貧しい少年・グレンの選択(後編)
目を覚ました少年の心は、貼り薬を作る決意が固まっていた。自身の恐怖を理由に選択肢を選んだら、後悔するような気がしたのだ。
ふと、母の苦しそうな息遣いが聞こえてこないことに気付く。期待と恐怖、半々の気持ちで母を見ると、ぜいぜいと音を立てていた呼吸音がひゅー、ひゅー、と弱くなっていた。熱が下がったわけでも、回復へ向かっているわけでもないことがわかる。
昨日までは頬を赤くし、汗をかいていた母だが、今朝も熱の高さは変わらないのに顔色が悪く、唇もカサカサで白っぽく見える。
「おかあさん、おはよう。お水、少しでも飲んで」
だんだんと迫る死の影に少年の手は震えるが、少しでも栄養を摂ってほしいと水に浸したパンを含ませ、できる限り体を拭く。何日も水浴びをしていない身体からは饐えた匂いがするし、排泄物だって処理しきれない。どれだけ貧しくとも清潔を保っていた母を、きれいにすることもできない自身の幼さに、悔しさばかりが先に立つ。
「ごめんね、おかあさん。ぼく、今日頑張ってくるから」
そう言って自身の身支度を手早く済ませた少年は、少しでも母が楽になるようにとできる限りの看病をし、今夜のための準備を進める。
「ええっと、何が必要かな……泥を組む器と、灰にするから《《火だね》》でしょ、燃えないお皿、あとはおひさまにあてないための袋……かな?」
小さな手を指折り数え、貼り薬を作るために必要なものをリストアップしていく。
そうだ、出発は門が閉まるぎりぎりの時間にして、そのあとは森で過ごさなければならない。だんだん冷え込む時期になってきたため、毛布も必要だ。夜露に当たらないよう外套も……と、次々に取り出し、ひとつにまとめる。
「あ、そうだ、パンがなくなったんだった。お水を汲んだ後、パン屋さんに行かなくちゃ!」
今夜のための準備も大事だが、日常も変わらずやってくる。はやる気持ちを抑え、まずは家のそばの広場にある井戸へ水桶を持って外に出る。
「あ、おじさんだ。おはよう!」
井戸のそばにいたのは、昨日話を聞いてくれた門番の兵士だった。皮鎧を着込み、これから仕事へ行く様子だった。
「おぉ、レン坊おはよう。心配してたが、元気そうだな……迷いは消えたか?」
「うん、まだちょっと怖いけど……ぼくが、頑張らなくちゃ」
「そうかそうか、自分で答えを出せたなら、あとは自分と神様を信じるだけだ。きっとお前ならやれるさ。がんばれよ」
少年の頭に手を乗せ、ポンポンと軽く叩くのは、父親のいない少年にとっては馴染みない、けれど暖かく頼れる隣人の大きな手だ。
「……うん、ありがとう。ぼくね、夜の森は怖いけど、お母さんのためだし神様もいるもん、頑張ってこれるよ!」
「ん? 待て、夜の森だと? レン坊、夜の森へ行くのか?」
「う、うん。泉と、神様のところだよ。森の入り口だから、危なくない……よね?」
兵士の顔は急に険しくなる。少年は気付いていないが、秋の深まるこの時期は野生動物が冬眠前に食料を探し、活発になっている。少し前にも、人里近くに降りてきた熊が追い払われたばかりだ。
「この時期は熊や猪が荒れてる」
一言だけ呟いた門番は何かを考え込むが、あまり時間がないのだろう、少し慌てた様子で少年に声をかける。
「すまん、もう行かなければ。レン坊、今日の昼頃に門へ来れるか? もう一度森の様子を調べておく」
「わ、わかった、お昼ごろだね。おかあさんにご飯をあげたあと、行くね」
不穏な会話を最後に二人は別れ、それぞれの日常を消化する。
◇◇◇
「ああ、来てもらってすまんな。レン坊が来たら休憩しようと思って待ってたんだ、ちょっと昼飯に付き合ってくれ」
そう言って門番は門の奥、兵士が待機する詰所の中へと少年を招く。
「ほら、せっかくだからレン坊も食べな。今日もパンしか食べてないんだろ?」
