【17】ミュン&リネア 戦いの前の一コマ
時刻はまだ早朝だというのに、繁華街は大勢の人で賑わっていた。
早朝仕事の者たちは、早めの朝食を。
夜勤明けの者たちは、帰宅する前の小腹満たしに。
そう言った者たちから需要が有るため、繁華街のカフェなどは早朝からオープンしている所が多い。
本日も、それらの店は繁盛しているようで、繁華街は人でごった返していた。
そんな人々の波を、建物の屋根から見下ろしている者がいる。
『聖人に脅されて来てみたは良いけど……嫌だなぁ……帰りたいなぁ』
そんな呟きを漏らしたのは、中年に差しかかるくらいの年齢に見える──
薄汚いボロを纏い、伸ばしっぱなしの髭が特徴的な、浮浪者風の男だった。
『そもそも、俺は王都に来るのは反対だったんだ。魔竜復活の近くにいたら、俺まで巻き込まれるかもしれないんだから』
男はボリボリと頭を掻きながら、不満げにため息を吐く。
頭を掻いた際にボロボロとフケが地面に落ち、赤色の屋根にポツポツと白い粒が付着した。
男はそれが面白かったのか、両手で頭を掻きむしり、故意にフケを落とす。
そして、それが小山の様になったところで──
『何やってんだ俺は……』
急に冷静になり、そう呟くと、両手にフーっと息を吹きかけて爪の間に入ったフケを飛ばした。
男の爪の間にはドス黒い汚れが溜まっているため、その行為に意味があるとは思えなかったが……。
『あーあ。やっぱり世の中ってやつは俺に優しくないよなぁ。こんなナリの所為で、『不浄の魔王』なんて不名誉な二つ名を付けられるし。不幸すぎる』
男──『不浄の魔王』は、目の下にできた大きな隈を手の平で擦りながら、再び大きなため息を吐く。
『まあ、聖人には逆らえないから、言いなりなんだけどね……。ああ、また独り言だ……。ホント、何やってんだか』
『不浄の魔王』は、「よっこいしょ」とわざとらしく声を上げて立ち上がると──
『まずは〝腹ごしらえ〟だなぁ』
と、またまた独り言を呟き、音もなく屋根から飛び降りた。
*
『何か恵んでくれませんか?』
繁華街の中でも一際大きく、最も賑わっているとおぼしきカフェの前で、『不浄の魔王』は店員らしき男性にそう声を掛けた。
「……」
男性店員は、『不浄の魔王』の浮浪者の様な形を見て露骨に顔を顰める。
そして──
ドンッ
『不浄の魔王』の胸を右手で強く押し、拒絶の意を示した。
『不浄の魔王』は後方に押されて、地面に尻餅を付く。
「貴様の様な、小汚い男の来る場所じゃない。他を当りな」
男性店員は『不浄の魔王』を侮蔑を込めた視線で見下ろし、ハンカチで手を拭きながら言った。
『うーん……。それなら仕方ないですよね。他を当りましょう』
尻餅を付いたまま、頭をボリボリと掻きながら、『不浄の魔王』は言う。
頭からフケが大量に落ち、その事で、男性店員はより一層その表情に不快感を露わにした。
「やれやれ」とため息を吐いた後、『不浄の魔王』は立ち上がろうとするが、
「おじさん、大丈夫?」
後方から、彼にそう声を掛けてくる者がある。
『不浄の魔王』が振り返ると、そこには──
10歳くらいの少女が、心配そうな顔をして立っていた。
少女は、品物が入った麻袋を両手で抱えており、買い物途中であると推測される。
『大丈夫ですよ……。ただ、お腹が空いていまして。何か恵んで頂けるとありがたいのですが』
少女の言葉に、『不浄の魔王』は隠す事なく、自分の要求を平然と口にした。
それに対して少女は、ニッコリと笑顔を浮かべ──
「丁度良かった! 私のお父さん、個人経営の飲食店をやってるの……。お父さんに頼んでみたら、何か食べ物を出してくれるかも」
そう言うと、汚れる事を厭わずに、迷いなく尻餅を付いたままの『不浄の魔王』に右手を差し出した。
「ふん。『マージュ』の娘っ子か。ウチが出来るまでは繁盛店だったらしいが……今は、浮浪者に対してボランティア活動に勤しむなんてな。落ちたもんだ」
少女の善意を鼻で笑い、男性店員は今まで以上に侮蔑を込めた視線を二人に向ける。
「おじさん。あんなの放っておいて、お父さんの店に行こう」
『ありがとうございます。〝人〟の善意とは斯くも温かいものですね』
『不浄の魔王』は感謝の言葉を述べた後、素直に少女の手を取り、笑顔で立ち上がった。
*
一悶着あったカフェから、数十メートルも離れていない場所に、少女の父親が経営するカフェ──『カフェ:マージュ』はあった。
以前は人気店と呼ばれ、早朝から客で溢れかえっていた店だったが、今は営業中にも関わらず客はまばらだ。
「お父さん、ただいま! お客さん連れてきたよ!」
少女はカウンターの上に買い物袋を下ろすと、その奥にある厨房に声を掛けた。
その声に反応したのか、ヌッと大柄な男が厨房から顔を覗かせる。
「ああ、おかえりノノ。買い物を頼んだだけなのに……。また妙な客を連れてきたな」
「はっはは」と豪快に笑い、少女──ノノの父親は言った。
「このおじさん、お腹が空いてるんだって。何か食べさせてあげて」
「全く……。お腹が空いてる奴は、犬や猫だって構わずに連れてくるんだから」
