【12】開戦 リーン・II
最初に〝ソレ〟を見つけたのは、王都の中心部に程近い場所──『露店街』で商売をする、露店商の男だった。
その日、露店商の男は、いつもの様に露店で売る『どこで作られたかもわからぬ商品』の品出しが終わり、用意した椅子に腰掛けて客を待っていた。
しばらくすると、露店街全体が急に薄暗くなる。
露店商の男は、雲でもさしたのかと思い──
「今日は雨かな?」
などと言って、お気楽そうに空を見上げた。
──〝ソレ〟は真っ黒な……凹凸の全くない完全なる〝球体〟だった。
太陽の光を遮るほどに、肥大化した〝ソレ〟は、少しでも触れれば爆発しそうなほど飽和状態に見えた。
ドクンッ ドクンッ ドクンッ──……
心臓の鼓動音を響かせ、時折、球体の中で〝ナニカ〟が窮屈そうに蠢き──〝完璧な球体〟の表面は、ミミズが這う様に形を変える。
「な、なんだありゃ。真っ黒な……太陽?」
露店商の男がそう呟く。
男の呟きに反応した訳ではないだろうが……露店街にいる者たちは、示し合わせたかの様に一斉に空を見上げた。
『あーあ、とんだ貧乏クジだよ』
──そんな時だ。
王都の上空で蠢く球体──
その近くにいた〝ある人物〟の声が──
不満気そうに呟くその声が、露店街に響いたのは……。
「……人?」
確かにそれは、人の形をしていた。
側から見れば、10代前半くらいの少年だ。
しかし、その少年の異様さは誰の目にも明らかで……
その少年の存在が、〝仮初の平和〟の──終わりを告げる合図の様に見えた。
『あの神人を殺せる上に、〝王都の人間を好きにできる〟って聞いたから協力したのに……。結局別の〝バケモノ〟のお守りなんて』
少年は、つまらなそうに呟く。
その〝呟いただけの声〟は、拡声器を使った訳でもないのに、露店街全体に届く……恐ろしく通る声だ。
「お、おい……。何なんだよ、あれ……」
露店商の男は、〝ソレ〟を見てしまった恐怖から、カラカラに乾いてしまった喉で何とか言葉を紡ぎ出す。
そこから漏れ出たのは、呻く様な震え声だ。
『あの〝聖人〟からは、『古の竜の卵を守れ』としか指示されてないし……。後は好きにして良いよね?』
──その少年は、外見上はただの幼い少年だ。
ただ、その少年の置かれた状況が、その異常さを顕著に物語っている。
少年は──羽根の生えた〝巨大なナニカ〟の上で、胡座をかき、顎に手を当てて露店街を見下ろしていた……。
「あの子供が乗ってるの、魔物か? じ、じゃあ、子供は……ま、魔族!」
露店商の男が叫ぶと、それが伝染したように、露店街に集まっていた人々も──
「魔族だ!!」
「何で魔族が王都に……。神人様がいるのに」
「は、早く……王国警備隊に連絡を……」
などと口々に叫び、ざわざわと騒ぎ始める。
まだ早朝という事もあり、露店街に集まっている人間が少なかった事が幸いしたのか、嘔吐全体が大混乱に陥るような事はなかった。
が、王都に魔族が現れるなどという前代未聞の事態を前に、人々はどう対処して良いのかわからず──
逃げる事もせずに、ただ、空を見上げて成り行きを見守っていた。
『〝あの神人〟にビビって、オイラたち『魔王』は今まで何もできなかった。でも、それも今日までだ……。人間を前に、指をくわえて見ているだけはもう終わり』
少年は、口端から垂れた涎を服の袖で拭うと、口元を歪めて楽し気に笑う。
そして、無造作に右手を天に向かって掲げた。
「ああ、神よ……。お助けください」
「何で……魔族との争いに、俺たち一般人が巻き込まれなきゃならないんだ……。貴族は……聖剣士は何をしてるんだ!」
魔族の──ましてや『魔王』の襲撃など、一般人に対処できるはずもない。
いや、相手が『魔王』だとしたら、並の聖剣士がいくら集まったとしても、結果は変わらないだろう……。
──力無き人間は、ただ蹂躙されるだけ。