「あ、今日はパン屋のおばさんがスープもくれたんだ。おかあさんが少ししか食べれないから、僕はたくさん食べれたよ!」
口ではそう言っても少年の目は肉が挟まれたサンドイッチにくぎ付けになっている。兵士はその視線の意味を察して有無を言わさずひとつ握らせ、お前も食べろと言わんばかりに自分の分を食べながら朝の続きを口にする。
「なあ、レン坊。本当に夜の森へ行かないとダメなのか?」
持たされたサンドイッチに戸惑い、遠慮を見せていた少年だが、育ち盛りに粗末なパンとスープだけでは到底足りない。あっという間に半分ほどを胃に収め、ごくりと飲み込んでしまった。
「うん、泉の泥と、かみさまの木の根元にある花が必要なの。その花がね、月のない夜にしか咲かないんだって。だから、今日の夜行かなくちゃいけないの」
改めて確認した門番は渋い顔をする。出勤後、まず夜間の出来事が引き継がれるが、昨夜は熊の姿が目撃されていた。熊じゃなく猪であったとしても脅威に変わりなく、森の危険度が高い季節だ。
「……まぁ、そうだな。お前が決めたんだ、やり遂げるための手助けくらいはさせてくれ。今夜、一人で行くつもりなんだろう?」
「え、だって、僕が頑張らなきゃいけないんでしょ?」
「もちろん。だがしっかり頑張っただろ? 難しいこと考えて、答えのない正解を決めた。レン坊の事だから、ちゃんと考えたって俺は信じてる……じゃあ、ここから先は、決めた道を進むだけだ。人を頼っていい。だれかを頼っても進む道は変わらないだろ?」
見る見るうちに涙をためて頷く少年は、恐怖心を無理やり押さえつけていたのだろう。父がおらず、母にも頼れない。使命感をもって挑むにしても、まだ10歳なのだ。門番にできることは多くないが、見守り、支えてやることはできる。それが少しでも少年の安心につながるのならやらない手はない。
「夜中のうちに薬を作るのか?」
「ひっ、ぐすっ……うん、おひさまに、あてちゃダメなの」
「ん……そうか。行くのは泉と祈りの間だな? じゃあ、夜中に起こしてやるから、帰ったら今日は早めに寝とけ。門は出入りできるようにしといてやる」
◇◇◇
トントン、と控えめに扉を叩く音がする。あれから家に帰り手早く用意を済ませた少年は、いつもよりずっと早く眠りについていたためその小さな音でも目が覚めた。隣の母の様子は変わらず、ひゅーひゅーと心細い呼吸を続けていた。
「おかあさん、いってくるね」
一言だけ声をかけ外に出る。門番は優しい瞳で少年を見、用意していた襟巻を首にかけてやる。
「ほら、ちょっと動きにくいかかもしれんが冷えるからな、巻いとけ」
少年は頷き、門番の横を力強い足取りで進んだ。街の門についたとき、門番と見張りの兵士は頷きあい、そっと小さな扉を開けてくれる。昼の間に話を付けてくれていたのだろう、少年一人ではこんなにうまくいかなかったはずだ思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。
ぺこりとお辞儀をし、迷うことなく足を踏み出す少年の背中へ見張りの兵士が「がんばってこいよ」と一言だけ声をかけた。
選択の神が出す選択肢は、どれも不可能なものではない。祈った人物が実行可能なものではあるが、そこに危険がないわけではなく、今回のように幼い少年が夜の森へ入ることもじゅうぶんあり得る範囲の危険だった。門番から軽く事情を聞いていた兵士も本来なら止めるべき場面だが、選択する少年を尊重し、応援している。
森へ向かう二人の間に会話はなく、かさかさと揺れる草の音や踏みしめて歩く二人の足音だけがその場に響く。月のない夜は暗く、満天の星は瞬きを繰り返しながら世界を見ている。
いつも見ている景色は見えず、音もない。手に持つ灯りだけが頼りで、心細さは急に少年の足を止めるが、そんな時は門番がそっと少年の背を押し、勇気づけてくれた。
「さて、森についたな。まずは何をするんだ?」
「最初に泉に行って、泥を取るの」
