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誰もが聖剣を与えられる世界ですが、与えられた聖剣は特別でした  作者: ナオコウ
第二章 〜リリア・リアーネの物語〜
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【22】ゆずれないもの

 執務室に入ると、ホフマンは乱暴にローテーブル前に置かれたソファーに腰掛ける。


 そして、執務室の出入り口付近に立っているグレンに視線を向け、自分の対面のソファーを顎でしゃくる。


 ──そこに座れという事らしい。


 「……失礼します」


 グレンはホフマンに断りを入れて着座するが……『リリア誘拐』という緊急事態にも関わらず、遅々として要点を話そうとしないホフワンに不満を募らせていた。


 それに……。


 グレンは、ローテーブルの上にチラリと目線向ける。


 テーブルの上には、残り少なくなったブランデーのボトルと空のグラスが置かれていた。


 (酒を飲んでいるのか……こんな時に?)


 執務室という密閉空間に入った事で初めて気が付いたが、ホフマンから強烈な酒臭が漂っている。

 

 グレンは、ギリっと歯を噛む。


 ホフマンがグレンの父親でなければ、問答無用で殴り飛ばされてもおかしくない状況だ。


 「父上……。リリアの事は──」


 「まて……。その前に、私に言う事があるんじゃないか?」


 ──グレンが話し始めると、それを遮る様にホフマンが言う。


 口の端を吊り上げ、グレンを嘲笑している様だった。


 ふんと鼻で笑い、ホフマンは言う。


 「お前は私に逆らい、侮辱したのだ……。まずは、謝罪が先ではないのか?」


 ホフマンの言う通り、グレンは『死の魔王』討伐遠征に出立する前、ホフマンに対して侮辱とも取れる発言をしていた。


 『貴方を引き摺り下ろしてリアーネ家の当主となる』


 グレンはホフマンに対して、高らかにそう宣言したのだ。


 ……ホフマンは、未だにそのときの事を根に持っていた。


 その執拗さに、リリア誘拐への関与を疑われる可能性すらあるのに……ホフマンは自身のプライドから、グレンに謝罪を求めずにはいられなかったのだ。


 そこには、グレンに送った手紙の文面から感じる様な──グレンとリリアを心配する、良き父親の姿など微塵も感じ取れなかった。


 「何を馬鹿な事を! リリアが……貴方の娘が誘拐されたのですよ!」


 ──ドンッ!


 グレンは、ホフマンに対する怒りのあまり、ローテーブルに右手を叩きつける。

 

 今回、グレンがローテーブルを破壊するほどの力を込めなかったのは、何もホフマンへの気遣いではない。


 ただ、リリアの情報を聞き出すために、今、ホフマンを怒らせるのは得策ではないという打算的な考えからだった。


 せめて、リリアの話を詳しく聞くまでは……。


 そんな事を考え、グレンは内なる怒りをグッと堪えた。


 グレンがローテーブルを叩いた事により──


 上に乗っていたブランデーのボトルが倒れ、その拍子に「バシャ」と音を立ててボトルの中身がこぼれる。


 「はは。お前は何も反省していない様だな……。お前が私に謝罪しなければならない事と、リリアの件とは別問題だ」


 状況的に自分が有利だと感じているのか、ホフマンはグレンを見下した様に笑っている。


 「それに、リリアはリアーネの女だぞ? 私にとっては、アイツがどうなろうが知った事ではない……。自分の子だとも思ってないしな」


 リアーネの女……。


 相変わらず、腐った考え方だ。


 グレンは、怒りを通り越して、ホフマンに対して憎悪の感情すら湧いていた。


 鋭い視線をホフマンに向けるが、今のホフマンはその程度では怯まない。


 自分がグレンより優位に立っていると言う優越感と、酒の力が助けとなり、ホフワンの態度はいつも以上に傲慢になっていた。


 「おいおい、何を怒っているんだ。お前もリアーネの男なら、リリアの事など心配するだけ損だろう……? リアーネの女は、家のためなら喜んで死を選ぶのだから」


 ふざけるな。


 リリアは、そんな事少しも望んではいない。


 今まで犠牲になってきたリアーネ家の女性たちだって、自分たちが犠牲になる事など望んでいなかったはずだ。

 

 家のためだと強制され、涙を飲んで従っていたに違いない。

 

 どれだけ虐げられても、笑顔で従う事が家に対するせめてもの抵抗だと……


 強制された訳ではなく、自分たちが望んでそうするのだと……


 強がって見せていただけに違いないのだ。


 何と腐った仕来り……。


 狂った教え……。


 コイツらは、本当に自分と同じ人間なのか?


