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4 瀬尾 詩織は迷走中

 二十時。

 稽古が終わって、いつものメンバーで駅前の吉野家に行った。

今回の公演は劇団立ち上げ五周年記念ということで、いつも以上に皆気合いが入っている。

牛丼を掻き込みながら、あの場面はあーだとか、この台詞はどーのとか、稽古の熱を引きずったまま、演劇談義に花を咲かせている。

 演劇が好きで、真っ直ぐにそれを表出できる人達。私もそう思えれば良いのに。

一応皆に相槌を合わせているけど、心の中には冷めている自分がいる。

 私は大学卒業と同時に、演劇サークルの先輩達と、この劇団を立ち上げた。

元々役者になりたいと思っていた私は、一般企業への就職活動はせず、様々なオーディションを受けていた。

しかし、どれも上手く行かず、知り合いの小さな劇団へ所属させてもらえないかと考えていた矢先、先輩達の劇団設立の話が立ち上がったのだ。

 周囲の就職活動がすっかり落ち着いた大学四年の秋、演劇サークルの仲間達との飲み会があった。

就活が全く進んでいなかった当時の私は参加する気など、全くなかった。

しかし、聞いてしまったのだ。水谷先輩が来ると。

 水谷先輩は二個上の先輩で、卒業後、銀行に就職していた。私は大学一年、二年と先輩に片想いし、思いも告げられないまま先輩は卒業していった。

それから二年。私はなお思いを引きずっていた。

我ながら粘着質だと思うものの、恋心をコントロールすることなど、できるわけない。

就活の話題がもたらす気まずさと先輩に会える機会とを天秤にかけるまでもなく、私の答えは明確だった。

 水谷先輩効果で飲み会への参加を即決したものの、その日は朝から憂鬱だった。

就活が何も進んでいないのに、のこのこと飲み会に現れて、どう思われるのか。

他の同級生達が、卒業旅行などを企画している話なども聞きたくない。

今更だけど、水谷先輩にこんな状況を知られたくもない。考えただけで、足取りは重くなる。

なんとか準備をして、とぼとぼと向かいながらもやっぱり帰ろうかなと思っていた矢先、声をかけられた。

「あれ? 瀬尾っち? 久しぶり」

 振り返ると、水谷先輩だった。

仕事の帰りなのだろう。スーツ姿だ。大学生の時とは違い、お堅い髪型になっているが、自然と上げられた前髪は就活中の同級生のそれとは違い、かっこよく馴染んでいた。

ばくばくと鳴り出す心臓を押さえつけ、挨拶をする。

何にも気にしていない素振りで、「スーツで飲み会なんてすっかり社会人が板についてますね」なんて毒にも薬にもならない台詞を量産する。

相変わらず先輩は優しく、「ホントそれね。どんどん自分が自分じゃなくなるみたいだよ。ま、瀬尾っちとかサークルメンバーに会うと昔の感覚が蘇るけど」なんとも言えない私の発言にもしっかりと返事をしてくれる。

こんな当たり障りない会話をつなぎ、なんとか自分の就活の話には触れないまま、居酒屋に着いてしまった。

こうなったら帰るなど無理だ。少し遅れて来た私と水谷先輩は流れでちゃっかり隣に座ることになった。

嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかく飲み会に向かっていた時の憂鬱が嘘のように、私はちょっと舞い上がっていた。

その日先輩とは色々と話をした。その中で先輩が今日顔を出した理由に話題は及んだ。

「卒業してからサークルに顔出してくれるの初めてじゃないですか?」

 きっかけはこんな私の一言だった。本当は「嬉しい」とか「寂しかった」なんてことを伝えたかったが、そんなことは言えるわけもない。

「そうなんだよね」

 先輩はそこから最近の近況を教えてくれた。

少し噂は聞いていたけど、思った以上に本格的な話に驚く。

先輩は銀行に就職したものの、演劇への思いは募る一方で、観に行くことはもちろん、週末にはちょこちょこ知り合いの劇団に出させてもらったり、脚本を書いては公募のコンテストに出したりしていたそうだ。最近そのうちの一本が入選し、手応えを掴んだらしい。

今は大学の同期を中心に仲間を集め、劇団を立ち上げようとしているとのことだった。

軌道に乗ったら仕事も辞めるそうだ。

もし興味のある後輩がいれば、手伝ってもらったり、出てもらったりしようと思い、今日久々に来たとのこと。

突然舞い降りた夢のような話に、身体中を血液が激しく駆け巡る。

思考とも妄想ともつかない幸せなビジョンが脳内に目まぐるしく展開された。本能的に、私は自分の近況を先輩に話していた。

呼吸が、消化が、無意識に行われるようにそこに意図はなかった。

家族にさえ、友人にさえろくに話せていない、なんなら自分ですらうまく掴みきれていない想いが、すらすらと出てきた。

演劇が好きで今役者を目指していること。オーディションは難航し、芸能事務所への所属は厳しく、劇団への所属を考えていること。先輩さえ良ければその劇団に入れてもらいたいと、気付けばそこまで言っていた。もちろん後悔は無かった。