そうか、と少年の横を進む門番は、決して少年の邪魔はしないよう、周囲の安全に気を配る。幸いにも大きな動物がいる気配はなく、獣や血の匂いもしてこない。昨晩現れたという熊はどこかに行っているようで、そっと息を吐く。
ほどなくして着いた泉は、昼間とは全く違う顔を見せていた。太陽の光を反射しきらきらと輝く水面は真っ黒で、深い穴のようにも見える。風が穏やかだから波もなく、ただ、静寂が支配する泉は何者の立ち入りも拒んでいるかのような意思を感じる。
少年はこのまま帰ってしまいたいほどだったが、母のため、そしてついてきてくれた門番のためと勇気を振り絞り、器をもって泉へ向かった。
「おじさん、ちょっと待っててね」
「おう、もちろん。周りは見といてやるから、やるべきことだけに集中しといていいぞ」
当たり前の顔で告げてくれる言葉は少年の背を押し、迷いのない足取りで少しぬかるんだ泉のほとりへと向かった。
冷たい水に足を入れ、寒さに身を縮めながらも泥を掬う。目の粗い布で絞れば貼り薬に使うのにちょうどいい泥の出来上がりだ。持ってきた器に泥を入れると、足早に泉の外へ出ようと目を向ける。
不意にその時、近くの草むらががさがさと音を立て、水面を跳ねた何かがばしゃりと音を立てた。驚いた少年は手に持っていたものをすべて落としてしまい、慌てて同じ作業を繰り返して泥を手に入れた。
「大丈夫か?途中、何か落としてただろ」
門番は持っていた手ぬぐいで少年の足元をぬぐいながら聞くが少年の息は荒い。寒さだけではないだろう、カタカタと震えながらも徐々に落ち着きを取り戻していく。
「だ、だいじょうぶ。落としちゃったけど、ちゃんと、取ってきた」
今度は落とさないよう、汚れるのも構わずに器を抱きしめた少年は小さく微笑み、祈りの間の方角へと目を向けた。泉から少年が目を向けたほうへ、さらりと一度風が吹く。まるで、次はこちらと示しているかのように。
月のない夜はただの暗闇だと思っていたが、灯りを持ち、暗さにも慣れてくると影絵のようにいろいろなシルエットが見える。少年の目にはそれらすべてが襲い掛かってくるようなナニカに見え、飛び出た木の枝ひとつでも慎重に避け、小動物がたてる音にびくつき、頭上の葉擦れの音にきょろきょろと首を回す。
「ね、ねえ、おじさん。おじさんは怖くないの?」
「ん? そりゃあもちろん、怖いぞ。大人だって夜の森に入ることは少ないからな。でもな、本当に怖いのは、音がしない森なんだ。小さな動物がいないときは、大きな動物が近くにいる。今日は暗くて見えにくいが、虫やフクロウが鳴いて、小動物がいる。こんな時は、危ないものが近くにいないってことだ。もちろん、危険はそれだけじゃないがな」
なるほど確かに、大きな動物が通れば、虫は逃げる。熊がいたら、小動物はひっそりと隠れるかもしれない。危険な蛇が襲えば、フクロウも飛び立つ。今聞こえてくる音は少年に安心を届けているのかもしれない、そう思うと少し少年の恐怖が和らいだ。
「う……っわぁ、きれい……!」
「こりゃたまげた、光ってたんだな、この木は」
祈りの間についたとき、二人はしばらく呆然と大樹を見上げていた。大きな石を根元に抱いた大樹の幹だけがほんのりと淡く光り、あたりを照らしていた。気のせいかもしれないが、蛍のような小さな光が周囲を飛んでいるようにも見える。対照的に大きな石は暗く沈み、表面を這う根が作り出す模様は人知を越えた美しさを作り出していた。昼間も感じる厳かな空気はそのままに、神秘的で神聖なこの場は包み込まれるような安心感も感じさせる。
「レン坊、花を取ってくるんだろ? そのあとは帰って薬を作るのか?」
「……うぅん、そう思ってたんだけど、ここで作りたいな。かみさま、見ててくれると思うんだ」
「あぁ、たしかにここはそうかもしれないな。じゃあ、見ててもらうか! せっかくだし、焚火を起こして待ってるからな」
