婚約破棄されている令息を拾った。男の娘にして溺愛することにした。
私の名前は、スカーレット・ウィリアムズ。伯爵家の一人娘で、17歳だ。
伯爵家と言えば、かなりの名家なわけだが、私にはいまだに婚約者がいない。学友達にはすでに決まった相手がいるにも関わらず、である。
婚約者がなかなか決まらないのは、理由がある。ちなみに家に問題があるからとか、婚約者を選り好みしてるからとか、そういう理由ではない。じゃあ、何が理由かと言うと……
私が「かっこよすぎる」から、である。
一つにまとめた緋色の髪、凛々しい眉に切長の瞳、令息に負けず劣らずな長身な体。学園の剣術の授業では常に好成績を収め、女性へ優しくすることも忘れない。
そんな私についたあだ名は「薔薇の貴公子」。
申し訳ないことに、そこらの令息よりも私の方がずっとかっこいいと、もっぱらの噂だ。
それゆえに、私の婚約者候補は自信を失ってしまうのだ。
毎回、「あなたよりかっこよくいられる自信がない」と謎の理由で断られてしまうのだった。
とはいえ、私は別に自分のかっこよさを誇っているわけでも、かっこいい自分が好きなわけでもない。
むしろ、私は可愛い子の方が好きだ。
「可愛い」は素晴らしい。愛らしくて、親しみやすく、心惹かれる。私は可愛い子にひどく憧れているのだ。
しかし、残念ながら私自身には「可愛い」の才能がなかった。背が高く、男勝りな性格の私には、「可愛い」よりも「かっこいい」の方が似合ってしまったのだ。
しかし、それは「かわいい」が好きな私にとって幸いなことだった。
なぜなら、かっこいい私は女性からものすごくモテるのだ。
モテるということは、つまり可愛い女性が私に寄ってきてくれるということだ。このおかげで、私はずっと可愛い子を見ていられた。
可愛い子を見ていると、自然と愛おしさで心が満たされ、幸せな気分に浸れる。ふわふわしていて、いい匂いがするから、癒される。
そのことに味をしめた私は、「かっこいい」を極めようと決意した。
かっこいい立ち振る舞い、仕草、格好……すべてを研究した。かっこよくあるためには強くあらねばならないと、剣術の練習にも励んだ。シークレットブーツを履き、背も高く見えるようにし、常に凛々しい姿を心がけた。
その結果、令嬢であるはずの私が「薔薇の貴公子」と呼ばれるまでに至ったのだ。
努力の甲斐(?)あって、学園では告白されるのは日常茶飯事。剣術の大会があれば、ほとんどの令嬢が私を応援しにくるし、私のそばには常に2〜3人の令嬢が侍っているハーレム状態。
私に「可愛い」の才能はなかったわけだが、その代わり私のそばには可愛い女の子がたくさん寄ってきてくれるのだ。これ以上の幸せがあるわけがなかった。
しかし、こんな幸せがいつまでも続くわけがない。私は来年には学園を卒業しなければならない。そうすれば、今は私のそばにいる令嬢達も結婚していってしまうだろう。
今のハーレム状態は大変気分がいいが、ずっとこのままでいられるわけがないのだ。
だから、早く婚約相手を見つけたいのだが、先ほど挙げた理由で婚約者がなかなか見つからない。
私のかっこよさに自信を失わず……出来れば、可愛い子を愛でることを理解をしてくれる令息が望ましい。しかし、これがなかなか難しかった。
婚約は断られてばかりで、現在9連敗中。あと1回断られたら、2桁に到達してしまう。危機的状況だ。
両親からは「頼むから、学園に在籍している間に婚約者を見つけてくれ」と言われているし、そろそろ婚約したいところ。
というわけで、私は婚約者探しのため、少し大きめの夜会に参加をすることにした。
「……スカーレット様」
「なんだ?」
夜会会場に入ろうとすると、後ろから専属執事であるアルトが話しかけてきた。彼はメガネをクイッと上げ、フレームの奥の瞳を光らせた。
「なぜ、今日も男性のような格好をされているのですか?」
そう。彼の言う通り、今日も私は「私が一番かっこよく見える」格好をしている。ドレスなど着用せず、背広とシャツとズボン、そしてシークレットブーツを履いている。
今の私は令息にしか見えないだろう。
しかし、何も酔狂でこんな格好をしているわけではない。
「私は、私の趣味を理解してくれる殿方と婚約したいんだ」
「趣味を?」
「あぁ。可愛い女の子を愛でるという趣味だ」
「清々しいほどにカスな趣味ですね」