 グレンにとっては、ホフマンや過去のリアーネ家の当主たちが……魔族よりも、よほど醜悪な獣に見えていた。


 ホフマンの発言はグレンを挑発するためのもので、彼はグレンを煽って楽しんでいるだけなのかも知れない……。


 しかし、グレンは──


 「アイツも見目だけは良いからな……。今頃、奴隷として売り飛ばされ、男たちの慰み物になっているかもな……。あんな(やつ)でも、誰かのために──」


 ──ドゴォ!!


 ホフマンを許せなかった……。


 グレンの右手が振り抜かれ、放った拳がホフマンの左頬に直撃する──


 「これ以上……その汚い口を開くな」


 グレンが、手加減なしに打ち込んだ打撃──


 ホフマンの身体は後方に吹き飛び、


 壁際に設置された書棚に激突し、


 もんどり打って床に倒れる。


 ホフマンは頬を押さえ、血反吐を撒き散らしながら床を転がった。


 グレンは『これでホフマンが死んだとしても構わない』というほどの勢いで殴ったが、ホフマンは腐っても聖剣士……その一撃は、致命傷に至らなかった。


 ひとしきり床を転がった後、ホフマンは仰向けになり──笑いながら言った。


 「くひっ……。ひはは……。ひゃぐっひゃな(殴ったな)! ひょれへ(これで)ひひひゃひゃ(リリアは)おひゃりだ(終わりだ)!」


 グレンの放った一撃で、顎の骨が砕けたのか……ホフマンは呂律が回らず、上手く喋れない様子だった。


 「……」


 グレンは倒れているホフマンに、無言で近付くと──


 ──グイッ!


 右手で、胸ぐらを掴んで引き上げ──

 

 ドンッ!


 ホフマンの身体を壁に押し付けた。


 身体が宙に浮き、首が圧迫されたために、ホフマンは苦し気にうめき声を上げる。

 

 「もういい……。リリアの事は自分で探す。王都にある怪しい場所は全て回り、怪しい者は全て殺す。王都に居ないならどこまでも追いかけ、関わった者は一人残らず殺してやる」


 グレンは、ホフマンに対する怒りから、今にもホフマンを殴り殺してしまいそうな勢いだ。

 

 いや、それよりも、首を圧迫して締め殺してしまう方が先かもしれない……。

 

 そんな状況だった。

 

 グレンは、今までどれだけ立腹したとしてもホフマンに手を上げた事などなかった。


 ホフマンの存在を煩わしく……腹立たしく思った事など、一度や二度ではない。

 

 しかし、グレンはそんなホフマンにも、親としての情が僅かでも残っていると期待していたのだ。


 それも、今回の事で完全に失われてしまったのだが……。

 

 「最後に、もう一度だけ聞いてやる……。リリアは何処にいる? そして、犯人(おまえら)の目的は何だ?」

 

 ここまで来れば、流石に甘い性格のグレンであっても、ホフマンがリリア誘拐に関与している事に気が付いていた。


 父親(ホフマン)が自分の娘を……。


 そんな事はグレン自身も信じたくなかったが、世の中には、目的のために平気で自分の肉親を利用する人間がいる。


 例え、それが自分の子供であっても……。


 そして、ホフマンの性格を考えれば、目的のために自分の娘(リリア)を利用する事に躊躇などしないだろう。


 ホフマンの目的とは、おそらく……。


 ──グレンの命だ。


 グレンは、ホフマンに対する怒りが抑えられなくなる。


 自分の命を狙うのはまだ良い。


 グレンは、聖剣士になった瞬間から、誰かのために……そしてリリアのために、いつでも命を捨てる覚悟ができている。


 しかし、リリアは違う。


 命をかける覚悟など、出来ているはずもないリリア……。


 そんな自分の娘(リリア)に対し、ホフマンは何の情も湧いていないのか……平気な顔で事件に巻き込み、利用する。


 ホフマンから、どれだけ酷い仕打ちを受けようとも、リリアはホフマンの事を信じていると言うのに……。

 

