【24】幕開け、その裏で……
グレンは、探し求めていた少女──妹のリリアと対面する。
しかし、リリアはグレンの目の前で床に転がされ、首元にナイフを突き付けられていた。
その光景を目撃し……冷静になろうと努めていたグレンの頭が、再び怒りによって沸騰する。
部屋にいる敵は──
カンテラを持つ男
髭面の男
そして、ソリッドの三人だけだ。
聖剣やサブウェポンがなくとも、三人程度の数であれば一瞬で捻り潰すことができる。
グレンには、ソレが出来る自信があった。
相手に『抜剣』を使われたら……?
その前に、殴り殺せばいい。
神人であるグレンにとってそれは容易い事だ……例え手足を拘束され、聖剣が使えなくとも。
……人質さえいなければ。
リリアを人質に取っている髭面の男──そこまでの距離が遠すぎる。
それに、髭面の男はグレンの動きを注視しており、少しでも怪しい動きをすれば即座にリリアの首元のナイフを引くだろう。
「おう、先生……。良くやってくれた。コイツは俺が押さえておくから、さっさと片付けてくれや」
髭面の男は、リリアの首元にナイフを突き付けたままで、ソリッドに向かってそう言った。
先生とは、ソリッドの事の様だ……。
髭面の男の言葉を受け、ソリッドは──
「ん……? なぜ、私がその様な事をしなければならないのですか? やりたければ、貴方自身がやれば良いでしょう」
そう言って、髭面の男の方を見て小馬鹿にした様に笑う。
「私の役目は〝神人〟をここに連れて来るまでです。後は、貴方たちの仕事……。きっちりこなして下さい」
何が楽しいのか、ソリッドは薄ら笑いを浮かべてこの状況を傍観している。
「……ちっ」
ソリッドの返答に気分を害した様子で、髭面の男が舌打ちする。
しかし、「仕方がない」といった様子でため息を吐き、髭面の男はカンテラを持った男に目線を向けた後、顎をしゃくって指示を出す。
「了解」
カンテラの男は短く返事をすると、懐からナイフを取り出して、髭面の男に代わってリリアの首元にナイフを突き付けた……。
それを確認した後、髭面の男はゆっくりと立ち上がり、右手に持ったナイフを見せびらかす様に弄ぶと──グレンの方に近付いていく。
「アンタに恨みはねぇが、こっちも仕事なんでな……」
グレンは、ゆっくりと近付いて来る髭面の男を睨め付け──
「……リリアを離せ」
普段のグレンからは考えられないほど低く、怒気を込めた声で言う。
だが……
「おっと。下手な気は起こすなよ。ちょっとでもおかしな動きをすれば……アンタの妹はブスリだ」
人質を取り、優位に立っている相手は怯まず、むしろニヤニヤと薄ら笑いを浮かべてその状況を楽しんでいる様子だった。
──グレンは、最初から抵抗する気などない。
リリアのためなら、自分の命などいくらでも差し出す覚悟だ。
ただ、厄介な事に……
おそらく、ここでグレンが犠牲になったとしても──相手はリリアを解放する気などないだろう。
〝貴族の息女を誘拐する〟などという大事件を起こしたにも関わらず、相手は顔を隠す気もないらしい。
それはつまり、顔を見られても支障ないと思っているからだ。
──彼らの顔をバッチリ目撃しているリリアを、どうするつもりなのか……考えるまでもない。
自分の命を差し出すだけではダメだ。
なんとか、リリアだけでも救い出す方法を考えなければ……。
グレンは、『リリア誘拐』の報を受けてから、その事ばかりを考えていた。
自分の事は良い……〝死〟はとうに覚悟している。
しかし、リリアだけは……
絶対に助け出さなければ。
──グレンは覚悟を決め、目を閉じた。
「何が神人だ。大した事ねぇじゃねえか……。揃いも揃って、こんな奴に何ビビってんだか」