 もうあれが五年も前だなんて。時の流れの速さに頭が追いついていかない。

牛丼を囲むメンバーの中に水谷先輩はいない。

 四ヶ月前、子どもができたことをきっかけに、水谷先輩は劇団を脱退した。

約一年前、結婚した頃から就活はこっそりしていたらしく、劇団を辞める時にはすでに広告代理店での仕事が決まっていた。

 私はと言えば、先輩がいなくなってから、演劇に対する情熱もぽっかりと抜け落ちてしまっている。

自分の弱さが嫌になる。

この五年、私は役者になりたいのか、水谷先輩に良い姿を見せたいのか、自分の中でも目的が混迷しているのを感じていた。

しかし、役者として名を上げることと、先輩に良い姿を見せること、目的は違っていても、過程は同じだった。

だから、迷いなく、ただひたすらに演技に没頭すれば良かった。

それなのに、水谷先輩がいなくなった今、これほど演技に身が入らないということは、もはや私は先輩が目的になっていたと認めなければならない。

そんな私にはきっと、役者を続ける資格がない。

 一年前、水谷先輩の結婚の話を聞いた時、悲しみよりも、「やっぱりか」という気持ちの方が大きかった。

彼女さんがいることは知っていたし、よく観に来ていたから何度も会ったことがある。

銀行員時代の同僚で、とてもとてもとても可愛らしい人だ。

私より年上だけど、その人の周りの空気はぽわぽわしていて、あまりの邪気の無さに自分の醜さが突きつけられて、嫌いなはずなのに、憎めない。そんな人だった。

美味しく焼けたクッキーを他意なく配れたり、家には花が飾ってあったり、水筒を持ち歩いていたり、小さい子とうまく遊べたりする、ほぼ推測だけど、そんなタイプの人だ。

私とは全く違う。

結婚報告の半年ほど前から水谷先輩は、少し演劇と距離を置いている感じがしていた。

十年近く片想いしているだけあって、先輩の変化は自分でも気持ちが悪い程、わかる。

先輩の言動の端々から、彼女さんとの将来を真剣に考え始めていることは明確だった。

信じたくないけど、最悪のシナリオがありありと目に浮かんだ。

自分がそこに立ち入る隙がないことも、それを私自身望んでいないことも、十分わかっていた。

それでも、この人に私の頑張りを見てほしい、認められたいという気持ちは、どうしようもなく残留した。

その頃の私の先輩への気持ちは恋を超え、敬愛、執着、いや、崇拝、とにかくそんな類いの自分ではどうしようもできないものになっていた。

しかし、今はもうその先輩はいない。

公演は観に来てくれるだろうが、再就職してから稽古場に来てくれることはめっきりなくなった。

もはや私のエンジンは完全に止まってしまっている。

最近は、これまでどうやって演じ、どう動き、どう声を出していたのかわからなくなってしまっていた。

 二十七歳。恋を拗らせ、夢を拗らせ、目標を失った今、どうしたらいいのかさっぱりわからない。

演劇を続けることで見えてくるものがあるのだろうか。

それとも、役者であるよりも、一人の片想い女と化してしまった私に演劇の道はもう残されていないのだろうか。

でも、だからといって、新しい目標は見つかるのだろうか。

やりたいことなど何もない。

最近はもっぱら惰性で日々を送っている。

紅生姜を入れ過ぎた丼。何かを求めるように、肉と米を掻き込んだ。

周りの談義はそんな私を他所に相変わらず盛り上がっている。誰かが、「あ」と言った。

外で花火が上がっているらしい。皆慌てて会計を済まし、ぞろぞろと店を出た。

私も、もそもそとついて出る。

花火なんか見ても、何にも解決しない。アドバイスをくれるわけでもなければ、生きる目標をくれるわけでもない。ただの弾けて消える色のついた火だ。

テンションが高くなっている周囲のおめでたさに、苛立ちすら湧いてくる。

しかし、気付けば私の口からも「わー」なんて声が出て、心は空っぽのまま、花火の光は意味もなく私の顔を明るく照らす。

道行く他の人々も気付けば皆同じ方向を見ている。

こんなもんだ。

所詮私も他の大多数と大して変わらないくだらない人間なんだ。

皆腹では何を考えているかわからないけど、花火が上がったらそれを見上げるぐらいの余裕はあって、心にもなく「きれー」とか「すごーい」とか言って、言っているうちに本当に綺麗に見えてきて、一瞬で消えていく炎の花にちょっと黄昏れるような気分にすらなって、そんな程度に私も十分おめでたい人間なんだ。

そんな分かりきったことを改めて突き詰められて、瞬く間に自己嫌悪に駆られる。

やりたいことなんて、あったところで、どうせやり遂げられない。私はその程度の人間なんだ。

気付けば花火も終わっている。駅前で解散し、ここが最寄り駅である私は一人歩いて家の方に向かう。

自分がありふれた人間であると、理屈じゃなく、実感として再認識した今、不思議と心はほっとしていた。

諦めというか、納得というか。自分の程度を思い知った感じ。

自嘲。ドラッグストアで安い缶チューハイとスナック菓子とアイスを買う。目標なんかなくったって、時間は流れる。

とりあえずは五周年記念公演をやりきる。

それから先のことはその時の気持ち次第だ。

続けたければ続けるし、抜けたきゃ抜ける。それだけだ。新たな目標を決めようとか、演劇に心から打ち込もうとか、無理矢理足掻いたところで、私の程度はたかが知れてる。

きっとそんな心持ちで良いんだ。誰にも人生の正解なんて分からないんだから。

その時々、自分のしたいようにする。それだけだ。ボロアパートの階段を上りながら、大きな月がのっぽりと浮かんでいるのが目に入った。綺麗だと思った。自分のおめでたさになぜか安心した。

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