【5】D判定組
「いいか! ハッキリ言ってお前たちはクズの集まりだ! 『試験前にレベル1を達成している事が望ましい』と言う通知を出していたにも関わらず、それすらも守れない……。才能もない、努力もしない……。お前らはそんな怠け者だ!!」
D判定のサークルに集まった面々に対して、筋骨隆々、熊の様に大柄な男性試験官が暴言を吐く。
サークル内に集まったのは、数百人いる受験者の中でも20人程度の少数で──皆、試験官の恫喝にビクビクして身体を小さくしていた。
……皆といっても、ユランを除いてだが。
ユランは、D判定組を恫喝する試験官を面白くなさそうな顔で見ていた。
「本来なら、この時点で全員失格。叩き出してやるところだが、俺は優しいからな! お前らにチャンスをやる!」
(この試験官は……。いちいち、偉そうに大声を上げないと気が済まないのか?)
試験官がD判定組に向ける視線には、明らかに彼らを馬鹿にした様な……相手を〝無能〟だと、見下した様な侮蔑の意味合いが込められている。
ぞく──……
ユランは、試験官に一言文句を言ってやろうかと思ったが、既にA判定のサークルに移動済みのミュンが、鋭い目付きでこちらを睨んでいるのに気が付く。
……こちらと言うより、暴言を吐いた試験官にだが。
ミュンの殺気を感じ取ったのか──大柄な試験官は身体をビクリと震わせ、青ざめた顔でキョロキョロと辺りを見回していた。
隣のサークル──C判定のサークルに居るニーナも、その試験官に不満げな視線を送っている。
ミュンの様に、殺気までは放っていなかったが……。
ちなみに、ミュンには事前に『判定結果を誤魔化す』と伝えてあるため、ユランがD判定だった事に驚いている様子はない。
──ニーナは、ユランの判定結果を聞いた時、何故か呼吸が荒くなり、頬を赤らめてユランの方を見ていた。
はあ はあ はあ
と、息遣いが聞こえてきそうなほど興奮したニーナの様子に、ユランは、ゾクゾクっと背筋が寒くなる様な奇妙な感覚を覚える。
(き、気のせいだよな?)
そんなニーナの様子に、なぜか触れてはならない部分な気がして……ユランは見て見ぬふりをする事にした。
「と、とにかく! 今から10分後に実技試験を始める! お前らD判定組は精々、心の準備でもしておけ!」
ミュンの放つ殺気にビビっているにも関わらず、大柄な試験官はいまだに傲慢な態度を崩さない。
プライドも相当高そうな男だった……。
*
「あの……俺、ニクスって言います。ニクス・アーヴァイン。アーヴァイン家の二男です。こっちは、双子の妹で、プラムです」
ユランが実技試験に向けて準備運動をしていると、突然、声を掛けてくる少年がいた。
少年は、隣に小柄な少女を伴っており、二人ともブルーの髪と瞳が特徴的な、整った容姿の少年少女だった。
自己紹介をしてきたあたり、ユランとは初対面で間違いなさそうだ。
「ああ、ユラン……。ユラン・ラジーノです」
ユランは取り敢えず返事を返すが、ニクスと名乗った少年が、自分に話しかけてきた意図が分からなかった。
「突然すみません。ユランさんって、ジーノ村の出身ですよね?」
「……そうですけど」
「ああ! やっぱりそうでしたか! 〝姉〟から話しを聞いていて……。一度、お会いしたいと思ってたんです」
「お姉さんですか?」
「シエル・アーヴァインです。何年か前にジーノ村で教師をしていた……」
「……」
(ああ、聞いたことある家名だと思ったら……。どう反応すれば良いんだこれ? シエルとは、回帰前からの因縁もあるし……。できれば関わりたくないのだが)
「姉から、俺と同い年で『貴級聖剣』に選ばれた『元教え子』がいるって聞かされてたんです」
「……」
(私が〝貴級〟だという情報は隠していた訳ではない……と言うよりも、積極的に広めていた事だから、シエルが知っていてもおかしくない。しかし、これはやはり〝そう言う事〟なのだろうか?)
