8 清子の休日
結婚式は嫌いではない。
美味しいものが食べられるし、久々に会える人もいる。そして何より、堂々と部活を休める。我ながら不純な動機だ。冠婚葬祭ばかりは、副顧問の先生に部活を頼んでも罪悪感がない。
休日に町を出歩くことが久しぶりすぎて、電車に乗っていつもと違う町に出かけるというだけでわくわくする。小説を読みながら行こうとか、カフェに寄ってから行こうとか、結婚式に付随して楽しみなことが無数に思い浮かぶ。本当は友人の幸せを何よりも祝福しなければならない日だが、私は完全に自分の幸せに気を取られていた。
もう結婚式への参加は何回目になるだろうか。二十五歳ぐらいに一回目のピークが来て、二十九歳の今、二回目のピークが来ている。当初結婚式の度に感じていた緊張感や妬ましさは最早なく、式前後の自分の予定を考えられる程に心の余裕がある。年を追うごとに何も感じなくなっていく心に頼もしさと寂しさを感じる。モーニングをやっているカフェと大きな本屋に寄った後、卒なく受付を済ませ、知り合いと談笑しながらウェルカムドリンクを飲む。慣れたものだ。
今回はサークルの仲間同士の結婚ということもあり、内輪の参列者が多い。演劇サークルだったから、余興も本格的だ。映像と現実を組み合わせた劇は迫力があって、新郎新婦も交えた構成に親族や職場関係者の席も盛り上がっていた。なぜか何もしていない私まで、一緒に作り上げたかのような誇らしい気持ちになる。そして同時に演劇部のことも頭に浮かんだ。今頃皆はあのシーンを練習しているのかな。とか、背景の絵は描き終わったかな。とか。そんなことを考えながらも、飲み物のお代わりを頼もうと辺りを見回す余裕はあった。
ふと、隣のテーブルで背筋をピンと伸ばし、悠々とご飯を食べている人物が目に入った。瀬尾ちゃんだ。彼女は二個下の後輩で、確か今も演劇を続けている猛者だ。演劇サークルも所詮はサークル。社会人になった後も続ける人はほぼいない。ましてや専業にする人はさらに少数だ。うちの代は水谷が脱サラして劇団を立ち上げるという暴挙に出たが、今はもう会社員に戻ったらしい。そんな中、今も現役で役者を続けている彼女はとてもレアな存在だ。
彼女にとっては今の余興も大したことなかったのかもしれない。場の雰囲気と切り離されたかのような凛とした彼女の立ち振る舞いにそんなことを思う。少し気になって、声をかけてみることにした。実際のところ、プロの意見は指導に生かせそうだと思ったのだ。部活を休んだ罪滅ぼしでもある。とことん自分が小物に思える。
「瀬尾ちゃん、久しぶり。あのさ、今も演劇やってるって本当?」
「あ、お久しぶりです。清子先輩全然変わらないですねー! 演劇やってますよ。小さい劇団ですが」
「ちょっとさ、発声練習の方法とか聞きたくて」
我ながら結婚式で話す内容ではないなと、今さら気付く。よく教員は常識が無いと言われるけど、こういう所なんだろうなと思う。猪突猛進というか、周りが見えなくなる時が私には時々ある。
「なんで発声練習? 先輩また演劇始めるんですか?」
さすがに瀬尾ちゃんもたじろいでいる。引っ込みがつかなくなり、演劇部の顧問をしていることを伝え、演出の方法やアドリブのコツなど、申し訳なかったが、最近指導しあぐねていることを色々と聞いてしまった。実際、現役でやっているだけあって、瀬尾ちゃんの受け応えにはどれも説得力がある。学校に来て欲しいぐらいだ。朗々とよく通る声を聞いているうちに久々に瀬尾ちゃんの演技も観たくなってきた。そんな私の様子に気付いたのだろうか。
「もし良かったら今度、公演観に来てくださいよ!」
瀬尾ちゃんからの素敵な提案に私は即答していた。
司会者の声に従い、席へ戻った後も、珍しくうきうきしていた。観劇にこれほど心が浮き立つなんて、意外とまだ演劇のことが好きな自分がいることを再確認できた。部活は大変だが、演劇は嫌いではないようだ。しかし、だからといって部活に全てを捧げる生活をずっと続けるつもりはない。何事も適量が一番だ。この考えは逃げだろうか。挑戦だろうか。何かを手に入れるには何かを手放さなければならない。余裕ある生活を手に入れるためには、部活を手放さなければならない。結婚もそうだ。今の姓を捨てて新たな姓になる。それはある種の痛みを伴うのではなかろうか。たかが苗字と割り切れれば良いが、今まで呼ばれ続けたという意味以上のものがそこにはきっとある。だからこそ結婚式の新婦の手紙には、いつも感動させられてしまう。今まで育った家族からの自立はおめでたいことであると同時に一種の別れだ。別れはどんな形であれ、寂しい。今までの当たり前が崩れるから。
部活の顧問を降りること。それは自分が望んでいることでありながら、痛みを伴う。降りる理由は「楽をしたい」というどこまでも自分勝手なものでしかない。病気になったからでも、子どもができたからでも、親の介護が必要になったからでもない。自分の自由な時間がほしいというただそれだけだ。
自由な時間を得て、何をしたいのかと言われても旅行とか、のんびりするとか、掃除をするとか、料理をするとか、そんなことしか思いあたらない。その理由の薄っぺらさが私を引き止める。
こんな気持ちの顧問で生徒達に何かを伝えることはできるのだろうか。もちろん手を抜いているわけでは一切ない。それは誓って言える。常に自分にできる事を精一杯やってきたつもりだ。
が、たまに生徒を不憫に思う気持ちも正直ある。もっと経験豊富で熱い先生だったら良かったのではないか。具体的には、前の顧問の佐久間先生の方が良かったのではないか。と。
もやもやとネガティブ回路のドツボにはまっているうちに、式の進行はどんどん進み、デザートまで出てきた。慌てて、スマホを取り出し、お色直しをした新郎新婦を意味もなく写真におさめる。
ちゃんと参加しよう。そのために来ているんだ。
スマホにはさっき皆で撮った写真が早くも送られてきていた。輝いている同級生達の中にいる一際疲れきった顔をした私。
どうしたら幸せになれるのだろうか。どんな選択をとっても苦しい。反射的に、見返す予定もないその集合写真を保存し、そのままデザートの写真も撮る。式の進行はつつがない。




