【リリア・リアーネ(3)】
「リーン……」
私はテラスから反対側の部屋の窓に目をやり、今も部屋の片隅で膝を抱えて蹲っているであろうリーンを想った。
既に陽は沈み、辺りには夜の帷が降りている。
リーンは夕食を済ませたかしら……?
私は自室に謹慎中の身……。
自室での謹慎は慣れているため、特に苦になる事もなかったが……謹慎という事は、リーンの部屋にも行けなくなるという意味だ。
私は、部屋で独りぼっちになってしまうリーンが心配でならない。
最近は一人で食事も摂れていたので、大丈夫だとは思うが……。
私がそんな事を考えていると──
ガチャリ
部屋の出入り口の扉の鍵が、開錠される音が私の耳に届いた。
そして──
コンコン
と、控えめに扉がノックされる。
父が戻ってきたのだろうか……それとも、父の命令を受けて、従者が鍵を開けに来たのだろうか……。
いずれにせよ、今日の〝罰〟が終わったという事だ。
まあ、鍵が空いたからといって、外に出る事など許されないのだが……。
「はい……」
私は、ノックに対して短く返事をする。
相手は父か、それとも従者か……どちらにしても、無視をすれば父の機嫌が悪くなる事は明白だ。
しかし、部屋の外に居たのは──
「入るよ」
そのどちらでもなく、兄のグレンだった……。
私の許可を得て、部屋の中へと入ってきた兄は、未だに外出着のまま──屋敷に戻ってから、それほど間を空けずにここに来たのかも知れない。
兄は、私の事を大事に思ってくれているのだろう……。
いつも、外出から帰宅した後には、逸早く私の部屋を訪れる事がその証明と言えるかも知れない。
だが……私は、兄を信じ切る事が出来ない。
その理由は、単純に兄が〝リアーネの男〟であるからだ。
なので、私は兄に対して心からの笑顔を向ける事が出来ず……兄の前で浮かべるのは、いつも作り笑いの様な微妙な笑みになってしまう。
そんな私の心に気付かないまま、兄は言う。
「リリア……。突然、すまないね」
兄の謝罪に対して、私は控えめに首を振る。
私はそんな事よりも、兄が部屋の鍵を開けられた理由の方が気になってしまった。
果たして、父の許可を得ての行動なのだろうか……。
でなければ、その罰を受けるのは私なのだ……。
兄の与り知らぬところで……。
だが、例え父の所業を知ったとして、兄は私を助けてくれるのだろうか?
兄は基本的には父に逆らわず、言われるがままなのだから……父に同調してしまうかも知れない……。
そんなはずがないと、わかっているが……私は兄を信じ切る事が出来ないのだ。
「あまり時間がないから、手短に言おう。僕はこれからしばらく家を空ける」
「……?」
兄は、私に何を求めているのだろう。
しばらく家を空けると言う事は、おそらく任務を与えられたのだろうが……私からの、激励の言葉を所望しているのだろうか?
そんなもので良いのなら、いくらでも……。
「今度は、どんな任務なんですか?」
「新しく現れた『魔王』の討伐だ。先発隊がだいぶ苦戦しているらしくてね……。僕に白羽の矢が立ったのさ」
「お兄様なら、心配ないと思いますが……。お気をつけて」
少しだけ後悔した……。
激励にしては、あまりに素っ気ない……。
でも、私は上手なやり方を知らないから……。
私がそんな葛藤に頭を悩ませていると、兄が右手を差し出し、言った。
「リリア、これを渡しておこう」
差し出された兄の手に握られていたのは……一本の鍵。
「これは?」
「この部屋の鍵だ。これはお前が持っていなさい」
兄は事も無げに言うが、私はあまり良い予感がしなかった。
何故ならば……
「お父様が、お怒りになるのでは?」
「父には了承を得ている。大丈夫、これからは、お前を閉じ込めるようなものは何もないんだ」
「……」
あのお父様が……?
そんな事を急に言われても信じられないし、易々と受け取る事など出来ない……。
でも──
「信じられないかい?」
「いえ……ありがとうございます」
意に沿わない行動をすれば、兄とて、いつ父の様に怒り出すかわからないから……私には受け取らないという選択は出来なかった。
──私は、兄から部屋の鍵を受け取りつつも、
『後でお父様にお返しして、誠心誠意、謝罪しよう』
などと考えていた。
あまり怒っていなければ良いのだが……。
兄は、私が鍵を受け取ったのを確認すると、満足げに笑顔を見せる。
そして、続けて言った。
「リリア。帰ったらお前にプレゼントがあるんだ……。きっと、喜んでくれると思う」
「……ありがとうございます」
私は素直にお礼を言ったが、私が喜ぶものを兄が知っているとは思えない。
私の望み……
夢は……
たった一つ。
私の夢は〝自由〟……。
──でもね、お兄様……私の求める〝自由〟って簡単な事なんですよ……。
ただ〝自由〟に町を歩いてみたい……
リーンと一緒に。
一日でいいんです……。
それだけで、私はこれからも頑張っていけると思うんです。
それって、贅沢な夢なのでしょうか?
このとき、私はリーンと街を巡る事に頭が一杯で、兄の様子に気付くことができなかった……。
楽しげに笑う兄の笑顔が、散りゆく間際の月花の様に儚げだった事にも……。
そして、何かを決意したかの様に、瞳に決意の炎が宿っていた事にも……。
気付いていたとしても、何かが出来ていた訳ではないだろう……。
このときの私……いや、私はまだ、シリウス・リアーネではないのだから……。




