【2】初っ端から不穏な空気
アーネスト王国には、聖剣士を育成する機関──〝聖剣士アカデミー〟という全寮制の学舎がある。
ここは将来、聖剣士になる見込みのある人間を集め、
聖剣士たる者の心得
戦闘訓練
聖剣に関する歴史
等々、聖剣士としての基本を習得するための場所である。
特に、アカデミーでは『抜剣術』の習得に力を入れており、入学から卒業までの3年間で、『レベル2』に達しなければ、卒業が認められない。
在学中の生徒たちは、聖剣士としての基本知識を学ぶだけでなく、抜剣レベルの向上にも注力しなければならず──人によっては、ゆとりある学園生活など到底望めない厳しい場所でもある。
アカデミーに入学するための最低条件は、『貴級聖剣以上の主てある事』とされており、『下級聖剣』では、どれほど優秀な能力を持つ者であっても絶対に入学は認められない。
「4年間も王都で暮らしているのに、アカデミーには来た事がなかったな……。ずいぶん広い建物だけど、ミュンは迷ってないかな……?」
ユランは、試験会場が記載れた羊皮紙を手に、アカデミーの廊下を歩きながら心配気に呟いた。
朝の一悶着があり、ギリギリの時間でアカデミー内の試験会場に滑り込んだユランとミュン。
受付を済ませた後は、試験会場が別々だった事もあり、今は別れて行動している。
「A-6の教室……。ここか」
軽金属製の引き戸の上に『A-6』と書かれたプレートが掲示された部屋──ここがユランが試験を受ける部屋だ。
ガラガラ──……
何の抵抗もなく扉が開き、ユランが部屋の中に足を踏み入れると……
部屋内には沢山の講義席が設けられており、ほぼ満席の状態で、受験者たちが腰掛けている。
ユランの存在に気付いた受験者たちは一斉に──
バッ! バッ! バッ!
と効果音が聞こえてきそうな勢いで、ユランに注目する。
皆、一様に、追い詰められた獣の様にギラギラした目付きをしており、試験に対する意気込みが相当高い事が窺い知れた。
「うわ!」
受験者たちの勢いに気圧され、ユランは思わず驚きの声を上げる。
そんなユランの様子を見て、所々から「チッ」と舌打ちが聞こえたかと思うと──
「何だよ、試験官じゃねぇのかよ」
「ギリギリに来るなんて迷惑だわ。あんな奴、失格にしなさいよ」
「ただでさえ、気が立っているのに……」
などと、受験者たちはそれぞれ口走った。
追い詰められた少年少女の心情は、察するに余り有るが……とても貴族の息男、息女が取る態度とは思えない。
ユランは、そんな試験会場の様子を目の当たりにし、試験が始まる前から既に辟易してしまった。
「とりあえず、席に着こう……」
うんざりする気持ちを抱えつつも、ユランは自身の席を探して、受験者たちの群れの中をキョロキョロと見回す。
すると、段々構造になっている講義席の一番後ろから二番目の段に、一つだけ空席になっている席を見つける。
ユランは、席に掲げられたプレート番号と、自分の受験番号を照らし合わせて、間違いがないことを確認し席に着いた。
「……ふう」
席に着いた途端、ユランは周りのピリピリした空気に気圧され、思わず深いため息を吐く。
すると──
「ははは、災難だったわね」
と、隣の席から愉快そうに笑いながら、ユランに話しかけてくる少女がいた。
少女の方にチラリと目線を向けたユランは、その見覚えある姿に驚いて声を上げる。
「え……? もしかして、ニーナ!?」
腰まで伸びた、緑色で艶のある美しい髪……
髪と同様、緑色の、エメラルドの様に輝く大きな瞳……
その容姿は、まるで人形の様に現実離れした美しさだった……。
何より特徴的なのは、ユランたち人間族には見られない──少し、後ろに尖った両耳……
それが、少女が妖精族である事の証だ。
(私が知っているニーナよりも、随分若い容姿をしているが……。面影がある。間違いなくニーナ……。ニーナ・フロイツ・フォン・ダリアだ)
「…………初対面だと思うけど?」
愉快そうな笑い顔から一転、エルフ族の少女──ニーナは初対面にも関わらず、自分の名前を知っているユランを訝しみ、疑いの視線を向ける。
エルフ族は、元々警戒心が強い種族で、友好的な態度に見えて、その実、内面では相手の人となりを注意深く観察し、評価ている場合が多い。
初対面では友好的に接してくるが、そこで対応を間違えれば、彼女らの信頼は失われてしまい──それを取り戻す事は容易ではないだろう。
何年も森の中に引き篭り、外部との接触を極力絶ってきた排他的な種族……。
それが、エルフ族の特徴だった。
「……」
ニーナは、ユランをジーッと観察する様に見据える。
……完全に不審者を見る目だ。
回帰前に、ニーナと交友関係があったユランだから知っている事だが……ニーナはエルフの王の娘──つまり王女なのだ。
エルフの王女ということは、〝エルフの秘宝〟と呼ばれる〝アレ〟の使用権限を持つ数少ない人物……嫌われてしまったら大変だ。
ユランはそんな事を考え、何とかしてニーナの不信感を払拭するために頭を捻った。
(私の知るニーナよりも幼いが……。このときから性格が変わっていないなら、おそらく──)
「い、いやー。僕はエルフ族の──ニーナ王女のファンなんです……。〝完璧な種族〟であるエルフ族の〝完璧な王女〟……。その名前は人間族の間でも有名でして……」