専属執事の鋭いツッコミに、肩をすくめる。
「趣味は生きる上で活力になる。今後の人生で、私は私の趣味を止めるつもりはない。そして、私の趣味のためには、この格好を続けておきたい」
だって、この格好をしていれば、自然と可愛い女の子が寄ってきてくれるのだ。私は、可愛い子が寄ってきてくれるこの格好を絶対にやめたくない。
「婚約した後にこの格好を始めて、後から話が違ったなんて言われたら、たまったものじゃないだろう? だから、最初からこの格好を受け入れてくれる令息を選ぶんだ」
「……その格好をやめるという選択肢は?」
「ないな。とにかくこの格好を認めてくれる殿方を探すぞ」
「……はぁ。望み薄っ」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
そんな会話を経て、私は夜会会場に足を踏み入れた。
私が夜会会場に入るなり、令嬢達の色めき立った声が聞こえてきた。
「キャッ、スカーレット様よ!」
「あぁーん、今日もかっこいいわ〜」
「私、この間の夜会ではダンスに誘ってもらっちゃったのよ」
「いいなぁ。今日は私と踊ってくれるかしら?」
「スカーレット様が男性だったら、私が婚約者に立候補するのに」
「あら、ずるい。私が先よ」
「それを言うなら、私が」
勝手に言い争いを始めている彼女達に、私はニコリと笑いかけて、軽く手を振った。すると、彼女は「キャーッ」と黄色い悲鳴を上げた。なかには卒倒している子もいる。
うむ。やはり可愛い子からチヤホヤされるのは悪くない。
可愛い子とお話ししたいところだが、今日は令嬢に構うわけにはいかない。なにせ婚約者を探しに来たのだから。
うーん。誰かいないものか。
真剣に考えるが、やはり可愛い子に目がいってしまう。だって可愛い子が好きだから。可愛いは正義だから。
いっそのこと可愛い令息でもいたらいいのだが……。
そんなバカみたいなことを考えている時だった。
「リオ・アデルダン! あなたとは婚約破棄をしますわ!」
突然、それは始まった。
会場中の貴族たちが視線を向けた先にいたのは、子爵家のマーガレット・エデルバだった。確か私の一つ下の年齢で、何度か挨拶をしたことがあった。
そんな彼女が指差す先にいたのは、背の低い令息だった。前髪が長い上に俯いているので、彼の顔は見えない。服装も夜会には合わない地味なもので、普段から目立たないタイプなのだろう。
マーガレット嬢が「リオ・アデルダン」とフルネームを言っていたが、いまいちピンとこない。
家柄は何だろうか? 令息に興味なさすぎて、ちょっと覚えてないな。執事の「主人がカスすぎる」という声が聞こえた気がするけど、気のせい気のせい。
そんなことを考えている間にも,マーガレット嬢は話し続ける。
「あなたは、婚約者である私に数々の嫌がらせをしてきましたね! 私の服を破いたり、物を隠したり、記念日に贈り物を贈らなかったり!」
「……」
「それに最近、私の殺害計画書も出てきましたのよ!これがその証拠よ!」
マーガレット嬢が非難することで、周りの貴族も彼女に同情的な視線を向けるが……はて。彼女の言い分は果たして正しいのだろうか。
彼女とは何度か会ったことがあるが、その度に彼女の横暴っぷりを目にした気がする。
侍女に紅茶が欲しいと命じて、持ってきたのがアールグレイだった時に「普通はレモンティーでしょう⁈」とキレてカップを投げつけたり。
あるいは、取り巻きの男爵令嬢が彼女の話に頷いていると、「ずっと頷いてるんじゃないわよ! 自分の意思を持ちなさい!」と怒鳴ったり。逆に、男爵令嬢が自分の意見を言ったら、「私に口答えするの⁈」と理不尽にキレたり。
そんな彼女の「可愛くない」行動を何度か目撃したことがある。
今回だってヒステリック気味に叫ぶマーガレット嬢に対して、婚約者である令息は何も言い返すことができていない。
今回の婚約破棄も、理不尽なものの可能性が高いのではないだろうか。
「だとしたら、見過ごせないな」
そうポツリと呟く。
私は常に「一番かっこいい私」を目指している。
そして、かっこいい人間は困っている人に迷いなく手を差し伸べるはずだ。相手が女性でも男性でも、老人でも子供でも、迷いなく手を差し伸べる“かっこいい私”でありたいと常々思っている。
私は彼らの方に向かって、迷わず歩き出した。
