【9】その時グレンは……
「こうも忙しくては、堪らないね……。猫の手も借りたいくらいだ」
ここは、リアーネ家の屋敷にある執務室。
執務机の椅子に腰掛け、山積みになった羊皮紙の束に目を通しながら、グレンは頭を抱えていた。
「これらはリアーネ家当主……グレン様にしか判断できない書類ばかりです。確実に目を通していただきませんと」
執務机を挟んで立っている眼鏡の女性が、すまし顔でグレンの泣き言に反応を返す。
その女性は、チャームポイントと言っても差し支えないほど馴染んだ眼鏡を──右手でクイっと上げ、ため息を吐いた。
「先代の〝ゴミクズ当主〟が残した〝負の遺産〟と言うやつですので……。〝現当主であるグレン様の責務である〟と、私は思いますが?」
眼鏡の女性は、ツリ目が特徴の美人であるが……その言動も相まって、冷たい印象を周りに与える。
「父は確かにマトモではなかったけど、一応は僕の父親なんだけどね。それに遺産って……。〝まだ〟処刑は執行されてないから、生きてはいるんだよ?」
グレン父──前リアーネ家当主のホフマン・リアーネは、グレンが〝例の手紙〟を王国警備隊に提出した事で〝神人殺害未遂の罪〟で拘束される事となった。
グレンとしては〝例の手紙〟が、ホフマンを『リアーネ家当主の座から引き摺り下ろすための一助になれば良い』程度に考えていたのだが……。
国王のアーネストや王国貴族の代表である宰相をはじめ、多くの貴族がホフマンを疎ましく思っていた様で……これまでの悪事についても徹底的に糾弾される事となった。
それも、ホフマンが言い逃れできない様に念密に準備され……。
四年前の事件の直後にホフマンは拘束され、直ぐに裁判が行われて判決も出た。
……結果的に、〝神人を手に掛けようとした〟と言う罪だけでも〝極刑〟に値すると判断され、死罪となった訳だが──
ホフマンに届いた手紙の内容から、協力者が居ることが判明……さらに、その協力者が〝王族〟かも知れないと言う疑惑が生まれてしまう。
その協力者の名を何としてもホフマンの口から聞き出す必要があったため、『極刑に処す』との判決が下ったにもかかわらず、判決から四年が経った今でもホフマンの刑が執行されずにいる。
グレンにとって、ホフマンは決して誇れる父親ではなく、一時期は憎んでいた事もあった相手だが……自分の父親が〝極刑に処される〟と言うのは何とも言えない複雑な気分であった。
「失礼しました。ですが、アレが貴方の父親とは言え、貴方やリリちゃんを傷付けた事実は変わりません。私が最初から知っていれば〝くびり殺して〟やったのに」
「こらこら、君はこの国の〝第二王女〟なんだから……そういう発言は控えなさい」
眼鏡の女性の過激発言に対して、グレンは呆れた様にため息を吐く。
「そもそも、王女であるはずの君が公爵家の秘書になるなんて。一体どう言うつもりなんだい……リブラ? よくアーネスト国王陛下が許可したものだ」
そんな、グレンの愚痴にも近い発言を聞き、眼鏡の女性──リブラはチャームポイントの眼鏡をクイクイと何度も上げ、目を細めてグレンを見た。
これは、〝幼馴染〟のグレンだけが知る、リブラが激怒する寸前に見せる仕草……と言うよりも癖だった。
何か地雷を踏んだな……。
と、グレンは思ったがもう遅い。
リブラは突然、チャームポイントである眼鏡を外し──
ドカンッ!!
