【18】ユランの決意とリリアの想い
執務室を出たユランは、人の気配を探りつつ屋敷の二階へと上がる。
屋敷の出入り口から続く大広間に、二階へと続く大階段があり、そこを利用した。
階段を上がると、すぐに左右に別れた廊下があり、その廊下にはそれぞれ、個室へと続く扉が幾つも設置されていた。
「ここは……」
ユランは、階段から程近い場所に設置された扉の前に立つ。
──何とも言えない懐かしさを感じさせる扉だ。
扉の上部には、ダリアの大樹をモチーフにしたであろう、金属製の紋章が刻印されていた。
リリアの部屋ではない。
ダリアの大樹の位置から考えれば、リリアの私室はこの部屋と反対側の廊下の端っこのはずだ。
『リーン……』
部屋の中から……
ユランを呼ぶ声が、聞こえた気がした。
ユランをリーンと呼ぶ人間は、ただ一人……。
ギギギ──……
ユランは、その声に導かれる様に、その部屋の扉をゆっくりと開けた……。
*
『私と、お友達になって下さいませ』
ブワッ──……
ユランが扉を開けると、室内の窓が開放されていたらしく──外から吹き込んだ微風がユランの方へと流れ、頰を優しく撫でる。
そして、風に舞った月花の花びらが、微風に乗って室内に入り込み──吹き込んだ風と共に、ユランの身体を撫でていく。
ダリアの大樹はこの部屋とは反対側に立っているが、舞い落ちた花びらは、屋敷全体を包み込む様に漂っている。
まるで、この屋敷を守る様に……。
『私、お友達がいないのです……貴方がお友達なって下さったら、とても嬉しいですわ』
吹き抜ける風の暖かさ……。
月花から感じる、甘く、優しい香り……。
『貴方、名前は何と言うの? そう……。でも、名前がわからないのは不便だわ……』
そう言って、手を差し伸べてくれた少女の……優しい笑顔を覚えている。
『私が名前を付けてあげる……。そうね』
その少女の名前は──リリア。
月花の少女、リリア・リアーネだ……。
『リーン……。花の妖精という意味ですわ』
*
ユランは、思い出の少女──リリアの声に導かれ、部屋の中へと足を踏み入れる。
(ここは、回帰前の世界で私が暮らした部屋だ……)
ユランは回帰前、ジーノ村の事件の後、グレンという後見人を得てリアーネ家に身を寄せる事になった。
ここは、そのときにユランに与えられた部屋だった。
事件のショックから塞ぎ込み、部屋に篭りきりだったユラン。
そんなユランを心配してか、リリアは毎日の様にこの部屋を訪れ、ユランの隣に寄り添った。
何も話さないユランを見放す事なく、いつも優しい笑顔をユランに向けていた……。
(ああ、私はあのとき……。なぜ、彼女とちゃんと向き合おうとしなかったんだ……)
ユランは、茫然自失だった自分を理解しようと、精一杯、親身になってくれたリリアに──
心を向けられなかった事を……今更ながらに恥じた。
(私があのとき、リリアに寄り添えるほど強い人間だったなら……。リリアの……。シリウス・リアーネの未来は変わっていたのかもしれない)
ユランは、今までリリアが『シリウス』に成らざるを得なかった理由を、グレンの死や、周りの環境が原因だと思い込んでいた。
しかし、回帰前のユランが少しでもリリアに寄り添い、助力できていれば……
些細な事で、リリアの未来は変わっていたかもしれない。
ユランは、この部屋を訪れてからリリアの事ばかりに思いを馳せている。
そうしているうちに、ユランの頭の中に少しずつだが当時の記憶が蘇ってきた。
今だに、ノイズがかった曖昧な記憶ではあったが……。
*
毎日の様にユランの部屋を訪れていたリリアだったが、いつしか部屋に現れなくなっていた。
ユランも別段、リリアの事を気にしてもいなかった。
当時のユランは、リリアの事を気にする余裕などなく、放っておいて欲しいとすら思っていたのだ。
なので、逆にリリアが部屋を訪れなくなった事に、わずかに安堵していた。
部屋に来なくなる少し前、リリアは一方的に『約束』だと言って、ユランに〝何か〟を語った。
──しかし、ユランはそれに興味が湧かず、『約束』の内容も覚えてすらいなかった。
*
そして、リリアがユランの部屋を訪れなくなってから数日後の事だ。
今まで姿を見せなかったリリアが、突然、ユランの部屋に訪れた。
『しばらく、会いに来れなくてごめんなさい……。私、──されていましたの……』
『……』
『感謝祭の日の事、ごめんなさい』
『……』
『約束──を抜け出して──を回る約束は、結局守れませんでしたわ……』
『……』
『私は感謝祭の当日──されてしまったの』
『……』
『お兄様はその日、──を助けるために──しまいました』
『……』
『私たちは──離れ離れになってしまうんですわ……』
ユランの部屋を訪れる際、決して笑顔を絶やさなかったリリア。
だが、そのときの彼女の表情は、本当に悲しげで……
ユランに助けを求める様に……
今にも縋り付いてきそうなほどに……
悲痛な表情だった。
──ゴンッ!!
