1 篠原 清子は忙しい
二十一時七分。帰宅。
見慣れているはずの我が家に、時たま愕然とする。
床には脱ぎ捨てられた靴下、たたんでいない服、散乱した書類やチラシ。テーブルの上にはコンビニ弁当の容器、飲みかけのペットボトル。流しにはもちろん、洗っていない食器類。
クローゼットは言うまでもなく開け放たれていて、引き出されたままの引き出しの上には乱雑に服が重なり合っている。
泥棒に入られたとしても、気付けないであろう部屋。
しかし、なんとかしようという気持ちは一瞬で消える。
掃除よりもするべきことがある上に、この状態でも私にとって居心地の良い空間であることに変わりはないのだ。
綿のくたびれた座椅子にもたれ掛かり、反射的にクーラーとテレビを付ける。お湯を沸かして、カップ焼きそばを食べる。せめてもの栄養に、実家から送られてきた野菜ジュースを飲む。
いつからだろう。バラエティ番組ではなく、ニュースを好んで見るようになったのは。
子どもの頃、両親がニュースを見たがる気持ちが全くわからなかった。
面白くないし、大人たちが難しい顔で語っている内容に、何一つ必要性を見出すことはできなかった。
それが今では落ち着くのだ。バラエティとは違い、笑えるようなことなど何も起きないが、それが良いのだ。
感情を動かさずに済む無味無臭の情報に浸ることで、思考から、なすべきことから、逃避できる。社会を知った気になれる。無駄な時間を過ごしているわけではないと思い込むことができる。
そうやって、脳を使わずに夕飯を終える。毎日のことだ。
社会人五年目。気付くと思考する状態を避けている自分がいる。
情報を摂取していれば、思考している気になり、安心できる。
トイレに行く時ですらスマホを持ち込み、必要最低限の家事をする時にも動画やポッドキャストを流している。情報に溺れておけば、時間を空費していることの虚しさを感じずに済む。
夕飯後は、テレビを消し、パソコンを立ち上げる。授業用のプリントを作成するのだ。
学校で終わらせることができれば良いのだが、部活動の顧問をしていると、放課後に時間を確保することは難しい。
学校が閉まるギリギリまで作業はするものの、結局終わらずに家に持ち帰ることは多々ある。
しかし、家に着いた気の緩みと、仕事の疲れとであまり捗らない。
今日も今日とて、作業効率は悪く、むやみに時計ばかりが進む。
ひとまずシャワー浴びることにした。その後再び準備を始めるものの、すぐさまうとうととし、気付けば二十四時を過ぎていた。
準備はもちろん終わっていない。が、もう寝ることにする。明日の朝の自分に全てを託す。
明日も朝練だ。六時半には家を出なければならない。授業準備をすることを考えたら遅くとも五時起きだ。
世の中で、教員はブラックだと言われている。
その言葉は間違いではない。
ただし、正確でもない。現場には「差がある」。その一言に尽きる。とてつもなく差がある。
毎日定時に帰れ、土日も休め、夏休みもしっかり休暇を消化できる人がいる一方、毎朝七時頃に出勤し、二十時過ぎまで残り、土日もなく、年間の休日が十日に満たない人もいる。
私は後者だ。大学院を出て、就職してから五年間、ずっと後者だ。
勤務している高校には伝統のある演劇部がある。毎年南関東大会に出場したり、年に数回招待公演を行ったりする強豪校である。
私は大学生の時、演劇サークルに所属していたために、気付けば主顧問になっていた。
五年前、この学校に来た時には、演劇部界の重鎮、佐久間先生という方が主顧問をしていた。
私は副顧問として、佐久間先生の元、日々学びながら部活に関わっていた。
副顧問と言えど、演劇部は台本や大道具、衣装の準備、日々の稽古、お金の管理や大会の申し込み、運搬用トラックの手配、照明や音響の確認などなど、とにかく仕事がある。
もちろん生徒が主体となって動いてはいる。
しかし、何でもかんでも生徒にお任せという訳にはいかない。必ず様子は把握しておく必要はあるし、お金や外部の業者が絡む場面はこちらがメインだ。
