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「結婚相手選びは順調か? クララ?」
「兄様……正直に申し上げまして、順調とは程遠い状況にございます。早く相手を絞りこんでしまいたいのですが。兄様にもご迷惑をおかけしてますわ」
政務に関して話があり、夕日が差し込む兄様の私室を訪れた私。お茶を用意して歓待してくれ兄様だけど、結婚相手選びの進み具合を聞かれ、私は思わずうつむいた。
「なに、迷惑などなにもない。一生の相手だ。クララが後悔しないようゆっくり選べば良い。ーーところでベルナールがそなたに求婚したようだが……返事は保留したそうだな」
「ええ兄様。他の方の手前もありますし……」
「それもそうか。だがベルナールは『次こそ王女殿下を頷かせてみせます』と啖呵を切っていったぞ」
「ベルナール……」
まさかの兄様にまで私を落とす宣言をしていたとは……と嘆息する私。いっぽう兄様は軽い苦笑いを浮かべた。
「まあ……ベルナールはクララの幼馴染で性格もお互い熟知しているだろうし、悪い相手ではないと思う。クララが本気で嫌がることもしないだろうが……あまりにしつこいようなら、私に言いなさい。なんとかしよう」
「ありがとうございます。兄様」
国王に咎められる、などかなり重大な事態だ。だから兄様を頼るのは最後の砦となるにしても、兄様が私を気遣ってくれるのが嬉しい。私はにっこり微笑み、感謝の言葉を口にするのだった。
兄様と分かれた私は自室へ戻り、そしてソファにくったりと背を預け考え事をしていた。
少々だらしのない格好だけど、ここは私室。信用のおける侍女達以外はいない。その侍女たちも、「あらら王女殿下たら」とは言いつつも、私の心の内は察してくれて、止めはしなかった。
「本人が言う通り、優良物件ではあるのよね……」
ベルナールはプレスティア家という、王都郊外に領地を持つ伯爵家の長男だ。伯爵家の歴史は古く、そして王家に忠実。昔から魔術方面に強く、数多くの名高い魔術師を排出している。
そんな家に生まれたベルナールはもともと、兄様と共に魔術の授業を受ける、公的な学友という立ち位置で城によく来ていた。
当時、魔術の初歩を習い始めた私にとって、ベルナールは魔術が得意なお兄さん。彼に私はあっという間に懐いた。
それから数年間兄様とベルナール、そして私の友情は続く。魔術が得意な彼には、よく課題を練習に付き合ってもらったし、兄様達を交えて城下に降りたりもした。しかし、魔術の才能がずば抜けていたベルナールは18歳の時に、魔術研究が知られるルーヴェッフェンから招待を受け、留学をする。ちょうどその頃に、一番上の兄の体調が思わしくなくなったこともあり、以降ベルナールとは急激に疎遠になった。
一方、それから3年間魔術漬けの日々を送った彼の魔術は、それはもう凄まじい上達を遂げたらしい。なんなら当代一の魔術師と云われる陛下のそれも上回る、との噂だ。
彼の帰国に際し、陛下は魔術師団副団長のポストを用意したそうだ。まだ若いとはいえ、魔術師団ではすでに敵なし。魔術師団長に就任するのも時間の問題、と噂されている。
ついでに言えば、浮いた話はとんと聞かず、魔術の勉強と訓練が何より好きな勤勉な性格ーーだからこそ昼間の彼の宣言には驚いたのだがーーとはいえ王女の降嫁先として欠点らしき欠点のない男。それがベルナールなのだった。
「……でもベルナールは駄目なの。ベルナールだけは」
広い部屋にポツリとこぼした私の一人言が妙に響く。どうして駄目なのかも整理できないまま、私はゆっくりと目をつぶった。
悩める私をよそに、ベルナールは宣言どおり私に度々求婚をしてくるようになった。しっかり贈り物まで携えてだ。
ーー例えばある日の彼は花束を携えて私の執務室へ来た。
「王女殿下? 私と結婚してはいただけませんか?」
「……。あなたもしつこいわね。まだ検討中よ、少し待って頂戴」
「かしこまりました王女殿下。どうぞ存分にお悩みください。あとこれをーー庭師にいくらか分けていただきました」
そう言うとベルナールは後ろ手から、紫色の愛らしい菫を中心にした花束を差し出してくる。菫はまさに見頃で、さらに数種類の小さな花も合わさった花束は確かに美しい。可愛らしく飾り結びされた薄紫のリボンも私好みだった。
思わず手に取り、頬を緩めたところで、いけないいけない、と私は表情を引き締め直した。