「姉から聞いていた特徴と完全に一致していたので、すぐにわかりましたよ。俺、姉から〝貴方と友達になってこい〟って言われてるんです。元教え子だから、困った事があれば助けてやってほしい……。〝ユランくんの様子は逐一報告してほしい〟ともお願いされています。元教え子の貴方が心配なんだそうです。姉はすごく優しいから」
捲し立てる様に、早口で話すニクス。
姉の事を語るニクスの瞳は、キラキラと輝いて見える。
シエル・アーヴァインはジーノ村の一件でその活躍が認められ、今は聖剣士に返り咲き、一個小隊を任される『小隊長』となっている。
ニクスにとってシエルは憧れであり、尊敬する姉なのだろう……。
ちなみに、回帰前と違い、ジーノ村の件が早々にシエルの手柄として認められたのは……
そこに不審点を見つけ、調査に乗り出そうとしていたグレンを、ユランが止めたからだ。
「全てシエル先生のおかげ」と、虚偽の証言まで付け加えた。
(やはりか……。この子を私の下にやったのは、私の監視が目的だろう。私がジーノ村の件を蒸し返さないか心配で仕方ない様だな)
ユランは、村を出てからの4年間、聖剣教会で過ごしてきたが、そこでもユランの言動を監視している人間はいた。
それが、シエルの手配した人間なのかは分からないが……別段、害はなかったのでユランはそれらの人間をあえて放置していた。
そう言った人間は、逆に情報操作を行う上で有利に働く場合もある──要は〝その存在を認知〟していれば良いだけだ。
「……そうでしたか。シエル先生にはお世話になったので、その弟さんと友人になれるなら僕も嬉しいです」
スッと、ユランはニクスに向かって右手を差し出した。
ニクスは途端に満面の笑みを浮かべ、ユランの手を取り──二人は握手を交わす。
ニクスの浮かべた笑顔……『友達になってこい』という、シエルの指示を遂行出来た事がよほど嬉しかったのだろう……。
ユランは、シエルの事など『心底どうでも良い』と思っていたが、純粋に姉を信じている少年の心をあえて否定するつもりはなかった。
「思い切って声を掛けて良かったです。試験前にすみません……。それではまた」
ニクスはそう言うと、C判定のサークルの方に歩いていく。
どうやらニクスは、ユランを見つけてわざわざD判定のサークルまで声を掛けに来たらしい。
ニクスは、C判定のサークルに戻って行ったが──
「……君は戻らないの?」
ニクスの双子の妹、プラムは、D判定のサークルに残ったままでジッとユランを見上げていた。
「……わたし。……D判定……だから」
「そ、そうなんだね」
プラムは、他人と話すのが得意ではないのか、しどろもどろになりながら答える。
その様子が、出会ったばかりのリネアを思い出させて、ユランは少しだけ微笑ましい気持ちになった……。
*
「さあ、クズども。試験を開始するぞ!」
大柄な試験官はそう言うと、補助に付いているらしき、気弱そうな細身の男に羊皮紙を配るように指示を出した。
D判定組の20人に、それぞれ一枚づつ配られた羊皮紙には──筋トレマニアも真っ青な、ハードなトレーニングメニューが書き込まれていた。
「お前らのように今まで努力してこなかった人間には、〝努力する心〟が必要だ。俺は優しいから、このメニューを全部こなせたら問答無用で実技は合格にしてやるぞ」
ユランは、羊皮紙に書かれた項目をザッと確認する。
(こんなもの、アカデミーに入学もしていない──訓練もまともに受けていない受験者に出来るはずがない)
──いや、誰にも無理だろう。
例え、メニューを全てこなせる体力や筋力があったとしても、全て終わる頃には日付が変わってしまう。
それほど、メニューに記載された内容は試験としてあり得ない内容であった。
(ただの嫌がらせか? そのために、羊皮紙まで用意して?)
