【リリア・リアーネ(5)】
「さて、時間だ……。〝ゲスト〟もそろそろ到着する頃だろうよ」
牢獄らしき部屋に閉じ込められてから暫く……再び、髭面の男が私の前に姿を現した。
髭面の男は一人ではなく、側にカンテラを持った男を一人伴っている。
「ここは手狭だからな。少し移動するぜ」
ニヤリと薄ら笑いを浮かべて言うと、髭面の男は、床に横たわる私の下へと歩いて来て──
手足を縛られて身動きの取れない私を、無造作に担ぎ上げたのだ。
私は、手足を拘束されているため、抵抗も許されず、されるがまま……。
「せっかく、特別ゲストを迎えるんだ。演出はしっかりやらないとな」
「ククッ……。聞いた話によりゃ、〝アレ〟は相当なバケモノだそうですよ……。そのバケモノ相手に演出ですかい?」
「バケモノと言ったって同じ人間だ。殺せん事はないだろうさ……。それに、こっちには人質もいるしな」
「はっはは……。違いねぇや」
別の部屋に移動する間にも、担いだままの私の事など気にした風もなく、二人の男は楽しげにそんな話をしていた。
バケモノとは兄──グレン・リアーネの事……。
そして、人質とは私の事なのだろう……。
だが、彼らは勘違いをしている。
──私の存在など、人質たり得ないというのに……。
*
牢獄の部屋から、どのくらい移動したのだろうか。
私は、男たちに運ばれ、大きな空洞状の部屋まで来ていた。
ドサッ──
「んぅ……」
部屋の奥まで運ばれた後、私の身体は、再び投げ捨てられる様に床に転がされる。
身体を強かに打ち付け、激しい痛みを感じたが……口を塞がれているため、声も上げられず、くぐもった呻き声を漏らす事しか出来なかった。
「さあ、目的地に到着だ。ショータイムは近いぞ」
髭面の男は楽しげに言うと、懐から小振りのナイフを取り出し──
「動くなよ……。手が、滑っちまうかも知れんからな」
その刃を、私の首元に当てがった……。
「ん! うー!」
ヒヤリとしたナイフの感触を首元に感じ、私は、ブルリと身を震わせる。
……今の私の顔は、死に対する恐怖に引き攣っているのかも知れない。
私は必要とされない人間でだから……死など怖くないと自分に言い聞かせていた。
だが……存外、人の心とはコントロールが難しいものなのだろう……。
先ほどから、身体の震えが治る気配がないのだから……。
「良い顔じゃないか。それでこそ、人質に取った甲斐があるってもんだ」
髭面の男は、恐怖に震える私を満足気に見下ろすと、カンテラの男性の方に目をやり、小さく頷く素振りを見せた。
カンテラの男も、それに応える様に頷き返すと──
フッ!
と、カンテラに向かって息を吹きかけ、中に灯っていた炎を消したのだ。
「んー……!」
私は、周囲が暗闇に包まれた事に驚き、思わず身を捩ってしまった……。
首元にチクリと痛みが走り、そこから、ツツっと何かが流れ落ちる感触がある。
……当てがわれたナイフが首元を裂き、少しだけ出血した様だ。
そんな私の状況が、暗闇の所為で見えていないのか……
それとも、単に気にしていないだけなのか……髭面の男は楽し気に言う。
「演出は大事なんだぜ。いきなり人質が現れた方が、ゲストも驚くだろう……。開けてびっくり何とやら、ってな」
髭面の男がククッと笑う声が周囲に反響し、暗闇の中で一層不気味になって私の耳に返って来る。
……それから程なくしてだ。
私の予想に反し、
兄──グレンが、
私の前に現れたのは……。
*
キギギ──……
錆びついた金属音を立てながら、ゆっくりと扉が開く音が暗闇の中に響く。
音から察するに、誰かが部屋の中に入って来た様だ……。
扉が開いた事で、廊下の光が差し込んで──出入り口付近が僅かに明るくなる。
しかし、私の位置からは随分遠いため、入室した人物の特定は出来なかった。
ただ、私の位置から見えたシルエットから推察するに……人数は二人の様だ。
──ドガンッ!