ユランは、唐突にその右手で、自身の顔面を力一杯殴打する。
回帰前の自分の不甲斐なさに腹が立ちすぎて、思わず自分に対して手が出てしまった。
仮面越ではあったが、手加減なしでやったため、ダメージは大きい。
装着していた仮面はかなり丈夫な素材で出来ている様で……ユランの本気の一撃を受けても、へこみすらしなかった。
──本当なら、過去の自分を思いっ切りぶん殴ってやりたかったが、それは叶わない。
そして、その行動には、自分への戒めの意味も込められていた。
「……痛っ」
力一杯殴ったため、口の中が切れて出血し、仮面の中で口元から一筋の血液が流れ落ちた。
殴った右手も、炎症して赤くなっている。
しかし、これは自分に対する戒めであるとし……ユランは『修復』による治療は行わなかった。
ユランが、自分の不甲斐なさに、やり場のない怒りを感じて俯いていると──
「リーン……?」
ユランの背後……
部屋の外から室内を覗き込んでいる、リリアの姿があった。
*
「ああ、やっぱりリーンだわ! もう会えないと思ったのに! 私に会いにきてくれたのね!」
ガバッ──
リリアは脇目もふらず、ユランの下まで走って来ると──そのままの勢いで抱きついた。
リリアは、華奢な身体に似合わず意外に力が強かったため、ユランは思わず「ぐえっ」と声を上げてしまう。
「あ……。ご、ごめんなさい。嬉しくてつい……」
リリアは、流石にはしたないと思ったのか、慌ててユランから離れて照れた様に顔を赤る。
「リ、リリア……。何で僕だって分かったの? それに、いきなり抱きついたりしたら危ないじゃないか。不審者だったらどうするの……?」
ユランは被っていた仮面を外し、素顔を見せる。
リリアはそれを見て、『やっぱり!』と手を叩いて喜んだ。
「私がリーンを見間違えるはずありませんわ……。私の『初めての人』ですもの」
「は、『初めて一緒に城下町に出かけた人』ね! そんな変な言い方しちゃいけません!」
「?」
誰が聞いている訳でもないのに、ユランは大きな声でリリアの言葉を訂正する。
だが、リリアはユランの言葉の意味を理解していないのか、可愛く小首を傾げていた。
*
「それよりも、会いに来てくれて嬉しいですわ……。でも、なぜ屋敷の中から?」
「あ……。そ、それは……。えと」
ユランは、リリアの問いに対し、言い淀む。
記憶を取り戻す事に注力するあまり、リリアの接近に全く気付かなかった。
リリアに見つかる事など想定していなかったため(リリアが相手なら、見つからずに行動できると思っていた)、見つかったときの言い訳など考えていない。
「もしかして、私を驚かせようとしたんですか? ふふふ……。リーンってお茶目さんですのね。私は、ダリアの大樹での逢瀬もロマンチックで良いと思いますけど」
ユランがしどろもどろになっている内にリリアが勝手に解釈し、納得していたので、ユランはそれに乗っかる事にした。
リリアはそう言いながら、慌てて離してしまったユランとの距離を再び詰めようとして、ある事に気付く。
「リーン! 貴方、怪我をしているの!?」
リリアはバッと勢い良く近付き、ユランの右頬に……右手で優しく触れる。
労わるように、
包み込むように……。
ユランの右頬は、傍目からでも分かるほど変色し大きく腫れ上がっていた。
どうやら、思いの他強く殴りすぎていた様だ。
リリアは、ユランの傷を確認すると、目を閉じる。
『ハイ・リペア』
リリアの右手が緑色の光を纏い──その光がユランの右頬に触れる。
すると、あっという間にユランの口内の傷が塞がり、頬の腫れも引き、何事もなかった様に綺麗になった。
ユランは、驚いてリリアの顔を見る。
『ハイ・リペア』とは、ユランが使う『リペア』の上位神聖術。
学べば誰にでも使える『リペア』とは違い、『ハイ・リペア』は、神聖力との高い親和性がなくては扱えない術である。
聖剣教会に身を置く神官の様に、神聖力との親和性を高める事に生涯を捧げる様な……節制した生活を送った末に、やっと扱える様になると言われるほど、レベルの高い神聖術だ。
「綺麗に治ったでしょう? 練習した甲斐がありましたわ」
得意げに、胸を張るリリア。
ユランは、リリアの言葉を聞き、さらに驚愕する事になる。
(『ハイ・リペア『 』を、練習しただけで扱える様になったのか? それも、独学で?)
