7 女子会後 彩乃の場合
夕飯の片付けを終え、見るともなしにテレビを見ていた。銀座のクラブのママに密着したドキュメンタリーが流れている。
夫の正和は風呂に入っており、私はいつになくぼんやりとしていた。シャワーの音が遠く聞こえる。
クラブのママはシングルマザーで、仕事に、子育てに、奮闘している姿が画面にうつされる。
昨日の女子会が自ずと思い出された。若菜はだいぶ子育てに苦戦しているようだった。働きながらの子育てはたしかに大変だろう。旦那さんもそんなに協力的でないなら、尚更だ。
それでも、と思ってしまう。それでも、子どもがいることは羨ましい。
今までの人生は割と順調に進んできた。地元で進学校と言われる高校に入り、そこそこの成績をキープし、推薦で希望の大学へ進学。その後は、いわゆる大手企業に入社。同期の正和と出会い、四年付き合った後、二十七歳で入籍。入籍と同時に退職し、専業主婦へ。
絵に描いたような順風満帆に見える私の人生は子どもが生まれないことで、初めて苦難らしい苦難にぶつかっている。これまでにも当然こまごまとした困難や悩みはあった。失恋したこともあれば、仕事で大きな損失を出したこともある。しかし、今となってはそのどれもが鼻で笑えてしまう、ちっぽけでくだらない出来事に思える。
不妊による鬱々とした気持ちは今までの悩みの比ではない。他の大多数の人ができていることが、私にはできないということが、こんなに辛いとは思わなかった。
例えば、家族を失ったり、大きな病気、事故をしたりというような経験がこれまでにあった人ならば、不妊という状況にも何らかの方法で立ち向かっていけるのかもしれない。なまじっか大きな挫折を経験したことがないだけに、私は脆い。心の対処の仕方がわからない。
今まで人として、いや、生物としての欠陥を突きつけられたことなどなかった。まだ精密な検査を行なっていないからこそ、嫌な想像はどこまでも広がる。でも逆に、事実を知らずにいられる分、最悪を味わうこともない。
前に進むためには、検査を受け、本格的に不妊治療に乗り出す必要があることは分かりきっているが、夫が乗り気でないのを良いことに、現実をまだ知りたくない弱い心が行動をせき止める。
それでもここ数ヶ月は、生理が来るたびに涙が出る。どうしようもなく自分の体が嫌いになる。どっちみち辛いなら、先に進む辛さをそろそろ選ぶべきなのだ。
テレビ画面に映るクラブのママはどこまでもパワフルだ。
子どもを産むと女性は強くなると言うが、強い女性だけが子どもを産めるのではないか。私は潜在的に弱い。それは心もだし、心は当然体に繋がっている。
専業主婦になった今、夫に寄りかかる部分が必然的に多くなった。それは私の弱さに拍車をかけている。子どもを育てられるだけの力がない者に子どもは宿らないのではないか。そんな、考えても仕方がないことばかり最近考えてしまう。
番組は終わり、正和は風呂を出たようだ。冷め切ったたんぽぽ茶を飲み干す。手にはスマホ。口コミの評価が高い近所の不妊治療に特化したクリニックの予約画面。
なんだかんだずっと押せないでいたけれど、今日は押せる気がする。昨日の飲み会で、皆が大変そうにしている姿に、少なからずパワーをもらったのだ。いや、そんな聞こえの良いものではない。単に焦りが出てきたのだ。
休みなく仕事にバリバリ取り組んでいる清子、子育てしながら仕事に復帰した若菜。私だけが何もしていない。
うじうじと毎日を消費しているだけだ。風呂上がりの正和が下着姿でリビングに入ってきた。太ったかなぁと少し出てきたお腹を撫でている。その気の抜けた姿に、なんだって言えそうな気がした。
「ね、あのさ、やっぱり不妊治療受けてみようと思うんだけど。わりと近くに評判の良いところがあって、治療っていうより最初は検査なんだけど、どうかな、一緒に。再来週の土曜日十四時なら空いてるみたいなんだけど」
思った以上に早口になっている自分に喋り終える頃に気付く。正和はお腹に手を当てたまま、ぽかんとこっちを見た。
「……そんなにちゃんと調べてたんだ。まぁ、確かにそろそろ、うん、行くか」
正和は意外にもすんなり受け入れてくれた。また「まだそういうのはいいよ」って言われることをなんとなく想定していただけに、拍子抜けした。言いあぐねていたのが馬鹿みたいだ。紅茶の中の角砂糖をスプーンでつついたら思いのほか簡単にほろほろと崩れていった、そんな感じ。
「ね、それって俺あれやるってことだよね? 病院のトイレで精子採取してきてくださいって言われるやつ」
「え、どうなんだろ」
慌て始める正和を横目に、予約のボタンをポンとタップする。妊活に対して夫の理解が得られないという体験談を目にしすぎて、勝手に悪い方向に考えていた自分を少し反省する。
正和はそんな人じゃない。ちゃんと話せば分かってくれるのだ。心に引っかかっていた何かがすとんと落ちて、その日は久々に穏やかな気持ちで眠ることができた。