髭面の男は、ニヤついた表情を崩す事なく、グレンの左胸辺りにナイフの刃をピタリと突き付ける。
少しでも力を込めれば、容易にグレンの心臓を一突き出来る位置だ。
「くく……。これで俺は〝人類最強〟を殺した男か……。悪くねぇ響きだ。俺を恨むんじゃねぇぜ──それじゃあ、あばよ」
髭面の男は、持っていたナイフに力を込め──
ズブリ──……
「そうか……。ここだよな? ここしかないよな? だって、アンタもうここで手詰まりだろ……?」
突然、髭面の男の背後から声がしたかと思うと──男の胸から白銀の刃が生えてくる。
いや、生えてきたのではない……何者かが、髭面の男の背中辺りからナイフを突き刺し、その刃が男の身体を貫通したのだ。
髭面の男の胸から鮮血が舞い、目の前にいたグレンの身体を汚す。
「……へ?」
髭面の男は、間の抜けた声を上げて背後を振り返る。
そこには──
手足を拘束され、床に転がされていなはずのリリア──金髪、碧眼の少女が立っていた。
「ぐふっ……。ど、どうなってやがる……」
髭面の男は、今、自分の身に起こっていることが理解できず、少女を見張っていたはずのカンテラの男に視線を向ける。
ドサッ……
それとほぼ同時に、カンテラの男の身体が床に倒れる音が──髭面の男の耳に届いた。
倒れたのは、カンテラの男の身体……。
首なしの──
〝カンテラの男のだったもの〟だ……。
「……え?」
髭面の男は、起こっている事態が益々理解できなくなり、混乱した思考のまま少女に視線を戻す。
青白い肌を鮮血に染め、少女は立っていた。
その左手に、カンテラの男の首を持ったままで……。
冷たい目だった。
恐ろしく冷めた視線……。
とてもではないが、年端も行かない少女が見せる表情とは思えなかった。
「あ……。あ……あぁ」
──この小娘がやったのだ。
髭面の男は、ようやくその事を理解した。
しかし、理解した事で、自分が置かれた状況もまた、思い出してしまった。
ドサッ……
理解が追いついた瞬間──
髭面の男は床に倒れ伏し──何も言葉を発せぬまま、事切れた。
「リ、リリア……?」
しかし、この場で一番混乱していたのは他でもない、グレン・リアーネ自身だ。
気弱だったはずの妹が、突然、暴漢二人を瞬く間に惨殺したのだ。
目を閉じていたグレンには、その間に何が起こったのか分からず、大いに驚き混乱した。
「はぁ……」
金髪、碧眼の少女は、そんなグレンの状態を見て、呆れたようにため息を吐くと──自らの金髪を引っ掴み、剥ぎ取る。
そして──
「アンタには、〝俺〟が妹に見えんのかよ……? 薄暗かったとはいえ、見間違えるとはな……。それでリリアの兄貴って言えるのか?」
荒々しい口調で言ったのは……ジーノ村の少年、ユランだった。
*
「あのぉ……」
そこは、聖剣教会の男性専用宿舎の一室──ユランの部屋の前だ。
部屋の前で仁王立ちになっていたミュンに、部屋の中からヒョッコリと顔を出したリリアが声をかける。
「あ! どろぼうねこ……。じゃなかった。リリアさん! 出てきちゃダメですって!」
「……ミュン。貴方って人は」
今だに、リリアに対して含みを持たせた言い方をするミュンに、隣にいたリネアが呆れた様にため息を吐く。
「へんたい……じゃなくて、リネア。コレは割り切ろうとしても割り切れない……。ユランくんの幼馴染としての矜持なのよ」
謎の理屈を述べたかと思うと、ミュンはうんうんと頷きながら、自分の中で勝手に結論を出し、納得する。
「そんなところに立っていても、退屈じゃありませんか? 中に入って、私とお話ししましょう」
そんなミュンの態度を意に介さず、リリアは微笑みながら二人を誘う。
「……うぅ」