そう言ったノノ父親だったが、その表情からは、少しも迷惑そうな雰囲気は感じ取れない。
むしろノノの父親は、
『誰にでも分け隔てなく優しく接する』
そんな娘を、自慢するかの様に誇らしげな表情で胸を張っていた。
「今は丁度お客さんも少ないし、テラス席に案内してやってくれ……。まあ、最近はいつもお客さんは少ないんだけどな」
「もう! またそんな冗談言って!」
ガハハと、大口を開けて笑うノノの父親。
ノノもつられて笑顔になった。
『うん、良い雰囲気の家族だね。やっぱり、ここに決めたよ』
そんな、親子が醸し出すほんわかした雰囲気に触れ、『不浄の魔王』は納得した様にうんうんと何度も頷いた。
「?」
ノノは『不浄の魔王』が言った言葉の意味が分からず、不安気に疑問符を浮かべるが、
『ちゃんとお金はあるから、心配しなくて良いって事だよ』
『不浄の魔王』が笑顔でそう答えたため、安堵のため息を吐くのだった。
*
「お待たせしました! コレが『カフェ:マージュ』の名物、子牛のステーキだよ!」
ドンと、大皿に盛られたステーキ肉が『不浄の魔王』の目の前に提供される。
「コレはただのステーキじゃなくて、味付けにも拘った、お父さん自慢の一品なの!」
料理の説明をするノノは、興奮気味に語る。
父親の料理を、自慢したくて仕方がないと言った様子だ。
『うん、確かにコレは美味しそうだ。あ、大きめの取皿をもらえないかな?』
ノノの方を見ながら、笑顔でそう言う『不浄の魔王』。
ノノは『不浄の魔王』の要求にも嫌な顔一つせずに笑顔で返すと、取皿を取ってくるため、一旦テーブルを離れていった。
『それじゃあ、早速いただこうかな』
テーブルに置かれていたナイフとフォークを手に取ると、『不浄の魔王』は料理に口をつける。
『うっわ、〝クソ不味いな〟これは……』
誰にも聞こえないほどの小声で呟くと、『不浄の魔王』は口に入れたステーキ肉を皿に吐き出した。
『そもそも、人間食べ物なんて『魔族』の俺の口に合うわけないんだよなぁ』
『不浄の魔王』は、ナイフとフォークをテーブルの端に置くと、備え付けの布ナプキンで口元を拭う。
「あ、あの……取り皿」
戻ってきたノノが、トンッと、真っ白で柄のない、大きめの取皿をテーブルに置く。
「く、口に合わなかったのかな? コレでも、お父さん自慢のご馳走なんだけど……」
『不浄の魔王』が、料理を皿に吐き出したのを見ていたのだろうか……
ノノが悲し気な顔で『不浄の魔王』の顔を見る。
そんなノノ様子を見て、『不浄の魔王』は慌てて取り繕う様に首を左右に振ると、こう言った。
『いやいや、〝コレ〟は本当にご馳走だよ。ありがとうね』
「こひゅ?」
『不浄の魔王』はノノに丁寧にお礼を言うと、端に置いてあったナイフとフォークを再び手に取る。
ドクン ドクン ドクン──……
真っ白な取り皿の上で、〝あるモノ〟が跳ねる様に脈打っている。
その〝あるモノ〟は、その時点でようやく抜き取られた事に気が付いたのか……
ドロ……
本体につながっている管の部分から、真っ赤な血液が流れ出て、真っ白な皿を鮮血に染めた。
『やっぱり、〝食材〟は新鮮なのが一番だよね』
ニッコリと笑う『不浄の魔王』に対して、目の前で給仕していたノノは──
「え? はへ?」
「意味がわからない」と言った様子で、首を傾げる。
……〝あるモノ〟とは、〝抜き取られた〟ノノの……心臓だった……。
驚くべき事に、本体から抜き取られたというのに、ノノの心臓は今も鮮血を撒き散らしながら元気に脈打っている。
『これは『強取』って言う俺の〝特技〟なんだ。これの凄いところは、手を突っ込んで取り出したと言うのに、返り血が一切付いていないところで──』
バタンッ──……
『不浄の魔王』が自らの能力を説明している最中に──
生きるために一番大切な器官を失ったノノの身体は、力無く地面に倒れた。
ピクピクと身体が痙攣している状況から、まだ僅かにではあるが息がある様子だった。
ただ、その痙攣すらも小さくなっていき……
ノノ命が、急速に失われていくのが分かる。
そんなノノの様子を見て、『不浄の魔王』は顔に微笑を浮かべ、
『ふふ……。お父さんから教わらなかった? 〝知らない人には親切にしちゃいけないよ〟って』
などと言った。
店内に客がまばらな上に、ここは他に客も居ないテラス席だ。
ノノの状態に誰も気が付かない。
いや、気付いた者がいたとしても最早……。
『さて、新鮮なうちに〝食事〟を頂こうかな。〝この子〟の父親にも、料理の感想を伝えないといけないし』
『不浄の魔王』は、鼻歌でも歌い出しそうなほど楽し気に、〝ノノの心臓〟にナイフを入れようと──
ドゴォ!!
するが、それは叶わなかった。
何者かが横槍に、『不浄の魔王』の顔面を力一杯殴打したのだ。
あまりの威力に、『不浄の魔王』の身体は錐揉み回転しながら後方に吹き飛び──
『カフェ:マージュ』の店外方向に、何十メートルも転がっていった。
「……このクズ野郎が。ここは私やユランくんの行きつけなんだ。よくもこんな酷い事を……」
そこには、頭に青筋を浮かべ、完全にブチギレたミュンが立っていた。