来訪者二人が、完全に部屋に入った後──
その内の一人が出入り口の扉を閉めた事で、室内に轟音が木霊する。
その音に驚き、私は思わず耳を塞ごうとするが……手足を拘束されているため、それは叶わない……。
──扉が閉められた事で、辺りには再び暗闇が戻って来た……。
今は出入り口の人影どころか、目の前にいるはずの髭面の男の姿すら視認できない。
「遅かったじゃねぇか……」
私のすぐ上辺りから、そんな声が発せられる。
……声の主は、髭面の男だ。
ボッ……
そんな声を合図だと捉えたのか、私のすぐ後ろ辺りで、カンテラに炎を灯す音が聞こえ──
室内は突然明るさを取り戻し、広い部屋の隅まで見渡せる状態になった。
そして、眩しさに顔を顰めつつも、私が視界にとらえたのは──
「リリア!」
怒りに身を震わせ……今にも人を射殺さんばかりの目でコチラの方を睨み付ける兄──グレンの姿でした……。
*
「んー! んー! んんー!」
私は、布を噛まされた口で、声にならない叫びを上げる。
無理だとわかっていながらも、叫ばずにはいられなかった……。
何故、来てしまったんですか!
私の事など、愛してもいないというのに!
私の事など放っておけば良いのに!
──それに、お兄様……
聖剣も持っていないじゃないですか。
いくら神人と言えども、聖剣の加護なしで戦えるとは思えない……。
もしかして、兄は……。
色々な考えが頭の中を巡り、私の思考は大いに混乱していた。
そんな、私の状態を他所に──
「おう、先生……。良くやってくれた。コイツは俺が押さえておくから、さっさと片付けてくれや」
髭面の男は、兄の隣に立っていた人物にそんな言葉を投げ掛けた。
兄の隣に立っているのは──小綺麗な格好をした長身の男……。
なぜだか私は、その男から〝今まで感じたことのない禍々しさ〟を感じ、身を竦ませてしまう。
〝神人〟である兄からも感じた事のない威圧感と……
ドロドロと、身体全体に纏わり付いてくる様な不快な空気……。
『〝アレ〟は触れてはならないものだ……』
私の身体が、そう訴えかける様に、ガクガクと震える。
小綺麗な格好の男は、髭面の男の言葉を受け、退屈そうに笑うと──
「ん……? なぜ、私がその様な事をしなければならないのですか? やりたければ、貴方自身がやれば良いでしょう……。私の役目は〝神人〟をここに連れて来る事です。後は、貴方たちの仕事……。きっちりこなして下さい」
と言って、一歩引いて後ろに下がり……もたれ掛かる様にして、壁に身を預けた。
「……ちっ」
傍観者を決め込む小綺麗な格好の男に対して、気分を害した様子で、髭面の男が舌打ちをする。
しかし、「仕方がない」といった様子でため息を吐くと、髭面の男はカンテラを持った男に目線を向け、顎をしゃくって指示を出した……。
「了解」
カンテラの男は短く返事をすると、懐からナイフを取り出して、髭面の男に代わって私の首元にナイフを突き付けたのだ。
そして、それを確認した後、髭面の男はゆっくりと立ち上がり──右手に持ったナイフを見せびらかす様に弄ぶと、そのまま兄の方に近付いて行く……。
「アンタに恨みはねぇが、こっちも仕事なんでな……」
兄は、ゆっくりと近付いて来る髭面の男を睨め付け──
「……リリアを離せ」
と言いました。
普段の優し気な雰囲気からは想像できないほど、兄の声は低く、怒気を含んでいる様子だ……。
──お兄様は怒っているの……?
私のために……?
「おっと。下手な気は起こすなよ。ちょっとでもおかしな動きをすれば……アンタの妹はブスリだ」
兄から発せられる尋常ならざる殺気を受けても、私を人質に取り、優位に立っている髭面の男は……むしろニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、その状況を楽しんでいる様だった。
兄は──現在、起こっている状況を整理するかの様にぐるりと周りを一瞥すると……
諦めた様に息を吐き……
目を閉じてしまった。
──やめて!