私が歩くと、人々が波が引くように道を開けていく。マーガレット嬢も異変に気づいたみたいで、私の方に目を向けた。
「あなたは……」
「マーガレット嬢、久しぶりだな。スカーレットだ」
「……スカーレット様、よくぞ来て下さいました! 私の話を聞いてくださいますか⁈」
逡巡の後、彼女は私を仲間に引き入れることに決めたらしい。きっと彼女は、女の子の味方をすることが多い私が今回も味方してくれると考えたのだろう。
そして、彼女は嬉々として婚約者の“悪行”を語り始めた。
「まず、この男は記念日にも誕生日にもプレゼントも贈らず、夜会でエスコートもしない。婚約者としての務めを果たそうとしないんです。その度に私は惨めな思いをしました」
彼女の言葉を聞いて、思い出した。いつもマーガレット嬢が連れ立っていたのは背の高い男性だったような気がする。何人かのご婦人が「婚約者でも兄弟でもない男と……」と眉を顰めていた記憶があるのだ。
その時に見かけたマーガレット嬢は、勝ち誇ったような顔をしていたけれど……。婚約者としての務めを果たそうとしていないのはどちらなのか、少し考えればすぐに分かるな。
やはり彼女の婚約破棄は一方的で、理不尽なものである可能性が高いようだ。
私がそう考えている間にも、彼女は言葉を続ける。
「そればかりか私の物を隠し、私が大切だと言った宝石や化粧品を次々と壊していきました」
「へぇ、そうなんだ」
私の相槌に調子をよくした彼女は、頰を紅潮させてペラペラと話し続けた。
「それに、何より許せないことがあるんです。それは……私が命よりも大切にしているドレスを破ったことです」
「目の前で破いたの?」
「いいえ。私がいない隙に破いたのです。あれはお母様の形見のドレスだったのに……」
しくしく泣き始める彼女に取り巻きの令嬢が寄り添い、「ひどいですわ」「信じられません」と口々にする。
彼女は興奮しており、今は口がよく回っている状態だ。
それならば、ここで揺さぶりをかけてみようか。
「ところで、彼は何を使って破いたのかな?」
「ナイフですわ。そんな物を使うなんて、本当に恐ろしい……」
「あれ? でも、君がいない時にドレスを破いたんだよね? なんでナイフを使ったって分かったの?」
「⁈」
まさかここまで踏み込まれるとは思っていなかったのだろう。彼女は動揺したように目を泳がせる。
「それは……言葉の綾ですわ。彼がナイフを持って私の部屋から出ていくのを見たから、ナイフを使って破いたのだと判断したのですわ」
「そう? でも、おかしくないかな? 君の婚約者くんは、常日頃から君の物を壊していたんだよね? そんな人が君の部屋に入るなんて。だって、普通はそんな男がお嬢様の部屋に侵入することを使用人が許すわけないと思うな。私だったら箝口令を敷いて、断固として屋敷を歩き回らせないようにするよ。君がご家族から冷遇されているという話も聞いたことがないし……どうして、君の婚約者くんは部屋の中に入れたのかな?」
私の反論にわななきながら、彼女は私の後ろに立っている婚約者を指さした。
「そ、そんなの! その男が使用人を脅したからですわ! 部屋に入らせなければ婚約破棄してやるって! そんな風に脅されたら……」
「でも、それならその時に婚約破棄しておけばよくないかな? 君は自分から大衆の面前で婚約破棄できるほどの力を持っていたのに、その時に婚約破棄を申し入れなかったのはおかしくない?」
「……っ、逆上されるのが怖かったんですの! なぜなら彼は私の暗殺計画も企てていて、ここにその証拠も!」
「ああ、それね」
彼女が目の前に突き出した計画書とやらを手に取る。そして、私は計画書の中に書かれているいくつかの文字を指さした。
「ここと、ここと、ここかな」
「……?」
「君の書く文字の特徴が出てる」
「⁈」
もちろんハッタリだ。彼女の文字なんて見たことないし、知りもしない。だけど、動揺している今の彼女ならば、そこまで頭は回らないはずだとハッタリをかましたのだ。
「う、嘘よ!」
「嘘じゃないよ。君はスペルの最後に字先を跳ねさせる癖があるからね。もしかして気付いてなかった?」
彼女は何か反論することはできないかと周りに視線を走らせる。