信じられない気持ちのユランであったが、そこで一つ、疑問が生まれる事となった。
なぜ、リリア──シリウスは、回帰前の世界で神聖術を一度も使わなかったのか。
『ハイ・リペア』を扱えるほどの才能があるなら、そちらを極めても良かっただろうに……。
(回帰前のパーティーメンバーには、アニス・ハートって言う神聖術の権化みたいな化け物もいたしな……。使う必要がなかっただけかもしれないが)
アニスさんハートとは、回帰前、ユランやリリアと最後を共にした仲間の一人で──強力な神聖術をいくつも扱う事ができた、神聖術士の少女だ。
アニスは、世界でも数人しか扱うことができないと言われる、最上級の神聖術『オール』を扱うことが出来た。
さらに、それだけではなく、『リペア』と『ヒール』と言う、普通ならば『どちらかを極めるだけでも一生を費やす』と言われる神聖術を、両方『最上級』で扱う事もできる……
こと、神聖術に関しては稀代の天才だった。
アニスは聖剣こそ『貴級聖剣』であり、『抜剣術』もレベル1だったが……グレンや回帰前のリリアとは、違った意味で化け物の様な存在なのだ。
ユランは、治療が成功して、嬉しそうに笑っているリリアを見て、思う。
このまま神聖術を学べば、リリアも『オール』にたどり着くかもしれない……。
『神級』でありながら、『抜剣術』の才能に恵まれず、出来損ないとまで言われていたリリア──
そのリリアが、新たな才能を見出し、活かそうとしている姿を見て、ユランは──
(やはり、シリウス・リアーネは……。いや、リリア・リアーネは人類の希望なんだ)
と、回帰前の『人類最強』を思い出し、自分の事の様に嬉しくなった。
そして、改めて決意する。
必ず、グレン・リアーネの助命を成し遂げ、狂ってしまった運命の歯車を修正する。
そのために、今すぐ行動しなくては……。
──時間はあまりない。
ユランは、執務室で見つけた手紙の内容と、この部屋で思い出したことを総括してみる。
ホフマンたちは、目的のためにリアーネ家の護衛や従者を全て解雇している。
これは、屋敷の警備を手薄にするためだろう。
そして、『アレを、一人にする状況を当たり前にする』と言う内容……。
アレとは、十中八九、リリアの事に違いない。
ホフマンたちは、リリアを利用して、何か企んでいるに違いなかった。
続けて、ユランは回帰前にした、リリアとの会話を思い出していた。
『しばらく、会いに来れなくてごめんなさい……私、悪い人に監禁されていましたの……』
『……』
『感謝祭の日の事はごめんなさい』
『……』
『約束……屋敷を抜け出して城下町を回る約束は、結局守れませんでしたわ……』
『……』
『私は感謝祭の当日、誘拐されてしまったの』
『……』
『お兄様はその日、私をを助けるために、亡くなってしまいました』
『……』
『私たちは、これから離れ離れになってしまうんですわ……』
リリアは、回帰前の世界で、悲しげにそう語っていた。
感謝祭の日……その日にリリアの身に危険が迫り、彼女を守るためにグレンは死亡したのだろう。
感謝祭の日は──12日後だ。
「リーン、どうしたんですか? 何か考え事ですか?」
黙り込んでしまったユランを心配してか、リリアはユランの顔を覗き込む。
ユランは、「何でもないよ」と誤魔化したが、これからの事を考えると悩みは尽きなかった。
時間がない……どうすればいい?
いっその事、手紙を治安維持部隊(聖剣士団の中でも、治安維持を専門として結成された部隊)に届け出るか?