「無理だと思うならやめても良いぞ。所詮、〝覚醒〟もしてない『無剣』どもにはアカデミーはまだ早いって事だ」
〝覚醒〟
『抜剣』に至る事を、その様に大仰に呼ぶ貴族は度々見かける。
時を経れば、殆どの人間が自然に至る事ができる『レベル1』……それを、さも特別だと、自分たちは優秀だと、偉そうに語る言葉。
……傲慢な考え。
(まあ、『抜剣』できる様になってから出直して来いって事なんだろうけど……。そう言う上から目線は気に入らないな……)
「……こんなの、絶対に無理だ」
「……棄権しなきゃダメなの? お母様、お父様……。不出来な私を許してください」
集められたD判定組は皆、大柄な試験官の傲慢な態度に萎縮してしまい……無理難題を押し付けられて途方に暮れている。
中には、泣き出してしまう者までいた。
確かに試験官の言う通り──『抜剣術』に至ってから試験を受ければ、この様な扱いを受ける事もないだろう。
問題なのは、D判定組が『抜剣術』を使えない──『無剣』である事なのだ。
この国において、『無剣』に対する差別意識はそれほどまでに根深い。
しかし、ここに居る者たちは〝家の期待〟、〝両親の願い〟など、様々なものを背負ってアカデミーに来ている。
このまま「はいそうですか」と家に帰ったのでは、その期待を裏切るだけでなく〝根性無し〟というレッテルまで貼られてしまうのだ。
「D判定組は帰って良いぞ……。まあ、今年は俺が試験官で災難って事だ。いや、才能がないくせにノコノコ試験を受けにきた奴らに〝現実を分からせて〟やってるんだから……。はっは! 俺ほど優しい試験官もいないな!」
ふと、ユランがプラムの方を見ると──
「……だめ。……一緒に居るって約束したんだから……お兄ちゃん……助けて」
ポロポロと涙を流しながら、C判定のサークルにいるニクスを見ていた。
「……」
……ニクスは大柄な試験官の態度に怒るどころか、プラムの縋る様な視線を受けて、面倒臭そうにソッポを向いていた。
(なるほどな……。お前は〝そっち側〟か)
いつの間にか他のサークルにいた受験者たちも、ユランたちD判定組の方に視線を向け、成り行き見守っている。
ガヤガヤと、興味深そうに周りと話し──中にはD判定組を揶揄う様にヤジを飛ばす者までいた。
他のサークルには別の試験官も何人か居るが、大柄な試験官の暴挙を止めようともしない。
他の試験官のやる事に口を出さない方針なのかもしれないが……彼らとて、〝無剣〟に対する意識は大柄な試験官とさほど変わらないだろう。
あえて、見て見ぬ振りをしている可能性すらある。
〝無剣〟には、チャンスすら与えないと言う事なのだ……。
「何か、とんでもなく偉そうだけど……。不快だから黙ってくれないかしら?」
突然、大柄な試験官の後方でそんな声がした。
冷たく、感情の全くこもっていない──恐怖すら感じさせるほどの冷淡な声だ。
「……ひっ」
大柄な試験官はその声に反応し、ビクリと身体を震わせて身を縮こまらせた。
「な、なんだお前は! 受験者のくせに俺のやり方に文句があるのか!? し、試験を受けさせないぞ!!」
冷たい声の主──ミュンは、D判定組に対する試験官のあんまりな態度に、ついに我慢の限界に達したらしい。
A判定組のサークルから文句を言いに来たのだ。
……いや、D判定組に対する態度というよりは、ユランに対する態度に、というのが正しい。
「試験を受けさせないって? 別に良いわよ。私は〝免除組〟だし」
「……へ?」
「それに、このクソゴミムシ──こほん……。アンタは『抜剣術』が全てみたいに言ってるけど、実際いくつよ?」
ミュンの話し方は、怒りのあまり、ドスの効いたゴロツキの様な話し方に変わっていた。
