【29】聖人と聖女
「聖人? 何ですかそれ??」
ここは王都の中心にある聖剣教会──その内部にある講義室だ。
教壇に立つ神官ノリスに、講義席に腰掛けたミュンが疑問を投げかける。
講義室にいるのは講師のノリス──そして、生徒のミュンとリネアの三人だ。
ユランの作戦通り、ユラン自身は病欠という事で誤魔化しているが……聖剣教会に身を置いている以上、ミュンとリネアは大々的にサボるわけにはいかず、本日は講義に出席していた。
ちなみに、リリアは部屋から出ない様にミュンに厳命されたため、部屋で留守番中だ。
リネアの質問に、ノリスが答える。
「聖人とはその名の通り、その身に〝聖なる力〟を宿した特別な人間の事を指します」
そう言うと、ノリスは黒板に『聖人』とチョークを使って記載する。
「聖人はその容姿も特別で、この世の者とは思えないほど美麗な外見に、妖精が紡いだ絹の様に滑らかな白銀の髪、太陽の光を彷彿とさせる黄金の瞳……これらの特徴を持って産まれてくると言われています」
聖人の特徴を語るノリスは、陶酔した様に
うっとりとする。
「さらに、聖人は生まれ持った〝神聖力〟も特別で、熟練した〝神聖術士〟を大きく凌駕すると言われ、比類する者がないと伝えられています……。そして、その黄金の瞳は『聖眼』と呼ばれ、〝真実を見通す力〟があるとも……」
聖人を褒め称えるノリスは、神人を前にしたときとは別の意味で興奮し、話す声にも熱を帯びている。
どうやら、聖剣教会の信徒にとっては、〝聖人〟は神人以上に特別な存在の様だ。
「特に、女性として生を受けた聖人は、男性と比べて優れた者が多く、『聖女』と呼ばれるのです」
聖人と呼ばれる存在を褒め称えるノリスを見て、ミュンは面白くなさそうな顔をする。
唇をわずかに尖らせて、抗議する様に言った。
「じゃあ、その聖人って人は、神人──ユランくんよりも優れてるって事なんですか?」
ミュンはノリスの言葉を聞き、ユランが下に見られた様な気がして気に入らなかったのだ。
「……必ずしも、そうと言える訳ではありません。〝神人〟と〝聖人〟ではそもそも別の役割を持っており……いえ、存在そのものが全く別だと言って良いでしょう。ミュン様、これを覚えていますか?」
ノリスはそう言うと、教卓の中から一本の飾り気のない剣を取り出した。
それを見て、ミュンは答えを返す。
「それは……聖剣ですか?」
「その通りですが……少し違います。これは、聖剣の元となる剣──天剣と呼ばれるものです」
シュッ──
ノリスが力を込めると、天剣はいとも簡単に鞘から抜き放たれる。
「この様に、天剣はそれだけではただの剣に過ぎません。抜き放つ行為も『抜剣術』とは呼びませんし、何の加護も得らません」
ノリスは抜き放たれた天剣を鞘に収めると、続ける。
「儀式を行い、天剣に持ち主の〝魂〟を込める事により『聖剣』となるのです」
「聖剣を授かるための儀式……『聖剣授与式』の事ですか?」
「その通りです、ミュン様。この世に生まれた者は、誰もが聖剣を得る資格があると言えるのですが……。一部の例外があります」
「例外……」
「それが〝聖人〟なのです……。聖人は聖剣を〝与えられる〟のではなく、〝最初から体内に宿して〟生を受けます。つまり、存在自体が聖剣と同一であると言っても過言ではありません」
「それって、私たちと何が違うんですか?」
「大いに違うのですよ。まず、聖人は私たち──わかり易い様に〝与えられる者〟と呼びますが──聖人は〝与えられる者〟と違い、魂の制約を受けません」
「……魂の制約、ですか?」
「我々が聖剣を扱うために使用する『抜剣術』……これには、制限時間がある事はご存知でしょう?」
「それは、まあ……。その辺りは学校でも習ってますから」
「『抜剣術』により、己の魂たる〝聖剣の刃〟を長時間外部に晒す事で、使用者の魂は濁り……晒し続ければ、最終的には死に至ります」
「それは、授業でも聞きました。そのための使用可能時間だと」
「体内に聖剣を宿している聖人は、力を行使するために『抜剣』が不要であるため、魂を晒す必要がない……。つまり、制限などなく、無尽蔵に力を使えると言う事なのです」
ノリスの説明に、ミュンは絶句する。
そんな馬鹿げた……〝化け物〟の様な存在がこの世にいるとは。
やはり──
「やっぱり、神人よりも、聖人って人の方が優れているって事なんですか?」
ユランがこの世で一番だと思っているミュンは、ノリスの説明に不満気だ。
「先ほども言いましたが、必ずしもそうとは言えません。聖人は〝聖剣を体内に宿している〟という特性上、神の奇跡──『抜剣術』が使えません。強力な加護や特殊能力を得られる『抜剣術』を使えないと言う事は、状況によっては不利に働くでしょう」
「……」
「神人は〝神級聖剣〟という最強の聖剣を持ち、『抜剣術』によって〝神の御業〟と呼べるほどの奇跡を起こす存在です……。完成された神人と聖人……。どちらが優れているかなど、我々凡人には比べる事など出来ないのです」
「神官様が先程おっしゃった、〝役割が違う〟とはどういう事なのですか?」
「聖人が真の力を発揮するのは、人々の傷を癒す事──つまり、回復や補助などの分野です。戦闘を主としている神人とは〝役割が違う〟という意味です。それに、そもそも──」
ノリスはそこまで言うと、沈んだ様に声のトーンを下げ、落ち込んだ表情になる。
「神人の希少性もさることながら、聖人などは10000年に一度しか現れないと言われているほど稀な存在です。今までの歴史の中で、この二つが同じ時代に存在していたという記録がなく……。比べる事が出来ないため、優劣は付けられません」
「10000年に一度……」
ミュンの隣で、口を挟まずに大人しく話を聞いていたリネアが、驚いた様に声を出す。
「……そして、聖人が最後に現れたのは200年以上前。その方は〝聖人セリオス様〟……。詳しい記録は残っていませんが、傷付いた人々を救うための巡礼の最中……非業の死をとげたと伝えられています」
ノリスが急に沈んだ理由はこれだった。
聖人の死とは、聖剣教会の信徒にとって語るのも辛い出来事なのかもしれない……。
例え、それが200年前の出来事であったとしても……。
「聖人セリオス様がご存命ならば、神人と聖人が同じ時代に会するという……。〝神聖時代〟の訪れも有り得たかもしれません」
「同じ時代にって……。その聖人が生きてたのは200年以上前ですよね?」
「聖人は、寿命の長さも普通の人間とは違うのです。伝承では600年以上生きたという話もあるほどで──」
ゴーン──……
ゴーン──……
ゴーン──……
ノリスの話を遮る様に、正午を告げる鐘の音が教会内に鳴り響く。
鐘の音を聞いたノリスは、目を閉じて顎を上げ、顔を天井へと向けた。
まるで、今は亡き聖人に対して祈りを捧げる様に……。
「午前の講義はここまでにしましょう……。それではまた、午後に」
それだけ告げると、ノリスはミュンとリネアを残して講義室を後にした。
ノリスが去った講義室には、重苦しい、何とも言えない微妙な空気が流れるのだった……。




