其の七・サクラサクラ
「……重いのでどいていただけますか」
「う……?」
階段から現れたのは5歳ほどの男の子だった。チハルに体を動かされた聖は、子供の下敷きになった格好でそう呟く。
子供は内気そうな印象の男の子だった。何が起こったのか状況がつかめないのか、しきりに辺りを見回している。
『だ、大丈夫だった?』
チハルが聖の口を借りてそう問いかける。子供は更に呆然とした顔で聖を見上げた。口が二人三脚していれば当然のことだ。
聖はため息をついてチハルに全てを任せることにする。
「?」
『痛いところとかない?大丈夫?』
少年は自分の体を見て頷いた。まだ混乱してはいるが、体調に異常はないらしい。チハルは少年に問いかける。
『どうしてあんなところにいたの?』
「えっと……ボール、おいかけて……おいかけて……」
何度もそう呟いて、少年は首を傾げた。聖はため息をつく。どうやらあちらにいた期間が長すぎて記憶が曖昧になっているらしい。首を右に左に傾けながら悩んでいるが、はっきりとした答えは返ってこない。
チハルは子供に問いかける。
『お家はどこ?……思い出せる?』
「うん……んー……」
少年は視線を泳がせながらそう言った。答えが『うん』なのか『ううん』なのか、喋り方が不明瞭ではっきりしない。仕方の無いことだと分かっているが、聖は少し苛立ったように少年を見下ろす。
「どっちですか。はっきりしてください」
「えと、えとね…………」
少年は何かを探すように視線を彷徨わせた。自分の記憶の中にある、家の周辺の景色を探しているのだろう。しかし此処には彼の知る景色は1つも見当たらず、少年は顔を歪めた。
『わっ、わわっ……だ、大丈夫だよ、お姉ちゃんがお家探してあげるから』
チハルがそう言って慰めようとしたその時。少年は弾かれたように顔を上げた。
「……おねえちゃん……めいちゃん……?」
そう呟くと、次第に泣きそうだった顔つきが元に戻ってくる。キョロキョロと視線を彷徨わせながら少年は何かを探している。
チハルが首を傾げると、少年は言った。
「うん……うん。めいちゃん……きてくれる?」
『……?』
チハルは『めいちゃん』らしき人の姿を探して辺りを見回す。しかしそこに人影はない。ただ木々のざわめきが木霊しているだけだ。
聖はため息をつくと、辺りを見回す子供に視線を向ける。
「……迎えはちゃんと来るんですね?」
「うん……めいちゃんがね、むかえに来てくれるって」
少年は目尻の涙を擦って、聖に笑顔を見せた。聖はそれを確認して石段を上り始める。聖の行動に、チハルは慌てて少年を振り返った。
『だ、大丈夫でしょうか……』
「大丈夫です。……アチラの気配も消えつつありますし、おそらく迷い込むことも引っ張り込まれることもないでしょう」
聖は階段を一歩一歩歩きながら、前に視線を向ける。聖の体を借りている状態のチハルもまた、石段の先に目を向けた。
風が石段の両隣に並ぶ木々を揺らしている。少年は石段の下から聖の背中を見つめながら、ぽつりと一言呟いた。
「……へんなお姉ちゃん」
★
あの桜の老木は、今もあの場所にあるのだろうか。加南子はそう思いながら、薄れた記憶を辿っていく。家族と共に歩いた思い出の道も、長い年月の中で随分と変わり果ててしまった。
高級住宅地になったかつての道を歩きながら、加南子は路地を曲がった。道路の形だけが記憶を思い起こす鍵だ。
(……たしか、こっちに曲がって……)
迷いながら角を曲がろうとした加南子は、向こうから走って来た影に衝突した。
「っ!」
「きゃっ……!」
バランスを崩したのは加南子ではなく相手の方だった。前を見ずに走っていたのだろう。加南子は咄嗟に相手の腕を掴んだ。
何処かの中学校の制服を着ているところを見ると、どうやら相手は中学生だ。スカートをギリギリまで巻いている様子は今時と呼ぶに相応しい。胸元のネームプレートには『三笠美穂』と書かれている。
少女は苛立ったように加南子の手を振り払った。
「っ、あんた、どこ見て歩いて……!」
姉を真似て凄んだ美穂は加南子の顔を見た瞬間、声を失った。加南子は首を傾げる。しかし美穂はぽーっとした状態で、二の句を繋げなくなっていた。
(お……お姉ちゃんの彼氏よりカッコイイ……)
ぼんやりと加南子を見つめる美穂。それもそのはず、今日の加南子の格好は上から下まで男と見紛うファッションなのだ。もともと男に間違われやすい抽象的な顔つきの加南子ならなおさらである。
加南子は頬を赤く染めた美穂に首を傾げながら問いかける。
「……怪我は?」
「……えっ?あっ、大丈夫ですっ。すみません、ありがとうございましたっ」
言ってから美穂はしまった、と思った。怪我をしたと言えば、もう少しこの格好良い男の人と話が出来たかもしれないのに、と。
(うー……お姉ちゃんに男の人の口説き方教えてもらっておけば良かったぁ……!)
「……まあ、こっちも悪かったし……」
加南子はそう言ってから、ふと相手に視線を向けた。制服から見るに、この少女はおそらく住宅街に住んでいるのだろう。それならばこの辺りの地理にも詳しいはずだ。
「あ、聞きたいことがあるんだけど……この辺りに桜の木ってない?丘の上にある老木なんだけど……」
「老木、ですか?……それなら……」
美穂はそう言うと、住宅街よりずっと奥を指差した。そちらに視線を向けると、この道を少し行ったところに木々が生い茂った場所がある。その風景を見た瞬間、加南子の脳裏に十数年前の記憶が蘇った。
丘を指差す兄の姿、そしてそれを一緒になって見上げる自分。
「あそこにある老木って、もともと私の家にあった桜をあっちに移動させたとかで……私が生まれるよりずっと前の話なんですけど」
私もよく行くんですぅ、と美穂は言う。しかし加南子の瞳は丘の上に釘付けだった。薄紅色に染まる一本の桜が、風に揺れて見え隠れしている。
……まるで、自分を呼んでいるかのように。