しかし、周りの貴族たちは、大衆の面前で婚約破棄をし、ひどい言いがかりをつける令嬢に眉を顰めるだけ。先ほどまで共に涙していた取り巻きの令嬢たちも気まずそうに目を逸らしている。
自分に味方がいないことを悟ったらしい。彼女は反論することもできず、口をパクパクさせることしかできない。
よし。ここまで追い詰められているなら、後は仕上げの時間だ。婚約破棄の理由を聞き出し、その不当性を糾弾しよう。
私は彼女にそっと近づいて、「でもね」と言葉を続けた。
「私は君の味方だよ」
「え……っ⁈」
「だって、こんな風に大衆の面前で婚約破棄するなんて、よっぽどな事情があるんだろう? もしよかったら、本当の理由を私に教えて欲しいな。君の力になれるかもしれないから」
「でも……」
私は彼女の顎を持ち上げて、こちらに視線を合わせた。そして、真剣な表情で、甘やかな声色を乗せて囁く。
「お願い」
その一言で、彼女は完全に崩れ落ちた。
「ゆ、許して下さいまし。スカーレット様……! こんなことをしたの仕方なかったんです。だって、その男が……」
彼女は私の後ろにいる婚約者を指さした。そして。
「その男が、私よりも目立つから!!!」
「うん…………うん?」
予想外の言葉がきたな。
もっとこう……単純に婚約者が気に食わないからとか、他の想い人と婚約するために罪をでっち上げたとか、そういう言葉がくると思ってたんだけどな。それで彼女の自白を確認できたら、彼女の婚約者側の擁護に回ろうと思っていたのに……。
なんか思っていたのと違う。
というか、一見、彼女の婚約者は地味な人に見える。それがマーガレット嬢よりも目立つとは、一体どういうことなのだろうか。
私が首を傾げている間にも、彼女はペラペラと話し続ける。
「昔から私よりそいつの方が目立つのが嫌だったんです。だから、小さい頃からずっと自己肯定感を低くするように仕向けて、わざと地味な格好をするように強要してきたました。だけど、そしたら周りからは“地味な婚約者ですのね”ってバカにされて……っ」
彼女は頭を抱えて首を横に振る。完全に取り乱している。
「だから、こいつに非があることにして、大衆の面前で婚約破棄してやることにしたんです! 長年私を苦しめてきたこいつに恥をかかせて、私は同情を集めつつ素敵な令息と……っ」
そこで、私は彼女の口元に人差し指を当てた。私の行動によって、彼女の言葉は止まる。
「そんな必要はないよ」
「な、なんで……」
「だって、君は可愛いから」
彼女が目を見開く。
「君の髪、綺麗だよね。金色の髪がキラキラしていて、すごく手入れを頑張っていることがよく分かる。肌も綺麗だし、メイクも君によく似合っている。君がおしゃれで努力家な子なんだって、よく見ればすぐに分かるよ。君の婚約者くんがどんなに目立つ人でも、君は彼の隣で堂々としていればよかったんだ」
「す、スカーレット様……」
私の言葉に、マーガレット嬢も周りで静かに成り行きを見守っていた令嬢達もため息を漏らす。
甘い雰囲気を作った私は、そこで「でもね」と声を低くした。安心が絶望に変わるように、天国から地獄に落とすように、甘い雰囲気を完全に絶ったのだ。
「でも、今の君は可愛くないよ」
「え……⁈」
「だって、そうだろう? 人を陥れ、傷つける人は可愛くない。どんなに容姿が美しくても、心が可愛くないんだ。そんな君と婚約したい人なんて、この先現れるかな?」
私の言葉に、彼女は顔面蒼白となる。
「私の好きな東洋の言葉に“人を呪わば穴二つ”というものがあるんだ。君は婚約者くんに恥をかかせようとしたみたいだけど、結果的にはそれが君の首を絞めることになったみたいだね。ほら、周りを見てごらん」
私の言葉に彼女はハッとして、周りを見渡す。誰もが彼女を見て眉を顰めているのに気付いたようだ。
「今後、君を受け入れてくれる人は、ほとんどいないよ。今回のこと、後悔した方がいい」
私の言葉にマーガレット嬢が崩れ落ちる。彼女は床に座り込んで泣き始めるが、誰も彼女を助け起こす人はいない。
うーん、少しやりすぎてしまったか……。
婚約者くんが少しでも婚約破棄の話を有利に進められるように、社交界における彼女の立場を弱めようとしたんだけど……女の子を傷つけるのはあまりいい気がしないな。
今後は、もう少し控えよう。
「あの……」
そんなことを考えていると、私の後ろで男性の声がした。もしかして、マーガレット嬢の婚約者くんかな?