お兄様、私の事など捨て置いて戦って下さい……。
貴方は神人なのです。
私などとは、存在価値も……
命の重さも……
全然、違うのですから……。
「何が神人だ。大した事ないじゃねえか……。揃いも揃って、こんな奴に何ビビってんだか」
髭面の男は、ニヤついた表情を一度も崩す事なく、兄の左胸辺りに、ナイフの刃をピタリと突き付ける──
少しでも力を込めれば、容易にその心臓を一突き出来る位置に……。
「くく……。これで俺は〝人類最強〟を殺した男か……。悪くねぇ響きだ。俺を恨むんじゃねぇぜ──それじゃあ、あばよ」
髭面の男は、持っていたナイフに力を込め──
ズブリ──……
その刃は、ゆっくりと、でも、確実に……
兄の胸へと沈み込んでいく……。
「ぐふ……」
胸を貫かれた兄は、呻き声を上げ──
ドサッ……──
膝から崩れ落ちる様に、地面に倒れ伏した……。
「んー! んー! んー!!」
私は、そんな兄の様子を確認し、叫び声を上げながら無茶苦茶に手足をバタつかせる。
首元にナイフの刃が食い込み、痛みが走ったが、そんな事は関係ない。
兄を助けなくては。
私には『ハイ・リペア』がある……こんな時のために、一所懸命練習したのだ。
だから、離して……。
お願いですから……。
私の必死の抵抗も虚しく、拘束された手足は自由に動く事はなかった。
「ふう……。神人と言えども、聖剣なしではコレですか……。興醒めですね」
小綺麗な格好の男は、床に倒れたままの兄を冷たい眼差しで見下ろすと──
「まあ、良いです。私の目的を果たすとしましょう」
そう言って、右手を前に差し出した。
……すると、小綺麗な格好の男の目の前の空間に歪みが生じ、手のひら大の、穴のようなものが形成される。
男がその穴の中に右手を入れ、引き抜くと──その手には真っ黒な玉の様な形状の……
〝得体の知れない何か〟が握られていた。
そして、男は穴の中から取り出した〝何か〟を、兄の方に向け──
「貴方の神聖力は、私が有効活用させて頂きます……。神人の神聖力ですから、上物中の上物でしょうね」
などと言ったのだ……。
*
兄の身体から、無数の光が発せられたかと思うと──小綺麗な格好の男が差し出した〝黒色の玉〟に、吸い込まれる様に消えていく。
……さほど時間もかからずに、兄の身体から発せられた光が消え……その光は、全て〝黒い玉に〟吸い込まれた。
そして──
「私の目的は果たせましたし、後は好きにやって下さい……」
『心の底からツマラナイ』という表情を浮かべ、小綺麗な格好の男はそう言った。
「へっへ……。わかってますよ、先生。後は俺らに任せてください」
髭面の男がそう返すと、小綺麗な格好の男は──彼らには一瞥もくれる事なく、部屋から去って行く……。
それを大人しく見送った後、髭面の男は「ガハハハ」と大声で笑い、それに倣うかの様にカンテラの男も笑い声を上げる。
カンテラの男は、私の首元に当てていたナイフを下げ、髭面の男の下へ歩いて行った。
「神人を殺したんだ……。俺たちゃあ、これで有名人ですぜ」
「ああ……。同業の奴らも、ビビって俺たちには手を出せなくなるだろうぜ」
二人の男は、お互いに顔を向け合って、兄を害した事をお互いに称え合っている。
私は、ギリギリと音が立つほどに、口の布を噛み締めるが……当然、布が千切れるはずがない。
「後は、この嬢ちゃんをどうするかだな……」
「どうせ、始末するんでしょう? 変態貴族に売り付けたらどうですか? ……餓鬼だけど、これほどの上玉だ。言い値で買う奴だっているでしょう?」
「今回の仕事で、十分すぎる報酬は出る予定だが……。それも良いかもな。金はいくらあっても困らねぇ」
……下卑た笑みを浮かべ、楽し気に語る男たちはある事に気付いていない。
……いや、この時は私もその事に気付いていなかった。
私や男性たちの意識の外で、〝それ〟が行われていた事に……。
『抜剣レベル4── 『偽りの死』を発動──使用可能時間は60分です──カウント開始』
突然、倒れたはずの兄がいる方向から、無機質な声が響いた。
「「……は?」」
男たちが発した。驚きの声が重なり、部屋全体に反響する。
そして、私と男たちは、ほぼ同時に声のした方──倒れているはずの兄に、視線を向けた。
「……やっと、リリアから離れたね」
すると、そこには兄──グレンが立っていたのだ……。
ナイフで胸を貫かれる前の、健全な姿で、何事もなかったかの様に……。
ああ、良かった……無事だったのですね。
兄は〝神人〟……『この程度では害せるはずがない』という事なのだろうか……。
「お、おい! 何で立ってるんだ! 冗談じゃねぇぞ!!」
──ブッ!
