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12 詩織と卒業

 結婚式の日、私は二次会に行かなかった。

おそらく水谷先輩は行っている。でも、私は行かなかった。五周年記念公演に、ちゃんと向き合いたくなったから。

最近は、というより、水谷先輩が劇団を抜けてから、適当ってわけではもちろんないけど、六割ぐらいの真面目さで、場数だけは踏んできたことを良いことに、日常の延長線上にある流れ作業のような感覚で、稽古にも本番にものぞんでいた。力が抜けてて良いねなんて言われることもあったけど、自分としては完全に惰性だった。惰性であるが故に、褒められても、批判されても、何も感じない。無。だって、本気じゃないし。いつだって、心の中で舌を出している感覚。傷つくこともないが、楽しいわけもない。

でも、あの時、清子先輩と話した後、気付いてしまったのだ。

 今、水谷先輩が近くに居ない今、自分の本気を出してみたら、それは純粋に自分の本気であると。

こんな単純な分かりきったことだけど、私の中でその衝撃は大きかった。

これまでは水谷先輩に認められたい、褒められたいという不純な動機で頑張っていたようなものだ。それは実力というより、水谷先輩を無意識に意識した演技で、先輩の好みや発言、アドバイスを無条件に反映させたものだった。そこに自分はない。瀬尾詩織はどこにもいなかった。

でも、今だったら、今までと違う演技ができる気がする。瀬尾詩織が解釈した役柄を、瀬尾詩織の思うままに演じる。

そう思い至った時、二次会どころではなかった。視界が急に開けたようになって、早く台本を見返したかった。今まで見えていなかった何かが今なら見える気がした。

私が演じる彼女は、なぜ、どんな気持ちで、その台詞を言ったのか。その時表情は、立ち位置は、動作は、声のトーンは、どうするべきか。台本をもらってから、いつもの惰性で、なんとなく台詞をさらって、それっぽくやっていたこの一ヶ月の稽古が憎らしい。その日、完全にスイッチが入った。

 それからの日々は目まぐるしかった。台本と向き合ってみたら、色んなことに気付いた。脚本を書いたメンバーや他の演者との相談は不可欠になり、気付けば、演劇談義に花を咲かせている自分がいた。楽しかった。純粋に。そこにある世界観を突き詰め、再現していく、その作業によって、脚本の世界に自分が没入する。演劇は現実となり、私と彼女は矛盾なく一人の人物となる。自分の中にいる彼女と対話を重ね、正解を探る。答えはいつでも自分の中にある。

ランナーズハイならぬ、演技ハイというものがあるなら、まさにそれだった。演じることに無理は何もなく、舞台の上では自然に彼女の人生を生きていた。

 一度、水谷先輩が差し入れを持って、稽古場に来た。奥さんと子どもも連れて。私は動じなかった。いや、動じた。確実に動じた。でも、自分を、自分のやり方を見失うような揺れではなかった。自力でやってきたことを見せたい、これが私の本気だという、前向きに真っすぐにぶつかりたい気持ち。

恋愛感情もへったくれもなく、一観客に自信作を叩きつけてやりたいという衝動。同時に演技をもっと良くしたかったし、自分の解釈が伝わるかも確認したかった。

その日、稽古の途中で、奥さんと娘のみなみちゃんは帰り、水谷先輩だけが残った。私は劇団の数人とそのまま飲みに行くことになり、先輩も珍しく参加した。その飲み会では、やたらと水谷先輩が私を褒めた。いつになく、興奮気味に、前のめりで褒めた。

「瀬尾っち、うまくなったなぁ、びっくりした。あの最後の台詞のトーン、グッときたよ。本当に」

 周囲のメンバーはニヤニヤして私の反応を見ている。私の片思いなど、狭いコミュニティの中、周知の事実なのだ。褒められて嬉しくないわけがなく、私も、私でニヤニヤを隠しきれない。

「いやいや、そんな、褒めすぎですよ。水谷先輩が今まで色々教えてくださった賜物です」

と気持ちの悪い謙遜をする。嫌な集団だ。側から見るまでもなく寒々しい。

割と飲んだ。記憶が珍しく途切れ途切れで、何をどう話したのか、あまり覚えていない。でも、水谷先輩の「結婚生活って意外とキツいよ」という言葉と「瀬尾っちとどっか行きたいなぁ」という言葉は脳みそに刻まれている。おそらく妄想ではない。

でも、私はもうそんな言葉で一喜一憂する玉ではなかった。さらさらと冗談にして受け流し、少し嬉しい気持ちは隠さずに、でも本気にはせず、お酒で記憶を薄める。

我ながら強くなったと思う。私は私で生きていきます。そんな宣言が先輩にできた気がした。本番まであとちょっと。悪くない夜だった。

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