勝手にしゃしゃり出て、場を乱してしまったことを謝罪せねばなるまいな。
そう思って、振り返ると。
「助けてくださって、ありがとうございます」
お辞儀をしてから、彼が顔を上げる。すると、長い髪の間から彼の顔が垣間見えた。
「……っ!」
その瞬間、私は息をするのすら忘れてしまった。
夜空を彷彿とさせるさらさらの黒髪と、アメジストのように透き通った瞳。
長いまつ毛が目元に影を作り、長い前髪の奥で揺れる瞳はどこまでも可憐だ。すっと通った鼻筋と薄い唇は、彼の中性的な美しさを体現していて、いつまでも眺めていられそう。
彼が男の子だからだろうか。中性的な顔立ちの中にある可愛さが、より一層彼の魅力を引き立てていた。
先ほどマーガレット嬢が彼のことを「自分よりも目立つ」と主張したのも頷ける。今は地味な格好をしているが、磨けば誰よりも注目を集める存在になるだろう。
それくらい可憐で、儚くて、美しくて……どこまでも可愛いのだ。
ドクン、と心臓の音が聞こえてきた。
鼓動が高鳴り、頰が自然と熱くなる。彼に見つめられていると、胸の奥がぎゅっと締め付けられるような気がする。こんなの生まれて初めての感覚だ。
全身を駆け巡る熱に導かれるまま、気付いたら、私は彼の前に跪いていた。
彼は戸惑ったように、少しだけ後ずさる。そんな彼の手をそっと握って、私は彼を引き留めた。
彼の名前はなんだっけ。そうだ、確か……。
「リオ・アデルダン殿」
「はい……?」
彼の名前を呼んで、そっと微笑む。
「君はたった今、婚約破棄をしただろう? それなら、君さえよければ、私と婚約してくれないか。私は婚約者が見つからなくて困っていて……いや、違うな」
私は少し考えてから、彼をまっすぐ見つめた。
「君のことを好きになってしまった。私と結婚してくれ」
沈黙。
沈黙。
沈黙。
「は、はぃい……⁈」
しばらくして、リオの驚きの声と共に夜会会場内にどよめきが起こった。
「スカーレット様がプロポーズ⁈」
「うそ、信じられない……っ」
「誰よ、あの令息!」
「ちょっと待って、ショックで倒れてる方がいるわよ!」
会場内はちょっとしたカオス状態になっているが、私はそんなこと気にしない。
それより、私は目の前のリオの方に興味がある。今の彼は顔を真っ赤にして、目を見開いている。
そんな表情もするんだな。困り眉の下で揺れる瞳と赤く染まった頰が、心の底から可愛いと思う。
彼の表情に浮かぶのは、驚き、不安、懐疑?