大柄な試験官は、ミュンの雰囲気にビクビクしながらも、必死にそれを隠そうと虚勢を張る。
「レ、レベル3だ! お前が馬鹿にして良い相手じゃないんだぞ!」
「……嘘ね、実際レベル2が良いところでしょう? レベル3なら、アカデミーの試験官なんてやってる訳ないし……嘘付いてんじゃねぇよ、こら」
……そろそろ、止めに入ったほうがいいかもしれない。
ミュンは、相変わらずユランの事となると我を失う……下手すると、試験官を殺しかねない。
……殺さないまでも、再起不能にはする。
確実に。
「それに、アンタがレベル3だろうと、関係ねぇわよ。ちなみに、私はレベル4だからな……。アンタの理屈で言ったら、私の方が立場は上だわよ、この野郎」
──なんだか、喋り方までおかしくなっている。
ミュンを止めに入ろうとしたユランだったが──
ぞくり……
背後から強烈な寒気を感じ、振り返った。
そこには……
「お、女の子に守られてる……。なんて、かわ……。だめ、だめよ私……。冷静になりなさい……」
ニーナが、恍惚とした表情で頬をほんのりとピンク色に染め、クネクネと身体を動かしながらユランを見ていた。
……これは、触れない方が良さそうだ。
「ミュン、ちょっとまっ──」
「ユランくんなら、アンタを含めてC判定組全員、無傷でボコボコだわよ……。いいえ、A、B、C、D……全部まとめてボコボコなんだからね!」
(……ん? 何かとんでもない事を言い出したぞ)
ミュンが暴走した事で、実技試験会場はカオスな状態になってしまった。
試験官の胸ぐらを掴んで恫喝する少女の姿に、周りの受験者を始め試験官たちもドン引きし、皆、止めに入るタイミングが掴めずにいた。
「は、離せ! 暴力行為は失格にするぞ!!」
「あん?」
「……は、離してください」
大柄な試験官は精一杯虚勢を張り、ミュンを嗜めるが、ドスの効いた声で睨み付けられて萎縮してしまう。
ドサッ!
「うぐ……」
ミュンは、大柄な試験官を投げ捨てる様に胸ぐらを離す。
試験官は、尻餅をついて呻き声を上げるが、ミュンは気にも留めず──
両手を広げて、その豊満な胸が天井に向くほど仰け反った。
「ユランくんの素晴らしさもわからないゴミ共め! 存在するだけで罪深い!!」
周りの受験者たちの中で、ミュンは間違いなく一番の強者だ。
アカデミー入学前にレベル4など、前代未聞の事態(勿論、グレンは除く)であるため、試験官たちですら、その存在を内心では恐れている。
受験者たちが、止めに入れる相手ではない。
しかし、そこは流石試験官たちと言うべきか……彼らはミュンの奇行に恐怖を感じながらも、身体を張って止めに入った。
「ちょ!? 何するのよ! 触らないでよ、変態! 私に触っていいのは……! ──! ……!!」
ミュンは、10人以上の試験官に囲まれ、ズルズルと引きずられて退場していく。
その人数相手に、微妙に抵抗出来ているのは流石と言うべきか……。
*
「へ……。『抜剣』レベルが高くても、所詮は素行の悪い粗暴者か」
ミュンがいなくなった途端、大柄な試験官は急に強気な態度に戻る。
今だに手先が僅かに震えている様に見えるが……虚勢を張っているのを誤魔化すために悪態をつく。
「……」
ユランはいい加減、ウンザリしていた。
大柄な試験官の横柄な態度は勿論の事、ミュンを馬鹿にする言葉……。
「そう言えば、さっきの女が面白い事を言っていたな……」
D判定を受けただけで、最初から資格がないと言わんばかりに辛辣な態度をとる試験官。
D判定組の受験者たちは皆、怯えた様子で事の成り行きを見守り……「誰かなんとかして欲しい」と切に願っている。
プラムに至っては、涙を流しながら身体を震わせる始末だ。
「あの女が言っていたユランって、お前の事だろ?」
