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16 詩織の一歩

 五周年記念公演は、結論から言えば、上手くいった。

 結婚式のあと、ふっきれて、演劇に集中できたからだ。演劇の面白さ、楽しさも思い出せた。

 稽古を重ねる中、この公演が上手くいかなければやめようと、うっすら心に決めていた。これまでの私は水谷先輩目当てに演劇をしていたんだと、気付いてしまったからだ。水谷先輩というにんじんを失った今、納得のいく演技ができなかったら、私に演劇を続ける資格はない。瀬尾詩織の全てを込めた演劇がうまくいかないのであれば、所詮それまでということ。走れない馬は引退あるのみ。だから、これが上手くいかないなら辞めよう。

自分でも気付かないうちに、そんな覚悟をしていた。それも良かったのかもしれない。

いつになく台本を追究したし、演技も、今まで培ったものをほぼほぼ出し切れた感覚がある。もはやそれは演じているんじゃなくて、私自身である感覚すらあった。これは本当に久しぶりのことだった。

結果的に招待した清子先輩は褒めてくれたし、最終日に来てくれた水谷先輩からもすごく良かったと連絡がきた。SNSでの評判も悪くなく、フォロワーが五日間の公演で百人以上増えた。極め付けに、芸能事務所の方から名刺をいただいた。いわゆるスカウトってやつだ。

オーディションの紹介があり、所属に向けた説明もされた。色んな反響が一気に来て、頭の整理が追いつかなかった。

ついにこんな日が来たんだと思うのと同時に、えらいことになったと思った。望んでいた状況に自分がいるのに、うまく飲み込めない。

だから、あんまり嬉しくもない。自分が置いてきぼりをくらって、周りがどんどん進んでいくような、とにかく状況が全然掴めなかった。それは実感が湧かないせいでもあるし、これ以上上手くいくわけがないと思ってしまうせいでもある。急にスポットライトを当てられた人の様に、呆然として、他人事のように周りを見渡していた。

「良かったね」、「すごいね」の言葉の渦は、自分の気持ちとは関係なく私を取り巻き、これで良かったような、同時に、このままではダメなような気になってくる。要はどうしたら良いか分からなくなってしまったのだ。

「オーディション、受けないの?」

 周りは無責任だ。後先考えず、良かれと思って背中を押してくる。「うん」とも「ううん」とも言えない私は「うーん」と言って、もうちょい考えてみると煮え切らない言葉を言うしかない。

 夢を求めて努力した結果、夢を掴みかけている。でも果たしてこれ以上、自分の成長は、成功は、あるのだろうか。それより何より、私はこの道を進んでいいのか。

先輩が目的となっていた事実をそう簡単に見過ごすことはできない。演技の道は辛く厳しい。そんな道をこんな私が歩んでいけるのか。演劇に関わってきた時間は、演劇の良さだけではなく、暗さも私に教えてくれていた。

スカウトされ、劇団を辞めた後輩のその先。長年劇団に所属し、独身のまま、五十歳を超えてもずっとバイトを掛け持っている先輩。

何が幸せか、何が正解か、途端に分からなくなる。自分が何を目指し、どうなりたかったのか。大きな劇団に所属したいとか、テレビに出たいとか、どれも良いなとは思うけど、今となってはゴールが分からない。それぐらい裏を知りすぎてしまった。ただただ好きなことを、気分に任せてやっていただけで、どうなりたいとか最近はちゃんと考えてすらいなかった。目の前の公演を成功させる、その気持ちだけだった。

 先が開けた途端、怖くなってしまった私は色んなものを先送りにした。ずっと続くと思っていた生活を終わらせたくなくて。先に進むのは危ない気がして。

こんな時、水谷先輩ならどんな言葉をくれるだろう。飲みに行こうと連絡が来ていたし、芸能事務所に所属するべきかどうか相談したい気持ちはあるけど、本能的にここで先輩を頼ってはいけない気がしていた。

せめて脳内で水谷先輩を再現する。まずは、「すごいじゃん」と、言うだろう。「でも、俺だったら断わるかなぁ」とか言いそう。

「俺が好きなのは劇場での演劇であって、お客さんとの近さ、一体感が好きだからさ。でも、やってみると案外、映画とかドラマとか、そっちはそっちの面白さもあるだろうね。要は瀬尾っちがやりたいかどうかじゃない?」

そんな感じだろう。長年の片想いで身に付けた脳内水谷先輩のクオリティには自信がある。やりたいかやりたくないかで言ったら、そりゃやってみたい。

でもやった結果、上手くいかなかったら? それでもやり続ける覚悟はある? 

転職するなら、早いに越したことはない。清子先輩みたいに演劇部に関わるのも良いかもなんて、少し思ったこともある。

今回これだけ打ち込んだ甲斐あって、純粋に演劇が好きだと思えている自分も確かにいる。それは今回得られた大きな収穫だけど、それが今は私を苦しめている。いっそ、好きではないと思えていたら良かったのに。そしたら悩まなくて済む。

 そんなこんなで、公演が終わった後、一週間ぐらいはぼーっと過ごしていた。

本当は自分の中で答えは出ている。ただ、進む勇気が溜まるまで、時間が必要だった。だんだん寒くなってきた空気に身が固まるのに従って、心も定まってきた。

やれる所まで、やってみよう。それでダメならいつだって辞めて良いんだ。どんな状況も意外とどうにかなる。今までだってそうだったじゃないか。行くべきところに流れ着くようにできている。

今期初めて厚手の上着を引っ張り出してきた秋晴れの日、芸能事務所に連絡をして、ドラマのオーディションに申し込んだ。空には雲一つ無かった。



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