【20】誘拐
少女は、いつもの様にテラスから屋敷の外を見つめ、街の風景に思いを馳せる。
テラスの前にはダリアの大樹が聳え立ち、視界を遮ってしまうが、微風に乗って外の香りが少女の下に届いた。
大樹の枝の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、少女に陽の暖かさを感じさせてくれる。
少女は、テラスから室内──部屋の出入り口にチラリと目をやった。
部屋の出入り口は施錠されていない。
しかし、少女はある日から突然、父親に決して部屋から出ない様に厳しく言い付けらていた。
そして、その日を境に、屋敷で働いていた人間が全て居なくなり、屋敷から人気がなくなってしまった。
リアーネ家に古くから仕えていた執事長。
リアーネ家の兄妹に、父親の目を盗んでは優しく接してくれたメイドたち。
突然、何の報告も無しにホフマンが全員に暇を出してしまった。
今、屋敷にいるのは少女とホフマンだけだ。
そのホフマンも、最近は夜になると毎日の様に屋敷を空けるため、少女は広い屋敷で一人きりの夜を過ごす事が当たり前になっていた。
ゴン! ゴン! ゴン!
突然、少女の部屋のドアが乱暴にノックされた。
相手が誰かなど、考えなくてもわかる。
この屋敷には、少女とホフマンしかいないのだから……。
「リリア。今日一日分の食事はここに置いておく……。屋敷に警護兵がいない今、不用意に部屋を出るのは危険だ……。食事を取る以外で、絶対に部屋から出るんじゃないぞ」
ホフマンは毎日、少女の部屋の前に訪れては毎回同じ様な事を言って少女の顔も見ずに立ち去っていく。
そこには、少女に対する愛情など微塵も感じられなかった……。
部屋から出る事は禁止されているが、少女としてはそれで構わないと思っている。
ホフマンが用意する食事は、貴族家の食事としては驚くほど質素だが三食きちんと用意されているし、部屋には浴室もある。
クローゼットの中には、綺麗に洗濯された古着が沢山入っているため着替えにも困らない。
この古着を着るのには少し抵抗があったが……状況が状況だけに、贅沢は言ってられない。
「ふう……」
少女は、思わずため息を吐いてしまう。
大丈夫だと自分に言い聞かせても、不安な気持ちは隠せない。
……先はまだまだ長そうだった。
*
──そんな日々を送っているうちに、感謝祭の日の夜が訪れた。
これから何が起こるかわからないと言う不安はあったが、緊張しながら過ごした数日間は過ぎ去ってみればあっという間だった様に感じる。
本日の朝も、少女の部屋の前にホフマンが訪れた。
そして、ホフマンは部屋の前に食事を置いた後、お決まりのセリフ……『部屋から決して出るな』と言う。
話の内容はいつもと同じだったが、ホフマンは立ち去る際に、
「そう言えば、グレンが今日の夜までに家に帰るそうだ……。お前の事を心配してるのかもな。良かったな兄に愛されていて……。ククッ」
と付け加えた。
何故、グレンの行動をホフマンが詳しく知っているのか……
そんな事は疑問には思わない。
少女は、ホフマンたちが自分を利用し、グレン・リアーネの暗殺を目論んでいる事を知っている……。
これも、彼らの計画の一つなのだろう。
「……」
人の気配がない屋敷は、まだ陽が落ちたばかりの時間帯だと言うのに物音一つせず、異常なほど静かだ。
少女は、いつもの様にテラスに出て夜風に身を任せる。
風に乗って、月花の香りが少女の下へ届いた。
少女がしばらくテラスで外を眺めていると──
ドッ! ドッ! ドッ! ドッ!
何者かが、大階段を駆け上がってくる音が少女の耳に届いた。
少女は、景色を見るフリをしてテラスから中庭を確認していたが、誰かが敷地内に入ってくる所は見ていない……。
おそらく、何者かが手引きして、少女に気付かれぬ様に侵入を手助けしたのだろう。
屋敷が静か過ぎる所為か、迫って来る足音がやけに大きく聞こえた……。
しかも、足音は一人だけのものではない。
複数の足音が、慌ただしく廊下を走る音が聞こえたかと思うと、少女の部屋の前でピタリと止まった。
足音の主が何者なのかはわからないが……何の目的で訪れたかなど明白だ。
少女は、チラリとダリアの大樹に目をやる。
大樹から舞い落ちた月花の花びらが、月明かりに照らされて輝きを放つ。
それは、少女の不安な気持ちを解きほぐしてくれている様だった。
「すー……。はー……」
少女は深く深呼吸すると、静かにテラスから室内へと戻った……。
*
「ここで間違いないな?」
「ええ、大丈夫なはずです」
野太い男の声。
そして、それに答える若い男の声。
侵入者たちは、部屋の前で互いに何かを確認し合っている様だ。
そして──
──ドン!