 今、この瞬間にも、リリアはホフマンやグレンが自分を救いに来てくれると、信じて疑わずに待っているのだろう……。


 「うひ……。ひひひ……。おひゃりひゃ(終わりだ)……。リヒヒャひょ(リリアも)おひゃえひょ(お前も)……ひゃひゃ」


 ホフマンは、グレンの質問には答えず、狂った様に笑い声を上げ続ける。


 グレンは、ホフマンの胸ぐらを掴んでいた右手に徐々に力を込めていく。

 

 ギリギリと音を立てて、ホフマンの首筋がさらに圧迫されていき──頸動脈が、完全に締め上げられた。


 「ぐふ……。ぶびゃびゃ……。ぎゃひゃひゃ」


 ホフマンは、グレンに首を絞められ、ろくに喋れない状態になっても不気味な笑いをやめなかった。


 「この、クズが……」


 グレンは、ホフマンに対して殺意のこもった視線を向ける。


 その視線が、『お前など、少しでも力を込めれば簡単に殺せる』と言外に語っていた。

 

 このまま続ければ、グレンは本当にホフマンを殺し兼ねない。


 実際に、グレン自身はそれでも構わないと思っていたが……。


 


 「そのくらいに……していただきましょうか」



 突然、グレンの背後から声がかけられる。


 怒りに我を忘れ、グレンはその存在に気付くのが遅れてしまった。


 ビュン──!


 グレンは、右手でホフマンを持ち上げながらも、左手で素早くサブウェポンを引き抜き、背後──


 声のした方向に向かって、振り抜く。


 そして……


 ピタリ


 と、背後にいた人物の首元でサブウェポンの刃を寸止めした。


 「おお、怖い怖い……。恐ろしいまでの剣捌き。抜いてから振り下ろすまでの動作が、目で追えませんでしたよ」


 グレンの背後には、いつの間にか若い男が一人立っていた。

 

 貴族ほどの豪奢な身形(みなり)とまではいかないが、小綺麗な格好をした男だ。


 格好からして、それなりの地位を持つ男なのかも知れない。


 言葉とは裏腹に、小綺麗な男は特に焦った様子も見せず、グレンに視線を向けて楽しげに笑っている。


 薄ら笑いを浮かべる男に、グレンは怒りの感情を隠す事なく射殺せそうなほど鋭い視線を向けた、


 「何者だ……。貴様」


 グレンのサブウェポンの刃が、男の首筋に触れ──


 ツツ──……


 と、一筋の血が流れた。


 『少しでも力を込めれば、いつでも首を落とせる』というグレンの無言の意思表示だった。


 「くっく……。ご自由にどうぞ。まあ、そのときは、貴方の妹君(いもうとぎみ)が見るも無惨な死に方をするでしょうが……」


 「……」

 

 グレンは、男にリリアの事を揶揄され──湧き上がる殺意を抑えるのに必死だった。


 心の奥底で、ドス黒いモヤの様なものが発生し、グレンの心を支配しようと広がっていく。


 「まあまあ。そう怒らずとも、すぐに妹君に会わせて差し上げますよ」

 

 男は、首筋に当てられたグレンのサブウェポンを右掌で逸らすと、ホフマンに視線を向ける。

 

 グレンにやられてボロボロになったホフマンの様子を見て、男は「ふん」と鼻で笑い、言った。


 「目的よりも自分の感情を優先するとは……。貴方には失望しました。ふふ、違いますね……。最初から、期待などしていなかったと言う方が正しいでしょうか」


 「ひ、ひひゃま(キサマ)!」


 プライドの高いホフマンは、男の蔑んだ態度が許せなかったのか、何の抵抗もできず、すでにボロボロの状態だというのに声高に叫ぶ。


 男の言葉やホフマンの態度から、グレンはリリア誘拐にホフマン自身が深く関与している事を確信した。


 男は、ホフマンの叫びを無視し──グレンに向き直る。

 

 姿勢を正し、恭しく頭を下げてグレンに言った。


 「グレン・リアーネ様……。妹君がお待ちです。私と一緒に来ていただきましょう」


 男は、顔に冷笑を浮かべ、『妹に会いたければ自分に付いてくるように』と、グレンを促す。


 ……リリアの情報が何一つない以上、グレンは男の言う通りに行動するしかなかった。


 それが罠だとしても……。


 ドンッ!