大柄な試験官は、手元に広げた羊皮紙とユランの顔を見比べながら言った。
羊皮紙に、受験者の特徴など書かれているのだろう。
「……そうですけど?」
「俺の見立てでは、お前たちD判定組は全員不合格だが……。ユランくんはお強いんだろ? だったらお前にチャンスをやろう」
「……ふう」
ユランは、呆れた様にため息を吐く。
大柄な試験官の考えなど見え透いている。
試験官は、ミュンがご執心のユランを全員の前で叩き潰し、晒し者にする事で、ミュンに手酷くやられた仕返しをしようとしているのだ。
「5対5で試合をしよう。俺が選んだ5人の受験者たちと、D判定組から選抜された5人が模擬試合をして……そうだな、D判定組が一人でもこちらに勝てば、無条件にD判定組全員を合格にしてやろう」
おそらく、選抜される相手はC判定以上の実力者──確実に『抜剣術』が使える相手だ。
普通ならば、『抜剣術』相手に、〝無剣〟の者が勝てる訳がない。
相手が『抜剣術』を使えば、その実力差は天と地ほど──大人と子供ほども差が出るだろう。
無茶苦茶な条件ではあるが、ある意味チャンスなのは確かだ。
ただ、懸念点があるとすれば──
(全員合格にするって……この試験官にそんな権限があるのか?)
大柄な試験官が、『約束を守るだけの力を持っているか』と言う事だ。
「まあ、良いですよ……。でも、他のD判定組を巻き込むわけにはいかないので、僕一人でやりましょう。勿論、そっちは5人で結構です」
試験の結果に関係なかったとしても……傲慢な態度には、それなりの〝制裁〟が必要だ。
あちらからノコノコと舞台に上がってくるなら、一緒に踊らない手はない。
「さっきの女と言い、今年の受験生は生意気な奴ばかりだな……。精々頑張りな。ちなみに、お前一人でやるって言うなら……勝ち抜き戦になるが、一人目で負けてもしっかり全員と戦ってもらうからな? アカデミーでの模擬試合は〝実戦〟と同じなんだ」
「もう、喋らなくて良いですよ。弱い犬ほどよく吠えるって言うけど……さっきから、キャンキャン五月蝿いんで」
「……!! 〝無剣〟の分際で、クソ生意気な奴だ……。さっき言った通り、これは実戦と同じだ。殺されても文句は言うなよ」
ユランが了承したことにより、5対5での模擬試合が行われる運びとなった。
……いや、実際には1対5なのだが。
「バルドルさん……俺にやらせて下さいよ」
模擬試合が決定した直後、一人の男が名乗りを上げ、大柄な試験官に近付いていく。
燃える様な赤毛が特徴的な──筆記試験の際にユランに絡んできた男だ。
赤毛の男は大柄な試験官──バルドルの側までやってくると、笑顔を向ける。
「その赤い髪……おお、君はノワール家のジル君じゃないか!」
赤毛の男──ジル・ノワールは、バルドルに軽く会釈した後、ユランの方を見て挑発的な笑みを浮かべた。
「思ったより早くに吠え面かく瞬間が来たな! 覚悟しろよ、カッコつけの〝無剣〟くん!」
バルドルもジル・ノワールも、自分たちが負けるなどとは夢にも思っていない。
相手のユランは〝無剣〟なのだ……歯牙にもかけていないだろう。
「ジル君の父上とは旧知の仲だからな……。君の実力も知っているし、ぜひお願いするとしよう。後の4人は……」
バルドルはそう言うと、集まっていた受験者たちをぐるりと見回す。
A判定組やB判定組は別の試験官の担当であるので、バルドルに彼らを動かす権限はない。
さらに、試験免除組でもあるので、この様な茶番劇に付き合う者などいないだろう。
選抜するのなら、必然的にC判定組からという事になる。
バルドルはジル・ノワール以外の3人まで適当に選抜し……最後の5人目に──
「ニーナ嬢。エルフ族の実力を見てみたいので、参加をお願いします」
エルフ族の少女、ニーナに白羽の矢が立った。