そのまま執務机に叩きつけた。
〝チャームポイント〟である眼鏡を、だ。
眼鏡は勿論、粉々に破壊される。
「リブラ……。もういい大人なんだし、その癖は直したほうがいい。毎回、手をケガするんじゃないかとヒヤヒヤするし」
リブラの突然の奇行にも、グレンは『慣れている』といった様子で軽く受け流す。
しかし、リブラの方はグレンに言いたいことがある様子で──
「元はと言えば、グレンくんの責任ですけどね。幼馴染である私を差し置いて、ジェミニ姉さんの下に付くなんて……手酷い裏切りです。私は王位継承権を持たないので、選択肢すらないのかも知れませんが……。私の超絶可愛い弟の〝レオきゅん〟に下るならまだ許せました。しかし、貴方はジェミニ姉さんを選び……私の心を裏切った。なので私はグレンくんの側で〝これ以上私を裏切る事の無いよう〟見張らなければならないのです……。と、これが私が貴方の秘書に立候補した理由です。ご理解いただけましたか?」
などと、聞き取るのが困難なほど早口で捲し立てた。
グレンはそんなリブラの様子すらも『いつもの事』と若干、呆れ顔で見ていた。
「とにかく。私は貴方の──もう面倒なのでグレンくんと呼びますね。グレンくんの秘書になるために、国王陛下をおどし……。いえ、誠心誠意説得し、承諾を得ています。コレは決定事項で、さらに王命ですので断ることはできません。おわかりですね?」
「君は相変わらず、行動力の権化みたいな人だね。まあ、君の優秀さは知っているし、僕としては有難いんだけど……。幼馴染とはいえ、王族を顎で使うのは流石にね……」
「私が希望したのですから、グレンくんは気にしなくても結構です。まあ、私の〝花嫁修行〟とでも思っていただければ良いかと」
「……??」
「この、クソにぶ野郎が」
「相変わらず、突然口が悪くなるな君は……」
*
「話が逸れに逸れたけど、〝前当主〟が溜め込んだ仕事がちっとも片付かないんだ」
「グレンくんが、正式にリアーネ家当主の座を拝命したのが一週間前ですから。まあ、片付かないのは当然では?」
グレンの愚痴めいた言葉に対して、リブラは高級そうなメガネケースから取り出した〝新たなチャームポイント〟を掛け直しながら、素っ気ない態度で言った。
少しだが、冷静さを取り戻した様だ。
「僕もこの四年間は〝当主代行〟として執務はこなしてきたつもりだったけど、代行では権限が得られない執務も多くて……。まあ、早い話が、当主になった途端に〝やれることが増えた〟影響で、〝やるべき事が倍増した〟って話だね」
四年前の事件を受け、ホフマンが失脚した事で、普通ならばリアーネ家は取り潰しになる予定であった。
いや、正しくは──
当主が重罪を犯したのだから、一族諸共罰せられ、爵位を剥奪された上で流刑などに処されるのが一般的だ。
しかし、アーネスト王国では親族であっても〝明らかな共犯関係になければ罰せられない〟と言う法律があるため、ホフマンの犯した罪の咎をグレンやリリアが受けることはなかった。
その辺りは、犯罪教唆など様々な要素が絡めば話は変わってくるが──四年前の事件に関しては、グレンやリリアは被害者側であると立証がなされたため、責任を追及される様な事もなかったのだ。
まあ、直接咎が来ないとしても、当主が罪を犯したとなれば爵位は剥奪され、家名は取り潰しになる訳で……。
ご多分に漏れず、ホフマンが犯した罪により、リアーネ家は取り潰しとなった。
しかし、グレンとリリアの兄妹は〝神人〟である──新たに家を興す権利が与えられ、グレンには『公爵』の爵位が与えられる事となる。(リアーネ家は元々侯爵)
本来であれば、家を興したばかりの若僧に与えられる爵位ではないが、グレンが神人であるという理由だけで、他貴族たちからも反対意見などは出なかった。
グレンは家を興す際、〝家名を自由に決められる権利〟を与えられたが、
「父が穢したリアーネ家の名は、親族である僕が濯がなくてはならない。新たに爵位を与えられるからといって『はいそうですか』と受け入れ、そのまま無かった事になど出来ない。それに、このまま汚名を背負ったままで家名が消えていけば、リアーネとして死んでいった母に顔向けできない」
などと言い出し、そのままリアーネを名乗り続ける事となった。
つまり、リアーネ家は〝取り潰しになった〟が、グレンが新たに〝リアーネ家を興した〟と言う……何ともややこしい結果となったのだ。