少なくとも、嫌悪感は抱かれていないようだった。
それなら、このまま押しても大丈夫だな。
「婚約破棄されて混乱してるだろうから、無理強いはしない。でも、君さえよければ私と結婚して欲しい」
「な……」
「今ここで答えを出さなくてもいいよ。でも、今の君の正直な気持ちを聞かせて欲しいな。だめ……かな?」
私がじっと見つめ続けると、しばらくして彼は口を開いた。
「俺は……」
しかし、その時だった。
「う、嘘よ!」
私達の後ろで、マーガレット嬢が叫び声を上げた。
「お前に新しい婚約者ができるなんて、信じられないわ! また私に恥をかかせようって言うのね! 本当に、お前は昔から……」
「黙ってくれないかな」
私は彼女を振り返った。かなり冷たい顔をしていたのだろう。彼女は驚いたように肩を揺らす。
「今、私はリオ殿と話しているんだ。なのに、勝手に割り込んできて何様のつもりかな? さっき言ったよね? 今回のことを後悔した方がいいって。なのに、まだ彼のことをバカにする気?」
きっと私はさっきよりも怖い顔をしているのだろう。申し訳ないが、彼に惚れてしまった今、私は彼女に手加減ができないのだ。マーガレット嬢はぶるぶると震えている。
というか、そろそろ彼女だけじゃなくてギャラリーもうるさい。
みんな私たちに注目しているし、リオも縮こまってしまっている。これでは彼から本音を聞き出すのが困難になってしまう。
「仕方ないな。リオ殿、失礼する」
「……え? えぇ⁈」
私は彼を横抱きにして、運んでいくことにした。いわゆる、お姫様だっこだ。
「少しだけ我慢してくれ。舌を噛まないように。それじゃあ、行くよ」
「なぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
彼の叫び声と周りからの悲鳴を聞きながら、私は会場を後にしたのだった。
そして、会場の外で待機していた専属執事のアルトに声をかける。
「アルト。馬車を用意してくれ」
「承知いたしました。……ところで、そちらの方は?」
私は笑みを浮かべて、言った。
「私の婚約者候補だ」
「なるほど。婚約してくれる令息がなかなか見つからないから、誘拐をすることにした……と。我が主人がついに一線を超えたか」
「超えてない。彼の了承は得ているし、家に送るつもりだ。君は失礼だな」
「あの……」
私達が言い争っていると、リオが控えめに口を開いた。
「すみません。婚約破棄のこともあるので、今日は家には帰りたくないです。どこか泊まる場所に送ってもらえると……」
「そうか。それなら、私の屋敷に行こう」
「ついに誘拐か」
「違う。合法だ。さっさと馬車を用意しろ」
失礼な執事と言い争いつつ、私達は伯爵邸へと向かった。
リオが泊まるための客室を用意させている間、私達は客室で話し合いをすることになった。
「さて、リオ殿」
「呼び捨てで大丈夫です。スカーレット様の方が身分が上なのですから」
「分かった、リオ」
私は足を組んで、首を傾げた。
「君は、彼女と婚約破棄するのかな? ああいうことが起こってしまった以上、何もしないわけにはいかないと思うけど……」
気の毒に思いながら聞くと、彼は静かに話し始めた。
「マーガレット嬢とは、5歳の時に親が決めた婚約者です。ずっと俺は、彼女といい関係を築けるよう努力してきました」
リオ曰く、マーガレット嬢が望む物を贈ったり、彼女が他の男性と過ごしていても口出しをせず見守ってきたそうだ。さらに彼女に言われた通り、地味な格好をしたり、前髪を伸ばしたりもしてきたみたいだ。
あまりの仕打ちに言葉を失う。彼は想像以上にひどい扱いを受けていたみたいだ。
「それでも、マーガレット嬢は俺のことが嫌いだったみたいです。“気持ち悪い”“その面を見せるな”と何度も言わせてしまいました」
「ひどいな……」
「いえ、マーガレット嬢の望みを叶えられなかった俺が悪いのです。彼女のためにも、婚約破棄しようと思います」
彼は「婚約を決めた親のことを考えると、心は痛みますが」と悲しげに笑う。
彼の表情に胸が締め付けられるのを感じつつ、私はさっそく本題に入ることにした。
「……先ほど、私は君に婚約を申し入れたわけだけど、君の今の素直な気持ちを聞かせて欲しい。もし私が嫌なら、もう二度と“結婚して欲しい”などとは言わない。だけど、もし嫌じゃないなら、求婚し続けることを許して欲しい。どうかな……?」
言いながら、不安になる。彼に求婚されるのは嫌だと言われてしまうかもしれない、と。
今まで女の子にはたくさんモテてきたけど、男性に好かれたいと思うのは初めてなのだ。不安にもなる。
果たして、彼はどう返してくるのだろうか。
緊張しながら彼の言葉を待っていると、しばらくして彼が口を開いた。
「……なぜ、俺なのでしょうか?」
「ん? どういうこと?」
「なぜ俺と結婚しようなどと言って下さったのかが分からないので、正直、混乱してます」
思わぬ言葉に、私は目を瞬かせる。
「なぜ……って、さっき伝えた通りの理由だよ。君はのことを好きになったから、求婚した。それ以上でも以下でもないよ」
「それです。あなたは好きと仰いましたが、なぜ俺のことを好きになったのか分からないんです」
そんなの可愛いからに決まっているが?