直前まで強気な態度だったミュンだが、リリアの笑顔に絆され、毒気を抜かれた様に何も言えなくなってしまう。
ミュンは、リリアの無邪気な笑顔に弱い様だ。
その笑顔を向けられると、反発するのが馬鹿らしくなってしまい……ミュンは何も言えなくなってしまうのだ。
「ダメですか……?」
リリアの穢れなき瞳に見つめられて、ミュンはたじろいでしまい──
「……はい。わかりました……。どろぼうねこ様……」
降参だと言わんばかりに、両手を挙げ、部屋の中に入る事に同意した。
悪態つくのを忘れないのがミュンらしいと言えばミュンらしいが……。
そんなミュンの姿を見て、リネアは呆れたように、
「敬称を付ければ良いってものでもないと思うけど……」
などと呟くのだった……。
*
そもそも、なぜ、リリアが聖剣協会に居るのかというと……それがユランの考えた〝作戦〟だったからだ。
ユランが思い出した記憶を整理した結果、グレンの死にリリアの存在が深く関わっている事は間違いない……。
回帰前の世界で、リリアは事件に巻き込まれてはいるものの、事件後も問題なく生き残っていた。
しかし、今の世界においては、回帰者であるユランの行動により若干未来に変化が生じている。
その事を考えると……リリアの身とて、確実に安全という保証はない。
極端な話をすれば、今世では、ユランの何気ない行動によって未来が変わった末に、グレンとリリアの両方が死亡するという結末だってあり得るのだ。
ユランも最初の頃は、リリアの近くで、『密かに彼女を守る』という方法も考えたが……それでは結局、リリアの身を危険に晒す事になってしまう。
グレンの助命に失敗したとしても、リリアだけは守らなくては──
当初は、グレンの生存を一番に考えるつもりであったユランだが……その気持ちも大きく変化していた。
そういう気持ちが強く働いた末、ユランの中で、『自分がリリアになりすまして、グレンの件に対処する』という結論に至ったのだ。
幸いにも、リリアとユランは、同じくらいの背丈な上に──同じブルーの瞳。
身代わりとしては、うってつけであった。
さらに、リリアの身柄をしばらく聖剣教会に置いておけば、より安全だと言える。
どれだけ権力を持った大貴族であっても、聖剣教会を敵に回そうと考える者はいない。
『光の創造神ソレミア』を信仰する教会に手を出せば、神に見放され、『聖剣の加護が失われる』と信じられているからだ。
この世界で、聖剣を扱えぬ者は、死んでいるにも等しい扱いを受ける……そう言った理由から、誰であろうともおいそれと聖剣教会に手出しは出来ないのだった。
ちなみに、それは王族とて例外ではない……。
今回の事件の黒幕が、王族の誰かである可能性が高い事を知るユランは、王族でも手出しできない聖剣教会にリリアの身柄を置いたのだった。
*
ユランとリリアが入れ替わったのは、リリアを聖剣教会に連れてきた夜──作戦開始を宣言したあの夜だ……。
あの夜、ユランから「リリアの命が狙われている」とだけ言われ、ミュンとリネアの二人はロクに作戦内容を説明されずに──
「リリアをこの部屋で匿って……。神官様にバレない様に」
などと懇願され、受け入れた途端にいきなり三人だけにされた形だ。
はっきり言って、ミュンやリネアにとって気まずい事この上ない。
ただでさえ、お互いに面識がないのに、リリアはどう見てもユランの事を憎からず思っている様で……二人にとっては恋のライバルなるかも知れない存在だ。
同じく、ライバル同士であるミュンとリネアは、お互いのことをよく知っており、口喧嘩もできる間柄だが……リリアはそうではない。
三人集まり、一応はユランの部屋にてテーブルを囲んでいるが……『何を話せば良いのやら』と言った状態だ。