私生活を顧みず、熱く指導に取り組んでいた佐久間先生は今年転勤となり、四月からは私が主顧問として部活を見ることになった。演劇の経験者など、そういない。
名前だけの顧問は他に三人居るが、何も経験がない上に演劇を知ろうともしてくれない。
かろうじて会計は引き受けてくれているが、普段の稽古も大会の引率も全て私任せだ。
私がもっと巻き込めればいいのだが、皆先輩であり、よっぽどの時でなければ部活を頼めないのが現状である。
よく吹奏楽部は体育会系文化部と言われるが、演劇部も強豪校ともなれば、同じだ。
ほぼ毎朝、発声のために筋トレや活舌練習を行い、大会前ともなれば、土日も朝から晩までの一日練がほとんどだ。
今まで様々な賞を取ってきた部なだけに私にのしかかるプレッシャーは大きい。
もちろん演技するのは生徒であり、顧問にできることはたかが知れている。
周囲も佐久間先生と同じクオリティの指導が私にできるとは思っていない。それは私もそう思う。
ただ、佐久間先生がどれほど自分の時間を返上し、生徒に情熱を注いできたか、それを間近で見続けた私は、経験がない分せめて心だけでも、と無駄な熱量を方向性も分からないまま注ぐことだけが正義と言わんばかりにがむしゃらに部活に取り組んでいた。
昨年度までの流れを知っているだけに、今年結果を落とすわけにはいかないという気持ちと、真似ではなく、私なりの等身大のやり方を確立すべきだという気持ちの板挟みになりながら、部活に追われる日々を過ごしている。
幸い、生徒はとてもしっかりしていて、三年生を中心に自分達で部活をなんとかしようと動いている。
何なら私よりよっぽど演劇に詳しく、公演の準備も手慣れているぐらいだ。
それが唯一の救いだが、私の神経は四月から確実にすり減っていった。
部屋は心と比例して荒れ、思考回路は停止しがちになる。
そんな無茶苦茶で遮二無二な毎日に追われながら、職員室を見渡せば、主顧問の先生に全てを委ね、部活に全く顔を出さない先生も半数近くいるのが現実だ。
もちろん、子どもが小さいとか、親の介護だとか、事情がある先生は仕方がないとは思うが、同年代や後輩でもろくに部活に関わろうとしない人も一定数いる。
私はどこかでそういう人達を見下している。
教員としての職務を全うしていないのではないか、生徒と関わることが仕事の最優先事項ではないのか。そんな風に思ってしまう。
私は部活の手を抜かない。そんな先生にはならない。
だから、副顧問だった時からできるだけ部活に行っていた。それはプライドというよりも、意地に近い。さぼっているわけではないだろうが、私にはそう見えてしまう先生たちの様にはなりたくない。
生徒のためということももちろんあるが、ある意味自分のために部活に足を運んでいた。
しかし、そんな生活が祟ったのか、三十代を目前にして、私は未だ独身だ。数年間彼氏もいない。
私だって、週に二日、いや、一日でも休みがあれば掃除の一つや二つ、余裕でこなせる。
服装や髪型にも力を入れられる。出会いの場にも行けるかもしれない。
しかし、休日のない状況において、出会いやら美容やらの優先順位は低い。
もちろん、忙しくても結婚できている人もいるし、家事も美容も抜かりない人もいる。
しかし、私にその両立は難しい。彼氏とか夫とか居ればいいなとは思う一方で、一人で生きていく気軽さも悪くないと思い始めている自分も正直いる。
就職したての頃は、寂しくて、周りが羨ましくて、マッチングアプリなど使っていた時期もあった。こんな私を丸ごと受け入れてくれる人がどこかにいると思っていたのだ。
しかし、三十代を目前にして、何にも実を結ばない現実を見て、最近は達観してきた。
もうアプリも退会して久しい。
慌ただしい毎日に蓋をするように、何も考えず、何も変えようともせず、問題を先延ばしにすることにもすっかり慣れてしまった。
スマホのタイマーを午前四時半から十分刻みでセットし、布団にもぞもぞと潜り込む。睡魔はすぐに意識をどこかに連れて行ってくれた。