少年は一人で大樹の根元へ向かうが、さっきまで感じていた不安や恐怖の色はなくなっている。
この場が作る神秘的で美しく、神聖な空気は正しく神の奇跡であり、薬への期待が高まる。
「あ、お花、すぐにわかるのかな……?」
少年の心配は杞憂で、今咲いているのは一種類だけだった。しかもよく見るとほんのりと光っている。もしかしたら神さまが教えてくれてるのかもしれない、と感謝の心を胸に、花摘みをする。
「ええと、五つだったよね。五つ……片手の指の数だけ……」
足元の花を踏まないようにそっと分け入った少年は、強く握ればつぶれてしまう小さな花を、指先を使い慎重に摘み取る。
少し離れた場所から見守っていた門番は、慎重に花を摘むその姿に、少年面影が薄れ、大人びて見えた。こちらが手を握れば全力で握り返していたその手が、丁寧に、慎重に小さな花を摘んでいる。ただ一つの事に集中し、決意を込めた瞳はまっすぐだ。
まだまだ小さな体だが、急に大きくなったような、頼れる力強さを感じさせる。
「もう、坊主って呼べねえなぁ」
五つ、五つ、とつぶやくような姿はやっぱり幼い子供のそれだが、門番は確かに少年の成長する瞬間を目に焼き付けていた。
石の皿の上で、火にあて少し乾かす。濡れていた足元も温まり、じんわりと体の芯を温めていく。隣にいる門番の存在が心までも温めてくれ、少年は面映ゆくて借りた襟巻に顔を少し埋めた。そうして思い出すのは元気なころの母の姿。父がおらず大変なはずなのに、いつも笑顔だった。時々歌を歌ってくれる。少年はその歌を聞くのが大好きだ。
ふと、その母が今死の淵に立っていて、そして自分はそれを放置している現実に気付く。カサカサの唇から細い息を出す母は、片腕ひとつ持ち上げることすらできず一人で眠っている。もしかしたら今にもその命は消えようとしているかもしれない。一息ついている場合じゃないと薬づくりを再開した。
焚火から拝借した火を近づけると、摘んですぐの花とは思えないくらいすんなりと灰へと変わる。あとはこれを泥と混ぜれば完成だ。
バサバサッ、ガサッ! と近くの木から何かが飛び立つ。驚いた少年は肩をすくめ、その拍子に少しの灰が舞い吸い込んでしまったが、そのほとんどはきちんと泥へと落ちていた。ほうっと大きく息を吐き、しっかり混ぜ合わせた。
火の近くで灰が舞い、乾燥も手伝って少し喉がいがらっぽい。門番が用意してくれた白湯をゆっくりと飲み、布でくるんだ薬を手に持つ。
「できた……! っけほっ、おじさん、できたよ」
少しかすれた少年の声が、これまでの緊張や焦燥、恐怖を表していた。ようやく出来上がった薬を大切そうに胸に抱く。隣で黙って見守っていた門番は、安心から大きく息を吐いた。
「……あぁ、よく頑張ったな。それじゃ片づけたら急いで帰るぞ、レンぼ……グレン」
薬へと落としていた顔を大きく門番へ向けると、門番はもう他を向いて片付けはじめていた。ずっと坊主と呼ばれていたのがなぜ急に変わったのかわからない。けれど、自身が成長し、少し大人に近づけたような気がして少年は自然と口元が緩んでいた。
薬ができてしまえば、あとは帰って母の喉へ貼るだけだ。早く早くと気が急いて、門番を置き去りにするように走って家へと戻る。門にいた見張りのおじさんも何か声をかけてくれたが、少年の耳に入る前に通り過ぎてしまった。
家の前で門番と別れ、駆け付けた母の姿はさらに呼吸も顔色も悪くなっている。それでも生きている母を見てよかった、まにあった! と薬を貼る。
夜明けはまだ来ず、無事に日の光にあてることなく終えることができた。
これで大丈夫だよね、と安心した少年はそのまま座り込み、母の手を握って眠りに落ちた。
◇◇◇
目が覚めた時、母の熱は下がっているように見えた。目を開けて、少年を見ている。まだ少しかすれているが、ありがとう、よく頑張ったね、無理させてごめんねと言う母の目はしっかりと少年を見て、細くなった手が頭を撫でている。
