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「もう……どうしてこうも山のように求婚がくるのかしら!」
私は思わず、テーブルに並べた釣り書の山へ突伏した。
「そうだわ! いっそカードみたいに広げるから、1枚ほのか様に引いてもらうっていうのは……」
「流石に陛下に怒られてしまいますわよ、クララ様」
「……やっぱりそうよね」
思わず声に出してしまった思いつきは、眼の前でふんわりと微笑む黒髪の女性に止められる。まあ、当然といえば当然だ……にしてもどうやって婚約者を選べば良いのか、と私はため息をついた。
私はクララ。アデリア王国の第一王女。そして眼の前の黒髪の女性は国王である兄様の奥様、つまり王妃であるほのか様だ。
豊かな大地に恵まれ、このあたりでは屈指の大国であるアデリア王国。
魔法が発達したアデリア王国では、ときおりこの世界とは別の世界から黒髪の女性がやってくることがある。その女性、通称「黒髪の乙女」が王妃になる時、国は特に栄えると言い伝えられているのだ。
そして私の前で微笑む女性は、まさにその「黒髪の乙女」。もとの世界では病弱で、若くして死んでしまった彼女。
そんな彼女は気づいたら、このレーディアル城にいたのだという。
彼女は伝承に則り、国王である私の兄に嫁ぐ。右も左もわからないまま、突然結婚が決まったほのか様。
でも、努力家な彼女は、恐るべきスピードでアデリア王国の文化を吸収し、今では誰もが認める立派な王妃様だ。
賢くて可愛いほのか様に、最初こそ「伝承で結婚など……」と文句を言っていた兄もあっという間に絆された。今では兄様の溺愛っぷりは大陸中に知れ渡る程。
そんな素敵なお義姉様が私も大好きなのだけど、同時に私が今悩んでいる理由にも彼女が関係していた。
「やっぱり王族って大変なんですね。その上私が突然やってきたから……クララ様には苦労をおかけしている気がしてなりませんわ」
「まさか! いずれやらないといけないことが少し早まっただけだわ。それにほのか様をアデリア王国に呼んだのはこちらだもの」
少し眉を下げるほのか様に、私は安心させるように笑いかけた。
繁栄を謳歌する兄の治世だが、実は王族が少ない、という問題を抱えている。具体的に言うと本来3兄妹だった私達のうち、一番上の兄、ヴィント兄様が病に倒れてしまったのだ。
回復こそしたが、今も寝台に伏せりがちなヴィント兄様は、王太子位を弟に譲って田舎の別荘地へ隠居する。さらに王族としては結婚が遅かった両親も、すぐ後に高齢を理由に王位を譲り、隠居してしまった。父には兄がいるのだが、父の兄は大恋愛の末、王位継承権を放棄してしまっている。
そんな訳で現役の王族が少ない我が国。当然、兄様にも私にも結婚話は山程あった。だが、兄様が異世界から来た少女と結婚した結果、求婚がすべて私の方へ向いたのだ。
それでなくても忙しい兄様のもとへ、山のように舞い込む私への結婚話。政務に忙殺される兄様を見ていられなくなった私は、ついに
「17歳の誕生日までに結婚相手を決める」
と、宣言してしまう。期日までは数カ月。その時から、兄様と私のもとにはとんでもない量の釣り書が届くようになったのだった。
とはいえこれは見込んでいた。どうせどこかでやらないといけないなら、短期集中のほうが政務への負担は少ない。そう考えての宣言だったが、にしても途方もない量の釣り書にさすがの私もお手上げな気持ちになっていたのだった。
「国を一番に考えてくれる、真面目で誠実な人なら誰でも良いのだけど……本当にどうしたものかしら?」
「クララ様ったら……クララ様のご希望はないのですか? こんな人が良いとか、こんな性格は嫌だとかーー」
「私は王女だもの。我儘は言えないわ。もちろん王女が嫁ぐにふさわしくない振る舞いをする人は駄目だけど……そういう人の釣り書は私の元まで来ないもの」
「そんな……クララ様……」