「あの……」
そんな、困惑した場の空気を感じ取れていないのか──リリアは他の二人に笑顔を向ける。
「は、はい! ……むぅ」
ミュンは、反射的に返事をするが……
やっぱりこの笑顔はダメだ……この、無邪気な笑顔を見ていると……自分の心が汚れている様に感じる。
などと考え、ミュンは返事の後にうめき声を上げてしまう。
(いやいや、この娘はまだ新参者! 年上っぽいけど、年齢は関係ない! 私のユランくん歴は87600時間以上です……。ふふ、所詮は雑魚ね)
……ユランが絡むと知能指数が低くなるのは、相変わらずのミュンだった。
「ミュン様は、リーンの幼馴染だとお聞きしました……」
「え、ええ! そうですとも!」
(前から気になってたけど、『リーン』って何? ユランくんの事だよね? ユランくんもその呼び方を受け入れてたみたいだし……。え? 私の方がちゃんと名前で呼んでるのに、特別な呼び方っぽくて……何か負けてる気がする……。私も特別っぽく、『ゆーちゃん』って呼んだ方がいいの? でも、そういうのって、夫婦になってからじゃないの?? いや、もう私たちは夫婦みたいなものだし、今度そう呼んでみよう……)
などと、ミュンは心の中で勝手に葛藤し、勝手に結論を出していた。
そして、突然ニヤケ顔になり「ふへ、ふへ、ふへ」と不気味な笑いを声を漏らす。
それを見ていたリネアは、ミュンの考えている事が概ねわかったのか、妄想に耽るミュンを〝ゴミを見る様な目〟で見ていた。
「……キモイ」
いや、ミュンを見る目だけでなく、リネアは〝汚物を目の前にした人間の不快感〟を表す様に、辛辣な言葉を吐いていた。
「うおっほぉん!」
流石にやり過ぎたと自分でも気が付いたのか、ミュンはわざとらしく大きな咳払いをする。
そんな二人のやり取りを見て、リリアは楽しそうにニコニコしていた。
友達のいなかったリリアにとっては、こんなどうでもいい話すら新鮮に感じ、楽しくて仕方ないのだろう。
「ミュン様やリネア様は、私の知らないリーンの姿をたくさん知っているいらっしゃるのでしょう? 仲良しで羨ましいですわ」
「………………え? そうかな?」
『ユランと仲良し』と言われ、ミュンはピクリと反応する。
真面目な顔を作ってはいるが、口の端がピクピクと動き、今にもニンマリと笑い出しそうだ。
「ええ、リーンがお二人の事を特別だと思っていることは……誰が見ても明らかですわ」
何とも単純な話だが、ミュンの機嫌は、リリアに『ユランの特別』と言われただけで最高潮に達したのだった……。
「ま、まあ……。リリアさんは随分、話がわかる人みたいですし。私しか知らないユランくんの秘密を少しだけ話してあげても良いかなぁー。〝ユランくんの特別〟な私が、特別な話をしてあげましょー」
リリアは無意識にやっているのであろうが、随分とミュンの扱いに長けている様だった。
リネアとしては、ミュンほどリリアに思うところがあった訳ではないため、リリアを受け入れる事は出来そうだ。
……と言うよりも、恋のライバルとして、『ミュンよりも遥かにマシだと』いう理由から、リネアの中でいつの間にか自然と受け入れ態勢が整っていた。
今、リネアの頭の中にあるのは、リリアの事よりも、ミュンに対して、『大丈夫かコイツ?』という思いだけだった。
リネア自身は、自分も『同じ穴の狢』だと気付いていない……。
「うん。私は何て言っても、ユランくんの〝特別〟だから……。それなりに〝特別〟な話をしないとね」
ユランが生死をかけた戦いをしている裏で、一人の少女──ミュンによって、ユランの秘密が他の少女たちに暴露されそうになっていた。