かすれたままの声でおかあさん、おかあさん良かった、と号泣する少年。いつもの時間にやってこない少年を心配したパン屋のおばさんが様子を見に来て、母の回復を喜んでいる。物音を聞いた門番も玄関からその様子を眺め、よかったよかったと涙をにじませていた。
その後、母の病は驚くほど早く回復し、あっという間に日常が戻ってきた。まだ少し痩せているが、家の中は清潔に保たれ、冷たいけれどさわやかな空気が流れている。
いつもは寝ている時間に外出し、足を濡らし、感情を大きく揺らした反動が出たのだろう。少年はきっちり五日間高熱を出した。
回復期の母と共に床につき、時折近所の人が様子を見に来てくれる。熱が下がる頃には母も体を起こし、うとうとする少年の耳には大好きな母の子守歌が聞こえてきていた。
◇◇◇
「よぉ、グレン。神様へお礼に行くのか?」
寒いけれどとてもよく晴れたある日、街の門には笑顔で小さな荷物を抱えた少年の姿があった。雪が降る前に神の下へお礼を伝えに行くのだ。祭壇に供えるのは、母が用意してくれた小さなパン。道中で今年最後であろう栗を拾い、祈りの間へと向かう。
祈りの間は変わらずそこにあった。祭壇に置いた器の中の水は乾き、役目を終えたかのようにそのまま置かれている。少年は器を片付け、代わりに持ってきた母のパンと栗を供える。
「かみさま、ありがとうございました。おかあさん、なおったよ」
ひざまずいて手を組み、そう伝える少年の声はあれからずっとかすれたままだ。物音に驚いて灰が舞った時、少し吸い込んだのが良くなかった。決して口にしてはいけないと言われていた薬は、少年の喉を焼いてしまっていた。
以前と同じ、大きく風が吹き、音が消える。そして重たくも淡々とした、静かな神の声が祈りの間へ落ちてくる。
『我を信じ、己を信じ、母を信じた。恐怖に負けずやり遂げた其方の選択見事であった。毒も使いようによっては薬となるが、扱い方を間違えてはいけない。其方の声はもう二度と戻らぬ』
熱が下がった母は、何があったかの一部始終を少年から聞いてとにかく泣いた。
命が助かった喜び、それを息子がしてくれた誇らしさ。そして、灰を吸い込んでしまいかすれてしまった少年の声への申し訳なさ。
大きくなったらお父さんみたいな兵士になるんだ、と輝く笑顔で将来を語っていた少年の声は、にぎやかなところではだれにも届かなくなってしまった。街の兵士は様々な場所で街の人々と声を交わす。望んだ職は諦めるしかなくなってしまった。
母はかすれた声を聞くたびにそれが頭をよぎり、消えない後悔を抱えて眉を下げる。
「あのね、かみさま。この声を、お母さんがずっと謝るんだ。僕が気にしてないって言っても、信じてくれないの。どうしたらいいのかなぁ?」
『其方の声は戻らぬが、己を信じやり遂げた其方はこれから何者にもなれよう。同じ者には二度と選択肢を授けてやれぬ。これからは、其方の心に従い生きていくがよい』
静かで重い神の声は、変わらず淡々としている。少年の問いに答えているようにも聞こえるが、用意されていた言葉を紡いでいるようにも聞こえた。
「ふふ、かみさま、ほんとうにありがとうございました。僕ね、これからもがんばるよ。おかあさんがいるんだもん、だいじょうぶ」
そういった少年は立ち上がり、大樹と、それに飲み込まれた根本の大石を目に焼き付ける。しっかりと深い礼をした後は振り返らず、軽い足取りで母の待つ家へと向かう。
◇◇◇
「ただいま! ねえ、おかあさん! 僕ね、狩人になることに決めたよ!! 神様がいるあの森を守るんだ!」
囁くように、でも少年にとっては精いっぱいの大声で母へ語る少年は、瞳の輝きを失わずいつまでも明るく母へ話しかけている。
読んでいただきありがとうございました。
誰かの結末を決めるって難しいです。
いったん完結とします。