私の言葉にほのか様の表情が若干曇る。恋愛結婚が圧倒的に多かったらしい国からやってきたほのか様にとって、私の感覚は理解しがたいだろう。そのことを分かってか、ほのか様もそれ以上は何も言わなかった。
「まあ! いつの間にかこんな時間だわ。そろそろ大臣との面会が近いわ。ほのか様も予定があるのよね」
「はい、ルーヴェッフェンについての講義が午後から入っています」
「あら……『魔術の国』ね。あの国は面白い文化が一杯だからきっと楽しんで学べると思うわ」
「本当ですか! 陛下もそうおっしゃっていたので楽しみですわ」
「ふふふ、頑張ってね。じゃあ続きはまた今度にしましょ。付き合わせてしまってごめんなさいね」
「いえ、クララ様。いろいろお話できて楽しかったですわ」
ほのか様はニコリと笑みを零すと、優雅な身のこなしで席を立つ。まさか彼女が異世界出身で、半年前までドレスを着たこともなかったなんて、誰も思わないだろう。彼女を見送ってから、私も次の予定に向け、部屋を出たのだった。
「あら、王女殿下。ごきげんよう」
「王女殿下。ご機嫌麗しく存じます」
王女、というのはとかく注目される職業だ。たとえ城の廊下であれ、一歩歩けば、貴族たちから次々に声がかかり、使用人たちは一斉に頭を垂れる。
そんな声に一つ一つ挨拶を返し、使用人達にはねぎらいの意を込めた視線を送る。そんな風にしてゆっくり歩いていると、不意にとても懐かしい声を聞いた……気がした。
「クララ王女殿下! ベルナールにございます」
声の方に顔を向けると、今度ははっきりと声が聞こえる。それは幼馴染で、ここ数年はルーヴェッフェンに留学していたベルナールの声だった。
顔つきや体つきは、以前より随分と大人っぽくなっている。しかし肩ぐらいまである茶色の髪を一纏めにしているのは昔のまま。彼はやや早足に私の方へやってくると、胸に手を当てて、優美に礼をしてみせた。
「久方ぶりにございます。王女殿下がご健勝で何より安堵しております」
「まあ、ありがとう、ベルナール。それにしても聞いていたより早い戻りなのね。驚いたわ」
「ええ、想定よりも旅程が早まりまして……」
ニコリと微笑んで見せる表情はまさに昔のまま。私の心にも温かいものが広がるが、次に続く言葉に私は唖然とした。
「ところで王女殿下。殿下は今婚約者を選んでおられる真っ最中だとかーーそれも難航しておられるとお聞きしました」
「あら? よく知ってるわね。そうよ……まあ難航っていうのはあれかしら? 候補が多すぎて絞りきれてないだけよ」
つい先程のほのか様との話を思い出し、私は苦笑いする。
「王女殿下は素晴らしい御方にございますから、求婚者もさぞ多くなるのでしょうーーところでその相手、私にする、というのはいかがでしょうか?」
「は、はい!?」
突然の言葉に私の顔は苦笑いのまま、ピキッと固まる。しかしベルナールは、いっそ清々しい程の笑顔を浮かべて言葉を続けた。
「我が家は伯爵ですが、歴史は古く、王家とのご縁をいただいたこともございます」
「えぇ……そうね」
「そして私自身、魔法の才には自信があります。この度は魔術師団副団長に任命いただきました。無論いずれは団長を目指そうかと」
「それは、頑張ってほしいわーー」
「なにより、以前より王女殿下を深くお慕い申し上げております。どうかこの私めに殿下の夫となる栄誉をいただけませんでしょうか」
ベルナールが並べ立てる言葉には確かに一理ある。少なくとも彼は私の結婚相手としては不足のない相手だ。ーーただ
「そうね……他にもたくさん候補者がいるから、すぐには決められないわ。ごめんなさい」
「……そうですか。いえ、こちらこそ王女殿下のお心を煩わせるような真似をして申し訳ございません」
「そんな、ベルナール……」
「また、日を改めて出直させていただきます。それでは、そろそろ魔術師団にも顔を出さないといけませんのでーーまた後日!」
「は……ご、後日ってまた求婚するってこと? ねえ、ベルナール!」
私の言葉には振り返らず、ベルナールは颯爽と去っていく。そんな彼の後ろ姿を見つつ、私は心配そうな侍女に声がするまで呆然としていたのだった。