君が世界一可愛いと思っているからだが?
それ以外ないが?
しかし、リオはそのことをまったく理解できていないようだった。彼は難しい顔をして考え込んでしまっている。
そこで、私がリオにどれだけ惚れ込んでしまったかを語り始めようとしたのだが、彼の方が先に口を開いてしまった。
「俺は男らしくもないし、婚約者として頼らない人間だと思います。スカーレット様は剣術で好成績を収めていて、学園内でも人気な方ですから、俺とは釣り合いません」
「君、同じ学園だったのか」
「実は、同級生なんですよ。でも、スカーレット様が知らないのも無理はないと思います。俺は地味な生徒ですから」
「……」
彼は自己肯定感が低すぎる。きっとリオの可愛さに耐えられなかったマーガレット嬢に、否定する言葉をたくさん浴びせられてきたのだろう。
どうしたら、そんな彼の自己肯定感を上げられるだろうか……。
そんなことを考えていると、彼がボソッと呟いた。
「……地味でみすぼらしくて、なんの取り柄もない。その上、婚約破棄されるなんて、本当にどうしようもない人間ですね」
「そんなことないっ!」
気付いたら、私は必死になって力説し始めていた。
「君は地味でみすぼらしくなんかない。君は可憐で儚くて、どこか神秘的で、とても可愛いんだ。そんな君には、大きな価値がある。いわば、君は光る原石だ。磨けば、何よりも美しい宝石のような人になれるだろう」
「宝石……」
彼が目を瞬かせる。その瞬間、曇っていた彼の瞳に、少しだけ光が宿ったような気がした。
私はそんな彼の様子に調子に乗って、とある提案をした。
「もしよければ、私に君を輝かせる手伝いをさせてもらえないだろうか?」
「輝かせる手伝い……ですか?」
「そう。君が最も輝ける姿が私には思い浮かんでいるんだ。君さえ良ければ、その姿になってみないか?」
私がそう提案すると、後ろから服を引っ張られた。服を引っ張ったのは、失礼な従者ことアルトだ。
「はい、ストップ。スカーレット様が何をしようとしているのか分かっていますよ。これ以上はおやめ下さい」
「アルト。私はお前に聞いてるんじゃない。リオに聞いているんだ」
「リオ様が拒否できないかもしれないではないですか」
「そんなことない。私は彼の自由意志を尊重しているし、本当に彼は輝くと……」
私達が言い争っていると、リオが「あの」と控えめに手を挙げた。
「俺、スカーレット様の言う通りにやってみたいです。そこまで期待してもらえたことなんて初めてなので……!」
「よし。それじゃあ、アルト。彼を例の部屋に連れて行ってくれ」
「……はぁ。分かりましたよ」
私はサラサラと紙に文字を書いて、それをアルトに渡す。
「これの通りに」
「仰せのままに。……それでは、リオ様はこちらへ。そして、お覚悟を」
「……? はい。お願いします」
リオは、アルトの言葉に不思議そうな顔をしている。私は手を振って、そんな彼を見送った。
しばらくして、近くの部屋から「これを着るんですか⁈」「うわあああああああああああ」という叫び声が聞こえてた。
待っている間優雅に紅茶を飲んでいると、やがてアルトが部屋に戻ってきた。
「リオ様の準備が整いました」
そう言って彼が扉を開くと、そこからリオが顔を覗かせた。
「あの。俺、こんな格好初めてで……。恥ずかしいし、似合ってるかどうか……っ」
「いいから、おいで」
「あ……っ」
私が手を引くと、目の前に彼の全身か現れた。
彼が着ているのは、濃紺のドレスだ。
ドレスの胸元には紫がグラデーションとなっているリボンが付いていており、裾の先には金色の刺繍が施されている。夜空と同じ色合いドレスに身を包む彼は、まるで星空に煌めく一等星のようだ。
彼の頭には、胸元のリボンと同じ色のカチューシャが付けられていて、非常に可愛らしい装いになっている。
彼のドレスは、あらかじめ私がアルトに紙で指示をしたものだ。我が家のクローゼットにあるドレスは全て頭に入っている。その中から、彼に一番似合うドレスを選んだのだ。