「わ、私は辞退します……。こんな事をする意味がわかりません……」
ニーナは、一瞬だけユランの方に視線を向けた後、即座に模擬戦参加を拒否する。
バルドルは、ニーナに参加を拒否されたにも関わらず、大して気にする様子もなく……
それどころか、最初からニーナの返事が分かっていたかの様に、彼女に対して侮蔑の視線を向ける。
「……そうですか。まあ、良いでしょう。エルフ族は〝心優しい種族〟ですからな」
バルドルは、ニヤニヤと笑いながらニーナを見て、そう言った。
敬語を使い、表面上はニーナを敬っている様に聞こえるが……バルドルが言った『心優しい種族』と言う言葉には、ニーナに対する最大限の侮蔑が込められているのは明らかだ。
現にバルドルは、ニーナに聞こえないような小さな声で──
「これだから〝耳長〟はいかん……。臆病者めが……。学長も何でこんな〝劣等種〟を受け入れたんだか」
などと、エルフ族の事を口汚く罵っていた。
しかし、ニーナはエルフ族……人間族よりも遥かに耳がいい。
ニーナにはバルドルの呟きが聞こえていたらしく、口を結んで落ち込んだ様に俯いてしまった。
「あと一人、他に誰かやる奴は居ないか? 参加すれば試験は免除してやるぞ」
(〝勝てば〟ではなく〝参加すれば〟か……。どこまでも舐め腐っているな)
他のC判定組の者たちは皆、「どうしようか」と困惑気味の顔でバルドルを見る。
試験免除は魅力的な条件であるが、〝無剣〟相手に本気で試合をするなど、ただの弱い者イジメと変わらない。
まあ、おそらくC判定の者たちは世間体を気にして名乗りを上げないだけで、切っ掛けがあれば進んでその〝弱い者イジメ〟をしそうではあるが……。
「それなら、俺も参加していいですか?」
C判定組の受験者たちが様子見をしていると、その中から一人の少年が名乗りを上げた。
ブルーの髪と瞳が特徴的な少年──ニクス・アーヴァインだ。
「アーヴァイン家の二男か……。お前は確かD判定組に──」
バルドルは、手元の羊皮紙に目を落とし、ニクスの名前を確認した後……そのまま目線をD判定組のプラムに向ける。
D判定組の中に、ニクスの妹がいる事を確認したのだ。
その事実を知り、バルドルはニヤリと口元を歪め──
「いいだろう。いくら身内といえども、出来損ないを庇う必要はない。自らを高めるために役立たずは切り捨てる……。貴族として正しい姿だ」
ニクスの〝貴族らしい行動〟を、手を叩いて称賛した。
「ただ、身内のためにわざと負けるような真似をすれば……わかっているな?」
バルドルの脅しに近い言葉を受けても、ニクスは──
「それはありません。利用できるものは身内でも利用する……。それが俺の尊敬する姉の教えですから」
ニッコリと笑顔で返し、バルドルの懸念を否定した。
「な……なんで……? お兄ちゃん……アカデミーでも一緒にって……」
「ああ、プラム……。ごめんね。状況が変わったんだ。楽に試験をパス出来るなら、それに越した事はないだろう?」
「で、でも……わたし……」
「一緒に居られるなら、俺だってそうしたいさ。でもね、どうせプラムは実技試験を通過出来なさそうだろ? だったら、結果は同じなんだし、俺が確実に試験をパスした方がアーヴァイン家のためにもなるよね?」
「あ……う、うん。……そうだね。……お兄ちゃんの言う通り……です」
「うん、プラムはいい子だね」
優しく諭す様に言うニクスに、プラムはポロポロと涙を流しながら頷いた。
ニクスの言う事が、絶対的に正しいと思い込んでいる様だ。
D判定組の受験者たちは、周りから〝無剣〟だと馬鹿にされ、試験すらマトモに受けさせてもらえない有様だ。
『自分たちはここに居るべきではない』と、D判定組の誰もが思い始めていた。