部屋の扉が勢いよく蹴破られる。
そこには、サブウェポンを片手に持った数人の男たちが立っていた。
男たちは、室内に目的の人物がいる事を確認すると、女性の部屋だと言うのに無遠慮にズカズカと入ってくる。
──男たちの人数は、全部で5人。
どの男も、鍛え抜かれた屈強な身体をしていた。
どう見ても、ただの盗賊や人攫いには見えない。
おそらく、傭兵か……元聖剣士。
傭兵の中には、爵位を剥奪された元聖剣士などもいるため、もしかしたらその類なのかもしれない。
「こいつだ……。金髪にブルーの瞳……。間違いないだろう。連れてくぞ」
侵入者の一人、髭面の男がそう言うと、他の四人に指示を出す。
どうやら、この男がグループのリーダーの様だ。
髭面の男から指示を受け、男たちの一人……バンダナを頭に巻いたの男が、少女に近付いていく。
「あ……」
少女が短く悲鳴を上げるが、バンダナの男が少女の口に布を噛ませ、後頭部で縛り付ける。
そして──
ガンッ!
少女を無理矢理転ばせてうつ伏せにさせた後、頚椎の部分を床に強く押し付ける。
「うー! ぐぅぅ……」
少女は痛みに声を上げるが、口に布が噛ませられているため声にならず、呻き声が漏れるだけだ。
「おい! あまり手荒な事はするなよ……。今、死んじまったら困るからな」
「わかってますよ……。ほいっと」
少女を押さえつけていたバンダナの男は軽口を叩くと、隠し持っていたロープで素早く少女の手足を縛り上げる。
かなり慣れた手付きだ。
やはり、ただの侵入者ではない様だった。
身動きの取れなくなった少女の身体を、バンダナの男が担ぎ上げる。
「お……。やけ気軽いな。ちゃんと飯食ってんのかよ」
髭面の男がどうでもいい感想を口走り、侵入者たちは互いに目配せした後、少女を担いだままで部屋を後にする。
──少女は抵抗もせず、されるがままの状態だった。
屋敷を出る直前、少女の頭に麻袋が被せられて視界が遮られる。
少女の視界は暗闇に包まれたが、幸いにも呼吸は問題なく出来ていた。
*
男たちは、無抵抗の少女を屋敷の裏手まで運ぶと、あらかじめ用意していた大きめの木箱の中に少女の身体を横たえる。
そして、木箱のフタを厳重に閉めると──二人掛で持ち上げてそのまま屋敷を後にした。
5人の屈強な男たちが大きな木箱を運んでいる姿は、貴族街では悪目立ちする事この上ない。
運送屋が稼働している日中ならまだしも、今は夜間の時間帯で、既にどこの運送屋も終業した後だ。
普段であれば、貴族街を警戒する警備兵が不審に思い、通報なり、声を掛けるなりしていたかもしれない。
しかし、本日は感謝祭の当日だ。
感謝祭の会場には、チャリティーオークションが行われる会場が設けられるため──貴族の屋敷に、オークションに出品する美術品などを持ち出すための馬車などが頻繁に出入りしている。
そんな様子が、貴族街のそこかしこに見受けられるのだ。
大きな木箱を貴族の屋敷から持ち出す様子も、今日に限っては何ら違和感はない。
男たちは、屋敷から少し離れた場所に停めてあった馬車の荷台に、少女が入った木箱を乱暴に乗せると──急いで馬車を出発させる。
貴族外には、その様子を見て、男たちを咎める者など誰もいなかった……。
貴族街の住人も、そして、警備兵たちもだ……。
*
感謝祭とは、アーネスト王国で年に一度だけ催される国を挙げての大きな祭りで、『光の創造神ソレミアに、人類に聖剣を与えて下さった奇跡を感謝するお祭り』である。
この日ばかりは、一部を除いて労働を免除する御触れが出ており、国中がお祭りムードだ。
オークションには高価な物品も出品され、貴族も会場に多く訪れるため、祭りの会場に程近い場所は厳重な警戒体制が敷かれている。
さらに、感謝祭は夜通し行われるため、警戒隊に従事する者は交代制ではあるものの──24時間体制で警戒にあたる事になっている。
そのため、王都の外れで事件などが起こっても、警戒隊の対処が遅れる事になるだろう……。
