第2話:おめでとうございます
「おめでとうございます」
その声は、やけに澄んでいた。
耳元ではなく、頭の内側に直接触れてくるような響きだった。
目を開けると、白い空間が広がっていた。
床も壁も天井もない。ただ、どこまでも白い。
自分の体だけが、切り取られたように存在している。
「……ここは?」
声は出た。
喉の感覚も、息をする感覚もある。
なのに、心臓の鼓動だけが、やけに遠かった。
「あなたは、異世界転生に選ばれました」
正面に、光が集まる。
それは徐々に形を持ち、やがて一人の女性になった。
背中には、天使の羽。
派手すぎず、しかし現実離れした美しさ。
作り物めいた完璧さではなく、なぜか「そういう存在なのだ」と自然に納得できてしまう。
不思議と、恐怖はなかった。
「ああ……」
言葉になる前に、理解してしまった。
(この人が、女神様なんだな)
「俺は……死んだんですか?」
確認するように聞いた。
もし「はい」と言われても、驚かなかったと思う。
女神は、柔らかく首を横に振った。
「いいえ。あちらのあなたは、生きています」
「……あちら?」
「あなたが生きてきた世界。家族がいて、仕事があって、毎日を繰り返している世界です」
胸の奥が、わずかに軋んだ。
家族、という言葉に反応したのか。
それとも、仕事、という言葉にか。
「現実に飽き、退屈し、何かを求めていた。だからこそ、あなたは……切り離す選択をしました」
「人格……を?」
「はい。これは罰でも事故でもありません。選択です」
女神は、俺を責めるような目をしなかった。
ただ事実を告げるだけの声で続ける。
「あなたは、あの世界で“役割”を果たし続けていました。
良き夫、良き父、良き社員。
けれど同時に、“あなた自身”を切り離していた」
心臓が、きしんだ。
「切り離されたあなた――それが、今ここにいるあなたです」
「……じゃあ、あっちの俺は?」
「何も知りません。違和感も、後悔も、ありません。
これからも変わらず、生活を続けます」
それは、ひどく優しい言葉に聞こえた。
同時に、残酷でもあった。
俺がいなくても、世界は回る。
俺が感じてきた息苦しさは、なかったことになる。
「ご安心ください」
女神は微笑む。
「あなたには、こちらの世界で生きる権利があります」
「チート能力を授けましょう」
その言葉に、胸が反応した。
理由はわからない。ただ、心が少し浮いた。
「魔法を使えば、賢者級。
剣技を使えば、達人級」
「努力は無駄になりません。選択は報われます」
――報われる。
その言葉が、胸に刺さった。
「さあ」
女神は、羽を広げる。
「冒険に満ちた世界へ。
あなたが“あなた”でいられる場所へ」
白い世界が、崩れ始める。
光が砕け、風が吹き、地面の感触が生まれる。
落ちていく感覚の中で、俺は思った。
(戻らなくていい)
(あっちは、あっちの俺が生きている)
(だったら――)
視界が、色を持った。
土の匂い。
馬のいななき。
遠くで、誰かの悲鳴。
俺は、剣を握っていた。
※本作の異世界は、
いわゆる“逃避としての理想郷”でもあります。
ここから先、その歪みが少しずつ表に出てきます。