──たった一人、ユランを除いて。
「ユランさん、すみません。せっかく友達になれたのに……。それは、来年までお預けですね。これにめげずに、来年は頑張って下さいね」
しばらく前から、無言で成り行きを見守っていたユランに、ニクスは笑顔でそう告げる。
そんなニクスの言葉を完全に無視し、ユランはバルドルの方に近付いていく。
二クスは、ユランに無視された事にムッとした顔になるが……ユランはニクスの方を見ようともしない。
バルドルの目の前まで来ると、感情のこもっていない冷たい声で言った。
「一つ……。こちらからも条件を出して良いですか?」
「あ? 何を言ってるんだお前は」
「〝俺〟は一人で戦うんですよ……? どうせ、そちらは負けるつもりなんてないんでしょう? だったら、どんな条件を飲んでも一緒では?」
ユランの挑発的な言葉に対して、バルドルは心底不快だという顔をする。
「……まあ、良いだろう。その方が盛り上がるしな。言ってみろ」
「〝俺〟が勝ったら……この試合に参加したC判定組は全員失格の上──D判定組を馬鹿にした事を謝ってもらいます。床に額を擦り付けて……誠心誠意ね」
「お前、本気で言ってるのか? 〝無剣〟ごときが、覚醒者に頭を下げさせるって事が……どう言う事なのかわかっているのか?」
ユランの出した条件に、バルドルは込み上げる怒りを押し殺し、拳を強く握る。
そして、睨みつける様にユランに対して鋭い視線を送った。
まさに一触即発……バルドルは今にもユランに殴り掛かりそうな勢いだ。
「バルドルさん。俺は別に構わないっすよ? 負ける訳ないし、〝無剣〟どもに現実をわからせてやるのも〝覚醒者〟の努めでしょう?」
ジル・ノワールが、ユランとバルドルの間に割り込む様に言う。
そして、ジル・ノワールの発言を皮切りに、二クスを含めた他の4人も、笑いながらユランの提案を承諾した。
その中でも、ニクスなどは──
「姉さんがわざわざ友達になれって言うくらいだから、期待してたんですけど……。残念です」
と、完全に見下した様な目でユランを見ていた。
逆に、D判定組の受験者たちは、『覚醒者に勝つなんて絶対に無理だ』と理解していながらも……
『このままでは試験すら受けさせてもらえない』という状況に打ちひしがれ、『万が一の勝利』を信じて、縋る様な気持ちでユランを見ていた。
*
模擬試合の開催が決定し、C判定組から選抜された5人は、木剣を持って試合場周りに集まる。
……対して、ユランは木剣も持たずに徒手のまま試合場へと上がった。
「武器も持たずに試合をするつもりか? それとも、怖気付いて……『武器を持たないんだから手加減してくれ』とでも言うつもりなのか?」
バルドルはユランの行動を嘲笑い、周りを煽動する様に大声でそう言う。
試験免除のA、B判定組の受験者を始め、試合に参加しないC、D判定組の受験者たち──ほぼ全ての受験者たちが、試合を見学するために試合場の周りに集まっている。
それだけではなく、『良い見せ物だ』と、他の試験官たちまでもが試験を一時中断させ、試合を見学するために集まってきた。
たった一人で、D判定組の代表として試合に臨むユランに対し──周りの受験者たちは同情するどころか、ヤジを飛ばし始めた。
「〝無剣〟のくせに生意気な奴だ」
「弱いくせにでしゃばるな」
「貴族の恥だ」
などなど、様々な罵詈雑言がユランに対して飛び交う。
しかし、当のユランはそんな声を気にする様子もなく、準備運動をしながら対戦相手を見据える。
ユランに罵声を飛ばす受験者たちの中で、D判定組とニーナだけは心配そうな顔でユランを見ていた。
勿論、ユランの悪口など一言も口にしていない。
ここに集まった受験者たちは所詮、貴族の子息や子女たちだ……。
