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「しかし王女殿下? 映えあるファーストダンスの相手が私のような老いぼれで良いのですか? 大変光栄にはございますが……」
「なにを言ってるの、リットール卿。あなただってまだ40過ぎじゃない。それに私の事情はよくご存知でしょう?」
城の大広間。いくつもの視線を浴びつつ私はワルツのステップを踏んでいた。ダンスの相手はリットール侯爵。父方の遠縁で、何度も踊っている相手だ。
婚約者探し中だと宣言している私とファーストダンスを踊るということは、それ即ち婚約者候補として上位にある、と示すことになる。
ただ、まだ相手を絞りきれていない私としては、誰かを特別扱いするのは避けたい。ということで、40を超えた遠縁の既婚者である、リットール卿に相手をお願いしたのだ。
もともと私やほのか様のダンス教師も努めてくれた彼とのダンスは非常に踊りやすいが、当然トキメキなどはない。
時折リットール卿と世間話をしつつ、会場を見渡すと、本日の主賓であるルーヴェッフェンの第三王女様と目が合った。
彼女の相手を務めるのは兄様。王女様に最大限の敬意を示した結果だ。魔術師としても高名な王女様はドレスの上に、光沢のある楓色のローブを纏い、宝石の代わりに魔法石を使用した宝飾品を身に着けている。
この国ではあまり見ないスタイルだが、王女様をとても魅力的に見せている。珍しさも相まってか、かなりの視線を集めているようだった。
かく言う私も、彼女の不思議な存在感に思わず視線をやってしまっている一人。1曲目のダンスが終わったあとも、曲の合間についつい彼女の方へ目をやってしまう。そのことを私はあとから後悔した。
何曲か無難な相手とダンスを踊った私は、疲れをとるため一旦ダンスの輪を抜け出す。給仕から飲み物を受け取り、壁際へとやってきた私はテラスの方で楓色のローブが揺れるのに気づき、思わずそちらへと歩みを勧めていた。
「ですからベルナール様……どうかお願いです……あなたしか……」
「いえ、それは……」
と、テラスの方から切なげ声が聞こえて私は思わず足を止める。よく聞かなくても第三王女の声だ。やや戸惑った様子のベルナールの声も聞こえる。思わずグラスをとり落としそうになり、私は慌ててグラスをギュッと握り直した。
「どういうこと……まさか……逢引?」
声は風にのってきたのか、本当にとぎれとぎれだ。私以外の人たちはダンスやおしゃべりに夢中でテラスの若者達など気にも止めていないらしい。
ホッとしつつ、私はどうしようかと頭を回転させ始めた。王女様がテラスで逢引など、外聞上非常によろしくない。同じ王族として止めに入るべきか。だが、それをすれば「盗み聞きをしてました」と宣言するようなものだ。
結局私は、何もしないままそっとそ立ち去りダンスの輪へと戻る選択をしたのだった。
そうしてさらに何人かと踊った私だが、先程まで以上にダンスに集中出来ない。さらには段々と息まで上がってきて、ついには兄様に心配そうに声をかけられた。
「クララ? 大丈夫か? さっきからあまり顔色がよくない。体調が悪いなら早めに休んだほういい」
「いえ、お兄様。少し……踊り疲れただけです。ここで退室してしまっては、またお兄様に負担が……」
「その青白い顔で何を言っている。この場はほのかもいるし、問題ない。悪いことを言わないから休め」
お兄様と話している間にも、段々と天井が回り始めてくる。結局私は、半ば強制的に私室へと戻らされたのだった。
「大丈夫ですか? クララ様? 今ドレスを緩めますからね。きっと人酔いなさったのですわ、最近お忙しかったですもの」
突然私室へ戻ってきた私だけど、侍女達は慌てない。イブニングドレスから室内着へ着替えさせてもらいつつ、彼女たちの柔らかい笑みを見ていると、ようやく落ち着いて呼吸が出来るようになってきたーーなのに
「クララ様! クララ様。 私です、リーシアですわ」
突然ドアの向こうで声がする。私を悩ませる王女様の声に、私は思わず顔をしかめ、侍女たちも困ったように顔を見合わせた。
