【23】アリエス
「ああ、君が噂のユラン君だね……。初めまして……になるのかな?」
「いえ……。開戦前に……随分前に、一度だけお会いしています」
ユランは、大した感情も持たず、その女性を見下ろしていた。
──ユランはただの傭兵だ。
君主も持たない自由人……。
すでに、復讐鬼としての牙を抜かれた腑抜けに過ぎない。
だから、その女性──
アーネスト王国最後の正統国主、アリエス・セタ・フリューゲルを君主と崇めた事もなければ──
アリエスの命の灯火が消えそうなこの瞬間にあっても、アリエスに対して何の感情も湧いてこなかった。
「そうか……。ボクは……一度見た相手の顔は忘れない自信があったんだけど……」
「……その頃に比べれば、私も随分変わりましたから」
ゴフッ……
ゴフッ……
アリエスは君主らしい威厳を示そうとするが、込み上げる咳気にやられ、それすらもままならない。
「討伐軍はすでに敗れたが……最後の勤めを……果たさなければ……」
地面に倒れ伏していたアリエスは、上半身の力を使い、立ちあがろうとする。
しかし──
ぐしゃり──……
両足に力が入らず、再び地面に倒れてしまう。
それも当然の事だ。
アリエスには、すでに立ち上がるための両足が無いのだから……。
「ああ……これでは……立ち上がる事も出来ないか……。戦いはからっきしだけど……両足の美しさには……自信があったのにな……」
嘆く訳でもなく、
悔やむわけでもない。
アリエスは冗談交じりにそう語る。
「ボクは……頭脳労働者だって言ったのに……酷いね……」
「……苦しいですか?」
ユランは、アリエスの言葉にどう反応して良いのか分からず、そんな事を問うた。
「少しね……。多分……ボクは死ぬから……」
アリエスが口に出さずとも、その有り様を見れば〝その結末〟がもたらされる事など明らかだった。
ならば、せめて──
『リペ──』
「止めなさい……」
痛みを和らげるための神聖術……
アリエスはそれを拒否すると、静かに首を左右に振った。
「神聖力を……無駄にする事は……ない」
「……」
ならば、もう今のユランに出来る事は何も無い。
「ボクは……どうせ……死ぬ……」
「私に……何か出来る事は?」
ユランがそう尋ねると、アリエスは震える唇で、「ふふ……」と静かに笑みをこぼした。
「君は優しいね……。ならば……」
「……はい」
「……ボクのものに……なりなさい」
「……」
「ボクの……聖剣士に……」
「私は傭兵です。それに、聖剣だって下級だ」
そう言いながらも、ユランにはアリエスの発言の意味が分かっていた。
アーネスト王国すでに崩壊し、貴級聖剣以上の主など数えるほどしか生き残っていない。
貴族だ何だのと、今更言い出したところで何になると言うのか。
「良い……。国主たるボクが許そう……、一人で死ぬのは……流石に寂しいからね……」
アリエスの言う通り、彼女はたった今、国主として〝一人寂しく〟死に至ろうとしている。
臣下たる聖剣士たちは、一人残らず〝厄災〟に葬り去られた。
ある者は、王都を守るために。
また、ある者は君主たるアリエスの盾となり。
そして、人類最後の希望、シリウス・リアーネを逃すために犠牲となった者も多数……。
アリエスの周りには、一人の臣下も残らなかった。
アリエスには、以前から常々口にしていた言葉がある。
「戦いはジェミニ姉さんの得意分野」
「慈善の心はレオ兄さんの特権」
「ならば、ボクはそんな二人を影から助けるとしよう」
二人の後継者が健全だった頃、微笑みながら語ったアリエス。
後継者争いなど眼中になく、兄弟を立てる事を常に考えていた。
しかし、ジェミニが死に、レオが死に……
アリエスはアーネスト王国最後の後継者として、人々の前に立たざるを得なくなった。
自分を犠牲にしたとしても、国民を守るために……。
そうなったとき、アリエスは──
「国民を守るために戦うのはジェミニ姉さんの……慈悲を施すのは、レオ兄さんの仕事だろうに……。まったく、困った人たちだ」
そう言って、王家の墓前で寂しげに笑っていた。
そんな事など知らぬはずのユランだったが、アリエスの笑顔を見て、遠い過去の──
あの日の事を思い出していた。
「わた……俺は……聖剣士にはなれません。それほど強くない」
「ボクは……見る目があるんだ……。君なら……すごい……聖剣士になれる……」
アリエスの笑顔に、遠い日に失ったはずの幼馴染の笑顔が重なった。
「……」
ユランは、無言でアリエスの手を握る。
冷たい。
人の温もり……温かさなどまるで感じない。
それは、ユランがよく知る、命が失われていく瞬間だった。
その言葉は、死にゆく者への花向けに過ぎなかったのかもしれない。
しかし、ユランは言わずにはいれなかった。
「わかりました。俺が、貴方の聖剣士として……必ず仇を打ちましょう」
「……」
ユランの声は、すでにアリエスの耳には届いていない。
アリエスの両目からは、すでに光が失われつつあった。
「お父さん……お母さん……姉さん……兄さん……何で……ボクを……置いていったの……?」
その最後の言葉が、アリエスの本当の心の内を表した言葉なのだろう……
王城の片隅で、静かに息を引き取ったアリエス。
振り返ったユランの目に映ったのは、轟々と燃える炎に包まれた王都──
そして、王都の中心で休眠に入ったバル・ナーグの姿だった。
今の王都に、無事な場所など一つとしてない。
こんな状態では、生き残った市民など皆無だろう。
「俺が……貴方の唯一の聖剣士が、貴方を連れ帰ります……」
そう言って、アリエスを両手に抱え、ユランは戦場を後にする。
こうして、死者50000人に及んだバル・ナーグ討伐戦は──敗戦に終わった。
そのとき、任命の儀式もなく、主人からの許も受けていないが……
確かに、王国最後の聖剣士が誕生し──
同時に、聖剣士の歴史に終止符が打たれたのだった……。




