すのに苦労する。下手をすると体調に異変が起こることもあるのだ。
頭の中に様々な声が響く。まるで人ごみの中に紛れ込むような感覚。そうやって徐々に徐々に対象から離れていく。雑音が耳に障るが、さっきの会話を聞くよりはマシだ。
様々な人の声が響く中で、最後に一言だけ芽衣の脳裏に声が響いた。
『……おかあさん……。おとうさん?おにいちゃん……?』