などと考えたが、10歳の子供が持ってきた差出人のない手紙など、イタズラと見做されるか……最悪、リアーネ家当主を貶めようと企んだ罪でユラン自身が投獄されかねない。
かと言って、リリアに全てを話して対策を立てるわけにもいかない。
いくら、リリアが人を疑わない性格だとしても、そんな突飛な話は信じないだろう。
結局、リリアを陰ながら守護すると言う方法しかないのかもしれない……。
「リーン?」
リリアが、再びユランの顔を覗き込む。
ユランの目の前に、リリアの瞳が見えた。
そのブルーの瞳は、アーネスト王国では一般的な色で、ユランの瞳も同じ色だ。
しかし、リリアの透き通る様なブルーの瞳は、他者とは比べ物にならないほど美しく……ユランの目には、宝石の様に輝いて見えた。
二人の身長はちょうど同じくらいで、対面するとどうしてもリリアと目線が合ってしまい──ユランはその度に、リリアの瞳に吸い込まれそうになり、戸惑ってしまうのだった。
「リリア……。僕は、君を助けたい。いや、必ず助けてみせるから」
「いきなりどうしたの?」
ユランは、リリアの両肩を掴み、真剣な表情でそう言う。
リリアは、頬を赤らめながら、ユランの言葉の意味がわからずに疑問符を浮かべる。
(とにかく、今は残された時間で出来る限りの事をしよう。上手くいくかは分からないが、考えていることもある。)
しかし、これは──
(ミュンとリネアを、上手い事説得できるかが問題だ……。リリアの事を黙っていた事がわかったら……二人とも怒るだろうな……。うぅ)
感情を露わにして激怒するミュンと、静かに怒りを放出するリネアの姿を想像し、ユランは胃の辺りがキリキリ痛むのを感じた。
(ち、違うんだ二人とも……。決して、二人を騙して会っていたわけじゃないんだ! これは世界のために仕方のない事で……)
心の中で叫んで通じる訳がないのに、いつもの習慣か……ユランは、思わず二人に言い訳をしてしまった。
「とにかく。何も聞かずに、僕を信じて付いてきて欲しいんだ」
心の中の葛藤はさておき、ユランはキリッと真剣な表情を作り、リリアの耳元で囁く様に言った。
「……おぅふ」
リリアは謎の呟きを発し、顔を真っ赤にして俯いてしまう。
……手と手を擦り合わせて、身体をモジモジさせていた。
「あ……!」
しかし、すぐに気を取り直し、言う。
「おほん! 何の事だか分かりませんが……。私はリーンを信じて付いていきますわ!」
リリアは、照れ隠しのためか、わざと大きな咳払いをしてチラチラとユランの顔を見ている。
ユランは、リリアの返事を聞き──
「じゃあ、失礼して……」
ガバッと、リリアの了承も得ずに、勝手に横抱き(お姫様抱っこ)に抱き上げた。
「ちょっと、リーン! 貴方はいつも唐突にそう言う事を……! もっと紳士的に抱き上げて下さいな!」
リリアは、ユランの行動を咎める様に声を上げるが、その顔は楽しげに笑っている。
ユランと一緒なら、『何か楽しくて幸せな事が起こるかも』と、ワクワクを隠せていない顔だ。
「じゃあ、さっそく行こう!」
「え? 行くって、どこにですか? あ、ちょっと、リーン!」
ユランはその疑問に答えず、そのままリリアを抱いてリアーネ家を後にした。
(先ずは聖剣教会に帰って、ミュンたちに事情を説明しなければ……。うぅ……不安しかない)
まずは、今回の作戦で最大の難関になるかもしれない二人の説得を思うと……ユランの気が重くなる。
しかし、ユランに抱き抱えられて楽しそうにニコニコ笑うリリアの笑顔を見ていると、ユランも、「何とかなるんじゃないか」と、楽観的な気持ちになってくる。
実際、不安な事はまだある。
第一に、グレンの死がホフマンの策略であると確定した訳ではない事だ。
ユランの当時の記憶も完璧ではなく、間違っている可能性だってある。
万が一、グレンが死亡した原因が今回の魔王遠征が関係しており、遠征中に死亡するのだとしたら……それはもう、諦めるしかない。
そこは、グレンの力を信じて腹を括ろう。
そう思い、ユランはリリアを抱き抱えたままで、夜の街を駆けるのだった。




