19 女子会 清子の場合
結局部活が長引き、遅れてしまった。
小走りで改札を抜ける。冬の冷たい空気がツンと鼻に響く。
毎日何かに追われ、毎日走っている気がする。息が白い。三十代を目前にして、クリスマスの飾りに彩られた街中を全力で駆ける自分は浮いている。
でも仕方がない。どうしようもない。遅刻している以上、走った方がいい。今日も今日とて心に余裕は無い。
こんな時は小さなことにも腹が立つ。道に広がっている学生集団やのんびり歩くサラリーマン、エスカレーターで片側を空けていない親子連れなどにさえ自分勝手にイラつく。走っている自分の方が全体から見たらイレギュラーなのに。さっさと退いてくれと心の中で悪態をついている。何とまあ我ながら酷い心。何様のつもりだ。
遅れているという事実と、急ぎたい気持ちが、私の心を狭くする。仕方がない。どうしようもない。のほほんとしている人々が自分勝手に見える。どっちが自分勝手なのかは、十分分かっているが、生理現象という都合の良い言葉で、己の未熟さの言い訳をする。そもそもなんでこんなに早い集合時間にしてしまったのだろう。過去の自分にも腹が立つ。色んなものにイラつきながら、冷たい空気を纏って店に着く。
瀬尾ちゃんのバイト先には初めて来た。なんだか来なれない今風のお店だ。黒板にチョークで書かれたメニューはおしゃれな筆記体で、脳内に文字として響いてこない。女子大学生やおしゃれなカップルが目立つ店内で、肩で息をしているくたびれた自分は場違いな感じがする。
でも、奥の席に見慣れた二人を見つけると、安心した。
「もー遅いよー」
「お仕事、お疲れ様」
「ごめん、ごめん」
二人の優しい声に結局私は甘えてばかり。
こんな風に許される時、いつも、このままじゃ良くないな、と思う。次こそは、と思う。余裕を持って行動できるようになりたい。その時は本気だ。心の底から変わろうと思う。しかし続かない。気付くと同じ過ちを繰り返している。結局甘えているのだ。もうこれは直らないのかもしれない。
駄目人間であることを自覚しつつも、改善しようとしない真の駄目人間に日々私は近付いている。
諦めることが板についてきた。私はどうせ変われない。腹の底から反省して、本当に改善できた人など、実はいないのではないかという気にすらなる。
今はもちろん反省しているし、申し訳ない気持ちもある。だから慌ててコートを脱いで席に着いた。
すると、とたんにお腹が鳴った。体はもう反省などそっちのけのようだ。とことん駄目人間である。
「清子先輩、いらっしゃいませ!」
瀬尾ちゃんのまっすぐな、よく通る声が、自分の不甲斐なさに響く。
「ドラマ、おめでとう」
苦笑いしたまま、オススメだと言われたクラフトビールを頼む。改めて遅れたことを謝罪し、おずおずと乾杯して、取っておいてもらったお通しのオリーブをつまむ。
コースの料理はどれも美味しくて、家では絶対に作らないし、買いもしないような物ばかりだった。アヒージョとか、バーニャカウダとか、アクアパッツァとか、石窯焼きのピザとか、どれもこれも美味しい。お酒も進む。
約半年会わなかっただけだが、それぞれにそれぞれの時間があって、やっぱり皆半年分、何かしら積み重ねているようだった。
若菜は旦那との関わり方が変わってきたようだし、彩乃は不妊治療を始めたとのこと。私はと言えば、これで良いのかという程に変わり映えしない日々を過ごしている。
強いて言うなればマッチングアプリを始めたことぐらいだが、結局彼氏はできていない。仕事も何ら変化はない。部活は相変わらずの忙しさ。同じような毎日をただ、ただ、こなしている。
最近よく考える。「幸せ」とは何か。私は、仕事もあり、健康で、友達もおり、借金もない。家族も皆元気だ。この状況を挙げ連ねれば、世間からはある程度幸せだと思われるだろう。
しかし、私は自分を幸せだと思えない。もちろん、彼氏がいないとか、休日がなく残業が多いという要因はある。でもはたして、彼氏ができて、自由な時間が増えたら幸せだと思えるのか。
疑わしい。彼氏ができたらできたで、悩みは出てくるだろう。時間があっても、充実したと言えるだけの使い方ができる気がしないし、ダラダラ休日を過ごした後に来る虚しさを私は知っている。
幸せとは何か、どうしたら幸せになれるのか。一時期は結婚すれば幸せになれると、盲目的に思っていた時期はあった。しかし、若菜の話を聞く限り、結婚、出産の先には新たな苦悩がありそうだ。
彩乃も彩乃で、専業主婦という理想的な環境に思えるが、不妊治療もさることながら、何かと肩身が狭そうだ。
幸せそうに見える人も幸せではない。この世には幸せなんて無いのかもしれない。
刹那的な喜びはあっても、永続する幸福はない。人は例え幸せを手に入れても、すぐにそれが当たり前になり、退屈になり、倦怠が立ち込める。
幸福でいるには、常に新しい幸せを享受し続けなければならない。でもそんなことはできない。全てがマンネリ化し、歳を取れば取るほど、幸せは難しくなっていく。
何もかもを消費することに慣れた私達は、幸せすらも消費して、ここにあるものに満足できない。幸福な日々はここにはない。過去か未来にのみある。そんな悲しい思考を若菜と彩乃の話を聞きながらぼんやりと抱いた。
帰り際、店長がわざわざ挨拶に出てきてくれた。四十代後半ぐらいの綺麗で快活なおばさんだった。
「今日はありがとうございました。詩織の先輩なんですってね! でもまだ二十代でしょ? いいねー若くて! ぜひまた来てくださいね」
割と酔っぱらっている私たちを見て、そんなことを言った。
若いだなんて、久しぶりに言われた。即座に否定したくなる。
二十九歳。職場でももう後輩がたくさんいる。婚活市場ではギリギリだ。旬を過ぎ、衰えていくだけの存在だと思っていた。でも、店長からしてみれば二十代というだけで、羨ましい要素が私達にはまだあるのだろう。
誰かにとって手に入れ難い何かを、すでに私達は持っている。それを自覚することが幸せの尻尾を掴むことになるのかもしれない。ここにあるもの、今の状況に目を向けること。
互いを羨ましく思いながら後を追いかけ、ぐるぐると相手と同じ所を回るよりも、自分に目を向け、自分の持っているものを自覚する。その上で自分の行きたい所に向かうこと、それが幸せを生むのではないか。
ほろ酔いに任せて、そんな臭いことを考えながら、二人と別れた。お互いの幸せを祈りながら。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
4人の苗字と名前の最初の文字を繋げると「しあわせ」になります。
お互いがお互いの状況を羨みながら、実は手元にあった幸せに少しずつ気付いていくお話でした。
皆さまに幸あれ!