兄が、自らの足下に向かって勢いよく息を吐き捨てると──鮮血が床を汚した。
貫かれたはずの胸の傷は、完全に塞がっている様だが……全くの無傷という訳ではないのかも知れない。
「おい! 餓鬼を確保しろ!!」
「りょ、了解!」
髭面の男の命令を受け、カンテラの男が私の方に向かって走り出す……。
確かに、兄が立つ場所よりも、彼らのいる位置方が、私までの距離は遥かに近いと言えるだろう。
しかし──
「遅いな……」
『抜剣レベル5──『偽りの生』を発動──連続使用のため使用可能時間が減少します── 使用可能時間は58分です──カウント開始』
兄はすかさず『レベル5』を発動し、カンテラの男を追撃する。
『レベル5』の発動と同時に、兄の身体から、〝何か〟が無数に飛び出したかと思うと──それは、蛇の様にうねり、カンテラの男の下へと伸びて行く。
あれは……『黒い鎖』?
兄の身体から伸びた鎖は、あっという間にカンテラの男に追い付くと……その全身にグルグルと巻き付いたのだ。
「あ……。嫌だ……け……」
命乞いなどする間もなく、カンテラの男は──
チリの様に全身が霧散し──
跡形もなく消え去ってしまった……。
「ひい……! こんな……こんなバケモノだなんて聞いてねぇ! 俺は、こんなところで──」
カンテラの男の有り様を見て、兄に対する恐怖で顔を引き攣らせた髭面の男……。
踵を返して、逃げ出そうとするが、ここは既に兄の支配下……逃げ出せるはずがない。
カンテラの男と同じ様に、黒い鎖に全身を絡め取られ──髭面の男の身体は、空中に霧散して痕跡すら残さずに消え去った……。
*
二人の男を消し去った後、兄は私の方へと歩いて来る。
ゆっくりと……右手で聖剣の柄を握ったまま──
『抜剣術』を発動したままで……。
そして、兄は私の目の前までやって来ると、左手を前に差し出し、黒い鎖を操る。
黒い鎖は、器用に、私を拘束していた手足の縄や、口に噛ませられていた布に巻き付き──それらはあっという間に霧散し、消え去った。
拘束されていた手足が解放され、自由に動ける様になったが……無理やり暴れた所為で、縛られていた部分に擦り傷ができ、血が滲んでいた。
動く分には、何の問題なさそうだが……。
そんな私の状態を目にし、兄は心配気な顔になり、言った。
「痛かっただろう……。治してあげたいが、神聖力を奪われてしまってね……。ここを出るまで、少しだけ我慢できるかい?」
私を心配するその眼差しに、嘘はない様に思う。
なぜ、私は兄の気持ちを疑ってしまったのだろうか……。
兄は、危険を顧みず、私を助けに来てくれたというのに……。
私は、ここを出た後、兄とちゃんと話し合い、お互いの気持ちを確認しようと心に決めた。
どうせ兄も『リアーネの男』なのだからと……疑ってしまった事を、心から謝りたいと思ったのだ。
「お兄様……。ご無事で何よりです」
私がそう言うと、兄は心配気な顔から一転──悲し気で、何かを諦めたかの様な表情になり……言った……。
「ああ、リリア……。すまないね。〝無事〟ではないんだ……」
「へ……?」
私は、兄が発した予想外の言葉に、間の抜けた返事を返してしまう。
「誤魔化しても仕方がないから、真実を言おう……。僕の〝レベル4〟は、ただ〝死を偽る〟だけの能力なんだ」
「……?」
言っている意味がわかりません……お兄様。
「一度発動すれば、抜剣中は手足を捥がれようが、身体がバラバラになろうが、元通りに治る……。でもね、『抜剣』発動前に負った傷は治らない……。『抜剣』を解除すれば……僕は死ぬだろう」
どう言う事なんですか?
そんなはずないですよね?