ホフマンたちはそういったことも見越して、感謝祭の日をリリア誘拐の実行日に選んでいた。
「おら。ここでしばらくの間、大人しくしててもらうぞ」
少女の身体が木箱から担ぎ上げられ、ドサリと無造作に床に転がされる。
──そして、少女の頭に被さっていた麻袋が外された。
視界が戻ったとき、少女が最初に目にしたのは──ニヤついた笑みを浮かべて少女を見下ろす髭面の男が一人、そして男の後方にある鉄格子だった。
少女は、自分が置かれた状況を整理しようと、辺りを見渡す。
しかし、周囲は厚い岩壁に囲まれている様で、周辺の様子は詳しく確認できなかった。
唯一、状況を確認できるとすれば鉄格子の先だけだったが……碌に照明のない室内は薄暗く、その先を確認する事も困難だった。
ここに運ばれる最中にも、男たちは極力物音を立てず、会話もないままに少女を運んでいたため──現在地を確認できる様な情報も得られない。
強いて言えば、馬車が走り出してからの時間がそれほど長くなかった事から、王都からは出ていない……もしくは、離れていない可能性が高いと言う事くらいだった。
やはり、男たちがこういった荒事に手慣れた連中である事は、疑いようのない事実であった。
「そらにしても、なかなか上物じゃないか……。高く売れそうなのに、勿体ねぇな」
髭面の男が、値踏みする様に下卑た笑いを浮かべて少女を見下ろす。
すると、その声に応える様に鉄格子の先から若い男の声がする。
「確かにそうですね。まだ子供ですが、貴族の中には変態的な趣味の者もいますから……。そう言った輩には高く売れたでしょう。しかし、今回は目的が違いますので、変な気は起こしませんよう」
聞こえてきた若い男の声は、かなりトーンが低く……その声色から察するに、髭面の男の言葉に嫌悪感を抱いた様子だ。
「へへ……。わかってますよ。コレが上手くいきゃ、そんな端金なんて目じゃねぇくらいの金が手に入るんだ。変な真似なんてしませんって」
「……余計な事は喋らずにさっさと準備なさい……。コレからが本番なんですから」
咎める様な若い男の声に、髭面の男は可笑しそうにカッカと笑い、少女を見下ろす。
「はいはい……。じゃあ、お呼びがかかるまでお前はここに居な。その後は……まあ、楽しみにしておくんだな。へへ……」
髭面の男は、敢えて含みのある言い方をして少女の様子を伺う。
少女が怯え、泣き出す事を期待したのだろう。
少女を見下し、加虐的な笑みを浮かべる。
髭面の男はさらに続けた。
「ここは何年も前に使われなくなった奴隷小屋だ……。人なんか碌に近づかねぇ。助けを期待しても無駄だぜ」
アーネスト王国では、人身売買──特に奴隷商売は法律で禁じられており、破れば厳しい罰則を受ける事となる。
それでも秘密裏に奴隷小屋を運営し、不当に利益を得ようとする者が後を立たない。
そう言った商売をする者たちは、拠点を人の立ち入りが少なく、見つかり辛い場所に設置するため、その跡地などは犯罪組織などに利用されることが多いのだ。
今回の誘拐犯たちも、そう言った場所を拠点として使っている様だった。
「……」
少女は、髭面の男の脅しにも怯むことなく、真っ直ぐに視線を向け、男を見据える。
「……ち、面白味のねぇ嬢ちゃんだ」
捨て台詞を吐き、髭面の男は鉄格子の部屋を出て──
ガチャン──……。
扉を閉めた後、腰に下げていたキーリングから鉄格子の鍵を取り出してそのまま施錠する。
髭面の男はその後つまらなそうな顔をし、少女に声をかける事もなく、その場を立ち去った。
男が去った後も、鉄格子の先には人の気配が残っている。
暗くて人数までは把握できないが、しっかり見張りが付いているらしい。
少女は試しに手足に力を込めてみるが──ロープで固く縛り付けられており、びくともしなかった。
──力尽くでは絶対に外せないだろう。
布で猿轡を噛まされているため、声を上げる事もできない。
少女は暗い牢屋の中で、大人しくときが過ぎるのを待つ事しかできなかったのである……。