突拍子もなく、ユランはニーナに対して賛辞を述べる。
普通なら気味悪がられてもおかしくない状況だが、それを聞いたニーナは──
「……ふふん。貴方、なかなか良い目をしているじゃない。そう、私たちエルフは〝完璧な種族〟なの! それを知っているなんて、人間にしては中々見る目があるわね!」
突然、ニンマリと満面の笑みを浮かべ……天井に向かって薄い胸を逸らし、自慢げに言った。
……やはり、この頃から何も変わっていない。
たんじゅ──いや、純粋な心の持ち主だ。
ユランは記憶の中と何も変わらないニーナに苦笑いを浮かべると、この場が丸く収まりそうな事に安堵していた。
しかし──
「ケッ! 〝耳長〟なんかに媚び売ってどうすんだ……。恥ずかしくないのかね」
突然、ユランたちの後ろの席から悪態をつく声が聞こえてくる。
そして、その声を皮切りに、
「そうだ。何で耳長が〝人間の学舎〟であるアカデミーの試験を受けてんだよ。目障りだ」
「少し可愛いからって、調子に乗ってるんじゃないの?」
などと、心無い声があちこちから上がる。
(ああ、まずいな……。ニーナがこんなの聞いたら、激怒して大乱闘になるかも……)
回帰前の勝気なニーナの姿を知っているユランは、「これは血の雨が降るかも」と、ニーナを止める準備をするが……
「あれ……?」
当のニーナは、心無い声に対して怒るどころか、シュンとして俯いてしまう。
産まれたての子鹿の様にプルプルと身体を震わせ、飛び交う誹謗中傷に耐えていた。
──目端には、少しだけ涙が溜まり始めている様に見える。
そんなニーナの姿を見たユランは……〝こちら〟では初対面であるにも関わらず、自分のかつての仲間が馬鹿にされている様で、我慢できずに──
「くだらない……。たかだか聖剣に選ばれただけ、親の七光りでこの場にいるだけの奴らが、偉そうな事を言うなよ」
などと口走ってしまった。
(私だって聖剣に選ばれなければこの場にいないのだし……同じ事だがな。現に回帰前はアカデミーには通わなかったし……。まあ、何でも言った者勝ちだ)
「ああん? 何だテメェ……。喧嘩売ってやがんのか?」
ユランの発言に激昂し、そう返したのは、最初にニーナを中傷した男──ユランたちの後ろの席に座っていた、赤毛短髪のガラの悪そうな男だった。
「別に、喧嘩なんて売ってないさ。僕は〝平民〟出身だから、口が悪いのは元々だよ……。それよりも、アンタ貴族出身なんだろ? そっちこそ口の聞き方に気を付けろよ。品性がない……。家の名が泣くぞ」
「へ! テメェ、平民出身なのかよ! テメェこそ〝選ばれただけ〟の人間じゃねえか!」
ユランが〝平民出身〟だとわかるや否や、赤毛の男は勝ち誇った様にユランを見下し、声高らかに笑う。
「まぬけ。だから僕はニーナに敬意を持って接しているし、誹謗中傷なんかしてない。僕が見下してるのは、お前らみたいな人間以下の馬鹿どもだけだ」
ユランは、自分の仲間(今は違うが)を馬鹿にされたり、蔑まれたりしているのを見ると、激昂して周りが見えなくなってしまうという悪い癖があった。
それは、回帰前の世界で理不尽に多くの仲間を失ってしまった事で、その大切さや尊さに気付き、必要以上に思い入れを持ってしまった事に起因する。
その感情は、ユラン自身も制御しきれていない不安定な部分でもあった。
またやってしまった……と、ユランの頭は段々と冷静になってくるが、すでに一触即発の状況……取り返しがつくはずもない。
「平民が! 自分の立場ってものを分からせてやる!」
ついには、後ろの席から、ユランに掴みかかろうとする赤毛の男……しかし──
ガラガラ──……
ちょうどそのタイミングで試験会場のドアが開き、試験官らしき人物が数名室内に入ってくる。
「……騒がしいな。……問題を起こしたら、即失格だぞ?」
試験官の一人にそう窘められ、赤毛の男は渋々といった様子で手を引っ込めた。
そして、ユランに対して射殺せそうほど鋭い視線を向け、捨て台詞の様に──
「後で覚えてやがれ……。ふん、そんなに耳長が好きなら勝手にイチャイチャしてな。気色悪りぃ」
などと悪態をつく。
「騒がせてごめん……」
「……」
ユランはニーナに謝罪するが……彼女からからの返答はない。
ニーナは、赤毛の男とユランのやり取りをボーッと呆けた顔で見ていた。
いや、正確にはユランの顔をじっと見て、ほんのりと頬を染めている。
ユランは、そんなニーナの様子を、「誹謗中傷に心を痛めて悲しんでいる」と勘違いしたのか……ニーナを慰めようとするが、試験管の前で大声を上げる訳にもいかず──
慰める気持ちで、
ニーナの耳元に顔を寄せ、言った。
「僕は、(エルフ族が)好きだよ……。品性の欠片もない彼らよりも……ずっとね」
「ひゃい!?」
耳元で囁く様なユランの言葉に、ニーナは顔を真っ赤にして囁かれた方の耳を両手で押さえる。
その後、筆記試験が始まるが……
回帰前の知識を頼りに、スラスラと問題を解いていくユランに対し──顔を真っ赤にしながら、チラチラとユランの横顔を見て、試験に集中できていないニーナ……この二人の姿が対照的であった。
ちなみに、カンニング対策のために、一人一人問題が違うので(段々席のため、覗こうと思えば簡単に覗けてしまうため)、ニーナのチラ見が咎められる事はなかった……。