『オイラは『悪食の魔王』……。さあ、人間共よ。オイラを楽しませてくれ』
空からの襲撃者──『悪食の魔王』が掲げた右手を下すと──
空を覆うほどの数の魔物が、何もない空間から突然、姿を現す。
漆黒の体躯を持つその魔物は、異様なほど口が巨大で──飲み込んだ物全てを粉々に砕いてしまいそうな、鋭い牙をいくつも持っていた。
100体以上は居るであろう魔物は、どれも身の丈が、人の倍以上もあろうかという巨躯で──全てが『上級種』の魔物だった。
*
空を埋め尽くす程の魔物の群れを目の当たりにし、露店街に居た人々は息を呑んだ。
魔族の少年と、それに従う魔物が一体だけ……先程までのそんな状況下では、人々は恐怖に慄きつつも『聖剣士が何とかしてくれる』と、内心で思っていた。
しかし、眼前に迫った目に見える危機、そして恐怖に耐えきれなくなったのか──
「嫌ダぁぁぁ! こんな所で死にたくねぇ!」
「助けでぇぇ! 誰かぁ!!」
そこにいた誰もが、我先にと、ありとあらゆる方向に散り散りになって逃げ出した。
有事の際は、聖剣士が多く所在する〝王城〟に避難するのが有効的ではあるが……人々は目の前の光景を見て、思っていた。
『〝あんなもの〟聖剣士だって、どうにかできる訳がない』
自分の命、そして家族の命を守るためには、一刻も早くここから逃げるしかない。
平和な時代に慣れすぎて、聖剣士の戦う姿など見た事もない一般市民──
彼らがそういう選択をしてしまうのも、無理からぬ話だった。
それに、相手は魔王……〝普通の聖剣士では太刀打ちできない〟という点を見れば、彼らの考えもあながち間違っていないと言える。
『逃がさないよー。オイラにとっても、コイツらにとっても、久しぶりの人間なんだ。全員、『悪食』のエサになってもらうよ』
『悪食の魔王』の指示で、大量の魔物が人々に襲い掛かろうとしていた。
しかし──
「お待ちなさい!!」
突然、高らかに──その声は露店街全体に響き渡った。
鈴の鳴るような、それでいて力強い……
よく通る、女性の声だった。
「罪なき人々に襲い掛かるなどという悪行……。この私が許しませんわ!!」
その声の主は、露店街の中心にある時計塔──周囲の建物の中でも一際高く聳え立つ、その塔の上に立っていた。
真っ白なローブに身を包み、輝くような金色の髪を靡かせ──腕を組んで『悪食の魔王』を見据える。
ただ、真っ白な、飾り気のないピエロの仮面で顔を隠しているため、その素顔は窺い知れない。
『なんだよ、アンタ。おかしな格好して……。オイラの邪魔をする気かい?』
仮面の女性の登場を見て、『悪食の魔王』は呆れ顔で問う。
『悪食の魔王』は、余裕の表情だ。
それも当然の事──
『魔王』にとって脅威となり得るのは、〝皇級聖剣〟以上の聖剣士だけ……。
『悪食の魔王』には、この珍妙な乱入者が、そのような実力者であるとは到底思えなかった。
「私は……『リーン剣士団特別顧問』……名前は……えと、そう! リーン・II!」
完全に、たった今思いついたであろう名前を口にして、リーン・II──リリアは、左腰に携えていたサブウェポンを抜き放った。
『……顔が見えないからわかんないけど。何か、恥ずかしがってない?』
『悪食の魔王』が、リーン・II〔リリア〕に、じっとりした目線を向けなが言う。
「……お黙りなさい! 私は優雅なる水の戦士、リーン・II! 今の私は世を忍ぶ仮の姿……。恥ずかしい訳がない! 妙な言いがかりはよして!」
『仮面で隠れてない部分が真っ赤だけど、本当に恥ずかしくないの?』
「恥ずかしくない!」
(は、恥ずかしすぎますわ……。私にこんな事をさせるなんて、ミュンめ……)
友人に対する恨み節を心の中で呟きながら、悪食の魔王とリーン・II〔リリア〕の戦いが始まろうとしていた……。