我が家には大量にドレスや装飾品がある。
なぜなら、私が可愛いものが好きだからだ。私にはそれらは似合わないわけだが、たまにそのドレスなどを引っ張り出して見つめては、楽しんだりしている。もちろん、見るだけではもったいないので、それを侍女に貸し出しするなどもしている。
閑話休題。
リオに視線を戻す。
髪が切られたことで顔がよく見えるようになり、私は改めて彼に見惚れてしまった。
彼の顔には口紅や頬紅などで控えめにメイクされており、顔の大部分を隠すほど長かった髪は美しく切り揃えられている。
もじもじと指先を重ね合わせる姿は初々しく、慣れていない感じがたまらなく愛おしい。
本当に可愛くて可愛くて……可愛い存在だ。
私がぼんやりしていると、顔を真っ赤にして不安げに瞳を揺らしている彼と目が合った。
いけないいけない。見惚れている場合じゃなかった。
気を取り直して、私は彼に微笑みかけた。
「可愛いよ、リオ」
「……っ⁈」
私がそう言うと、彼はびくっと肩を振るわせた。
「本当に可愛い。世界一可愛い。満点の星空だろうと美しい海だろうと、君の可愛さの前ではすべてが霞むほどだ」
「……でも、マーガレット嬢にはずっと気持ち悪いから、その面を見せるなって言われてきました。可愛いなんて、そんなわけ……」
「そんなことを言ってきたのは、君の可愛さに嫉妬したからだよ。君は気持ち悪くなんてない。とても可愛くて、素敵な令息なんだ」
「でも、スカーレット様のようか素敵な方がそんなことを思うなんて……」
「信じられない? じゃあ、私の胸に手を当ててみて」
私は彼の手を引いて、彼の手のひらを私の心臓の上に当てた。
「ほら、ドキドキしてるよね? 君が可愛くて……好きでたまらないからだ。分かった?」
私が聞くと、彼は顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を縦に振った。
私は彼の手を離して、彼の前で膝をついた。
彼の目を真っ直ぐに見つめながら、私は口を開く。
「さて。君が嫌だったら、その格好をやめてもいい。無理強いすることではないからね。もう着替えるかい?」
瞳を潤ませて、言葉を途切れ途切れにさせながら訴えかけてくる。
「お、俺……最初は、こんな格好なんてって思ったんですけど……」
彼はドレスの裾をぎゅっと握る。
「可愛い服を着た自分を鏡で見た時、なんか変な感じがして……っ。俺が俺じゃなくなるみたいな、そんな感覚で。でも嫌な気持ちじゃなくて、むしろ……」
「うん?」
「可愛い格好をして、スカーレット様に可愛いって言ってもらえるの、なんか気持ち良くて……っ」
ゾクッとした。
興奮を抑えるかのように必死に裾先を握り、涙で目を潤ませる彼の姿に。
ああ……、これは私の方が癖になってしまいそうだ。
「もっとこの格好をしたいって……。そんな風に思うの、おかしいですか?」
「おかしくないよ。君がそう思うなら、何度だってその格好をしていいんだ」
「……これからも、俺のことを可愛いと言ってもらえますか?」
「もちろんだ。それじゃあ、婚約の話は受けてもらえるのかな?」
私の問いかけに、彼はこくりと頷く。
「ありがとう。細かいことは家同士で決めることになるだろうけど……今日から君は私の婚約者様だ」
そう言って、私は彼の指先にキスを落とした。すると、リオは再び顔を真っ赤にした。
後ろでアルトが「割れ鍋に綴じ蓋とは、まさにこのことですね」と呟く。
私が彼に相応しい人間であるかは分からないが……。可愛い子が好きな私にとって、彼は最高のパートナーだ。
婚約を受け入れてくれた彼に報いることができるよう……そして、これまで彼が受けてきた傷を癒せるよう、これから一生彼に可愛いと言い続けよう。溺愛し続けよう。
私はリオの耳元にそっと囁く。
「これからよろしくね、私の可愛いリオ」
こうして、婚約者を男の娘堕ちさせた私による、溺愛生活が始まったのだった。