だって、お兄様はまだ、生きているじゃないですか……。
「わ、私が神聖術でお兄様の傷を治します……。一所懸命、練習したんです……」
「リリア……ダメなんだ……。僕の身体はもう〝死んでいる〟……。こうなってしまっては、神様でも治す事は出来ない」
ダメ……。
ダメですよ……。
私はまだ、お兄様に謝ることすら出来ていない……。
「死者は、生き返ったりしないんだよ……。絶対にね」
「でも、私は……」
「リリア……。悲しむ必要はない。僕は結局、君に何もしてあげられない……ダメな兄だった」
そんなはずありません……。
私が勝手に、愛されていないと決めつけ、お兄様の事を見ない様にしていただけなんです……。
「せめて、君を害する者をこの世から排除しよう……。死出の供は多い方が……僕も寂しくはない」
兄はそう言うと、出入り口の方向に左手を差し出し……そちらに向かって無数の黒い鎖を伸ばしていく。
うねる様に不規則な動きで、黒い鎖が出入り口の扉まで近づくと──
黒い鎖に触れた金属製の扉は、何の抵抗もなく……さーっと消え失せた。
やがて、黒い鎖は、部屋の出入り口を通過すると、左右に分かれた廊下に対して、それぞれ同じ様に左右に分かれ、廊下の奥へと消えて行く。
……それからは、建物全体に凄惨な光景が広がった事だろう。
兄の操る鎖に絡め取られ、失われていく命……。
出入り口の奥──遠くの方から、悲鳴の様な大声が聞こえては、消えていく……。
私は、鎖を操る事に集中する兄に声をかける事も出来ず……ただ、傍観する事しか出来なかった……。
*
『──使用限界まで残り10分です』
聖剣の無機質な声が、無慈悲にも兄の〝命の終わり〟が近付いている事を告げる。
事は終わったと言わんばかりに、私の方に向き直ると、兄は言った。
「さて、リリア……。少し話をしよう」
兄は私に向かってそう告げると、優し気な笑みを浮かべる。
それは、慈愛に満ちた、本気で私の事を思ってくれていると確信できる笑顔だった。
なぜ、私は兄の心に気付くことが出来なかったのだろうか……。
「お兄様……。私は……」
「リリア……。これから君は、一人で生きていかなければならない。辛いだろうが……何としても生き抜き……幸せになる道を探すんだ」
違うんです……
そんな話がしたいんじゃないんです……。
私は、お兄様と……。
「これからは、困ったことがあれば国王陛下──アーネスト様を頼りなさい。彼は僕の友人だ……。きっと、君を助けてくれるだろう」
「お兄様……。私も、言わなければならない事が……」
「リリア、泣かなくていい……。僕の死に責任を感じる必要もない……。僕は〝神人〟だ……。国のために生き……国のために死んでいく存在……。遅かれ早かれ、こうなっていた」
そんなはずはない。
私がいなければ……
枷がなければ……
お兄様は、神様にだって負けないんです……。
『──使用限界まで残り5分です』
終わりを告げるカウントダウンは、無情にも……止まる事なく、進んでいく。
「さあ、もう行きなさい……。ここを出るんだ。君は強い子だから……一人で大丈夫だね?」
「私は……」
「大丈夫……。死が露払いをした……。一部は逃してしまったけど……。もう、戻ってこないはずだ」
兄は黒い鎖を左手で手に取り、私の方に示す様に差し出し、言った。
「……鎖」
それを見て、私の口から思わずそんな言葉が漏れる。
意図した事ではないが、なぜだか口を突いて出たのだ……。
「……そうか。君にも〝死〟が見えているんだね……」
兄はそんな私の様子を、驚いた顔で見ると……
一転、安心した様な穏やかな顔になり──
「リリア……。ここを出て、落ち着いた後でいいから必ず〝聖剣鑑定〟を受けなさい……。きっと、良い結果になるはずだ。いいかい。父上が何を言おうと、必ず受けるんだ……。そうすれば、誰も君に手出しできない様になる……」
そんな事を言った。
「お兄様……。それは、どういう──」
『──使用限界まで残り1分です』
もう、時間がない……。
せめて、お兄様に今までの事を謝りたい。
今まで、お兄様を疑ってしまった事を……。
「お兄様……ごめんなさい……。私は……」
私は馬鹿だ……。
謝らなければならない事が多過ぎて、上手く伝えられない……。
「リリア。もう、分かっているから大丈夫……。時間がない……。早く行って……。君には、僕の〝死〟を見せたくない……。僕の最後の願いを、聞き入れてくれ」
「……」
私は、それ以上、兄の悲痛な顔を見ている事が出来ず……踵を返し、出入り口に向かって歩いて行く。
絶対に、後悔するとわかっていながら……。
「リリア……。幸せに……」
兄が発した言葉は、私を思って発した言葉……。
穏やかな、安らいだ声だった……。
私は、振り返らずに、兄に向かって最後の言葉を告げる……。
「お兄様……ごめんなさい……。今までの事……全部……。愛しています……」
「……うん」
こんな言葉だけでは、伝えたい事など少しも伝わらない……。
お兄様……。
私は強くなります……。
お兄様に負けないくらい、強く……。
「母上……。今、そちらに参ります……」
私が部屋から出ようとした──
その去り際……背後から、兄のそんな呟きが、私の耳に届いた……。