「ありがとう。けどこういつも贈り物を用意しなくても良いのよ。庭師達だって仕事があるでしょう?」
「王女殿下にお見せしたいといえば、快く分けてくださいましたよ。それに花束にしたのは私ですから面倒は最低限に出来たかと……」
「は……あなた! 自分で作ったの?」
「ええ、花を選んで切って、まとめるところまで。案外上手でしょう?」
「まあ……認めるわ」
彼の持ってきた花束のセンスは確かに一級品。だが、それを目の前の魔術師が作ったと言われると唖然とせざるをえなかった。
「魔術は繊細さが重要ですから、こういったことは得意なのですよ。ほんのちょっとの調整でいくらでも術の効果が変わるのです」
「そ、そう」
「さて、ではそろそろ魔術師団のほうへ行かなければ。ではまた明日」
「ーーってあなた、明日も来るつもり!?」
私が思わずそう叫んでしまったのは無理もないと思う。
ーーかと思えば別の日には、私がほのか様とお茶をしている時に押しかけてきた。
「王妃殿下、並びに王女殿下、ご機嫌うるわしく存じます」
「あなたねえ……もう少し時と場所を選べないの?」
思わず呆れ顔をする私。しかしベルナールは悪びれもせず、恭しい動作で一礼して見せる。
「これは失礼王女殿下。しかし本日はお二方に御用もございまして。それに王妃殿下と王女殿下の友情は国中承知のこと。王女殿下に求婚するならば、当然王妃殿下の信頼も得るべきかと」
「まあ! ベルナールさんたら策士なのね」
いけしゃあしゃあと言うベルナールだが、基本的に人を疑うことのないほのか様は、にこにことそう言う。
そんな彼女に笑みを返しつつ、ベルナールは
「まあ、とりあえず……まずこちらを」
と私の前に白い紙の箱を置いた。
「だからいつもいつも贈り物を持ってこなくて持って……!? これってもしかして?」
「ええ、かしのき亭のチョコレートケーキです。お好きでしょう?」
「えぇ、それはもう。久しぶりだわ」
箱の中に入っていたのは、チョコレートのスポンジ生地とミルクのクリーム、そして木苺のジャムを重ねたケーキ。王都で知る人はいないケーキ店、かしのき亭の看板商品だった。
ベルナールが兄様達とお忍びで出かけた際のお土産の定番だったケーキの登場に、現金ながら私の頬はゆるゆると緩んだ。
「ちょうど午前中、城下に視察に出ましたので。昔お好きだったな、と。ほのか様は初めてですか?」
「ええ。でもクララ様から何度もお話はお聞きしてますわ。一度食べてみたいと思ってました!」
私と同じく、甘いものに目がないほのか様も目を輝かせる。私は侍女を呼び、ケーキを切り分けるようお願いした。
ケーキの誘惑が一旦去り、冷静さを取り戻した私は
「それで?」とベルナールに視線をむけた。
「『それで』?」とは?」
「さっき言ったじゃない。『お二方に御用が』って。まさかケーキを渡すっていうのがそれじゃないでしょう?」
思わずじとり、とした目でベルナールにそういう私に彼は、降参とでも言うように両手を上げて苦笑いをした。
「さすがは王女殿下。それではケーキの準備ができるまでにお話してしまいましょう。ほのか様はこれから魔術の勉強を始められますよね?」
「……はい。私は魔力を持たないので魔術も使えないのですが、護身のためにも知識は持っているべきと」
「えぇ、知っているといないでは随分違いますからね。それに魔道具を使った護身術もありますーーそれでですね、その教師を私が務めることになりました」
「ベ、ベルナールが!? いえ、ごめんなさい」
ほのか様が魔術の勉強を始めるとは聞いていたものの、その教師がベルナールだとは知らなかった私は思わず声を上げる。瞬時に集まったいくつもの視線に私はカッと頬を熱くした。
「驚くほどのことでは……ルーヴェッフェンでは魔術の免状もとりましたし、学生を指導する経験もさせていただきました」
「いえ、あなたの言う通りなんの問題もないわ。あなたは昔から人に教えるのが上手かったものね」
私はそう言って曖昧に笑う。確かにベルナールの教え方は美味かった。ーーただ、彼が私以外にも魔術を教える、ということがなんとなくもやもやするだけで……
「クララ様? どうかなさいかましたか?」
「いえ、何でもありませんわ。ベルナールの魔術の腕は確かです。きっと良い教師となるでしょう」
心配そうにこちらを伺うほのか様に、笑いかける私だが、やっぱりもやもやは取れない。それが何なのかはわからないまま、結局久しぶりのケーキもあまり味わえなかったのだった。