第7話 これは、無理だ
あれから数日が経過していた。
この屋敷で罵声やガラスが割れるような音がしなくなった。それもこれも、ハイネが落ち着いているからだろう。
メイド達からの話だと、ハイネから感謝の言葉と謝罪の言葉を聞くようになったらしい。
だが、今日は珍しく部屋から出てこない。メイドは何かを隠しているのか、体調が優れないからだと伝えてくる。
「ハイネ、入るぞ」
「入るな!絶対に入るな!」
久しぶりのブチギレっぷりだった。俺も仕事に行かないとだし、とりあえず声かけたから良いよな。
帰りにまた花でも買ってくるか。
「わかった。じゃあ、仕事行ってくるからな」
ハイネがいない朝食は少しだけ寂しいものだった。
「今日は何だか静かじゃないか」
ティーカップ片手にレオニー隊長が言ってくる。その優雅な佇まいは絵になっていた。
いや、俺はいつも静かだよ。よく喋ってんのはレオニー隊長だわ。
ふと、書類に目を奪われる。
オメガのための施設を建設予定。
と書かれていた。
「隊長、これ」
「あー、それね。私がアグニス陛下にお願いしたんだよ。貴族から助けようにも今は助けられない現状だろ。だったらその施設を作って守ってあげればいいのかなって」
もちろん出会いの場は用意するよ、と手でハートマークを作る。
王様にお願いできるとか、この人なんなんだ。やっぱすごい人なのか。
「今後、ここが運用されるようになったら見張りの騎士も必要ですね」
「そうだね。ベータの騎士を他の部隊から引き抜こうと思っているよ」
レオニー隊長は、少し悲しそうな顔をする。
「ヒートは本当に辛そうだよ。私は部屋で一人耐える奥さんの姿に耐えられない。そういえば、君のところはどうなんだい?」
俺は、目元に手を置いた。メイドの変な誤魔化し方、そしてハイネの部屋に入ってくるなというブチギレ。
あいつ発情期、来てんじゃね。
言えよー。言ってくれたら、今日は休んだわ。
え、どうしよう。やっぱやるしかないよな。前世の俺は童貞じゃないけれど、ここの世界ってオメガバースじゃん。オメガのフェロモンでおかしくなるらしいじゃん。ってか、男ってどうやんの。
理性、持つかなぁ。
「もしかして、今来てるの?」
「たぶんですけど。なんか様子がおかしかったので」
「帰る?」
入ってくるな、って言われたしな。えと、オメガってどうやったら終わるんだっけ。
騎士学校に通ってた頃に学校でオメガの発情期の話あったな。一週間くらい続くんだっけ。あんま覚えてないけど。首噛むと番になるのは知ってる。
確か鼻息荒めに妹が持ってきた別の話だと、確かあんなことやそんなことをわちゃわちゃしてたよな。
俺、ハイネとそんなことするのか。嫌か、と聞かれたら嫌ではないかも?
苦手だな、と思ってたハイネは意外と可愛いし、手から餌を食べるようになった猫みたいだし。
「いや、いいです。先に仕事終わらしちゃいたいですし」
「……そう」
それから一時間くらい立っただろうか。ハイネのことが気になって仕事にならん!
書類に目を通す度に「発情期は~」とか「期間は~」とか「オメガにとってとても辛い~」とか。
こんなん無理だろ。俺は書類をまとめる。
「本当に君は変わったね」
書類を置いて俺を見てくるレオニー隊長はとても嬉しそうだ。
「この部署はオメガを守るところだよ。助けに行っておいで。そのダメだったら、何日でも休んでいいからね」
「……はい」
俺は引き出しから買い込んでつまみ食いしていた菓子をレオニー隊長の机に乗せる。
「行って来ます」
「はーい、ラブラブしておいでー」
その指ハートやめろ。ってか、こっちでもそれやる奴いるのか。
もうわけが分からなくなってくる。前世の知識と今の俺が混ざりに混ざっておかしくなる。
しかし、今はそれどころじゃない。ハイネが一人で苦しんでいる。きっと、めそめそ泣いてあの暗い部屋で耐えてるかもしれない。
俺の足は早足から駆け出していた。
騎士団の下で行くと俺の帰りを待っていた御者がいた。
「すまない!屋敷まで急いでくれっ」
屋敷に着くと執事が驚いた表情で出迎えてきた。
「ハイネの様子は?」
「あ、ええ……まだ具合悪そうです」
やっぱり濁すのか。
ハイネが意図的に手を回しているな。
一応、俺たちは夫夫だ。まあ、最近やっと仲良くなれたかなーくらいだが。
それでも発情期が来たのなら隠す必要はないだろう。なのに隠す必要はなんだ。
やっぱりイシュタルグ家絡みだろうか。
悶々としながらハイネの部屋の前まで来た。メイド達が止めるが俺は大丈夫だから、とだけ伝え離れて貰った。
扉をノックする。
「ハイネ……入ってもいいか?」
「……なんでっ、いるんだよ」
くぐもった声が聞こえる。泣いているのだろうか。
ハイネの泣き顔か。思わず想像してしまう。猫耳が伏せられたような可愛い顔が浮かび上がる。
あ、可愛いかも。
「ヒート、来たんだろ?入ってもいいか?」
「やだっ」
ドタッと落ちる音がした。俺は扉を開ける。
「だめ!開けちゃだめだ!」
ハイネの声と共に漏れだしたのは、オメガの発情期と思われる強烈な匂いだった。鼻を伝って脳が刺激される。
ハイネが赤い顔をして、いやだ、と首を振っていた。
「ギル、バー、ト。だめだっ……いやだっ」
耳伏せた猫って誰が言ったんだよ。あれは全く別もんだよ。やばい、めちゃくちゃにしてやりたい。
抱きたい。
脳が別の何かに支配される気分だ。
「……くっ」
俺は初めて嗅ぐオメガの匂いに完全に取り込まれそうだった。
あ、これ無理かも。
俺の中で早く抱け、自分のものにしろ、と命令されているようだ。
「ハイネ、すまない」
もう無理だ。
俺はハイネの部屋に入り、ガチャリ、と扉の鍵を閉めた。




