☆ 世眠と三宝の家出1;雲影《うんえい》滄瀛《そうえい》・螺旋運
『シリーズ設定が分からず、『浮雲九十九番地』シリーズを一作品にしている所です』の第2話と同じです。
その晩も、満月だった。
はたして満月には、子供を惑わす力でもあるのか。
少なくとも、二人の子供は血迷った。
「三宝、俺、家出するぜ」
世眠と三宝、六歳の頃である。
浮雲小学校に入学して、まだ三日と経っていなかった。
水曜日の放課後、二人は大五郎池のほとりに屈んで、小声で話し合っていた。
浮雲小学校の校庭にある大五郎池は、広さも深さも九十九番地一だ。
最近この池に鯉が入れられて、二人は、それを見に来ていた。
池の中では、赤、白、黄色、朱色、様々な色の鯉が、ヒレを揺らして気持ちよさそうに泳いでいる。
二人は、五十センチもある丸々と太った鯉を見つめていたが、世眠が唐突に宣言した。
しかし、三宝は、冷静だ。
「おっきな鯉だね~」と、こわごわ池を覗き込んでいる。
「聞けよ!俺は、真剣なんだ!」
「どう真剣なの?」
やはり三宝は、冷静だ。鯉を見つめたまま独り言を言っている。
「鯉って、食べれるかな?鯉を食べた人間の記憶って、売ってるかなあ?美味しいのかな?」
「おい!聞けよ!俺は、超絶真剣なんだぞ!もう準備も整ってるんだ!」
「えっ、準備?」
世眠は、ようやく三宝と目が合った。
「おう!おまえの分もあるからな!」
「私も家出するの!?」
これには、三宝も驚いた。
「私、家出なんかしないよ」
憮然とした表情で、きっぱりと拒否した。
すると、世眠が肩を落として言った。
「俺、このままじゃ、跡継ぎにされるんだ」
「当たり前でしょ。世眠は、一人っ子なんだから。仕方ないわよ」
三宝が呆れ顔で言うと、世眠は、益々しょんぼりした。
「俺、老舗焼鳥の二代目になりたいんだ」
「は?次郎さんの跡を継ぎたいって事?」
三宝は、目を丸くした。長く一緒にいたが、この話は、初耳だ。
「そんな事、考えてたの?弟子入りは断られたじゃない」
この一件なら知っている。その時、横にいたからだ。
しかし、二代目になりたいという気持ちまでは、知らなかった。
「本気で言ってるの?」
三宝が探るように聞くと、世眠は即答した。
「俺は、三歳の頃から決めてるんだ!」
「そんなに早くから?初来店の時に決めたの?」
「運命を感じたんだ!」
なんてはた迷惑な………三宝は、そう思ったが黙っていた。
「昨日、父ちゃんと母ちゃんが話してるのを聞いたんだ」
「何を?」
三宝は、若干、興味を持った。
「母ちゃんさ、『親ばかと言われるかもしれませんけどね。あの子は、間違いなく頭がいいですよ。跡目としては合格点ですよ』って言うんだ。まいっちゃうよな」
世眠は、少し恥ずかしそうに頬を染めて言ったが、三宝は、あっさり認めた。
「事実でしょ。期待されて当たり前よ」
珍しく三宝に褒められて、世眠は気を良くした。
「父ちゃんはさ、『ああ、間違いない。すぐに、どの科目でも満点を取れるようになるさ。高瀬川家は安泰さ』って言うんだ」
「それも事実でしょ。世眠は、すぐ問題を起こすけど頭が良いって事、幼馴染の私が一番よく知ってる。おじさんと、おばさんは、正しいよ」
こんなにも三宝に褒められた事は、かつてない。
三宝が話す間、世眠は、ぺちゃ鼻を何度も指でこすった。
「へへへっ、まあ、そう言われたら、そうな気もするけどさ。でも、俺は、跡継ぎは嫌なんだ!だから、家出して、自力で生きていく!」
ガッツポーズを決めて意気込む幼馴染に、三宝は素朴な疑問をぶつけた。
「どうして、私を巻き込むの?」
「おまえ、おっきくなったら、下界に住みたいんだろ?一緒に行きたくないのか?」
不思議そうに首を傾げる幼馴染を見つめて、三宝は溜息をついた。
「私たち、子供だよ?」
「すぐ大人になるさ。それに、人間は、子供の方が、心が綺麗なんだぜ。記憶が澄んでる方が、大人だろ?子供は、小さな大人なんだ」
世眠が自信満々に言い切ると、三宝も心を動かされた。
なぜか世眠が言うと、それが真実であるような、そんな気がしてくるのだ。
世眠には、惹き付ける何かが、信じたくなるような、不思議な力がある。
「日華門から降りるの?見つからない?」
三宝が危ぶむと、世眠が、そっと耳打ちした。
「雲影滄瀛・螺旋運で降りるんだよ」
三宝は、びっくり仰天した。
水色の雲で出来た螺旋階段、雲影滄瀛・螺旋運を発見した時は、二人とも息を呑んだ。
その螺旋階段は、途轍もなく長かった。降り位置が見えなかったのだ。
しかも、長いだけではなく、降りる箇所が幾つもあった。
聞いたところによれば、正しい道は、その日によりけり。
右を選ぶか、左に行くか。或いは右斜め下か、左斜め下か。
選択を誤れば、降りる途中で、雲の螺旋階段が影になって消える。
或いは、雲の下が滄瀛(大海)に変わってドッボン!
故に、付いた名が、【雲影滄瀛・螺旋運】だ。
雲か、大海か、どちらも同じく下界まで一直線に落下する。
刹那のハプニングで飛翔する余裕もない。
そして、摩訶不思議な運命か、【雲影滄瀛・螺旋運】で降りるイコール【日華門】の通過である。
お手軽階段に思えるが、実は、恐ろしい螺旋階段なのだ。
けれど今回、世眠の決意は固かった。
「今晩、あの道の入り口で落ち合うぞ。夜の九時だ。服装は、黒にしろよ。この前、一花果さんから貰った、黒デニムに黒Tシャツな。スニーカーは、白しかないけど、赤よりマシだろ。分かったな?」
「………分かった」
三宝も、決心した。
大事な幼馴染を心配したというのも、決心した理由の一つだ。
しかし、決め手は、世眠を、かっこよく思ったからだ。
自分の運命を自分の力で切り開く、その決断をした幼馴染を見て、三宝は強く思った。
(私も自分の運命を試してみたい!)
【雲影滄瀛・螺旋運】は、別名【第二の運命階段】と呼ばれる。
運の強い者だけが、自分がイメージした通りの場所に辿り着けるのだ。
運命階段を踏み出す前に、二人は手をしっかり繋いで確認し合った。
「行くぞ!」
「うん!」
「行先は、でっかい森!」
「おっきい森!」
一歩を踏み出した瞬間、螺旋階段は影になって、ふっと消えた。
「はっ?」
「早くない?」
二人は、一直線に落下した。
「えええええっ!!」
お騒がせコンビが、絶叫していた時刻、高瀬川家も下鴨本家も、皆ぐっすりと眠っていた。