プライドも高く、自分より家柄や実力が劣る者を平気で見下し……傲慢な態度を隠そうともしない。
彼らは、口を開けばD判定組の事を『無剣、無剣』と嘲り、同じ人間として見ようともしない。
たまたま人より早く『抜剣』に至っただけだと言うのに、何がそんなに偉いと言うのか……。
ユランから言わせれば、そんなものはただ『人より背が高い』だとか、『人より年齢が上だ』といった程度の事でしかない。
個人の努力の結果という訳でもないのに、『自分はコイツらより優れた人間だ』と偉そうにふんぞり返っている。
勘違いも甚だしい。
「さっさと開始線に付け……。いちいち言わせないでくれよ。この〝無剣〟が」
ユラン自身、聖剣士アカデミーという場所に期待している部分はあった。
聖剣士としての在り方を学び、国や弱き民のために戦う〝剣士〟を育成する学園……。
かつて、ジーノ村でミュンに対して夢を語ったときのユランが、心から憧れていた場所でもある。
「へへ、最初の相手は俺だ。最初から全力で行かせてもらうぜ! おら! お前らが使いたくても使えない『抜剣』だぞ!」
開始線に付いたのは赤毛の男──ジル・ノワールだ。
『抜剣レベル1を発動──使用可能時間は5分です──カウント開始』
アカデミーは……
聖剣士は……
正義の……正しさの象徴であるべきなのだ。
──それが、力を与えられた者の努め。
「間違いは……正さないとな」
「なにブツブツ言ってんだ! この〝無剣〟ヤロウが!」
ジル・ノワールが、『抜剣』を発動し、木剣を構えた。
ニヤケ笑いを浮かべ、余裕の表情でユランを見据えている。
自分が〝無剣〟のユランに負けるはずがないと、高を括っているのだろう……自信満々の顔だ。
「始め!」
バルドルの口から、試合開始の合図が告げられる。
ジル・ノワールは、腰を低くして、攻撃を仕掛けようとするが──
「『抜剣』まで使ってやったんだ。精々、俺を楽しませて──」
ドゴォ!
「……もう、喋るな」
ユランは、目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、容赦ない手拳の一撃をジル・ノワールの腹部に叩き込んだ。
ボゴンッ!!
「──ぐべっ」
ユランの一撃をまともに受けたジル・ノワールは──20メートル以上も後方に吹き飛ばされ、壁に激突した後、ゴロゴロと床を転がった。
突然の出来事に、審判をしていたバルドルも……口をポカンと開けたままで、唖然として、その様子を見ている事しか出来ない。
……事の成り行きを見守り、時には囃し立てる様にワイワイ騒いでいた他の受験者達も──
誰も彼もが、口を開く事すら出来なくなっていた……。
シンと、静まり返った試合場で、ジル・ノワールを一撃で殴り倒したユランは……
ゆっくりとした動作でバルドルの方に向き直り……感情の全くこもっていない、冷め切った声で言った。
「試験官も貴族だ。傲慢なのは結構だが……。一所懸命やってる奴の邪魔をするなよ」
ユランは能面の様に、感情の色が全く感じられない表情をしているが……その身体から放たれている殺気は尋常なものではない。
ミュンがバルドルに対して発していた殺気とは比べ物にならない──視線を向けられただけで、そのまま〝死を覚悟させられる〟ほどの途方もない量の殺気だ。
ユランは、自分の仲間があまりに呆気なく敗れ、動揺を隠せていない残りの参加者たちに視線を向け……底冷えする様な冷たい声で言った。
「それと、そこの四人……。〝俺〟は今虫の居所が悪い。ノコノコと試合場に上がってきたら……全員、捻り殺すぞ。……なんたって、試合は実戦と同じなんだろ?」
ユランの放つ殺気に当てられ、会場にいる人間は皆──動くことすら出来なくなっていた。