そう言う理由から、現在のリアーネ家は以前のリアーネ家とは別物の家と言う事になるが──事情を知らない世間一般から見れば、『当主が犯罪を犯して投獄されたにも関わらず、リアーネ家の爵位が上がった』などと揶揄される事が懸念された。
おまけに、新たに当主となったグレンが『前リアーネ家の負債や、ホフマンが滞らせた執務など』全て受け入れると宣言してしまったため、より一層、世間ではそういう見方がされる様になる。
アーネストはこれについて、「無駄な責任を背負うな」と説得したが、グレンは頑としてとして受け入れなかった。
大衆を納得させるため『神人の権威を利用すれば』話は早いのだが……それでは〝納得しない〟者も出てくる。
──と言うよりも、〝ある理由〟から市民に対する神人の権威が弱まりつつある。
アーネストは、
「しばらく、リアーネの当主の席は空席とし、グレンを〝当主代行〟に据える。お前がリアーネ家に禊が必要だと言うなら、それもよかろう。それが成った暁には正式にリアーネ家当主を名乗ることを許す」
などとこじ付けにも近い妥協案を提示して、無理矢理グレンを納得させた。
*
「それ、ハッキリ言ってグレンくんの所為では? 勿論、放蕩の限りを尽くした、前当主の責任は多分にありますが……。それを背負ったのはグレンくん自身ですよね?」
「……まあ、そうなんだけどね。まさか、当主代行では触れることすらできない執務がこんなにあるとは……。貴族って大変なんだなぁ」
「〝普通の貴族〟はグレンくんほど仕事熱心ではないですけどね……。基本的に執務も人任せですし。中には〝当主のみに権限が与えられる執務〟であっても、他者に丸投げする無責任な貴族もいるくらいですから」
「それは、一部の例外の話だよね? それに、僕は当主として正式に認められるまで、四年も掛かってしまった訳だし……。遅れた分は取り戻さないと」
*
グレンの言う通り、彼がリアーネ家の当主と認められるまでには紆余曲折あった。
神人としての聖務は勿論の事、数ヶ月間は期間を必要とする〝魔族討伐大遠征〟にもリアーネの名の下に積極的に参加して、汚名を濯ぐ事に注力したのだ。
はっきり言って〝点数稼ぎ〟をした訳だが……それでも、正式に認められるまで四年の歳月を要した。
アーネスト王国に神人グレン・リアーネが誕生してから10年余り……王都に危機が迫る事もなくなり、人々は平和に慣れ過ぎてしまった事で、神人の権威は弱まっている。
神人は戦闘に特化した、いわゆる〝対魔族兵器〟に他ならないため、平和になれば重要性が低くなるのは必然だ。
聖剣教会の信徒や貴族など、今が『仮初の平和』である事を重々理解している者たちにとっては別の話だが……
一般市民にとって、平和な時制の神人など〝他の貴族と大差ない〟存在でしかないのだ。
*
「一部の例外、ですか……」
グレンの意見を聞いたリブラは、〝可哀想なものを見る様な視線〟をグレンに向けた。
グレンは、あまり人を疑うことのない性格であるため、理解できない事かもしれないが……『貴族として正しくあろう』と、自分を律して行動できる者は意外と少ない。
怠惰で自堕落的な貴族というのは、何もホフマンだけの話ではなく、王国貴族の多くがそうだと言っても過言ではないだろう。
「まあ、そう言う〝ある意味無知〟な所も貴方の可愛い部分ではありますが……。私はグレンくんのそう言うところが心配ですし、『一生、側に居て見守る』つもりです」
「……ありがとう?」
「この、クソにぶ馬鹿野郎が」
「本当に口が悪いな君は……」
リブラが再び〝新しいチャームポイント〟をクイクイやり始めたので、グレンはそれとなく話題を変える事にした。
「とにかく、溜まった仕事を片付けるために──コレから僕は一週間ほど執務室に籠るから……来客の対応なんかをよろしく。判断が難しいときは、ちゃんと僕に報告してね」
「了解しました。私も職務がないときは一緒に籠るとしましょう。一週間、よろしくお願いします」
「……人の話聞いてた? 何で君が一緒に籠る必要があるの? コレは当主にしか判断できない案件ばかりだよ?」
「だから、〝職務がない時は〟と言いましたが……何か問題でも?」
「……君がそれで良いなら、文句はないんだけどね。実際、助かる訳だし。君は〝仕事のパートナー〟としては非常に優秀な人だから……」
グレンがニカっと歯を見せて笑うと、リブラは例の如く眼鏡をクイクイとやり始める。
彼がこの様に屈託なく笑うのは〝ごく親しい相手〟だけなのだが……リブラはそれに気付かず──
「にぶいのもそこまで行くと犯罪ですよ、この野郎」
本日、二本目のチャームポイントを破壊するのであった……。




