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「ほっんとうに美味しいですわね。クララ様が絶賛するのも頷けますわ」
「あら、喜んでいただけたなら良かったわ。よかったらこれも一口いかが?」
「私のも良ければ? リーシア殿下」
「よろしいのですか!?」
結局かしのき亭へは、私服の護衛をつけたうえで、私が同行した。束の間とはいえ、向こうでは許されなかったらしい『お忍び』を体験されてリーシア様はご満悦だ。
そして戻ってきた城で、私とリーシア様はほのか様も交えて、早速かしのき亭のケーキでお茶会と洒落込んでいた。
美味しいケーキとお茶があれば、会話もよく進む。公式な晩餐や会議よりもくだけた雰囲気で、ルーヴェッフェンの魔術事情などを聞いていると、急にリーシア様が「そういえば!」と言っていたずらな目をしだした。
「クララ様はベルナール様と幼馴染でいらっしゃるのですよね?」
「え、えぇ、そうよ。兄の学友でしたから会う機会も多くて……」
「素敵ですわ! 私にはそういった存在がいなかったのでとても憧れます! 子供の頃のベルナール様はどういった感じだったのですか?」
「子供の頃のベルナール?」
「ええ、是非お聞きしたいですわ! 昔から今みたいにスマートに振る舞っていらっしゃったのでしょうか?」
「そ、そうねぇ……」
軽く身を乗り出すリーシア様に私は苦笑する。どうやらリーシア様の中でのベルナールは、スマートな貴公子らしい。まあ全く否定はしないが……
「私の知る昔のベルナールは結構ないたずらっ子でしたよ。それこそ魔術で城の彫刻を動かして、大目玉をもらってたり……かくれんぼしたら、魔術を使うせいで、1日見つからなかったなんてこともありましたわね……」
「まあ!? 今のベルナール様からは想像出来ませんね」
「私もです」
私が披露する昔話にリーシア様だけでなく、ほのか様までもが目を丸くする。
「……けど、今と同じで優しい人でしたわ。よく授業を逃げたした私を捕まえに来てくれて……よく魔術で笑わせてくれて……」
「クララ様が授業を逃亡ですか!?」
「私もビックリしました」
昔の思い出に軽く浸っていると、突然リーシア様が素っ頓狂な声を上げる。隣ではほのか様も先程以上に愕然としていた。
「あら? 驚くことでしょうか? 私だって苦手な授業は逃げ出したくなります。特に魔術の授業は嫌いでしたね」
「ああ……確かに、初歩の魔術の授業は同じことの繰り返しですもんね。私も嫌いでした」
華やかに見える魔術だが、使いこなすまでの道はなんとも地味だ。もともと魔力量が特出している訳ではない私にとっての魔術の授業は、ひたすら地味な反復練習の繰り返し。当時10にもなっていなかった私には苦痛でしかなかった。
「フフフ、でしょう? それでよく教師の目を盗んで逃げ出しては、ベルナールに捕まって部屋に戻されてました。途中からはいかにベルナールから逃げるかのゲームみたいになってましたわーー」
「まあ、素敵な思い出ですわね。でも本当に今のベルナール様からは想像出来ませんわ。ルーヴェッフェンでのベルナール様なら『逃げたければ、逃げさせておけ』って言いそうです」
「あら、そっちのベルナール様の方が想像出来ませんわ。そういえば留学中のベルナール様はどんなご様子だったのですか?」
「私も聞きたいですわ」
今度はリーシア様が教えてほしい、と強請る私にほのか様がのっかる。
「そうですわね……」
結局私達はずいぶん長い間、ベルナールについて話し込んでいたのだった。
「なんだか、お騒がせな方でしたね。……でも仲良くしていただけて良かったです」
「ええ、なんだかんだ憎めない方だったわね」
そうしてリーシア様は1週間程滞在してから、ルーヴェッフェンに戻っていった。もちろん新しい魔術や魔道具についての情報もいろいろ置いていってくれたのだが、一番の印象はあのドタバタとした雰囲気だろう。
彼女のいなくなった城は、どこかようやく日常が戻った安堵感に包まれていた。
「さ、ほのか様。でもゆっくりもしてられないのよ。魔術大会まであと1月もないわ」
「あ! そうでしたね。護衛の魔術師様たちに渡す刺繍を仕上げないと! クララ様はベルナール様に刺繍をお渡しになられるのですか?」
「へ! ベルナール!? まさかーーあなたと同じで護衛達だけよ」
「そ、そうなのですか?」