 グレンは、持ち上げていたホフマンの身体を床に投げ落とし、踵を返した。


 部屋を出ていく男に追随し、グレンも部屋を出て行こうとし──


 そして、グレンは部屋の出入り口付近で立ち止まり、ホフマンの方を振り返らずに吐き捨てる様に言った。


 「もし、リリアに何かあったら……。僕はアンタを許さない。何処に逃げようと、地獄の果てまで追いかけ……絶対にアンタを殺してやる」


 そこには、神人として王国中の人々から信仰され、信頼される優しき男の姿はなかった。


 そこに居るのは、怒りに理性を失った一匹の獣だ。


 「ふふ……」


 先行していた男は、満足げな顔で振り向き、怒りに震えるグレンの姿を見て、笑い声を漏らした。


 「……」


 何がおかしいのか……。


 グレンは鋭い視線を送り、怒りの矛先を先行する男へ向けるが……男は涼しい顔でその視線を受け流す。


 グレンは、黙って男の後を追い、執務室を後にしたのだった……。


         *


 「ぐひょ(クソッ)! ひょいひゅも(どいつも)こひひゅも(こいつも)ひやひゃひほ(私を)ひゃかにひひゃがって(馬鹿にしやがって)!」


 グレンと男が執務室を去った後、ホフマンは床から立ち上がり、ヨロヨロと覚束無い(おぼつかない)足取りで執務机に向かって歩く。


 今だにグレンに殴られたダメージが残っている様で、今にも倒れ込みそうなほどフラフラだ。

 

 (私を馬鹿にする奴は、絶対に許さない……)

 

 ホフマンは、執務机の上に置かれた大きめのダイスを手に取ると、『星が一つ刻印された面』の角を爪で引っ掛け、力を込めた。


 パキッと乾いた音を立て、ダイスの一面が外れる。

 

 ダイスの中は空洞になっており、その奥には小さな鍵がはめ込まれていた。


 ホフマンは、その鍵をダイスから外して手に取ると、それを見てニヤリと笑う。


 (私は〝アイツ〟の弱みを握っている……。今に見ていろ。私を馬鹿にした事を後悔させてやる)


 ホフマンは、執務机に備え付けられた引き出しを、持っていた鍵で開錠しようと近付くが──


 施錠されていたはずの執務机の引き出しが……


 鍵部分が破壊されて、半開きになっていた。


 「ひひゃは(バカな)!」


 ホフマンは大慌てで、半開きだった引き出しを開け、中を確認する……。


 ……引き出しの中は空っぽだった。


 (どうなっている! 手紙は何処にあるんだ!)


 ホフマンは、夜間に屋敷を空ける様になってから、一度も執務室を訪れていない。


 なので、手紙の状態についても、今まで確認する事はなかった。

 

 小心者のホフマンは、自分の命綱でもあるが、逆に破滅をもたらす可能性のある手紙を──

 

 大事に保管しておきながら、極力、近付かない様にもしていた。

 

 本日は、リリア誘拐が無事に終わった事に気を良くし、久しぶりに執務室を訪れて一人で酒を飲んでいたのだ。


 (誰の仕業だ!? どう言うつもりでこんな事を!)


 ホフマンの頭の中は混乱していた。


 手紙の内容を知る者は、差出人とホフマンの二人だけだ。


 差出人には手紙は処分したと伝えてある。


 そのため、実際には手紙が処分されずに、ホフマンの手元に残っているという事実を知っているのは、ホフマン自身だけなのだ。


 〝差出人(アイツ)〟の仕業か?


 ホフマンが、手紙を処分していない事に勘付いた?


 いや、それならば、〝アイツ〟から何かしらのアクションがあるはずだ。


 それもないと言う事は、別の誰かが手紙を奪ったに違いない。


 一体、誰が……。


 (くそ! くそ! くそ! 誰だ!? 誰だ!? 誰だ!? 誰だ!?)

 

 ホフマンにとって、あの手紙は最後の切り札だ。


 切り札(あれ)がなくなれば、いざというときに裏切られる可能性があり……ホフマンを待っているのは、破滅のみ。


 〝アイツ〟に裏切られたとしても、ソレに対処する手段がなくなってしまう……。


 「がぁぁぁぁぁ!!」


 ガシャンッ! ガラガラ!!


 ホフマンは奇声を上げ、執務机の上にあった物を、全て床にぶちまけたのだった……。

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