「第三王女殿下……クララ様は体調が優れませんのに……お引き取り願ってきますね」
「ちょっと待って! ……にしても必死だわ。とりあえず少しだけでも話を聞きましょうか」
「クララ様? ですがお気分は?」
「問題ないわ。ドレスを変えたら随分楽になったし。リーシア様には悪いけどこのまま会ってもらいましょ」
私達はヒソヒソと話す間も、リーシア様の声はしている。結局侍女たちも折れ、私は私室の小さなテーブルでリーシア様と向かい合った。
「それで、どうされたのですか? リーシア様。まだ舞踏会の途中だと思うのですが……」
途中退席した私が言うのもなんだが、リーシア様は主賓だ。それにベルナールは? という言葉は飲み込んで問いかける私に、リーシア様はぐっと眉を寄せる。
と、次の瞬間突然リーシア様がその場でドレスを広げて膝をつき、私と侍女は大慌てをした。
「クララ様! 本当にーー本当に申し訳ございません。きっと見ていらしたのですよね、あのテラスでの場面を。それで気分を悪くされて退席を……」
「あの場面って……まあそうですが……でも、退席させていただいたのはただの人酔いですわ。ですからリーシア様もどうか顔をお上げになってーー」
そう言いつつ、私はクララ様のそばによって目線を合わせる。彼女の琥珀色の瞳を覗き込めば、リーシア様は少し顔を上げて、ポツポツと話だした。
「ごめんなさい、クララ様。きっと誤解されましたよね。いえ、誤解させるような行動を取ったのは私ですが……ですが、誓ってベルナールと私の間には何もないのです」
私の目を見てはっきり言い切るリーシア様。その目に偽りはなさそうだと思ったが、周りの侍女たちは「あんなに彼を独占しておいて何を!」と言わんばかりの厳しい目を向けており、慌てて彼女たちに諌める視線を送った。
「確かにこちらに来てからの私はベルナール様とよくお会いしておりましたが、彼は正しくただの学友です。久しぶりにお会い出来たのが嬉しくてつい、何度もお呼び立てを……」
「そ、そうなの? じゃあ……あのテラスでの言葉は? その……『あなたにしか頼めない』とか」
私の言葉に侍女たちの視線がさらに冷たくなり、リーシア様がビクンと震える。それでも私が続きを促すと、リーシア様は小さな声で話初めた。
「それは……かしのき亭に……」
「かしのき亭? 王都の菓子店の?」
「はい、そのかしのき亭です。ベルナール様は留学中よく、クララ様のことを話していらしたのですが、その時に時折出てきたのです。なんでもクララ様の大好物で、とてもお美味しいのだとか。ベルナール様の教えてくれるケーキがあまりにも美味しそうで美味しそうで……どうしても行ってみたかったんです!」
そう言うリーシア様に私は思わず困惑顔になる。確かにかしのき亭は美味しいケーキ屋だが……そしてベルナールが私を話題にしていたことも困惑の理由だった。
「前に城下の視察に行った時もお願いしたのですが、下町にあるから駄目って……でも、帰る前にどうしても行ってみたくて……」
「別に治安が悪い地区じゃないから護衛を忍ばせれば大丈夫と思うけど……でも相談する相手は陛下ねーー」
「本当ですか!?」
「陛下もあなたぐらいの時はよくお忍びされてたから頭ごなしに反対はしないはずだけど……」
そう言うと、リーシア様はパッと顔を輝かせる。その表情に嘘はないようだった。
「あのリーシア様? こんなこと聞くのはなんなのですが……では本当にあの場ではケーキ屋に行きたいっていうお願いをしていただけなのですか?」
「はい! 誓ってそれだけです。……本当にごめんなさい。兄たちにも『お前は後先考えなさすぎる』っていつも言われているのですが……」
私の問いにまたしおらしくなる、リーシア様に思わず私の肩から力が抜ける。王族としてはどうか? と思うが悪い人ではないのだろう。
とりあえずリーシア様を励ましてから、侍女と護衛に彼女の部屋まで送るよう指示する。
「はぁ……まさかあんな理由だなんて。私ももっと冷静になれば良かったわ……」
もう少しあの場に留まっていれば、彼女たちの会話の中身はおよそ推測出来ただろうう。そうしなかった理由を直視する勇気は私にはないのだった。