アデリア王国には治安を守る組織が大きく2つある。騎士団と魔術師団だ。2つの組織は年に一度トーナメント方式の大規模な公開演習をしている。秋に行われるのは魔術師団の大会。派手な魔術も使われる大会は市民にも公開され、秋の風物詩となっている。
大会ではいつの頃からか、自分が応援する魔術師に刺繍のハンカチーフを渡す、ということが流行るようになった。もともとは夫だとか、婚約者とかに渡していたようだが、今はより広く自分の推す魔術師に渡しているらしい。
「王女が誰かを贔屓するわけにはいかないもの。それにベルナールはきっとたくさんハンカチがもらえるはずだわ」
「……だからこそなのですが……」
そう言ってほのか様は珍しくため息をついた。
「すごく差し出がましいのですが……クララ様は本当に希望のお相手はいらっしゃらないのですか? それこそベルナール様とか……」
「……」
こういう時のほのか様はどこか誤魔化すことを許さないような、全てを見通すような目をしている。
重い沈黙が部屋に立ち込めたが、結局耐えきれなくなったのは私の方だった。
「実はね……ベルナールにある頼み事をされているの。聞いてくれる?」
「ええ、もちろんですわ」
ほのか様は一つ頷くと、姿勢を正し直した。
リーシア様がルーヴェッフェンに帰った翌日。午後のお茶の時間を使って釣り書と格闘していた私の元へ、ベルナールがやってきた。
リーシア様がいる間は中断されていたいつもの求婚かしら? そう思って彼を迎え入れた私。だけどベルナールは求婚を口にせず、代わりに顔をくしゃりと歪めて私の前に跪いた。
「クララ王女殿下。この数日、王女殿下は私の振る舞いに心を痛めていらっしゃったとか……誠に私の不徳のいたすところ。心より謝罪いたします」
「ど、どうしたの? 急に。ここ数日って……リーシア様のこと?」
「はい。求婚を口にしながらあの振る舞い。甚だ不誠実だったとは自覚しております」
そう言ってベルナールはさらに深く頭を下げた。
「何を言ってるの? あなたを指名したのはリーシア様で、彼女は怒らせては行けない国の王女様よ。あなたは何も悪くないわ」
「しかしーーもっとやりようはあったはずです。それに舞踏会ではあのような失態を……陛下にも苦言をいただきました」
「ーーまあ確かに、あれはあなたらしくない軽率さだったけど……でもそういうこともあるわ」
相手は王女様だ。一臣下に過ぎないベルナールでは上手く躱せない場合もあるだろう。そう言ってベルナールに顔をあげさせる。そして、私は敢えて厳しい顔を作ってみせた。
「あなたは魔術には優れているけれど、社交は未熟ね。これに懲りたならもっと経験を積みなさい。だから今回はこれでおしまい。わかったわね」
「はい、王女殿下。寛大なお言葉に感謝いたします」
ベルナールは折り目正しい礼を見せて、くるりと身を翻す。部屋を出ていこうとする彼に私は思わず声をかけていた。
「ベルナール! いえ……その……今日はいつものあれはないのね」
「いつもの……?」
「えぇ、『結婚してください』っていうのよ」
これでは私が求婚を待ち望んでいるみたいだ。顔に熱が集まるのを感じて、私は思わず目を伏せる。一方ベルナールは力なく首を振ってみせた。
「さすがに、あのような場面を見せて、求婚を口にすることは出来ません。……ただ」
「ただ……?」
そう言うと、ベルナールは意を決した表情で戻って来る。ベルナールの真剣な表情に私は思わず彼を見上げた。
「もしお許しいただけるなら、今度の魔術大会……無論、私は優勝するつもりでおります。その暁にはもう一度だけ求婚させていただけませんでしょうか。ーーその折にはどうぞ、王女殿下の本音をお伺いしたく……」
「私の……本音?」
「王女殿下が心の内を開かせない身の上でありますのは、重々承知しております。ですが、どうぞ一度で構いません。王女殿下の本音をお聞かせいただきたいのです。それで断られましたら、私はすっぱりと諦めましょう。もちろん一臣下としては生涯お仕えいたします」
「……」
彼の願いに私は思わず黙り込む。求婚をする以上、本音の答えが欲しいのは当然だ。誰よりも不誠実なのは、今まではぐらかせ続けた私。……けど
「答えは保留させてくれない? 魔術大会までには心を決めるから」
「わかりました。王女殿下」
彼はそう言うと、今度こそ執務室を出ていく。
「いい加減嫌われるわよ、クララ」
思わず呟いた言葉は、ただただ眼の前の釣り書の山に吸い込まれていった。